化学と歴史のネタ帳

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黒色火薬の歴史(1):火薬と花火

花火の歴史は,黒色火薬とともに始まりました.

黒色火薬は中国で11-12世紀頃発明され,花火に早速使われます.
ヨーロッパにつたわったのち花火に色をつける研究が重ねられ,19世紀には鮮やかな色火が得られました.


黒色火薬はどのように生まれたのか?昔の花火大会はどんな感じだったのか?


今回は黒色火薬の誕生から,花火の歴史をみていきましょう.




黒色火薬の歴史(1):火薬と花火
黒色火薬の歴史(2):硝石
黒色火薬の歴史(3):硫黄

1.黒色火薬の反応

黒色火薬は木炭粉,硝石,硫黄からなります.

黒色火薬の化学反応式は,よく以下の式で表されます.
 \mathrm{4KNO_3 + 7C + S \longrightarrow 3CO_2 + 3CO +2N_2 + K_2CO_3 + K_2S}


しかし,組成によっては次のようにも表されます.
 \mathrm{2KNO_3 + 3C + S \longrightarrow 3CO_2 + N_2 + K_2S}
 \mathrm{10KNO_3 + 8C + 3S \longrightarrow 6CO_2 + 5N_2 + 2K_2CO_3 + 3K_2SO_4}


これは組成によって黒色火薬で進む燃焼反応に違いがあることを反映していますが,実際にはどのようにすすんでいるのでしょうか?


黒色火薬の燃焼反応は,3段階に考えられます.


はじめは,KNO3による酸化反応です.
 \mathrm{2KNO_3 + S \longrightarrow K_2SO_4 + N_2 + O_2} \tag{1}
 \mathrm{4KNO_3 + 2C \longrightarrow 2K_2CO_3 + 2N_2 +5O_2}\tag{2}
 \mathrm{C + O_2 \longrightarrow CO_2}\tag{3}

まず,式1のように硫黄がKNO3により酸化されます.
全部の硫黄が燃焼し終わると,式2で示されるように今度は木炭粉がKNO3により酸化されます.
発生した酸素は,残っている木炭粉と反応します(式3).


次は炭素や硫黄による還元反応です.
 \mathrm{K_2SO_4 + 2C \longrightarrow K_2S + 2CO_2}\tag{4}
 \mathrm{CO_2 + C \longrightarrow 2CO}\tag{5}
 \mathrm{4K_2CO_3 + 4S \longrightarrow K_2SO_4 + 3K_2S + 4CO_2}\tag{6}

木炭粉が過剰の場合,KNO3(式4)やCO2(式5)を還元し.K2SやCOを生成します.
また,硫黄が過剰の場合はK2CO3を還元し,K2SO4を生成します(式6).
このように,黒色火薬の組成によって還元反応の進み方に差がでることがわかります.


最後に,ガス系においてはCO2が木炭粉中のH2と反応し,COを生成します.
 \mathrm{CO_2 + H_2 \longrightarrow CO + H_2O}\tag{3}
この反応は,一般的に黒色火薬の化学反応式には含まれないことが多いです.


以上のように,黒色火薬では様々な化学反応が進行しています.


実際にはさらに様々な反応が進んでいると考えられ,それを反映した化学反応式の一例は次のように表されます.
 \mathrm { 74KNO_3 + 96C + 30S + 16H_2O \longrightarrow 35N_2 + 56CO_2 + 14CO + 3CH_4 + 2H_2S + 4H_2 + 19K_2CO_3 + 7K_2SO_4 + 8K_2S_2O_3 + 2K_2S + 2KSCN + (NH_4)_2CO_3 + C + S}


大変ですね!

2.重要機密だった黒色火薬

さて,黒色火薬はいつごろ発明されたのでしょうか?


黒色火薬のルーツは,不老不死を薬を追い求めた錬丹術にあると考えられています.晋の葛洪(283-343)が著した『抱朴子』(317年)には,硝石や硫黄を他の材料とともに竹筒に混ぜてつくる丹薬の製法が書かれています.


硝石や硫黄は常温では固体ですが,加熱によって燃えると軽い気体に変化します.そこでこれらを加工したものを服用すると自分の身体が軽くなり,空中を飛行できる仙人になれると考えていたようです.


丹薬の製法は,やがて火を武器として用いる,いわゆる「火器」につながります.唐の李筌が書いた『神機制敵太白陰経済』(759年)には,竹筒に硝石を生じる動物の糞などをつめる「火筒」が現れます.


やがて硝石そのものや硫黄が燃焼剤として使われるようになり,10世紀以降,五代十国の分裂から宋王朝(940-1279)による再統一の過程で火器が発達していきます.この頃開発された火器には火薬の推進力で飛ばす「火箭」,火薬を中に入れた「火毬」などがあります.

武経総要に記載された「火薬」の製法

『武経総要』(~1044年)には世界最初の「火薬」という単語が登場しますが,その成分は主に硝石,硫黄,植物油からなっていたようで,爆発性の火薬ではなく,どちらかというと燃焼剤として使われていたみたいです.


これがいつしか爆発性の火薬へと発展していったのですが,正確な記録は残っていません.『本草衍義』(1116年)が書かれた1100年頃には,硝石,硫黄,木炭粉からなる黒色火薬を用いた打ち上げ花火があったようで,ほぼ同時期に軍事目的にも利用されたと推測されています.


北宋の首都のようすを書いた『東京夢華録』(1147年)には,皇帝が宝津楼に訪れた際に黒色火薬を用いた爆竹や花火が使われたシーンが描写されています.『西湖遊覧志余』(1186年)からは果物や人物の形に燃える仕掛け花火が楽しまれていたことがわかります.『斉東野語』(1225年)には南宋の皇后が宴会で飛んできた地老鼠(ねずみ花火)に驚いて席を立ったことが書かれています*1.こんな頃からねずみ花火があったんですね!

3.ヨーロッパに伝わった火薬技術

中国は火薬と硝石の輸出を禁じて火器が国外に流出しないように規制していたのですが,やがて北宋に(1227年),南宋に破れると(1279年),火器の技術は金や元に伝わりました.


また,1225年頃に海路交通を通じて火薬と花火がイスラムに伝わっていることがわかっています.こうして強力な武器を手に入れたオスマン帝国(1299-1922)やムガール帝国(1526-1858)は「火薬帝国」として何世紀にも渡ってそれぞれの地域を支配しました.


ヨーロッパには1300年頃,交易を通じて火薬技術が伝わります.このころヨーロッパでは統一した重さの基準がなかったため,配合の研究にはずいぶん苦労したようです.1330年代には砲がつくられ,百年戦争(1337-1453)*2でも早い時期から利用されました.


一方で15世紀になると,火薬技術は花火にどんどん使われるようになります.最初の花火はイタリアフィレンツェで行われました.花火はその後イギリス,ロシアに普及していきました.


イタリアのフィレンツェを中心とする南欧は「マシン」や「テンプル」とよばれる壮大な構造物に花火を仕掛けて光で飾る方式(仕掛け花火)で,宗教行事や王室の祝い事に行われました.


一方ドイツのニュルンベルクを中心とする北欧派は花火そのものを打ち上げる新しい方式を採用し,ドイツのほかポーランドスウェーデンデンマークなどで発展しました.


イギリスでは1486年,ヘンリー7世の結婚式に初めて使われ,宗教行事や祝典に欠かせないものとなりました.導火線が改良されると多くの花火を同時に打ち上げられるようになり,凝った仕掛け花火が考案されるようになります.

オーストリア継承戦争終戦記念花火大会の計画図

大規模に仕掛け花火を用いたのは,1749年,イギリス国王ジョージ2世によってオーストリア継承戦争(1740-1748)の終戦を祝して開かれた花火大会です.*3イタリア出身で当時パリで活躍していたルッジェーリ家の花火師が手の混んだ仕掛け花火を設計し,約10650発もの花火を使ったことが記録されています.途中イギリス人とイタリア人の花火師たちが喧嘩して火災が発生するなどもあったようですが,観客の記憶に残る花火大会だったようです.


ロシアでは,なんと皇帝ピョートル1世自身が自らロケット花火や仕掛け花火などをつくっています.彼は1703年には新都市サンクト・ペテルブルグに開設した科学アカデミー内に花火研究室をつくり,自身で火薬の配合をしたり,記録をとったりしていたようです.しかしながら1709年にはこの研究室は火災を起こし,全焼してしまっています.

4.色のついた花火の研究

ヨーロッパの花火では,融点が548℃と比較的低い硫化アンチモンSb2S3*4が17世紀には使われていたようで,ある程度の色の変化も可能だったようです.
 \mathrm{2Sb_2S_3 + 9O_2 \longrightarrow 2Sb_2 O_3 + 6SO_2}
 \mathrm{2Sb_2O_3 + O_2 \longrightarrow 4SbO_2}


積極的に金属塩の炎色反応を活用することで火炎の色を変えようと試みたのは,18-19世紀に活躍したイタリアのルッジェーリ家の人たちです.彼らは1806年にはCuSO4NH4Clを用いることで,(薄いながらも)緑色の炎を作り出しました.*5
おそらくは,揮発しやすいCuCl2が生じるためと考えられます.
 \mathrm{CuSO_4 + 2NH_4Cl \longrightarrow CuCl_2 + (NH_4)_2SO_4}


これをきっかけとして,ヨーロッパの花火師たちの色火への研究熱に一気に火がつきます.
さらに鮮やかな色火を引き出すには,より炎の温度を上げられる酸化剤が必要でした.

Claude Louis Berthollet (1748-1822)

ちょっとさかのぼって1787年*6ベルトレーはのちにベルトレーの塩とも呼ばれる塩素酸カリウムKClO3を合成していました.
 \mathrm{3Cl_2 + 6 KOH \longrightarrow KClO_3 + 5KCl + 3H_2O}

1788年,ベルトレーはこの化合物を加熱するとKNO3よりも大量の酸素を放出することを発見します.
 \mathrm{2KClO_3 \longrightarrow 2KCl + 3O_2}

ベルトレーはすぐに火薬硝石公社の火薬管理監督官だったラボアジエに連絡し,KNO3のかわりにKClO3を利用した火薬を作ろうと提案します.ラボアジエは乗り気になって工場の人達と一緒に実験を始めるのですが,危険性をあまり正しく周知できていなかったのか,大きな爆発事故を起こしてしまいました.ラボアジエは引き続き実験したかったようですが,翌年のフランス革命の勃発によってそれは叶わぬ夢となりました.


1810年には,ロンドンの若い医学生John Forster (1793–1873)が塩素酸カリウムを用いた色火に成功しました.彼は4月にAstley野外劇場で上演された『血染めの騎士(Blood-Red Knight)』の演出用に,硝酸ストロンチウムSr(NO3)2の赤色火を使いました.また,緑色火も使われたようで,これには硝酸バリウムBa(NO3)2が用いられました.


1820年代には女性花火師Sarah Hengler (1765?-1845?) が緑色火を花火につかっていた記録もあります.この頃には色の付いた花火が普及しはじめていたようです.1831年にはブレスラウのリネン業者Johann Martin Websky (1799–1867)が銅塩をつかった青色花火のレシピを公開しています.


このように,19世紀に入ると色のついた花火が多く見られるようになりました.

ブルックリン橋開業を祝した花火(1883年,アメリカ)


1830年代には軍事目的でもこうした色火が転用されました.1831年にイギリスで行われた軍用信号弾実験では10種類の色火が用いられ,プロイセンの将校Franz Eduard Moritz Meyer (1798-1838)はピンク,緑,青,赤の色火のレシピを開発しました.


こうした花火開発の背景には,アマチュア花火愛好家*7と軍事専門家たちの交流があったことが指摘されています.花火好きであれば,アマチュアだろうが軍人だろうが関係なく情報を交換しあっていたというわけですね.


そして1865年にはMgが,1894年にはAlが白色光を得るために使われ,第一次世界大戦では航空機用の色フレアにも応用されました.これらの金属の色火への応用は,それからしばらくたってからになります.

5.日本の花火

日本で花火がはじまるのは,1543年鉄砲伝来とともに黒色火薬が入ってきてからです.1589年には伊達政宗が,1613年には徳川家康が外国時のあげる花火を見た記録が残っています.江戸時代の花火は黒色火薬の燃焼を主体としたもので燃焼温度が1700℃程度と低く,黒体放射によるオレンジ色のものが多かったようです.


1879年にマッチとともに花火の燃焼温度を上げられるKClO3が輸入されます.2000℃以上に上がりますので,このくらいの燃焼温度でしたら金属の炎色反応の色を十分に引き出すことができます.11代鍵屋弥兵衛は,最初なかなか苦労したようですが,1887年にSrCO3, BaSO4, CuCO3などが輸入されると赤・緑・青の色火がだせるようになりました.1889年の帝国憲法発布の夜には,皇居二重橋の中からカラフルな花火が打ち上げられました.


大正時代にはCuSO4,Ba(NO3)2,Sr(NO3)2などが使われるようになります.戦後になると,赤と青の混合で紫色を出すなど,さまざまな色火剤が使われだしました.


一方でKClO3はちょっとした打撃や摩擦でも爆発し,貯蔵しておくと突然発火したりします.毎年数十件の爆発事故がおき,多くの花火師がなくなってしまったようです.昭和30年代にはかわりにKClO4を使うようよびかけられていきます.

6.まとめ

こうして通史的に見渡すと,中国でもヨーロッパでも,火器と花火は密接に関係しながら発展していったことがわかります.


現在のように色鮮やかな花火が所狭しと打ち上がる花火大会のすがたは,このように長い歴史を経て形作られたものです.今度花火をみるときは,歴史に思いを馳せてみても良いかもしれません.


次回は硝石の歴史について見てみましょう.

問題

Q. 以下の黒色火薬の組成(A-C)のうち,最も遅く燃焼すると考えられる組み合わせはどれか?

組成 硝石 木炭 硫黄
A 72 15 13
B 40 30 30
C 62 18 20

 

A. 酸素バランスを計算すると,
 \displaystyle{ OB = 0.396\times0.72 + (-2.667)\times 0.15 + 0.498 \times 0.13 = -0.025}
 \displaystyle{ OB = 0.396\times0.40 + (-2.667)\times 0.30 + 0.498 \times 0.30 = -0.49}
 \displaystyle{ OB = 0.396\times0.62 + (-2.667)\times 0.18 + 0.498 \times 0.20 = -0.13}

したがって,0から最も外れたBの組成が最も遅いと考えられる.
【参考】酸素バランス】


実際にこれらは戦時中フランス政府が製造していたもので,上からForte(強い),Lente(遅い),Ordinaire(普通の)の名で売られていました.


参考文献

『中国火薬史』岡田 登 著,汲古書院(2006).
『世界を変えた火薬の歴史』クライヴ・ポンティング 著,原書房(2013)
『花火の事典』新井 充 著,東京堂出版(2016).
『花火学入門』吉田 忠雄,丁 大玉 著,プレアデス出版(2006).
『花火の科学』細谷 政夫,細谷 文夫 著,東海出版(1999).
『花火の科学と技術』丁 大玉,吉田 忠雄 著,プレアデス出版 (2013).
FIREWORKS Principles and Practice” Lancaster, R. (1998).
"Chemistry of Pyrotechnics: Basic Principles and Theory" Mocella, C., Conkling, J.A. (2019).
"Chemistry of Fireworks" Russell, M.S. (2009).
”Handbook of Inorganic Chemicals" Patnaik, P. (2003).
”The Chemistry of Powder and Explosives" T. L. Davis, (1941).
Vogt, H., et al. "Chlorine Oxides and Chlorine Oxygen Acids" Ullmann's Encyclopedia of Industrial Chemistry, 8, 624-684 (2010).
Živković, Ž. “Kinetics and mechanism of Sb2S3 oxidation process” Thermochimica Acta, 383, 137-143 (2002).
Lemay, P., “Berthollet invente des explosifs” Revue d'Histoire de la Pharmacie, 169, 53-57 (1961).
Barry Sturman and David Garrioch "Amateur Science and Innovation in Fireworks in Nineteenth-Century Europe" Ambix, 70, 109-130 (2023).



目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:同時期に書かれた『西湖老人繁勝録』(1250頃) には五色の煙火に関する記述がありますが,その詳細な原理は不明です.

*2:時期には諸説あります.

*3:ちなみに,このときヘンデルが「王宮の花火の音楽」を作曲しています.

*4:天然に輝安鉱として算出する硫化アンチモンは,地中海地方で目の周りを黒くする化粧品として使われてきだと言われています.のちに錬金術でも度々使われるなど,一般的な物質だったようです.

*5:現在では塩化アンモニウムは吸湿性が高いため使用されていません.

*6:1786年とする文献もみましたが,Vogt, H., et alにならいました.

*7:マチュア花火愛好家のほうが色火の開発に成功した背景には,プロフェッショナルの化学者はむしろ塩素酸カリウムの危険性を認識していたためあまり積極的に使わなかったからという事情もあるようです.