化学と歴史のネタ帳

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マッチ(3):リンとマッチの歴史

リンの同素体には白リンや赤リンなどがありますが,現代のマッチには赤リンが使われています.

白リンは発火しやすいのですが毒性が高く,赤リンは発火しにくいですが毒性が低いという特徴があります.


リンが17世紀に発見されてから安全に使用できるようになるまでには,いろんな歴史がありました.


今回はリンの発見から,現代の安全マッチに至るまでの歴史をみていきましょう.




マッチ(1):マッチのしくみ
マッチ(2):点火装置の歴史
マッチ(3):リンとマッチの歴史

1.白リンの発見

ハンブルクの医師*1ヘニッヒ・ブラント(Hennig, Brand, 1630頃-1692頃)は,本業の傍ら錬金術の実験に没頭していました.


1669年*2,銀を金に変える物質を作り出すため,大量の尿を夜な夜な腐敗させつつ煮詰めていたところ,何やらうっすら光るロウのような物体が得られます.驚くことに,この物体をこすると一気に燃えだしたのです.白リンの発見でした.
 \mathrm{P_4 + 5O_2 \longrightarrow P_4O_{10}}


はじめは白リンの製法を内緒にしていたようですが,この不思議な物体のウワサは一気にドイツ中に広まりました.その秘密をお金で買う人まで現れました.彼の製法では尿1100Lから60g程度しか取れなかったため,白リンそのものもかなり高値で取引されたようです.

Robert Boyle (1627-1691)

製法の秘密をお金で買ったクラフト (Johann Daniel Krafft, 1642-1697)は,1677年ロンドンに訪れた際に白リンの実物をロバート・ボイル(1627-1691)にみせました.ボイル・シャルルの法則で有名な,あのボイルです.


製法までは教えてくれなかったようで,ボイルはがんばって尿から白リンを得ようとします.最初はなかなか難しかったようですが,当時難しかった火の温度制御に長けていた助手のアンブローズ・ゴドフリー・ハンクヴィッツの貢献もあり,ついに白リンを得ることに成功しました.ボイルはをつかって白リンの収量を改善していますので,その原理をみてみましょう.


尿は大半が水ですが,他にも尿素クレアチンや,各種イオン(Na+, K+, NH4+, Mg2+, Ca2+, Cl-, HCO3-, SO42-, PO43-など)が含まれています.尿を煮詰めると,(NH4)NaHPO4が得られます.Brandは尿を腐敗させていましたが,実際は必要なかったようです.


これを加熱すると組成式NaPO3の物質が得られます.
 \mathrm{(NH_4)NaHPO_4 \longrightarrow NaPO_3 + NH_3 + H_2O}

ボイルはここで砂を加えて熱することで,効率的に白リンを得ることに成功しました.
 \mathrm{4NaPO_3 + 2SiO_2 + 10C \longrightarrow P_4 + 2Na_2SiO_3 + 10CO}


1680年代からハンクヴィッツがロンドンでリン工場を開業し,白リンの製造を開始しました.白リンの製造には当時難しかった高温の炎の扱いだったり,水のなかでの操作だったり色々なコツが必要で,彼の工場以外で白リンの商用製造に成功した人はいませんでした.それからしばらくは,彼がヨーロッパの白リンを独占しました.

Carl Wilhelm Scheele (1742-1786)

1770年頃*3になると,スウェーデンの薬剤師カール・ヴィルヘルム・シェーレ(1742-1786)とヨハン・ゴットリーブ・ガーン(1745-1818)が骨灰*4の中にリンが含まれていることを示し,そして白リンを得ることに成功しました.


シェーレは段階的に白リンの製法を改良していきます.のちによくつかわれるようになった硫酸を用いる方法を見てみましょう.


まず骨灰を硫酸と反応させ,Ca(H2PO4)2を得ます.
 \mathrm{Ca_3(PO_4)_2 + 2 H_2SO_4  \longrightarrow Ca(H_2PO_4)_2 + 2 CaSO_4}

これを木炭とともに熱することで ,Ca(PO4)2,さらには白リンが得られます.
 \mathrm{Ca(H_2PO_4)_2  \longrightarrow Ca(PO_3)_2 + 2 H_2O}
 \mathrm{3 Ca(PO_3)_2 + 10 C  \longrightarrow Ca_3(PO_4)_2 + 10 CO + P_4}

こうして白リンの原料は尿から骨灰に変わっていきました*5

2.白リンをつかったマッチ

ボイルは白リンと硫黄を使ったマッチを試作したようですが,世の中には出回りませんでした.白リンを用いたマッチが市販されるようになるのは,1780年代に入ってからです.

Science Museum Group. Seven Ethereal Matches. 1937-682/1241/1Science Museum Group Collection Online. Accessed 8 February 2022. https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8728970/seven-ethereal-matches-match-fire-making-equipment. CC BY-NC-SA 4.0

1781年,フランスで"Phosphoric taper"もしくは"Ethereal match"などと呼ばれる製品が登場します.この製品は,ガラス管の中に紙と白リンが密封されています.ガラス管をお湯で温めると,内部の白リンが溶けて(融点44.1℃)紙に染み込みます.そしてガラス管を割ると,空気と一気に反応して燃えます.危険性が高かったので,あまり普及しなかったようです.
 \mathrm{P_4 + 5O_2 \longrightarrow P_4O_{10}}

Science Museum Group. Phosphorus-box (2 x 1 5/8 x 1 1/2 ins) of thin she. 1937-682/1246Science Museum Group Collection Online. Accessed 8 February 2022. https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8076882/phosphorus-box-2-x-1-5-8-x-1-1-2-ins-of-thin-she. CC BY-NC-SA 4.0

この他にも"Phosphorous box"が市販されました.こちらは白リンの入ったボトルと,硫黄を塗った木の棒からなります.写真は1800年ごろイギリスで売られていたもののようです.


最初に白リンをつかったマッチが世の中に出回るのは,1830年代です.


Collège de l'Arc(フランス)の化学科の学生だったシャルル・ソーリア(1812-1895)は,1830年の暮れ,教授にKNO3と硫黄を用いた火薬の実験を見せてもらいます.
 \mathrm{2KNO_3 + 5S \longrightarrow 2K_2O + 2N_2 + 5SO_2}


白リンをつかって同じようなことができるのではないか?と考えたソーリアは早速実験を繰り返し,ついにKClO3と白リンを用いたマッチの開発に成功します.彼のマッチは擦ったらカンタンに火がつきました.
 \mathrm{10KClO_3 + 3P_4 \longrightarrow 10KCl + 3P_4O_{10}}



しかしながらソーリア自身はお金がなかったので,商業化はせずに医学の勉強に集中することにします.白リンマッチを特許をとって商業化したのはドイツのヤコブ・フリードリヒ・カンメラーでした.


白リンをつかわないLuciferなどのマッチはなかなか火がつきづらかったため,カンタンに火がつく白リンマッチは一気に人気になります.その他にも様々な白リンマッチが開発・市販されていきました.

3.白リンの毒

しかしながら,白リンには重大な問題がありました.その毒性です.

白リン顎の男性

白リンに触れるとやけどをおこす,吸い込むと肺を損傷する,などの危険もありますが,一番怖いのは骨への影響です.白リン蒸気を恒常的に吸い込んでしまうと,歯の隙間から白リンがとりこまれ,痛みとともに歯が抜け落ちて顎の骨が壊死してしまいます.いわゆる,「白リン顎」と呼ばれる症状です.

ヒト体内の骨は,古くなったら破骨細胞に吸収され,骨芽細胞が新しい骨を形成することを繰り返し,つねに新しくつくりかえられています.


歯茎から取り込まれた白リンは体内で水や炭酸,アミノ酸と反応し,アミノビスホスホネートに変換されると推測されています.これが骨組織中の破骨細胞に取り込まれ,細胞内の代謝経路を阻害することで破骨細胞がはたらけなくなり,骨に異常がおきると考えられています.


1839年には最初の症例が確認され,白リンを扱うマッチ工場でどんどん大きな問題になっていきます.また,子供があやまって白リンを含むマッチの頭薬を食べてしまう事故も起きてしまいました.しかしながら白リンの安さや利便性からなかなか廃絶にまでは至らず,19世紀末まで使われ続けます.

マッチガールズストライキ

そして1888年にはイギリスの大手マッチ製造会社ブライアント・アンド・メイの工場で,劣悪な労働条件や白リン毒に苦しんだ女性たちがストライキ実施します(マッチガールズストライキ).


すぐに解決というわけには行きませんでしたが流れが大きく変わり,各国政府が白リン使用を相次いで禁止しはじめたこともあり1900年代には白リンの使用が激減しました.

4.安全なマッチ

発火しやすく皮膚にふれると炎症をおこすなどの白リンの危険性はわりと当初から認識されており,白リンを使わないマッチが模索されていました.


イギリス人のアーサー・オルブライトは,かつてガーンとシェーレが開発した骨灰から白リンを製造する方法に着目し,1844年にイギリスで白リンの製造をはじめます.白リンの製造自体はうまくいきますが,その毒性は問題でした.


そんな折,1849年にウィーンのアントン・シュレーター(Anton von Schrötterm, 1802-1875)が赤リン*6についての講演をします.赤リンの有用性に気づいたオルブライトは特許権をシュレッターから購入し,赤リンの製造に取り組みます.

安全マッチ

1851年,オルブライトの製造した赤リンはロンドンで開催された世界初の万博博覧会で展示され,注目をあつめます.


博覧会に訪れていたスウェーデンルンドストレーム兄弟は,現在のマッチとおなじような頭薬と側薬をわけた安全マッチを開発しようとしていました.博覧会で赤リンをみた兄弟は,これが使えると考え,オルブライトから赤リンを購入します.ルンドストレーム兄弟は帰国後赤リンをつかったスウェーデン式安全マッチの開発に成功し,1855年パリ万博で銀メダルを受賞しました*7
 \mathrm{10KClO_3 + 12P \longrightarrow 10KCl + 3P_4O_{10}}



一方1898年には,フランスの化学者Henri SeveneとEmile Cahenが硫化リンP4S3を用いたマッチの特許を取得します.硫化リンも赤リンと同じく毒性が低いという特徴がありました.さらに,硫化リンを用いたマッチは頭薬と側薬にわけていなかったため,靴底でもどこでもこすれば火がつけられるという特徴がありました.
 \mathrm{3P_4S_3 + 16KClO_3 \longrightarrow 3P_4O_{10} + 9SO_2 + 16KCl}


このように赤リンや硫化リンを用いた安全なマッチが開発され,また白リンの毒性が社会問題化していったことで,次第に白リンを用いたマッチは市場から消え,マッチは安全で便利な日用品になっていきました.

5.その後

やがてマッチ産業は第一次世界大戦以降,スウェーデン"マッチ王"イーヴァル・クルーガー(1880-1932)によって支配されていきます.戦間期には約75%を占めていたこともありました.時には非合法な手も使って他の産業にも手を伸ばし築き上げられた"クルーガー帝国"は,1930年代の世界恐慌の最中,クルーガーの自殺によって終焉を迎えます.


戦争中,リンは白煙を発生させる白リン弾などの兵器として使われるようになりました.
【参考】白煙の発生

戦後はマッチや肥料の他,難燃剤や触媒などにも応用され活躍していきます.

問題

Q. プラスチックに難燃剤として赤リンを加えた場合,赤リンが空気中の湿気と反応してプラスチックの絶縁性を低下させることがある.化学反応式を用いて本現象を説明せよ.



A. 赤リンは空気中で酸化されて十酸化四リンとなり,水分と反応してメタリン酸,リン酸となる.
 \mathrm{4P  + 5O_2 \longrightarrow P_4O_{10} }
 \mathrm{ P_4O_{10} + 2H_2O \longrightarrow 4HPO_3 }
 \mathrm{ HPO_3 + H_2O \longrightarrow H_3PO_4 }
リン酸は以下のように陽イオンと陰イオンに電離する電解質であり,結果としてプラスチックの絶縁性が低下すると考えられる.
 \mathrm{H_3PO_4 \rightleftharpoons H^{+} + H_2PO_4^{-} }


電源コードや基板などで絶縁性が下がると,金属が陽極側からイオンとして溶け出して移動し陰極側で析出するエレクトロケミカルマイグレーション(イオンマイグレーションを引き起こし,ショートして発熱・発煙事故につながるので注意が必要です.

参考文献

M.F. Crass, Jr. "A History of the Match Industry. Part I, II." Journal of Chemical Education, 18, 116-120 (1941).
M.F. Crass, Jr. "A History of the Match Industry. Part III, IV." Journal of Chemical Education, 18, 277-282 (1941).
M.F. Crass, Jr. "A History of the Match Industry. Part V, VI, VII." Journal of Chemical Education, 18, 316-319 (1941).
M.F. Crass, Jr. "A History of the Match Industry. Part IX." Journal of Chemical Education, 18, 428-431 (1941).
J. Wisniak "Matches-The manufacture of fire" Indian Journal of Chemical Technology, 12, 369-380 (2005).
"An encyclopaedia of the history of technology" I. McNeil, Routledge (1990).
"Manual of chemical technology" Rudolf von Wagner, Appleton (1897).
"History of Chemistry" J. R. Partington, Macmillan International Higher Education (2016).
"Chemistry of the elements" N.N. Greenwood, A. Earnshaw, Butterworth-Heinemann (1997).
佐藤 博之『電子部品の不再現現象と故障メカニズム』日本信頼性学会誌 信頼性,40,141-147 (2018).
盛本 さやか,沖 充浩,佐藤 友香『樹脂中のリン系難燃剤の簡易分析手法』,東芝レビュー,73,49-53 (2018).
『元素発見の歴史』M.E. Weeks, H.M. Leicester (2010).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:白リンをみせてもらったクンケルは,彼に実際に医学の知識があったかは疑わしいと言っています.

*2:もしくは1674-1675年.

*3:Gahnは1769年に骨灰にリンが含まれていることを主張し,半信半疑だったScheeleが自身の手でリンが含まれていることを確認しました.

*4:主成分はヒドロキシアパタイトCa10(PO4)6(OH)2です.

*5:ちなみにその後1867年には,リン鉱石と砂,炭をまぜて加熱する手法がE. AubertinとL. Bobliqueによって開発され,のちにはJ. B. Readmanが電気炉を用いた加熱方法を導入します. \mathrm{2Ca_3(PO_4)_2 + 6SiO_2 + 10C \longrightarrow 6CaSiO_3 + 10CO + P_4}

*6:彼は1844年に赤リンを発見していました.

*7:兄弟はオルブライトに大量の赤リンを発注しますが,戦争目的で使うんじゃないかと誤解されたようです.