化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

消火のしくみ(3):二酸化炭素

二酸化炭素による消火設備は1910年代にヨーロッパに普及し,現在に至るまで100年以上使われています.

どのように火を消しているのでしょうか?また,どんな危険性があるのでしょうか?


今回は二酸化炭素による消火のしくみと,温泉からはじまるその歴史をみていきます.




消火のしくみ(1):水
消火のしくみ(2):スプリンクラーの歴史
消火のしくみ(3):二酸化炭素
消火のしくみ(4):ハロン
消火のしくみ(5):泡
消火のしくみ(6):ケミカル

1.二酸化炭素で火を消すしくみ

燃焼反応において,酸素は重要な役割を果たします.
 \mathrm{H + O_2 \longrightarrow OH + O}

二酸化炭素などの燃えない気体は,この酸素を薄めることで反応を阻害します.反応が阻害されると,燃焼の維持に必要な連鎖反応がストップし,結果として消火されます.


他にも,炎の熱を二酸化炭素自身が吸収することも考えられます.しかしながら二酸化炭素は水ほど熱を奪うことができないので,あくまで主要な消火機構は酸素の希釈によるものと考えられます.


二酸化炭素はだいたいの可燃物とは反応せず,電気を通しません.また気体ですから広範囲に広がり,効率良い消火が期待できます.二酸化炭素は少し圧力を上げると液体になりますので,保管上も都合がよいです.


他に消火につかえる気体として,窒素や水蒸気などが挙げられます.原理的にはヘリウム,ネオン,アルゴンなどの貴ガスを用いることもできますが,これらは高価ですのであまり使われません. 


このように,不燃性で,かつ燃えている物質と反応しない気体を用いることで酸素濃度を低下させて消火することができます.


とはいっても,二酸化炭素は万能ではありません.可燃物のうち酸素を放出できるものについては希釈により酸素濃度を低下させることができないため,効果はいまひとつのようです.例えばニトロセルロースが挙げられます.


また,反応性の高い金属についても注意が必要です.Naなどは二酸化炭素と反応してしまいます.
 \mathrm{ \mathit{a} \, Na + \mathit{b} \, CO_2 \longrightarrow \mathit{x} \, Na_2CO_3 + \mathit{y}\, C + \mathit{z}\, CO}

NaやKによる火災の場合,窒素を使うことができます.


一方で窒素は金属と反応して発熱することもありますので,NaやKの火災に使用が限定されます.どんな金属にも,ということでしたら貴ガスを使うこともできますが,コストがかかってしまいます.


金属火災の場合は,他にもドライケミカルを使う,砂をつかう,などの選択肢がありますので,そちらのほうが良いかもしれません.いずれにせよ,金属火災の場合は火炎の温度も大変高くなっていますので消火の難易度はぐぐっと上がってしまいます.
【参考】消火のしくみ(6):ケミカル

2.二酸化炭素による消火の危険性

酸素濃度をどこまで低下させれば消化できるか,というのは可燃物の性質によって異なります.
例えば可燃性のガスでは以下のように調べられています.

可燃性ガス 消火に必要なCO2濃度 酸素濃度
H2 62% 8.2%
C2H5OH 41% 14.2%
C3H8 30% 14.9%


酸素濃度を希釈する目的で噴射していますので,消火時には当然,空気中の酸素濃度が低くなっています


これは人体にとっては大変危険です.酸素濃度は通常21%程度ですが,12-16%では体調が悪くなり,9-12%で精神不安定・動作不的確に,6-10%で行動の自由を失い幻覚・昏睡など,6%以下では死に至ります.


先程の表を見ますと,水素ガス燃焼の場合は酸素濃度を8%まで薄めないと消火されないので,現場に人がいる場合は大変危険な状況になります.


一方でエタノールやエタンなどの燃焼の場合には,酸素濃度は14%まで低下させれば十分となります.これは一見,先程みたく致命的ではないようにも見えます.しかし二酸化炭素濃度が問題となります.


二酸化炭素はそれ自身は体内でも生産され毒性はほぼありません.
しかし実は麻酔作用があるため,高濃度になると大変危険です.呼吸中枢などに作用して麻痺してしまうと,呼吸が止まってしまう可能性があります.


具体的にはCO2濃度が9%に達すると失神の危険が,10%以上で呼吸停止の危険があります.酸素濃度が低い場合,二酸化炭素濃度がもっと低くても同様の危険があります.


先ほどの表を改めて見ると,消火に必要な二酸化炭素濃度は30%以上と非常に高く危険です.そのため,二酸化炭素を密閉された空間で消火用に使用する際は,人体への影響を十分に考慮する必要があります.


実際,二酸化炭素消火装置の誤作動による死亡事故も起きています.十分に気をつけましょう.
二酸化炭素等消火設備による事故防止について(注意喚起)(METI/経済産業省)


3.二酸化炭素の歴史

さて,消火につかわれるようになった二酸化炭素ですが,そもそも二酸化炭素にはどのような歴史があるのでしょうか?


二酸化炭素が水に溶けた「炭酸水」の存在は,古くから認識されていたと考えられています.天然に生じた炭酸水は,周りの鉱物の一部を溶かし"鉱泉水"に変化します.古代ローマではこの液体は乾きを癒やし,なんらかの治癒効果があると考えられていました.炭酸の温泉も地中海のいろんな場所にあったようです.


鉱泉水の効用については現代からみたら言い過ぎでは?という部分はあるものの,Mg2+イオンは下剤作用があり,Fe2+イオンは鉄分不足を解消し,HCO3-は胃のpHを調整し胃潰瘍を和らげる,など一定の効果はあったのだと思われます.

鉱泉地バート・ピルモント(1556年ころ)

ローマ帝国の衰退によって"鉱泉水の治癒効果"という信仰はいったん下火になっていきます.一方で14世紀以降,チェコのカルロヴィ・ヴァリ(Karlovy Vary)やドイツのバート・ピルモント(Bad Pyrmont)などヨーロッパ中部で温泉が発見され,温泉旅行ブームがやってきます.


その後,宗教改革に端を発しドイツ中を騒乱の渦に巻き込んだ三十年戦争(1618-1648)によって土地が荒廃します.これにより安全な温泉旅行が難しくなってしまいました.

カルロヴィ・ヴァリの炭酸泉

しかしその後,温泉にはいるのではなく鉱泉水を飲む「飲泉」ブームが到来し,容器に入れた温泉水が流通するようになりました.例えば奇蹟の湯といわれた炭酸泉バート・ピュルモントでは,鉱泉水を陶製の入れ物に入れた商品は早くから名産品となりました.1700年頃には年間15万本も売れ,一部はイギリスにも輸出されました.


治癒効果のある鉱泉水は錬金術でも重要な研究対象となり,鉱泉水には何が入っているのだろう?と調べ始めます.

Jan Baptist van Helmont (1580-1644)

ヤン・パブティスタ・ファン・ヘルモント(1579-1644)は,木炭を燃やしたり石灰石に酸を加えると気体がでてくることを発見します*1.またこれと同じ気体が"鉱泉水"にも含まれていることに気づきました.さらに,この気体がロウソクの火を消すことも発見しています.彼はこれを,"gas sylvestre(森のガス)*2"と名付けます.これは私達の知る「二酸化炭素」です.


二酸化炭素をきちんとしらべたのはスコットランドジョゼフ・ブラック(1728-1799)です.

Joseph Black (1728-1799)

1754年,彼は石灰CaCO3を加熱すると気体が放出されて生石灰CaOになり,放出された気体を生石灰CaOに吸収させることで再び石灰を得られることを発見します*3.石灰に"固定"されているようにみえたことからブラックは「固定空気」と名付けます.これは二酸化炭素のことですね.
 \mathrm {CaCO_3 \longrightarrow CaO + CO_2}
 \mathrm {CaO + CO_2 \longrightarrow CaCO_3}


この報告により科学者たちは別の固体を加熱すれば未知の気体が得られるのでは?と考えるようになったので,ブラックの発見は大変重要です*4.1782年,アントワーヌ・ラヴォアジエ(1743-1794)はこの固定空気が炭素と酸素からなることを発見しました.二酸化炭素の名前の由来ですね.


19世紀初頭は,二酸化炭素をはじめとした気体そのものの性質が科学的に注目を集めます.この頃,気体は液化できるもの(水蒸気など)とできないもの(二酸化炭素など)があるとされていました.この区別が無くなり,どんな気体も液化し得ると考えられるようになったのはマイケル・ファラデー(1791-1867)による研究のおかげです.


マイケル・ファラデーは1823年,ボスであるHumphry Davyに塩化水素ガスHClを密封した状態で加熱するように言われて実験を行い,謎のオイル状の液体が生成されました.これが液化した塩素ガスであることが判明し,頑張って加圧・冷却すれば液化できないとされた気体も液化し得ると気付きます.そしてSO2, H2S, NO2, HCl, (CN)2など他の気体もどんどん液化させていきました.二酸化炭素もまた,彼によって液化された気体でした.


フランスの Adrien-Jean-Pierre Thilorierはファラデーの実験をもとに1835年には大量の二酸化炭素を液化させることに成功します.このとき,固体の二酸化炭素であるドライアイスも発見しました.その後,二酸化炭素の液化方法にどんどん改良が加えられ,1870年代からドイツがリードするようになっていきました.


さて,同時期に二酸化炭素が火災時の消火方法として注目を集めるようになります.1875年に開発された消火器は,内部に炭酸水素ナトリウム水溶液と,ガラス容器に密封された硫酸が入っており,ガラスを壊すと液体同士が反応して二酸化炭素と水を噴射するしくみでした.
 \mathrm {2NaHCO_3 + H_2SO_4 \longrightarrow Na_2SO_4 + H_2O + CO_2 }


気体としての二酸化炭素そのものによる消火は1910年代のヨーロッパで普及していきますが,携帯用消火器に使われるのは1920年代に入ってからで,Walter Kiddeの発明が重要でした.

By Firetech117 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=50338616

Walter Kiddeは1900年にわずか300ドルの貯金から建設会社を創始します.会社は順調に成長し,やがて消火器事業にも手を伸ばし始めます.


1918年に煙を検知して水蒸気により船舶火災を消火するシステムの権利を購入するのですが,積荷が水でダメになってしまうという問題がありました.そこで,二酸化炭素ガスを使って消火するように変更しました.


これにより積荷は損傷しなくなったのですが,容器から素早く二酸化炭素ガスが出ないという問題がありました.そこで今度はサイフォンを活用した技術の特許権を購入し,組み合わせることで解決します.これにより,1924年には二酸化炭素ガスを用いる携帯用消火器が実現しました*5


その後,彼はアメリカ海軍と一緒に航空火災の消火装置を開発します.第二次世界大戦での需要拡大もあり,彼の会社は一気に急成長していきます.

4.まとめ

二酸化炭素による消火にはメリットもありますが,危険性にも気をつけなければいけません.


次回はハロンと呼ばれるガスによる消火についてみていきましょう.

問題

Q. ドライアイスを処分する方法として適切な方法を全て選びなさい.

ア.ベランダに放置する.
イ.洗面所やキッチンのシンクに放置する.
ウ.トイレに流す.
エ.かき氷にして食べる.
オ.熱湯をかける.



A. アのみ正解.
室内でも換気が良く子供の手の届かないところならOK.イやウは温度差でシンクや配管がひび割れする可能性があります.エは低温やけどします.オは熱湯が飛び散り危険です.

参考文献

“Fire protection handbook. 20th edition” A. E. Cote, National Fire Protection Association (2008).
"On the Condensation of Several Gases into Liquids" Faraday, Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 113 189-198 (1823).
"History of Industrial Gas" E. Almqvist (2003).
ソーダと炭酸水の歴史』ジュディス・レヴィン,原書房 (2022).
石川浩康ら,『ナトリウム/二酸化炭素反応に関する試験研究』日本原子力学会和文論文誌,7, 452-461 (2008).
識名 章喜『入浴観の違いから生じる誤解』慶應義塾大学日吉紀要 ドイツ語学・文学,48, 91-129 (2011)
Kidde社ウェブサイト, 2022年3月8日閲覧 https://www.kidde.com/home-safety/en/us/


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:ちなみにギリシャ語の"chaos"をもとにした"gas"という単語を用いたのも彼が最初です.

*2:彼の師匠パラケルススはspiritus sylvestreと呼んでいました.

*3:Jean Baptiste Michel Bucquet (1746-1780)は湿気がないとこの反応が進まないことを指摘しています.

*4:ちなみにブラックは,吐いた息の中に二酸化炭素が含まれることも実験で示しました.1764-65年の冬にグラスゴーの教会に1500人が集まる中,大量の苛性アルカリを10時間設置し,重量を測定することで二酸化炭素の吸収を評価しました.

*5:ベル電話会社から,電子機器を損傷しない消火方法が欲しいという要請もありました.