化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

消火のしくみ(4):ハロン

20世紀に入ると,様々な化学物質が消火に使われていきます.
ハロンと呼ばれる物質もそのひとつです.


一体どんな物質なのでしょうか?


今回はハロンによる消火のしくみと,その歴史をみていきます.




消火のしくみ(1):水
消火のしくみ(2):スプリンクラーの歴史
消火のしくみ(3):二酸化炭素
消火のしくみ(4):ハロン
消火のしくみ(5):泡
消火のしくみ(6):ケミカル

1.ハロンによる消火

メタンやエタンなどの炭化水素化合物の水素をハロゲンで置換した化合物はハロカーボンと呼ばれますが,特に臭素原子を含むものはハロンと呼ばれます.例えば,CF2ClBr(ハロン1211),CF3Br(ハロン1301),C2F4Br2ハロン2402)などです.

消火の仕組みについて,ハロン1301,ハロン1211を中心にみていきましょう.
これらの化合物の性質は,以下の通りです.

化合物名 化学式 沸点 蒸発熱 20℃での蒸気圧
ハロン1301 CF3Br -58℃ 117 kJ/kg 14.50 atm
ハロン1211 CF2ClBr -4℃ 134 kJ/kg 2.50 atm
ハロン2402 C2F4Br2 47℃ 105 kJ/kg 0.46 atm

これらの化合物は二酸化炭素と同様に貯蔵時は高圧下で液体としてタンクに入っており,使用時には常圧で気体になります.


ハロン1301やハロン1211は,燃焼時の連鎖反応を阻害することで消火すると考えられています.
以前も触れたように,燃焼反応においては下記反応が重要です.
 \mathrm{H + O_2 \longrightarrow OH + O}
【参考】消火のしくみ(1):水


ハロン1301やハロン1211にはBr原子が含まれており,炎中でHBrを生成します.
 \mathrm{CF_3Br + M \longrightarrow CF_3 + Br + M}
 \mathrm{Br + H \longrightarrow HBr}


生成したHBrは,燃焼時に重要なHやOHといった分子と反応します.
 \mathrm{HBr + H \longrightarrow H_2 + Br}
 \mathrm{HBr + OH \longrightarrow H_2O + Br}


これにより先程の燃焼時の反応が阻害されます.HFやHClはHBrほど素早く反応しないので,HBrの寄与が最も高いと考えられています*1


F原子の役割については,ハロン自体の燃焼性や毒性を下げることに効果があるのではないかと言われています.

2.ハロカーボンによる消火の歴史


消火用にはじめて使われたハロカーボンはCCl4ハロン104)*2だといわれています.おそらく使用されたのは1900年より前で,1910年には携帯消火器に使われた記録があります.


この時期はちょうどガソリンを用いた自動車が広く普及するようになった時代です*3.燃料であるガソリンによる火災が頻発していました.引火性液体の火災に水は使えませんので,水以外の消火方法へのニーズが高まっていたといえます.


ところが1917年にはCCl4人体への影響が懸念され始めます.1919年にはCCl4による死者もでてしまい,1920年代にはその危険性が盛んに議論されるようになりました.

By Photographed by PHC Albert BullockUploaded by User:Dna-webmaster to Wikimedia CommonsOriginally uploaded by User:Stan Shebs to English Wikipedia - This media is available in the holdings of the National Archives and Records Administration, cataloged under the National Archives Identifier (NAID) 520656., Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2846234

1920年代後半には別のハロカーボンとしてCH3Br(ハロン1001)が登場します.毒性のため一般には使われませんでしたが,第二次世界大戦中のイギリスやドイツでは戦闘機や船舶で使用されました.ドイツではさらに,CH2ClBr(ハロン1011)も開発されます.


戦後は,引火性液体の火災に対する消火は重炭酸ナトリウムをベースとしたドライケミカルが主流になっていき,1950年代にはこれらのハロカーボン(ハロン104,1001,1011)は廃れていきます.
【参考】消火のしくみ(6):ケミカル


毒性の問題はありましたが,気体の消火剤の使い勝手がよかったのも事実です.そこでアメリカでは継続してハロカーボンの研究が行われていました.1947年に実施された毒性評価の過程でCBr2F2ハロン1202),CBrClF2ハロン1211),CBrF3ハロン1301),C2Br2F4ハロン2402)が良好な結果を示し,研究が進められます.

ハロン1202が最も消火性能が良かったようですが,毒性が一番強かったため候補から外れます.2番めに消火性能がよく,また一番毒性の低かったハロン1301が良いだろうということで,一般に携帯消火器に使われるようになりました.ハロン1202は空軍のエンジン火災用に採用されたようです.

By Erik Pitti - Flickr: IBM System/360 Mainframe, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12806928

1960年代,アメリカでは集積回路を用いた第3世代のコンピューターが広く使われ始め,コンピュータールームの火災に対する消火方法が検討されました.ハロン1301は電気系統の火災にも使え,かつ消火性能が高いということで採用され,その後20-30年間にわたって使用されるようになります.


一方でソ連ではハロン2402が室内消火設備としても携帯消火器としても使われるようになりました.ヨーロッパではハロン1211も使われていたようです.

3.ハロンによる環境問題

しばらくして,ハロンの環境への問題性が認識されはじめます.オゾン層の破壊です.

オゾンO3は大気中で自然に発生する気体で,酸素が紫外線により分解することをきっかけに生じます.
1920年代にオゾン層の存在が確認され,1930年にはイギリスの科学者Sydney Chapmanによってオゾン層生成のモデルが提唱されました.


チャップマン機構では4つの反応を考えます.
 \mathrm{O_2 + \mathit{h\nu} \longrightarrow O + O \quad \quad (\lambda < 240 nm)} \tag{1}
 \mathrm{O + O_2 + M \longrightarrow O_3 + M}\tag{2}
 \mathrm{O_3 \longrightarrow O_2 + O \quad \quad (\lambda < 320 nm)}\tag{3}
 \mathrm{O_3 + O \longrightarrow 2O_2}\tag{4}

このうち,式1, 2がオゾンの生成に重要です.
紫外線が強くなるほど式1はよく進み,酸素濃度が多くなるほど式1, 2がよく進みます.


地表から離れるほど酸素濃度は薄くなる一方で,紫外線強度は強くなります.そのため,酸素濃度と紫外線強度が良い感じの成層圏(10-50 km),特に25-30 km付近で上記反応が最も進み,生成されるオゾンが濃くなります.結果として生成されたオゾンはこのあたりにを形成します.


紫外線は生物にとって大変危険です.特に250 nm付近の紫外線はDNAに吸収され,DNAを構成するチミンやシトシンなどが二量体を形成します.そうするとDNAの複製などがうまくいかなくなり,突然変異を引き起こし正常に遺伝子が働かなくなってしまいます.

オゾンは,このように地表の生物にとって有害な紫外線を吸収するため重要な"日傘"になっています.また,地表に届く紫外線の量が減るので地表付近でのオゾンの生成も防ぎます*4



1993年にはモントリオール議定書において先進国におけるハロン1211,1301,2402の製造削減が決定されました.


また,温室効果も無視できない要素です.


地球になにも大気がない場合,もしくは大気が窒素と酸素だけからなると仮定した場合,地表温度はいまよりおよそ33℃低くなるそうです.この33℃分を穴埋めして温めているのが,赤外線を吸収してあたたかくなる水蒸気や二酸化炭素,そしてその他の気体だと考えられています.


正確に予想はできないものの,温室効果の指標となっているものにGWP (Global warming potential) があります.二酸化炭素のGWPを1としていますので,GWPが1よりも大きいと,二酸化炭素よりも温室効果が高いと考えられています.


ハロン1301のGWPは同じ重さの二酸化炭素のなんと6200倍です.これまでのハロン放出量は二酸化炭素に比べればそこまで多くないですが,それでも使用は避けたいですね.


以上のような理由からハロンは現在ほぼ使われていませんが,航空機火災や爆発用の消火設備として,また軍の設備としてはまだ使われているところもあるようです.

4.まとめ

現在はほぼ使われていないハロンですが,時代の流れと密接に関わっていたことがわかりましたね.


データセンターなどでは窒素などの不活性なガスが消火に使われているようです.ガス噴射時の音によってHDDが故障したケースもありましたので,静音性に優れた消火設備の開発が進められています.
消火設備の HDD(Hard Disk Drive)への影響について - 日立製作所


次回はちょっと変わった,しかし引火性液体には絶大な効果を発揮する「泡」による消火について見ていきましょう.


問題

Q. チャップマン機構で,それぞれの素反応の速度定数を, k_1 k_2 k_3 k_4とする.

問1.[O],が定常状態にあると考えられるとき,[O3]を速度定数と[O],[O2],[M]を用いて表わせ.ただし,式1, 4にくらべて式2, 3は十分速いものとする.

問2.  \mathrm{ [ O_3 ]+[O] \approx [O_3] } が定常状態にあると考えられるとき,[O3]を速度定数と[O2],[M]を用いて表わせ.



A.
1.[O]が一定かつ,式2, 3にくらべ式1, 4は無視できるので,
 \displaystyle{k_2 [\mathrm{O_2}][\mathrm{O}][\mathrm{M}]-k_3[\mathrm{O_3}]=0 }

 \displaystyle{[\mathrm{O_3}]=\frac{k_2}{k_3}[\mathrm{O}][\mathrm{O_2}][\mathrm{M}]}


2.  \mathrm{ [ O_3 ]+[O] \approx [O_3] } が一定なので,
 \{k_2[\mathrm{O_2}][\mathrm{O}][\mathrm{M}]-k_3[\mathrm{O_3}]-k_4[\mathrm{O_3}][\mathrm{O}]\}+\{2k_1[\mathrm{O_2}]+k_3[\mathrm{O_3}]-k_2[\mathrm{O}][\mathrm{O_2}][\mathrm{M}]-k_4[\mathrm{O_3}][\mathrm{O}]\}=0
 2k_1[\mathrm{O_2}]=2k_4[\mathrm{O_3}][\mathrm{O}]
 \displaystyle{ [\mathrm{O}]=\frac{k_1[\mathrm{O_2}]}{k_4[\mathrm{O_3}]}}
したがって,問1の式とあわせて,
 \displaystyle{[\mathrm{O_3}]=\frac{k_1 k_2}{k_3 k_4}\frac{[\mathrm{O_2}]^2[\mathrm{M}]}{[\mathrm{O_3}]} }

 \displaystyle{[\mathrm{O_3}]=\left(\frac{k_1 k_2}{k_3 k_4}\right)^{\frac{1}{2}}[\mathrm{O_2}][\mathrm{M}]^{\frac{1}{2}} }


参考文献

“Fire protection handbook. 20th edition” A. E. Cote, National Fire Protection Association (2008).
Li, K., Kennedy, et al. “Experimental and Computational Study of the Gas Phase Reaction of CBrF3 with Hydrogen,” Environmental Science and Technology, 34, 584-590 (2000).
"Introduction to atmospheric chemisty" Daniel J. Jacob, Princeton University Press (1999).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:HIは同程度の効果を有しますが,コストが高く重く,また毒性もあるのでHBrのほうが良いようです

*2:厳密にはハロンではありません.4桁のものは,ちゃんと臭素原子を含んでいます.

*3:ガソリンで走る自動車は1880年代にドイツで開発され,1900年代にはフォードが量産化に成功しました.

*4:オゾンそのものは人体にとって有害です.