化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

浄水(3):ろ過や塩素による消毒

水の中には思ったよりもたくさんの微生物が住んでいます.

水中の微生物は病気を媒介することもあり,多くの方が苦しめられてきました.


今回はろ過や塩素による水の消毒の歴史としくみをみていきましょう.




浄水(1):にごりをとるには?
浄水(2):ろ過の歴史
浄水(3):ろ過や塩素による消毒
浄水(4):いろんな消毒方法
浄水(5):ガスを追い出すには?
浄水(6):活性炭・微生物の活用
浄水(7):化学の力で軟水にする
浄水(8):軟水化の歴史
浄水(9):いろんな無機物の除去
浄水(10):パイプを腐食から守る
浄水(11):フッ素で虫歯予防?
浄水(12):究極の水,超純水

1.病気のもとになる微生物

原水には化学物質だけでなく,微生物が住んでいることがあります.水の中の微生物の存在は1676年にレーウェンフック (Antonie van Leeuwenhoek, 1632-1723) による顕微鏡観察で明らかになりました.


微生物のなかには病気の原因となる細菌・ウイルスなどがあります.飲む前にはこれらを適切に無害化する必要があります.いわゆる消毒です.


消毒方法についてみていく前に,まずはどんな微生物が含まれているのか確認してみましょう.


まずは細菌です.水中にはこのような細菌がいる場合があります.聞いたことのある細菌も多いのではないでしょうか?赤痢コレラなどは歴史的にも猛威をふるった細菌として悪名高いですね.バイオ研究でも良く使われる大腸菌は1-2 μm程度の大きさです.小さいですね.

細菌 主な症状
サルモネラ菌 急性の発熱,腹痛,下痢,嘔気
赤痢 赤痢(発熱,下痢,膿・粘血便)
エルシニア・エンテロコリチカ 発熱,腹痛,下痢
カンピロバクター・ジェジュニ 下痢、腹痛、発熱、悪心、嘔気、嘔吐、頭痛
レジオネラ 発熱,咳,呼吸困難,頭痛,下痢、意識障害
病原性大腸菌 下痢,腹痛,血便
コレラ菌 コレラ(下痢,嘔吐)
ヘリコバクター・ピロリ 胃痛,嘔吐


また,生物とは言わないかもしれませんが様々な病原性ウイルスも原水に含まれることがあります.予防接種などの対象となっているものもありますね.ノロウイルスは30 nmほどととても小さいのですが,10個程度でも感染の可能性があります.驚きですね.

ウイルス 主な症状
A型肝炎ウイルス 急性肝炎
ノロウイルス 嘔吐,下痢,腹痛
ロタウイルス 下痢,嘔吐,発熱,腹痛
エンテロウイルス 発熱,頭痛,呼吸器疾患,発疹
アデノウイルス 発熱,のどの痛み,結膜炎
アストロウイルス 腸炎,下痢,嘔吐,発熱


ちょっとマイナーになってきますが,水中の原生動物も病気のもとになったりします.フォーラーネグレリア(Naegleria fowleri)は脳食いアメーバとして有名です.大きさは30 μmくらいです.

名前 種類 主な症状
Giardia lamblia 鞭毛虫 下痢
Entamoeba histolytica アメーバ アメーバ赤痢(粘血便,下痢,腹痛)
Cryptosporidium parvum 胞子虫 下痢,腹痛
Naegleria fowleri アメーバ 髄膜脳炎
Cyclospora (サイクロスポラ) 下痢,発熱,腹痛
Acanthamoeba アメーバ 角膜炎
Toxoplasma トキソプラズマ 胎児への影響


他にも,ラン藻(シアノバクテリアがなんらかの症状を引き起こすことがあります.例えばアオコの原因となるアナベナやミクロキスティスといったラン藻は様々な毒素を作り出し,家畜や魚を死に至らせることがあります.日本でも1967年に北海道の稚内水道水源で異常発生し,異臭やウグイの大量死の原因となりました.


このように原水には毒性をもつ様々な微生物が含まれている可能性があり,飲む水からはこれらがちゃんと取り除かれている,もしくは無毒化されている必要があります.


微生物によって消毒の効きやすさが違う点には注意が必要です.コロナウイルスエタノール消毒でOKですが,ノロウイルスは効きづらいですよね.Giardia lambliaCryptosporidium parvumは浄水で良く使われる塩素消毒が効きづらい状態*1に変化することができるため,気をつけなければいけません.

2.ろ過による消毒

もっとも簡単な水の消毒方法は,水を沸騰させることです.これによりタンパク質は構造を保てなくなり,滅菌消毒することができます.また,銀や銅製の容器に水をいれておくことでもある程度滅菌できます.タンパク質が銀イオンや銅イオンによって沈殿するためです.

キュロス2世 (前600頃-前529)

ヘロドトス (前5世紀頃) の記録によれば,アケメネス朝ペルシアの初代国王キュロス2世 (前600頃-前529) は戦争に向かうとき,沸騰させた水を銀製の大きな容器に入れ,ラバにひかせて持っていったようです.古代ローマにおいても水を一回沸騰させてから冷まして飲んでいました.


個人・家庭レベルではこれらの方法が簡単ではあるのですが,公共水道としてみんなに水を供給する際にはそう簡単にはいきませんでした.大量の水を沸騰させるのは大変ですからね*2


前回みたように,ローマ帝国衰退以後,巨大な水道橋による水道システムが失われると,人々は汚染された井戸や川の汚れた水を使うしかなくなりました.これにより水が病気の原因と考えられるようになり,水を飲もうとする人は少なくなってしまいました.そして長い間ビールやミード,ワインといったアルコールにより水分摂取するのがメジャーになりました.水が再び飲料用として普及していくのは17世紀頃です.
【参考】水(2):ろ過の歴史


17世紀ごろのイギリスでは水は水売りから買うもので高価で不便でした.また汚水は道にばらまかれ,かなり不衛生でした.都市化が進むロンドンにおいて,古代ローマ時代の水路に代わる新しい上下水道の整備が求められていました.


1582年,Peter Morice (?-1588) がロンドン橋の下に汐の満ち引きにより駆動する水車を動力とするポンプテムズ川に設置し,川から水を汲み出すシステムが動いていました.1666年のロンドン大火によって一度すべてが消失してしまいますが,1700年代に入るとロンドン橋のポンプ施設が強化されてリニューアルします.

ちょうどこの頃は産業革命の時代です.


1712年にはトーマス・ニューコメン (Thomas Newcomen, 1664-1729) が最初の蒸気機関を,1776年にはジェームズ・ワット (James Watt, 1736-1819) がこれを改良した業務用の蒸気機関を組み上げました.こうして開発された蒸気機関水道ポンプにも使用されるようになりました.


蒸気機関を使う染料や燃料,綿,工業製品の工場は水力を利用可能な水源近くに無数に建てられました.その結果,きれいだった水源に廃棄物が毎日どんどん捨てられるようになってしまいました.これにより工場を中心に急速に発展した町では水回りの問題が深刻化しました.

CummingによるS字トラップ

一方,1775年にAlexander Cumming (1733-1814) 水洗便所の特許を取得しました.これにより徐々に便を土を埋めていた時代から水に流す時代へと移り変わっていき,浅井戸や川などが汚染されてしまいました.


テムズ川は一気に汚くなり,1822年には国会でロンドン橋からの水の汲み上げが廃止が決定されました.


19世紀のイギリスはフランスとの植民地争奪戦に勝利した結果,インドやカナダを得て海外に広大な植民地を得て世界中に貿易を展開し,大英帝国としておおいに繁栄していました.


しかし1830-40年代,皮肉にもこの貿易路を通じてインドで発生したコレラがイギリス本土に上陸し,猛威をふるいました.


コレラが水を介して感染するということは初期段階ではわかっておらず,空気感染するんじゃないかとまで言われていました.

John Snow (1813-1858)

やがてロンドンの医師ジョン・スノウ (John Snow, 1813-1858) 汚染されたテムズ川の水を飲んでいる地区の人々がコレラに高頻度でかかっていることを発見します.これによりテムズ川からの水の汲み出しは中止され,水の衛生が重要課題となりました.


汚水だめの撤去,ゴミ捨て場の廃止,下水道整備などが進みますがテムズ川の汚染は止まりません.1858年,テムズ川はめちゃくちゃ臭くなり「大悪臭の年」を迎えます.


後にロンドン下水道の父とよばれることになるJoseph Bazalgette (1819-1891) はロンドンからテムズ川への排水を遮断し,一旦排水を集めて遠く下流で放流するシステムをつくります.これによりテムズ川は蘇り,ヨーロッパで一番きれいな首都の川といわれるようになりました.


このように感染を防ぐために下水側を改善するアプローチと並行し,上水側の水処理の改善も検討されていきます.


1820年にはイギリスでジェームズ・シンプソン (James Simpson, 1799-1869) 緩速砂ろ過法を開発していました.
【参考】浄水(2):ろ過の歴史

Heinrich Hermann Robert Koch (1843-1910)

細菌学の祖であるドイツの医師ロベルト・コッホ (Heinrich Hermann Robert Koch, 1843-1910) は1883年,水道で砂ろ過を行うことで細菌などが除かれて菌数が減り,危険度が下がるということを発見します.これにより,砂ろ過法の有効性が科学的に実証されます.


1つ例をみてみましょう.1892年,エルベ川から取水しているハンブルクアルトナについて,アルトナの方がコレラの死亡率が低いことが発覚しました.違いを調べてみると,アルトナでは緩速砂ろ過法が採用されていましたがハンブルクでは採用されていなかったのです.そこでハンブルク水道にも緩速砂ろ過法が導入されました.


ろ過による方法はある程度の成功をおさめますが,限界があったのも事実です.1911年にはGeorge Johnsonが著書でろ過は消毒には不十分であり,ろ過に加えて別の方法で消毒をさらに行う必要があると説明しました.彼が提案したのは塩素消毒です.

3.塩素消毒

塩素消毒に現代用いられているのは液体塩素Cl2やさらし粉CaCl(ClO)・H2Oです.塩素は水に溶けるとただちに次亜塩素酸HClOを生じます*3
 \mathrm{Cl_2 + H_2O \longrightarrow H^{+} + Cl^{-} + HClO }

生じたHClOも弱酸ですので,さらに解離します.
 \mathrm{HClO \rightleftharpoons H^{+} + ClO^{-} }


日本では液体塩素が一般的によく使われていますが,大気中にもれてしまうと大変です.第一次世界大戦の1915年にドイツ軍が戦場で使用したように塩素ガスは猛毒です.塩素ガスは空気より重いので,漏れ出た塩素ガスは地をはってどんどん周りに被害を与えます.液体状の塩素であれば石灰や苛性ソーダを加えてすぐに中和することができます.
 \mathrm{Cl_2 + Ca(OH)_2 \longrightarrow CaCl(ClO) + H_2O }
 \mathrm{Cl_2 + 2NaOH \longrightarrow NaClO + NaCl + H_2O }


このように塩素は取り扱いに注意が必要なので,途上国や緊急時にはさらし粉CaCl(ClO)・H2O が用いられます.
 \mathrm{CaCl(ClO) \cdot H_2O \longrightarrow Ca^{2+} + Cl^{-} + ClO^{-} + H_2O }


塩素を水に加えて生じた分子のうち,HClOとClO-が殺菌作用を示します.これらはバクテリアやウイルスのタンパク質やDNAに大きなダメージを与えます.特にHClOの殺菌力はClO-の80倍あります.そのため,水が中性から弱酸性の場合はHClOが多くなり殺菌力が強くなりますが,アルカリ性ではClO-が大部分を占め,殺菌力が弱くなります.


塩素消毒したのち,塩素を取り除く方法もいくつか存在します.以下はそのような反応の例です.
 \mathrm{ HClO + SO_2 + H_2O \longrightarrow HCl + H_2SO_4 }
 \mathrm{ HClO + NaHSO_3  \longrightarrow NaHSO_4 + HCl }
 \mathrm{ HClO + Na_2SO_3  \longrightarrow Na_2SO_4 + HCl }

いずれも,反応後は酸性にかたよります.


プールでよく見る白いタブレット状は,塩素を抜くためのチオ硫酸ナトリウムNa2S2O3です.
 \mathrm{ 4HClO + S_2O_3^{2-} + H_2O \longrightarrow 4Cl^{-} + 6H^{+} + 2SO_4^{2-} }
 \mathrm{ HClO + 2S_2O_3^{2-}  \longrightarrow S_4O_6^{2-} +Cl^{-} +  OH^{-}}

4.塩素消毒の歴史

Karl Wilhelm Scheele (1742-1786)

塩素ガスは1774年にスウェーデンの薬剤師カール・ヴィルヘルム・シェーレ (Karl Wilhelm Scheele, 1742-1786) によって作成されました*4マンガンの黒色酸化物を塩酸高温処理して得たようです.
 \mathrm{ MnO_2 + 4HCl \longrightarrow MnCl_2 + Cl_2 + 2H_2O }

生成した塩素ガスは水によく溶け,漂白作用を示しました.
【参考】洗濯(7):塩素漂白の誕生


塩素ガスによって水を消毒するアイデアは19世紀には既にあったようです.1800年頃,フランスのLouis-Bernard Guyton de Morveau (1737-1816) やイギリスのWilliam Cruickshank (1740?-1811?) が塩素消毒のアイデアを提唱したほか,1835年にアメリカの医師Robley Dunglinson (1798-1869) が沼地の水を飲めるようにするために塩素をちょこっと入れるといいんじゃないかと著書に書いています.
 \mathrm{Cl_2 + H_2O \longrightarrow H^{+} + Cl^{-} + HClO }


1881年ロベルト・コッホが塩素が微生物を殺す能力があることを示しました.また出てきましたね.1894年にはドイツの化学者Isidor Traube (1860-1943) さらし粉による水の消毒方法を考案しました.さらし粉は,Ca(ClO)2,CaCl2,Ca(OH)2の混合物です.


1896年にはプーラ(現在のクロアチア)でのチフス感染がさらし粉の消毒によって止まりました.このとき既に,過剰な残留塩素を亜硫酸ナトリウムNa2SO3によって除去するという操作が行われていました.
 \mathrm{ HClO + Na_2SO_3  \longrightarrow Na_2SO_4 + HCl }


1900年代に入ると,ヨーロッパ,アメリカで広く用いられ始めます.1910年には液体塩素ガスによる塩素消毒がアメリカで実験的にはじまりました.1912年にはナイアガラの滝にある浄水施設で液体塩素ガスによる消毒が大規模に本格始動します.これにより塩素消毒が一気に普及し,1941年にはアメリカ国内の浄水設備のうち85%が塩素消毒を実践するようになりました.


日本における塩素消毒は,第二次世界大戦にやってきたアメリカ軍が給水栓で残留塩素が0.4 mg/Lになるよう求めたのがはじまりです.今でも塩素消毒は世界各地域で最も一般的に使われています.

5.まとめ

このように病原性微生物の存在が明らかになり,砂ろ過や塩素による消毒方法が活用されてきました.


次回はアンモニアと塩素を組み合わせたクロラミンによる消毒や,オゾン,紫外線による消毒方法をみていきましょう.


問題

Q. 塩素Cl2(分子量70.9)を2 mg/L加えた時,水中のCl2およびHClOの濃度 (mol/L) を計算してみましょう.ただしHClOの電離は無視できるものとし,pHは5.0とします.
 \mathrm{ Cl_2 + H_2O \rightleftharpoons HClO + H^{+} + Cl^{-} \qquad \textit{K} = 4.0 \times 10^{-4} }



A. 最初に加えた塩素濃度[Cl2]0うち,α (0 < α < 1)がHClOおよびCl-に変化したとすると,
 \mathrm{ [Cl^{-} ] = [HClO ] = \alpha [Cl_2 ]_0 }


[Cl2]0 = 2.82 × 10-5 mol/Lより,
 \displaystyle { \mathrm{ \textit{K} = \frac{ \alpha^2 [Cl_2]_0^{2} \times 10^{-5} }{ [Cl_2 ]_0 (1- \alpha )} = 4.0 \times 10^{-4} }}
 \mathrm{ \alpha = 0.999999 }


よって,
 \mathrm{ [Cl_2 ] = (1-\alpha)[Cl_2 ]_0 = 2.82 \times 10^{-11} \qquad (mol/L) }
 \mathrm{ [HClO ] = \alpha[Cl_2 ]_0 = 2.82 \times 10^{-5} \qquad (mol/L) }


この条件では,加えた塩素はほぼ全て加水分解されることがわかります.


参考文献

Chemistry of Water Treatment, 2nd edition” S.D. Faust and O.M. Aly (1998).
”MWH's Water Treatment: Principles and Design, 3rd edition" J.C. Crittenden, et al. Wiley (2012).
"Water Quality and Treatment, 5th edition" R.D. Lettermen, The American Water Works Association (1999).
“Drinking Water and Health, Volume 1” National Research Council (US) Safe Drinking Water Committee (1977).
”The Quest for Pure Water" M. N. Waker, The American Water Works Association (1948).
"Use of Sodium Thiosulfate to Quench Hypochlorite Solutions Prior to Chlorate Analysis" A.K. Boal, F.I. Patsalis, Journal AWWA, 109, E410-E415 (2017).
"Disinfection and Disinfectants" S. Rideal (1895).
『都市・地域 水代謝システムの歴史と技術』丹保憲仁,鹿島出版会 (2012).
『水処理工学の基礎』丹保憲仁,小笠原紘一,日本水道新聞社 (2019).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:シストやオーシスト.

*2:フランスのパリでは1904年頃試してみていたようですが,コストがかかりすぎるということで中止されました.

*3:1℃で1秒以内に進行します.化学反応式より本反応はpH依存であることがわかります.

*4:塩素そのものが元素であることがわかったのは1808年になってからでした.