化学と歴史のネタ帳

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浄水(11):フッ素で虫歯予防?

現在,シンガポールや香港,ヨーロッパやアメリカなどの一部地域では子供の虫歯予防のために水道水にフッ素が加えられています.


なぜフッ素を添加すると虫歯が予防できるのでしょうか?
また,なぜフッ素を加えようと思ったのでしょうか?

今回はフッ素を加える「フロリデーション」と呼ばれる技術について,歴史としくみをみていきましょう.




浄水(1):にごりをとるには?
浄水(2):ろ過の歴史
浄水(3):ろ過や塩素による消毒
浄水(4):いろんな消毒方法
浄水(5):ガスを追い出すには?
浄水(6):活性炭・微生物の活用
浄水(7):化学の力で軟水にする
浄水(8):軟水化の歴史
浄水(9):いろんな無機物の除去
浄水(10):パイプを腐食から守る
浄水(11):フッ素で虫歯予防?
浄水し(12):究極の水,超純水

1.歯のフッ素症と虫歯

フッ素は自然界には蛍石CaF2,フルオロアパタイトCa10(PO4)6F2,氷晶石Na3AlF6として多く存在します.これらのフッ素は火山活動によってフッ化水素HFとして火山ガス中に含まれ,放出されます.

1585年頃の地図に描かれたヘクラ山の噴火

火山の近くでは岩石中のフッ素や火山灰に含まれるフッ素が地下水などに溶出して水中のフッ素濃度が高くなり,歯が褐色に着色する「歯のフッ素症」を引き起こすことが知られています.例えば1693年にアイスランドヘクラ山が噴火した時,農家のEirikssonが羊や牛,馬の歯が変色しているのを発見した記録があります.なぜ変色するのか,詳しいメカニズムについては長らく不明のままでした.

ヴェスヴィオ火山 (1872年撮影)

1901年,アメリカ公衆衛生局のナポリ駐在医師が,ナポリに移住してきた人びとの歯に褐色のシミが生じることを報告します.ナポリには頻繁に噴火していたヴェスヴィオ火山*1があり,周囲の住民は噴煙のせいで黒くなるのだと信じていたようです.

Frederick S. McKay (1874-1959)

1916年には歯科医師Frederick S. McKay (1874-1959) コロラド州で同様の症状が子供を含む多数の患者でみられることを報告しています.医師は原因が飲料水に含まれる何らか物質であることをつきとめ,飲料水の水源を変更するよう要求しました.要求に従い水源を変更した結果,1925年には歯に褐色のシミがあらわれる子供はほとんどいなくなりました.


1920年代後半,アルミニウム関連会社であるアルコアの科学者A.W. Petreyアーカンソー州ボーキサイト*2から送られてきたアルミニウムの入った水サンプルを解析しているとき,フッ化カルシウムCaF2が含まれていることを発見します.その後も様々な地域の水を解析し,1931年には上司のH.V. Churchillが「歯が黒くなる病気」がみられる地域の水にはフッ化物イオン-が2 mg/mL以上含まれることを報告しました*3.同じ年にはアリゾナ大学の研究グループも同様の報告をしています.


アメリカ衛生局はこれらの報告をうけ,本格的な調査に乗り出します.その結果,アメリカ中西部から南部にかけて飲料水中にフッ化物イオンが多く含まれていることが判明しました.また,これらの地域に住む7257人子供たちの歯の状態についても調査を行ったところ,興味深い結果が得られました.


衛生局の調査の結果,以下の事実が判明します.
1.フッ化物イオン濃度が1.5 mg/Lを超えると歯のフッ素症が起きやすくなる.
2.フッ化物イオン濃度が1.0 mg/L前後の場合,虫歯にかかる確率が最小になる.
3.フッ化物イオン濃度が0 mg/Lに近づくにつれ,虫歯にかかる確率が増加する.


つまり,フッ化物イオン濃度が高すぎると歯のフッ素症を引き起こすなどのデメリットがありますが,1.0 mg/Lの濃度であれば逆に虫歯を防ぐことができるなどメリットがあることがわかったのです


第二次世界大戦の影響でフッ化物イオン濃度の影響調査は中断されますが,1945年1月以降,子供たちの虫歯を防ぐためアメリカ各都市で飲料水にフッ化物を加えるフロリデーションがはじまりました.フロリデーションが行われなかった都市と比較すると,50-65%も虫歯になる確率が減少したようです.


特に明確な副作用もなさそうだということがわかってくると,フロリデーションはどんどん普及していきました.現在では,香港やシンガポールをはじめとして世界各国で実践されています.

2.歯とフッ素

歯とフッ素の関係について,もう少し詳しく見てみましょう.


F-を含む水を飲んだ時,F-の約50%は口の中にのこり,もう半分は胃腸で吸収されます.摂取したF-は全身を移動し,などにとりこまれます.体内のF-の約96%は骨や歯に吸収されるようです.


歯のエナメル質はその大部分がヒドロキシアパタイトCa10(PO4)6(OH)2です.ヒドロキシアパタイトは,そのままでは口の中に住む細菌が出すによって溶けやすいことが知られています.さて,歯に吸収されたF-は,Ca10(PO4)6(OH)2中のOHと入れ替わります.これによりエナメル質が細菌が出す酸によって溶けづらくなり,結果として歯が強くなります

そのほか,歯の表面にくっついたF-に引き寄せられて溶け出したCa2+PO43-が再び歯にとりこまれる再石灰化を促進したり,細菌の中に入って酵素活性を抑制させる効果もあるようです.


歯へのF-の取り込み速度は,歯がつくられる子供の時にもっとも速いそうです.フッ化物イオンの恩恵にあずかるためには,子供の時にフッ化物イオンを摂取するのが良いということになります.


一方で,フッ化物イオンの摂取しすぎも禁物です.


F-濃度が高くなりすぎると歯のエナメル質を形成する細胞の調子が悪くなってしまうようです.これにより正常にエナメル質が形成できず,白く濁ったり変形したりして,そこに外からやってきた色素が沈着し,やがてまだら模様に褐色の着色がみられるようになります.これが歯のフッ素症です.

歯のフッ素症

骨にフッ素が取り込まれ過ぎると骨が硬くなりすぎる「骨のフッ素症」になってしまい,骨折しやすくなります.インドのNalgondaでは井戸水に高濃度のF-が含まれているようで骨のフッ素症になりやすく,いわゆる風土病となっています.

骨のフッ素症にかかった子供 By Pankaj Oudhia - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=22311494

3.フロリデーションに使われる化合物

さて,飲料水中に適切な濃度でF-を溶け込ませるにはどうしたらよいでしょうか?


フッ素ガスは論外です.反応性が極めて高くガラスや白金とも反応してしまうため取り扱いが難しく,人体への毒性も極めて高いです.目や皮膚,粘膜に炎症を起こし,肺など呼吸器系もやられてしまいます.長期間フッ素にさらされると,肝臓や腎臓にもダメージが蓄積していきます.


フッ素はすぐに化合物を作ってしまうため,フッ素ガスを単離するのはなかなかに大変でした.古くから知られていたフッ素化合物はフッ化カルシウムCaF2が主成分の蛍石で,製鉄における融剤としてつかわれていました.

蛍石

蛍石と酸を組み合わせることでガラスを溶かすことができることは17世紀には知られていたようです.1670年にはニュルンベルクのSchwankhardがガラスのエッチングに使用しています.弱酸遊離の反応ですね.
 \mathrm{CaF_2 + H_2SO_4 \longrightarrow CaSO_4 + 2HF }

純粋なフッ酸HFは1809年にゲーリュサック (Joseph Louis Gay-Lussac, 1778-1850) テナール (Louis Jacques Thénard, 1777-1857) によって得られました.


一方でハンフリー・デービー (Humphry Davy, 1778-1829) はフッ化物の電気分解によりフッ素ガスF2を単離しようとしました.しかしながら毒性のため健康を害して成功しませんでした.フランスの化学者Edmond Frémy (1814-1894) 1854年にフッ化カルシウムの電気分解により陽極からフッ素ガスっぽいものが生成したことを確認しますが,これも分離には至りませんでした.

Ferdinand Frédéric Henri Moissan (1852-1907)

フッ素ガスの単離に成功したのはFrémyの研究室にいたこともあるアンリ・モアッサン (Ferdinand Frédéric Henri Moissan, 1852-1907) です.1886年に低温でフッ化カリウムKFの液体フッ化水素溶液を電気分解したところ,プラチナ溶液中でフッ素ガスを単離することができました.


アンリ・モアッサンはその後20世紀の初頭にかけてフッ化アルキルをはじめとした数多くのフッ素化合物を合成しました.これらの研究は1906年ノーベル化学賞の受賞につながりました*4.フッ化化合物の合成技術の発展により,フロンガスCCl2F2やテフロン,そしてウラン濃縮などへと応用されていきました.


さて,フロリデーションでは数多くあるフッ素化合物のうち,フッ化ナトリウムNaF,ケイフッ化ナトリウムNa2SiF6,ヘキサフルオロケイ酸H2SiF6が用いられます.


フッ化ナトリウムNaFは白色の粉で,防腐剤やホウロウの乳化剤,鉄鋼などのフラックス剤など様々な目的で使われます.水に溶かすとNa+とF-に電離します.
 \mathrm{ NaF \longrightarrow Na^{+} + F^{-} }


ケイフッ化ナトリウムNa2SiF6も同じく白色の粉で,ガラスの乳濁剤,防虫剤,防腐剤など様々な目的で使われます.水に溶かすとまずNa+とSiF62-にわかれ,
 \mathrm{ Na_2SIF_6 \longrightarrow 2Na^{+} + SiF_6^{2-} }

その後水と反応してフッ化物イオンF-とSiO2の沈殿を生じるか,
 \mathrm{ SiF_6^{2-} + 2H_2O \longrightarrow 4H^{+} + 6F^{-} + SiO_2 \downarrow }

自然に分解してフッ化物イオンF-と気体のSiF4を生じます.
 \mathrm{ SiF_6^{2-} \longrightarrow 2F^{-} + SiF_4 \uparrow }

生じた気体のSiF4はすぐに水と反応してフッ化物イオンF-とSiO2の沈殿などを生じます.
 \mathrm{ SiF_4 + 2H_2O \longrightarrow 4HF + SiO_2 }
 \mathrm{ SiF_4 + 3H_2O \longrightarrow 4HF + H_2SiO_3 }
 \mathrm{ HF \rightleftharpoons H^{+} + F^{-} }

このように,ケイフッ化ナトリウムを水にとかすと水は若干酸性にかたむきます.飽和するまで溶かすとpHは3から4くらいになります.


最後にヘキサフルオロケイ酸H2SiF6ですが,刺激臭のある液体で強酸性(20-35%でpH1.2程度)を示します.また腐食性もあるため極めて危険です.


水中での反応はケイフッ化ナトリウムと非常によく似ています.ほぼ100%水中で分解します.
 \mathrm{ H_2SiF_6 \longrightarrow 2HF + SiF_4 \uparrow }
 \mathrm{ SiF_4 + 2H_2O \longrightarrow 4HF + SiO_2 }
 \mathrm{ SiF_4 + 3H_2O \longrightarrow 4HF + H_2SiO_3 }
 \mathrm{ HF \rightleftharpoons H^{+} + F^{-} }


これら3つは調達コストも違いますし,投入時に必要な設備の仕様も異なります.そのため,浄水場それぞれに適した化合物を選択していく必要があります.


ケイフッ化ナトリウムNa2SiF6やヘキサフルオロケイ酸H2SiF6湿式法によってリン酸H3PO4を製造する際に副生成物として得られます.ちょっとみてみましょう.


リン鉱石に硫酸を反応させるとリン酸が得られることは,1880年代から知られていました.しっかりと研究されたのは第二次世界大戦後に肥料が大量に必要になってからです.いわゆる湿式法は1960年代までリン酸を製造するほぼ唯一の方法でした.


湿式法で原料となるリン鉱石には,リン酸カルシウムCa3(PO4)2のほか,フッ素が約2%含まれています.

By kallerna - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=55386120

まずリン鉱石に硫酸を反応させてリン酸を製造します.このとき,フッ化水素HFもあわせて発生します.xは0, 0.5, 2です.
 \mathrm{Ca_{10}(PO_4)_6F_2 + 10H_2SO_4 + 10 \textit{x}H_2O \longrightarrow 6H_3PO_4 + 10CaSO_4 \cdot \textit{x}H_2O +2HF }


発生したHFは同じくリン鉱石の不純物である二酸化ケイ素SiO2と反応してヘキサフルオロケイ酸H2SiF6に変化したり,ナトリウムやカリウムと反応してケイフッ化ナトリウムNa2SiF6やケイフッ化カリウムK2SiF6に変化します.

一部のHFは,その後四フッ化ケイ素SiF4と反応させてヘキサフルオロケイ酸H2SiF6にします.
 \mathrm{ 2HF + SiF_4 \longrightarrow H_2SiF_6 }


このようにしてケイフッ化ナトリウムNa2SiF6やヘキサフルオロケイ酸H2SiF6が得られます.ちょっとマニアックだったかも知れませんね.

4.まとめ

適切な濃度であれば歯を丈夫にするフロリデーションですが,ちょっとでも濃度が基準値を超えると今度は歯のフッ素症を引き起こしてしまうなど慎重さが求められる技術です.そのため全面的に導入されているわけではないようですね.


水道水に入っていなかったとしてもフッ素入りの歯磨き粉を使えば良いので,気になる方は歯磨き粉の成分表示をよく見てみましょう.


ちなみに歯磨き後にあまり水ですすぎすぎると,歯磨き粉に含まれていたフッ化物イオンが口の中に残らなくなってしまうそうです.フッ素の効果を期待される方は注意してみましょう.


次回は満を持して,不純物を限りなく取り除いた究極の水,超純水の製造方法と歴史を見てみましょう.



問題

Q. フッ化水素酸HFを多量に浴びてしまうと,血液中のカルシウム濃度が低下して死に至ることがあります.なぜカルシウム濃度が低下するのでしょうか?


A. 血中のCa2+イオンがHFと反応してCaF2として取り除かれてしまうから.

フッ化水素酸による事故としては韓国の慶尚北道亀尾市で起きたフッ化水素酸漏出事故が有名です.怖いですね.
亀尾フッ化水素酸漏出事故 - Wikipedia

日本だと,フッ化ナトリウムNaFと間違えてフッ化水素酸HFを歯に塗ってしまった事故が有名です.恐ろしいですね.
八王子市歯科医師フッ化水素酸誤塗布事故 - Wikipedia



参考文献

Chemistry of Water Treatment, 2nd edition” S.D. Faust and O.M. Aly (1998).
“Drinking Water and Health, Volume 1” National Research Council (US) Safe Drinking Water Committee (1977).
”The Quest for Pure Water" M. N. Waker, The American Water Works Association (1948).
"Handbook of Industrial Chemistry and Biotechnology" J. A. Kent, T. V. Bommaraju, S. D. Barnicki, Springer (2017).
"Hand book of inorganic chemicals" P. Patnaik, McGraw-Hill (2003).
"Calcium Transport in Specialized Dental Epithelia and Its Modulation by Fluoride" V. costiniti, et al. Front. Endocrinol., (2021).
”Fluoride in Volcanic Areas: A Case Study in Medical Geology" D.P.S. Linhares, et al, Environmental Health - Management and Prevention Practices. IntechOpen. https://doi.org/10.5772/intechopen.86058 (2019).
『都市・地域 水代謝システムの歴史と技術』丹保憲仁,鹿島出版会 (2012).
『現代化学史』廣田襄,京都大学学術出版会(2013).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:1908年の噴火の際にはオリンピック開催地がローマからロンドンへ変更されました.

*2:アルミニウムの原料であるボーキサイトがよく産出するのでこのように命名されました.原料のボーキサイトの名前の由来はフランスのLes Baux-de-Provenceに由来します.

*3:通常は1 mg/mL以下です.

*4:ちなみにこの時,1票差で受賞を逃したのが周期表で有名なメンデレーエフです.