化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

洗濯(2):石鹸の歴史

石鹸は最も長く使われている洗剤で,生活文化に深く根ざしています.

石鹸はいつ生まれ,どのように社会と関わってきたのでしょうか?


今回は石鹸の歴史について,そのしくみを踏まえたうえでみていきましょう.



洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):酸素系漂白剤
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング

1.石鹸とは?


一般的な石鹸は,高級脂肪酸アルカリから作られます.
 \mathrm{R \textrm{-}COOH + NaOH \longrightarrow R \textrm{-}COONa + H_2O}
 \mathrm{R \textrm{-}COOH + KOH \longrightarrow R \textrm{-}COOK + H_2O}

高級脂肪酸高級とは炭素数の多い脂肪酸のことです.アルカリとしてはNaOHが最も多く使われています.他にも,KOH,Na2CO3,トリエタノールアミンなどが使われます.


石鹸は界面活性剤としてよごれを落としてくれます.長い炭化水素鎖であるRの部分が疎水基としてはたらき,COONa (もしくはCOOKなど) の部分が親水基としてはたらきます.


炭化水素鎖はどのくらいの長さが良いのでしょうか?


石鹸の原料に使用される脂肪酸は炭素数12-18くらいのものが使われています.

素数18の飽和脂肪酸ステアリン酸

飽和脂肪酸*1の場合,炭素数が10以下だと水に対する溶解性はよいのですが,洗浄力が極端に低くなります.炭素数が12から増えていくと洗浄力は上がる一方だんだん水に溶けにくくなります.18 (ステアリン酸) だと高温でようやく溶けるイメージです.これは,親油性である炭化水素鎖が長くなると汚れに対してなじみやすくなる一方,水にはどんどんなじみにくくなるからです.

素数18の不飽和脂肪酸オレイン酸

二重結合を含む不飽和脂肪酸*2の場合,ステアリン酸と同じ炭素数18のオレイン酸は低温でも水に溶け,洗浄力が高いことが知られています.二重結合が単結合にくらべて水分子との親和性が高いからだと考えられます.


さて,次に親水基の部分についてです.石鹸は水に溶けると,その一部が加水分解してアルカリ性になります.
 \mathrm{R \textrm{-}COONa \rightleftharpoons R \textrm{-}COO^{-} + Na^{+} }

アルカリ性になると,油脂よごれが分解されやすくなります.一方で,アルカリに弱いウールやシルクなどのタンパク質繊維の洗濯には不向きです.


親水基は水中の別の金属イオンと塩を作ることがあります.たとえば,水道水中に微量に溶けているCa2+やMg2+が皮膚に残った石鹸分子と結びついて,不溶性の塩(石鹸かす)を生成します.
 \mathrm{2R \textrm{-}COONa +Mg^{2+} \longrightarrow (R \textrm{-}COO)_2Mg + 2Na^{+} }


身体を石鹸で洗うと,洗った後にさっぱりした感じがしませんか?これは不溶性の石鹸かす*3が水を弾くからだと考えられています*4.石鹸を使用しているタオルなどがゴワゴワになり水を弾くようになるのもこのためです.


Ca2+やMg2+が多く含まれる硬水中では,不溶性の石鹸かすがたくさん生じてしまいます.そうすると水に溶けて界面活性剤としてはたらく石鹸分子が減ってしまうので洗浄力が著しく低下してしまいます.そこで硬水が中心のヨーロッパでは,Ca2+やMg2+を減らす軟水化の技術が発達しました.
【参考】浄水(7):化学反応で軟水にする
【参考】浄水(8):軟水化の歴史


ちなみに,強い酸性の温泉などで石鹸を使うと石鹸がベトベトすることがあります.これは,石鹸が酸と反応してもとの脂肪酸に戻るためです.
 \mathrm{R \textrm{-}COONa +H^{+} \longrightarrow R \textrm{-}COOH + Na^{+} }

2.石鹸のつくりかた

石鹸の製法には,けん化法,中和法,エステル化法があります.原料は動植物油の成分であるトリグリセリドです.


けん化法では,トリグリセリド水酸化ナトリウムを加熱しながら混ぜて石鹸をつくります.均一に加熱しつづけるのはなかなか難しく,かつては熟練の技が必要だったようです.

このとき,脂肪酸のナトリウム塩である石鹸とグリセリンが生成します.ここに食塩を加えると,石鹸分子が溶けるのに必要な水分子が塩に奪われるため,石鹸分子が溶けきれずに上層に浮かび,グリセリンやその他の不純物から分離されます.この操作を塩析と呼びます.


石鹸を作るとき,一種類の脂肪酸だけを使うことはなく,数種類の脂肪酸を配合します.その理由は,脂肪酸炭化水素鎖の長さの違いにより,水と油成分に対する馴染みやすさが違うからです.


中和法では,トリグリセリドを高温高圧で脂肪酸グリセリンに分解し,

得られた脂肪酸水酸化ナトリウムで中和して石鹸を作ります.
 \mathrm{R \textrm{-}COOH+ NaOH \longrightarrow R \textrm{-}COO^{-}Na^{+} + H_2O }


エステル化法は日本やイタリアで代表的な製法です.油脂をメタノールで分解して脂肪酸メチルエステルを合成し,

これを水酸化ナトリウムなどでけん化することで石鹸をつくります.
 \mathrm{R \textrm{-}COOCH_3+ NaOH \longrightarrow R \textrm{-}COO^{-}Na^{+} + CH_3OH }


石鹸が不透明であることが多いのは,製造の過程で繊維状の結晶が発達し,光を乱反射するためです.繊維状結晶の成長をおさえれば,透明な石鹸をつくることができます.具体的には,グリセリンや糖類などが加えられます.このとき,アルカリとしてKOH,トリエタノールアミンなどを使うこともあるようです.

Pears Soap. By https://wellcomeimages.org/indexplus/obf_images/6a/4e/013d8b71090f4233c8e68df37711.jpgGallery: https://wellcomeimages.org/indexplus/image/L0030384.htmlWellcome Collection gallery (2018-03-23): https://wellcomecollection.org/works/xyu2jjuy CC-BY-4.0, CC BY 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=36039724


また,脂肪酸カリウム塩は水溶性が高いため,KOHは液体石鹸をつくる際にも使われます.

3.石鹸の歴史

Soapの語源は,インド・ヨーロッパ祖語で「したたる」を意味するseibからきていると言われています.その後,ゲルマニア経由でラテン語に輸入され,Sapoと表記されるようになりました.Soapになるのはその少しあとです.

石鹸製造に関する最古の記録は,メソポタミア文明*5のころ,南にあるシュメール(イラク南部)の遺跡から発掘された粘土板に楔形文字で記述されたものです.紀元前2500年に書かれたものです.詳細な作り方は不明ですが,羊毛を洗うのに使われていました.


紀元前2200年ころ,ウル第三王朝の記録には油と灰を1:5.5でまぜてつくると書かれています.結構灰をいれていたみたいですが,おそらく製法の問題で炭酸カリウムの含有量がそこまで高くなかったからだと考えられます.もしかしたら,この頃から塩をいれて硬い石鹸をつくる塩析も行われていたかもしれません.同時期の記録には別の方法でつくられた石鹸が医療用途としても使われていた記録があります.


石鹸の製法はその後,フェニキア人からエジプト*6へ伝えられたと推測されています.その後石鹸製造技術はおそらくガリア人へと伝わり,のちにローマに伝わりました.

Gaius Plinius Secundus (23-79)

プリニウス (Gaius Plinius Secundus,23-79) の『博物誌』には,現在のフランス付近に住んでいたガリア人が,動物からとった油脂とブナやシデといった樹木からとった灰から石けんをつくっていたという記録があります.頭髪に赤い光を与えるために使用していたようで,一種の整髪料のような役割だったようです.


また,このころには消石灰Ca(OH)2を用いてアルカリを得る方法も確立していたといわれています.
 \mathrm{CaO + H_2O \longrightarrow Ca(OH)_2}
 \mathrm{Ca(OH)_2 + Na_2CO_3 \longrightarrow 2NaOH + CaCO_3}


385年にはTheodorus Priscianusが髪を石鹸で洗うことを推奨しましたが,当時の石鹸の品質は劣悪で,油っぽく,皮膚刺激のつよいものだったと考えられています.


古代ローマでは都市に水道がひかれ,大きな浴場や共同の洗濯場が設けられていました.

バース(イングランド)の公衆浴場 Diliff - 投稿者自身による著作物, CC 表示 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1231248による


入浴文化については『テルマエ・ロマエ』でもお馴染みですね.共同浴場には温かい部屋,お湯の風呂,水風呂はもちろん,強烈に乾いた熱気のなかで過ごす部屋,オイルとマッサージ専用の部屋などがありました.アグリッパ帝浴場(前25頃)をはじめとする帝政期の多目的な共同浴場テルマエとよばれ,バルネウムと呼ばれる質素な共同浴場とは一線を画していました.


ローマの人々は砂やオイルで身体を覆ってから,ストリギリスとよばれる垢すりで身体のよごれを落としていたようです*7.この頃の石鹸は獣脂でつくったもので,身体を洗うには刺激が強すぎました.


一方で洗濯場について,墳墓の洗濯所の絵には踏み洗いや手洗いをしている洗濯職人が描かれています.この頃の服は主として毛織物で,洗剤は木炭や白土,腐らせた尿などが使われていました.ウェスパシアヌス帝のころ,洗濯業者には税金を納める代わりに街角に桶をおいて尿を回収する権利が与えられていました.


尿は,発酵させることでアンモニアが得られ,これを毛織物の洗濯に用いていた記録もあります.毛や絹のようなタンパク質繊維がアルカリに弱いことを考えると,石鹸よりアルカリ性の弱いアンモニア水を使用していたのはかなり理にかなった方法だったと言えるでしょう.また,熱などで変性しておちにくくなったタンパク質由来のよごれはアンモニア水につけておくだけで落ちやすくなることが知られています.


この頃の石鹸の変わった用途としては,壁画があります.古代ローマ遺跡の壁画において,壁画家が石鹸をまぜた絵の具を用いていたことが,科学的分析によって示唆されています.一説には,石鹸を含む水性絵の具でフレッシュな漆喰Ca(OH)2に描くと,漆喰のカルシウムと石鹸が反応して不溶性の石鹸かすを生じ,これが水を弾いて絵の具を保護していたようです.このような技法はやがて失われていきました.
 \mathrm{2R \textrm{-}COONa +Ca^{2+} \longrightarrow (R \textrm{-}COO)_2Ca + 2Na^{+} }


石鹸ははじめ,獣脂と灰を煮てつくる刺激のつよいものでしたが,やがて地中海地方ではオリーブ油で固形石鹸をつくる技術が確立します.とくにスペインのカスティーリャ地方のものが有名で,現在でもカスティーリャ石鹸 (Castile soap) といえばオリーブ油でつくられる固形石鹸のことを指します.オリーブ油でつくった石鹸は,獣脂をつくった石鹸よりも良い香りがしたそうで,皮膚への刺激もすくなかったようです.


9世紀にはスペインのアリカンテカルタヘナ,イタリアのヴェネツィア,サボーナなどが石鹸製造の中心となりました.また石鹸の集散地であったフランスのマルセイユ*8は地中海に臨み、ヨーロッパのほぼ中心という交通上の地理的条件にも恵まれ,やがて石鹸製造の中心となりました.

マルセイユ石鹸

14世紀からイギリスやドイツなどヨーロッパの各地に石鹸工場ができます.ドイツのアウグスブルクでは石鹸業者がギルドをつくっていました.


では石鹸が広く使われていたかというとそうでもなかったようです.石鹸の原料となる油脂には高い税金がかけられ,石鹸そのものがぜいたく品だったため,日常的にはあまり使われていませんでした.使用者は特権階級や裕福な人々に限られていたようです.


石鹸が市民の手に届くようになるのは,18世紀末,産業革命のなかで化学工業分野が大きく発展し,石鹸の大量製造が可能になってからです.

18世紀はグローバル化が進んだ時代で,油脂がいろんな場所から輸入されるようになっていました.獣脂はアメリカやロシアから,パーム油やオリーブオイルはアフリカやインドから輸入していました.

Michel-Eugène Chevreul (1786-1889)

18世紀は科学が発展した時代でもあります.1779年にはグリセリンが発見され,1811-23年にはミシェル=ウジェーヌ・シュヴルール (Michel-Eugène Chevreul, 1786-1889) によって油脂の化学的成分も明らかになりました.

Chevreulはけん化と呼ばれる反応を詳しく研究しました.

一方で1790年頃にはルブラン法が登場し,19世紀には人工的に炭酸ナトリウムを工業生産することが可能になりました.
【参考】アルカリの歴史(2):ルブラン法
  \mathrm{2NaCl + H_2SO_4 \longrightarrow Na_2SO_4 + 2HCl}
 \mathrm{Na_2SO_4 + 2C \longrightarrow Na_2S + 2CO_2}
  \mathrm{Na_2S + CaCO_3 \longrightarrow Na_2CO_3 + CaS}


このように,原料のグローバル化とともに石鹸製造の化学的な原理が確立され,石鹸の原料を大量に供給できるようになりました.アルカリは海藻灰から人工的に製造された炭酸ナトリウムに切り替えられていきました.また,油脂原料も獣脂やオリーブオイルだけでなく,熱帯産のヤシ油やパーム核油などが利用できるようになり供給源が多様化しました.


原料だけでなく製造法そのものも改良されました.1830年代には蒸気けん化釜が登場し,従来の鉄板釜に比べて石鹸を大量につくることができるようになりました.


こうして19世紀末には石鹸の価格が低下しはじめ,徐々に庶民の日用必需品となっていきました.


1870-1880年代はドイツのロベルト・コッホ (Heinrich Hermann Robert Koch, 1843-1910) やフランスのルイ・パスツール (Louis Pasteur, 1822-1895) が細菌学を発展させた時期です.病気は瘴気ではなく細菌によって感染することがわかってきましたが,このころ細菌と戦う唯一の方法は身体を洗うことでした.
【参考】浄水(3):ろ過や塩素による消毒


石鹸が安くなったこと,細菌に対する石鹸の有効性が認知されたことで石鹸が一般に普及しはじめると,石鹸業者の売り出し方にも変化が現れます.ここで活躍したのが,広告の力です.

アイボリー (P&G社) の広告

アメリカのP&G社は1878-79年に「水に浮く石鹸」「100%ピュア」などというキャッチコピーとともに聖書の一節から名付けられた白い石鹸アイボリーを売り出し,イギリスのPears社は1880年代に女優に石鹸の良さを語らせる広告で販売攻勢をしかけました.これらは良いイメージを全面にだして石鹸を売り出す戦略です.


1920年代には,今度は「あなたの体臭が周りを不快にしているかもしれない」という不安を煽り立てて香り付き石鹸を買わせる戦略が中心になりました.これには人々の非難もありましたが,販売実績はぐんぐんと伸びます.こういった石鹸業界の好況は世界大恐慌まで続きました.

第二次世界大戦に突入すると,石鹸の原料である油脂が不足します.結果,石鹸は油脂を原料としない合成洗剤にその座を明け渡すことになりました.

4.日本での石鹸

雄略天皇

日本における最古の洗濯記録としては,古事記雄略天皇と美和川の川辺で衣を洗う童女,赤猪子の物語があります.応神天皇の時代には灰汁をつかった洗濯も行われていたようです.


奈良時代末期に編纂された万葉集には「とき洗い」という言葉がでてきます.これは着物をほどいて洗うことです.日本の着物は,ほどいたり縫い直すのがカンタンなので,ほどいて布にして洗うのが習慣でした.


西洋では羊毛が中心だったため脱脂作用の大きい洗剤が必要でした.その点で石鹸は好都合でした.一方で日本の着物は麻,木綿,絹などでしたので,脱脂の必要性はほとんどありませんでした.日本ではムクロジやサイカチ,トチノキなど植物系の洗剤がもちいられました.

イカチ Kurt Stüber [1] - caliban.mpiz-koeln.mpg.de/mavica/index.html part of www.biolib.de, CC 表示-継承 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5332による

これらにはサポニンが含まれます.

サポニンは植物に含まれる化合物で,糖類にほかの物質が結合した構造をしています.植物からは約400種類以上発見されています.泡立てたりする力があるので洗剤などに用いられていました.サポニンアルカリ性を示さず,繊維を痛めません.また,魚類に対して強い毒性があるため,漁に使われたこともあるようです.サポニンの種類によっては利尿剤や咳止めにも使われます.


日本に石鹸が初めて入ってきたのは鉄砲伝来と同じ16世紀半ばで,宣教師によってもたらされました.石鹸に関する最も古い記録は1597年京畿大地震の見舞いとして石けんを2個送られた石田三成が,博多の貿易商神谷宗湛にあてて書いた,「志やぼん二被贈候」という礼状です.このころは「しゃぼん」と呼ばれていました.ポルトガル語の「サボン」が由来のようです.


石鹸という字があてられるようになるのは江戸時代に明の名医である李時珍の『本草綱目』(1590年) が輸入されてからです.じつは本草綱目に書かれていたのは灰汁とうどん粉をこねてつくるものでシャボンとは全然違うものだったのですが,効果が似ていたため混同されたようです.


南蛮貿易によって石鹸は盛んに輸入されるようになりましたが,製造技術は江戸末期に至るまで伝わらず大変貴重なものでした.そのため,大名や豪商など一部の人が財産の一部として所有するようなものでした.


石鹸製造が日本ではじまるのは明治時代になってからで,京都府知事が京都舎密局を設け,1872年から石鹸粉製造がはじまりました.

5.まとめ

長い歴史がありましたね.


石鹸は,作り方さえ気をつければ自分でも作ってみることができます.ぜひ挑戦してみてください.


次回は合成洗剤の歴史について見てみましょう.

参考文献

『洗濯と洗剤の科学』阿部幸子,放送大学教育振興会 (1998).
『洗剤と洗浄の科学』中西茂子,コロナ社 (1995).
『図解やさしくわかる界面化学入門』前野昌弘,日刊工業新聞社 (2014).
『洗剤・洗浄百科事典』皆川基, 藤井富美子, 大矢勝,朝倉書店 (2007).
『図説 不潔の歴史』A. Katherine, 原書房 (2008).
『化学洗浄の理論と実際』福﨑智司,兼松秀行,伊藤日出生,米田出版 (2011).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
”Handbook of Instustrial Chemistry and Biotechnology, 13th edition" J.A. Kent, T.V. Bommaraju and S.D. Barnicki, Springer (2017).
"1. 洗浄と清潔の歴史概観" 二宮健一,繊維製品消費科学, 37 ,292-299 (1996).
”Chemical Technology in Antiquity" S.C. Ramussen, American Chemical Society (2015).
”Characterization of the binding medium used in Roman encaustic paintings on wall and wood" J. Cuní, et al. Analytical Methods, 4, 659-669 (2012)
"What do we know of Roman wall painting technique? Potential confounding factors in ancient paint media analysis" J. Cuní, Heritage Science 4, 44 (2016).

*1:代表的なものはラウリル酸(C12),ミリスチン酸(C14),ミリスチン酸(C16),ステアリン酸(C18)です.

*2:C18のものだと,二重結合を1つ含むオレイン酸,2つ含むリノール酸,3つ含むリノレン酸が代表的です.

*3:金属石けん,スカムとも呼ばれます.

*4:人によっては,皮膚に付着すると肌荒れの原因になるそうです.

*5:メソポタミアでは洗濯という概念が重要視されていたようで,ある集落では懺悔の月に自身の服を特定の日に洗濯するルールになっていたようです.

*6:紀元前1550-1200年のパピルス紙の記録からは油脂とアルカリを一緒に煮たことがわかっていますが,これが石鹸製造目的だったかどうかはわかりません.また,第18王朝の遺跡からは鉛石鹸が発見されていますが,偶然の産物かもしれません.

*7:ちなみに有名な運動選手や剣闘士がストリギリスで落とした汚れは小さな瓶に集められ,ファンに売られたそうです.女性の中にはクリームがわりに塗った人もいたのだとか.

*8:マルセイユではロジンを加えた硬い石鹸がつくられるなど,製造技術が進歩しました.