化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

洗濯(5):イオンの封鎖

洗剤のお助け成分であるビルダーには,アルカリ剤以外にも色々あります.


特にイオンを隔離(封鎖)することができるキレート剤は,硬水を洗濯に適した水質に変化させられるので非常に強力です.

今回はキレート剤を中心に,しくみと歴史をみていきましょう.



洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):酸素系漂白剤
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング

1.キレート剤

洗剤には,それ自体は洗浄力を持たないけれども,一緒に入っている界面活性剤の洗浄性能を向上させるような物質を加えることがあります.このようなお助け物質をビルダーと呼びます.


ビルダーにはいろんな役割があります.例えば,硬水による洗浄力の低下を防いだり,洗浄に適したアルカリ性 (pH 9.0-10.5) に保ったり,再汚染を防止したり,などです.


ビルダーの作用としてまず一番大事なのは,硬水による洗浄力の低下を防ぐことです.


硬水にはCa2+やMg2+が多くふくまれます.これが石鹸分子と反応すると不溶性の石鹸かすを生じ,洗浄力が著しく低下します.
 \mathrm{2R-COONa +Mg^{2+} \rightleftharpoons (R-COO)_2Mg + 2Na^{+} }


また,一度離脱して分散した汚れにCa2+やMg2+が吸着することで汚れが集合しやすくなり,また繊維にもう一回くっつきやすくなったりします.繊維とよごれの間にブリッジすることもあるようです.


このように硬水中のCa2+やMg2+洗濯の敵です.このCa2+やMg2+を捕らえて洗濯の邪魔をさせないようにするのが,キレート剤です.


キレート剤は水中のCa2+やMg2+などの金属イオンとかにのはさみ*1のように水溶性のキレート錯体を形成し,これらのイオンを封鎖,簡単に言えば隔離します.最も有名なのはエチレンジアミン四酢酸 (EDTA) です.

アルカリ剤によるCa2+の除去では不溶性CaCO3が生じて洗濯槽などにこびりついてしまいます.一方でキレート剤による除去で生じるキレート錯体は水溶性ですので,そのような心配がありません.


キレート剤にはトリポリリン酸ナトリウム(STPP)Na5P3O10エチレンジアミン四酢酸塩,ニトリロ三酢酸塩*2などがあります.中でも,特にSTPPはすぐれたキレート能を有し,かつ水に溶けるとその水溶液はアルカリ性を示すことからながらく多用されてきました.

リン酸がつらなった大変不思議な分子ですね.似たようにトリリン酸部分をもつATPは,Mg2と図のように錯体をつくります.

リン酸が連なった縮合リン酸の塩は効果的なビルダーとして多用されてきましたが,やがて使われなくなりました.一体なぜでしょうか?

2.縮合リン酸の歴史

リン酸の発見は,の研究*3と深く関わっています.
【参考】マッチ(3):リンとマッチの歴史

Albrecht von Haller (1708-1777)

1771年,Hérissant *4らの研究をもとにスウェーデンの化学者ヨハン・ゴットリーブ・ガーン (Johann Gottlieb Gahn, 1745-1818) カール・ヴィルヘルム・シェーレ (Karl Wilhelm Scheele, 1742-1786) は骨灰と硝酸の反応から,骨灰は石灰質の物質とリン酸からなることを報告しました*5

Karl Wilhelm Scheele (1742-1786)

シェーレはまず骨 (ヒドロキシアパタイトCa10(PO4)6(OH)2としましょう) を硝酸にとかし,ろ過しました.
  \mathrm{Ca_{10}(PO_4)_6(OH)_2 + 20HNO_3 \longrightarrow 6H_3PO_4 + 10 Ca (NO_3)_2 + 2H_2O }

ろ液に硫酸を入れたところ,沈殿物である硫酸カルシウムCaSO4ができたのでこれをろ過しました.
  \mathrm{ Ca(NO_3)_2 + H_2SO_4 \longrightarrow CaSO_4 + HNO_3}

そして硝酸を揮発させたところ,リン酸H3PO4が残ったというわけです.


リン酸がつらなった縮合リン酸という不思議な物質は,1816年にイェンス・ベルセリウス (Jöns Jacob Berzelius, 1779-1848)がリン酸を加熱して合成しました.物質の正体は不明でしたが,1827年にはJohann Friedrich Engelhart (1797-1837) とともにこの物質が水溶液中のアルブミンを沈澱させることを発見しました.


同年,のちに軟水化のさきがけとなったLime-soda ash法を開発したスコットランドの化学者Thomas Clark (1801-1867)が,ベルセリウスが行ったように第二リン酸ナトリウムNa2HPO4を加熱してピロリン酸四ナトリウムNa4P2O7 (STPP) を生成し,これが単に水分が抜けた物質でないことを示しました.
  \mathrm{ 2Na_2HPO_4 \longrightarrow Na_4P_2O_7 + H_2O}


さて,のちにコロイドの研究で有名になるトーマス・グレアム (Thomas Graham, 1805-1869) は,ベルセリウスやトマス・トムソン (Thomas Thomson, 1773-1852) がリン酸には異性体*6があるかもしれないと主張した説に興味をもち,リン酸塩を調べ始めました.
【参考】浄水(1):にごりをとるには?

Thomas Graham (1805-1869)

そして1833年,リン酸塩を分類*7する過程で「メタリン酸」という用語を導入しました.「メタ」という接頭辞がはじめて化学用語に登場した瞬間です.


ちなみに「パラ」は1830年,ベルセリウスが酒石酸 (tartaric acid) のラセミ体にパラ酒石酸 (paratartaric acid) という用語を提案する際に導入されました.「オルト」は1859年にWilliam Odlingがオルトリン酸などの用語に導入しています.


こうしたメタ・パラ・オルトといった接頭辞はWilliam Körnerによって1866-1874年にベンゼンの置換基の位置を表すのに導入されました.Körnerは「メタ」を今で言う「オルト」に,「パラ」を今で言う「メタ」に,「オルト」を今で言う「パラ」に使っていましたが,のちの化学者が誤って違う使い方をしてしまったために,1879年には現在の意味に定着しました.


話が脱線してしまいましたね.


「メタリン酸」についてですが,グレアムは (今の原子量に換算した表記法で) HPO3という物質があると思っていたようです.一方で1845年,FleitmannとHennebergはリン酸が脱水してつながっていくポリリン酸という概念を導入しました.段階的に脱水させていくと,以下のようになります.
  \mathrm{2H_3PO_4 \longrightarrow H_4P_2O_7+ H_2O }
 \mathrm{H_3PO_4 + H_4P_2O_7 \longrightarrow H_5P_3O_{10}+ H_2O }
  \mathrm{H_3PO_4 + H_5P_3O_{10} \longrightarrow H_6P_4O_{13}+ H_2O }


m個つながると \mathrm{\textit{m}H_3PO_4 - (\textit{m} -1)H_2O } ですから,mが大きくなっていくとほぼ \mathrm{(HPO_3)_\textit{m} } になります.「メタリン酸」の形ですね*8


どちらが正しいかは長らく議論が紛糾してしまったのですが,やがてポリリン酸という概念が受け入れられていきました.


1895年には,Schwartzがリン酸が3つつながったトリポリリン酸のナトリウム塩,トリポリリン酸ナトリウム(STPP)を合成しました.


さて,Persoz (1848年), Rose (1849年), Scheerer (1858年) らの研究によって,不溶性の金属塩は,縮合リン酸のアルカリ金属塩を過剰に加えると再溶解することが発見されていました.1892年,Tammannらによってこの現象は,リン酸と金属が水溶性の安定な複合体を形成することによるものだと判明しました.いわゆるキレート錯体の状態です.


こうした縮合リン酸塩は,1930年代半ばにピロリン酸四ナトリウム(TSPP)Na4P2O7が使用されるようになって以来ビルダーとしてよく使われるようになりました.STPPが1940年代半ばに登場してからは,こちらの方がより優れているということでTSPPのかわりに使われるようになりました.


このように,合成洗剤の普及に重要な役割を果たした縮合リン酸塩ですが,洗濯排水として流出した場合には深刻な問題を引き起こしてしまいます.富栄養化です.

河川や湖などには好気性微生物が住んでおり,水中の溶存酸素を利用して有機物のゴミを分解して水を清浄に保ってくれています.


リン酸塩が河川に流入すると,湖などの富栄養化を加速させ藻類などの異常繁殖を誘発してしまいます.そうすると水中の酸素が不足し,嫌気性微生物が増えて硫化水素やメタンガス,アンモニアなどの臭いガスが発生するなど水質が悪化してしまいます.


欧米では1960年代後半から,日本では1970年代から問題が表面化しました.特に琵琶湖の水質汚濁は社会問題化し,1980年には琵琶湖富栄養化防止条例が制定されました.その後各地でもリンの規制が行われるようになり,リンを使わない無リン洗剤の開発が進められていきました.

3.イオン交換体

無リン洗剤のビルダーとして活用されはじめたのがゼオライトです.
【参考】浄水(8):軟水化の歴史


ゼオライトは水に不溶性の微小粒子で,その3次元骨格構造の空洞内にあるNa+イオンが水中のCa2+と交換するという特徴があります.1976年には,ゼオライト4AがHenkel社やP&G社の洗剤に添加されるようになりました.


このようなゼオライトにCa2+やMg2+を交換してもらうには,Ca2+やMg2+を水中に溶出させ,ゼオライトに送り届けてくれる物質も必要です.そのため,クエン酸ナトリウムなどがコビルダーとして併用されます.


洗剤につかわれるのは主にA型ゼオライトです.1994年以降はP型ゼオライトも使われるようになりました.P型ゼオライトはA型ゼオライトよりもCa2+結合能にすぐれており,非イオン界面活性剤を吸着しやすいという特徴があります.さらに,Mg2+の交換能や油を吸着する能力にすぐれたX型やY型も開発されています.

A型ゼオライトとX,Y型ゼオライト*9 By Nao1958 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75387204


ゼオライトの他には,層状ケイ酸塩*10ポリカルボン酸塩*11がイオン交換体として使われています.

4.再汚染防止剤

ビルダーかどうかは分類方法によるのですが,再汚染防止剤についてもここで触れておきましょう.


洗濯の途中では,繊維から離脱したよごれがふたたび繊維に付着することがあります.これを再汚染と呼びます.特にポリエステルなどの合成繊維では水中での再汚染が大きいため,予洗や予浸は逆効果です.


このような再汚染を防ぐため,再汚染防止剤が加えられることがあります.再汚染防止剤としては,カルボキシメチルセルロース(CMC),カルボキシメチルスターチなどの高分子電解質が使われます.

カルボキシメチルセルロース R = H or CH2COOH


原理には2つの説があり,1つは汚れが離脱した繊維表面にCMCが吸着し,汚れとの間に電気的な反発を生じて再汚染を防ぐものです.もう1つは,汚れにCMCが吸着し,繊維への再沈着を防ぐというものです.


CMCは,1940年にドイツで洗剤改良剤として用いられ,それ以降その有用性が認められて広く使われるようになりました.

5.まとめ

ビルダーと一言にいってもいろんな物質がありましたね.また,洗剤は洗濯のことだけでなく,環境への影響も考える必要があることがわかりました.


次回は洗剤に加えられる酵素についてみていきましょう.

参考文献

『洗濯と洗剤の科学』阿部幸子,放送大学教育振興会 (1998).
『洗剤と洗浄の科学』中西茂子,コロナ社 (1995).
『図解やさしくわかる界面化学入門』前野昌弘,日刊工業新聞社 (2014).
『洗剤・洗浄百科事典』皆川基, 藤井富美子, 大矢勝,朝倉書店 (2007).
『化学洗浄の理論と実際』福﨑智司,兼松秀行,伊藤日出生,米田出版 (2011).
『縮合リン酸塩類の製造』植田四郎,電気化学および工業物理化学, 30, 798-807 (1962).
『縮合リン酸とその塩』大橋茂,有機合成化学協会誌, 19, 69-75 (1961).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
”Handbook of Instustrial Chemistry and Biotechnology, 13th edition" J.A. Kent, T.V. Bommaraju and S.D. Barnicki, Springer (2017).
"Advances in Calcium Phosphate Biomaterials" B. Ben-Nissan, Springer Berlin (2014).
"Phosphate recovery from wast fish bones ash by acidic leaching method and iron phosphate production using electrocoagulation method" P. Belibagli, Z. Isik, M.A. Mazmanci, N. Dixge, Journal of Cleaner Production 373, 133499 (2022).
"Characterization of Ternary Polymetaphosphate derivatives with Conductance studies" V. K. Khandelwal, International Journal of Advanced Scientific Research and Technology 2, 615-625 (2012)
”Ask the Historian" W.B. Jensen, Oesper Collections (2012).
"A History of Chemistry" J.R. Partington (1962)
"Phosphorus and Its Compounds" J.R. van Wazer, Interscience Publishers (1958).
"How Native and Alien Metal Cations Bind ATP: Implications for Lithium as a Therapeutic Agent." T. Dudev, et al. Scientific Reports 7, 42377 (2017).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:ラテン語ではchelaと呼ばれ,キレート(chelate)の語源です.化学用語としては1920年に登場しました.

*2:EDTAに比べて安いので使われ始めましたが,安全性に疑問があったため中止されました.

*3:骨や歯の研究はかなり昔まで遡ることができますが,リン酸の発見につながる研究は17世紀ころ行われていました.この時代は骨や歯の解剖学的な研究が進んだ時代です.微生物学の父ともいわれるAntonie Philips van Leeuwenhoek (1632-1723) やハバース管にその名を残すClopton Havers (1657-1702) は骨や歯の細かい構造を深く研究しました.また,骨の物性や,化学的組成も色々と調べられました.その中でイギリスの化学者Frederick Slare (1648-1727) は1684年に,骨が硝酸と反応することを示しました.

*4:1758年,Hérissant (Jean Thomas Hérissant もしくはその息子Louis Antoine Prosper Hérissant) とスイスの解剖学者Albrecht von Haller (1708-1777) は硝酸の他に,酢酸,レモンジュースが骨をやわらかくすることも報告します.こうした現象は,なんらかの病気と関連するのではと考えられていたようです.

*5:Gahnによる発見は1769年でした.また,余談ですが1770年には血清にリン酸アンモニウムが含まれていることも報告されています.

*6:原子の数が同じでもつながりかたの違う化合物

*7:のちに,この分類は正しくないことが分かりましたが,その後の研究者の多くはこの説を信じ,多くの混乱を招くことになりました.

*8:環状につながっても同様の化学式になります.

*9:より正確には,骨格構造の三文字表記でLTAとFAUの構造を示しています.

*10:層状ケイ酸塩はアルカリ緩衝能をあわせもっているため,多機能性ビルダーとして活用されつつあります.層間にあるアルカリ金属イオンが,水中のCa2+やMg2+などと交換します.

*11:CaCO3のコロイド粒子や固体粒子汚れを水中にうまく分散させてキープする力があるので,洗濯槽でCaCO3などがこびりつくのを防ぐことができます.