化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

洗濯(6):酵素パワー

洗剤には界面活性剤などの化学物質のほか,酵素とよばれるタンパク質も加えられることがあります.

いったいどんなタンパク質なのでしょうか?


今回は酵素のしくみと洗剤に加えられるようになった歴史をみていきましょう.



洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):酸素系漂白剤
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング

1.洗剤に配合される酵素

酵素は,特定の反応を触媒するタンパク質です.触媒する反応は酵素によって全く違います.タンパク質を分解するのが得意な酵素があったり,脂質を分解する酵素があったりします.


それぞれ,おおよそ機能に応じて名前がついています.

洗剤に使われる酵素 分解するもの 切断する結合
プロテアーゼ タンパク質 ペプチド結合
リパーゼ 脂質 エステル結合
アミラーゼ デンプン β-1,4-グリコシド結合
セルラーゼ セルロース α-1,4グリコシド結合


酵素はそれぞれ非常に個性が強く,よく働く温度やpHが異なります.洗剤は大体アルカリ性ですので,アルカリ性でも働くような酵素が配合されています.


この他に,共存する界面活性剤などによって酵素活性が阻害されないこと,カルシウム依存性でないこと,酸素系漂白剤に対して安定であること,低温酵素活性を有すること,安価で安定に供給できることなどが求められます.


さて,それではどんな酵素が実際に使われるのか,少し見ていきましょう.

プロテアーゼ

プロテアーゼペプチド結合の加水分解を促進する酵素で,タンパク質よごれをターゲットとしています.

タンパク質よごれは血液,牛乳,卵白などの水溶性タンパク質や,古くなってはがれた角質に含まれる不溶性のケラチンタンパク質などがあります.


水溶性タンパク質は,普通は水洗いで簡単に取り除くことができるのですが,繊維上で放置しておくと固くなって変質し,水に溶けなくなって除去がむずかしくなります.このように変質した水溶性タンパク質や不溶性タンパク質は,プロテアーゼによって分解して小さな断片にすることで,界面活性剤の分散・可溶化作用によってかんたんに除去できるようになります.

リパーゼ

リパーゼ油脂よごれをターゲットにしています.油脂よごれには,皮脂や動物性油脂,植物性油脂,鉱物油,ワックスなどが含まれます.


このような油脂よごれを構成する代表的な成分としてトリグリセリド中性脂肪)があります.トリグリセリドは,グリセリン1分子と遊離脂肪酸3分子がエステル結合でつながった形をしています.このトリグリセリドは,油汚れの中で最も落ちにくいものです.

リパーゼはトリグリセリドのエステル結合を加水分解する反応を触媒します.これにより,トリグリセリドは,ジグリセリド,モノグリセリド,グリセリンへと段階的に加水分解されます.


加水分解によって得られる生成物(ジグリセリド,モノグリセリド,グリセリン,遊離脂肪酸)はトリグリセリドよりも親水性が高く,界面活性剤の存在下で非常に取り除きやすいよごれです.リパーゼをもちいることで油脂よごれが水に溶けやすくなり除去がかんたんになります.


さらに,分解生成物は界面活性剤と協力して油と水のあいだの界面張力を低下させるため,油脂よごれの乳化も促進します.

セルラーゼ

木綿や麻,リネンはセルロースとよばれる,グルコースと呼ばれる糖がたくさんつらなったセルロース繊維です.グルコース β-1,4-グリコシド結合を介してつながっています.

セルラーゼは,β-1,4-グリコシド結合の加水分解を触媒します.セルラーゼはよごれそのものをターゲットにしているのではなく,木綿やレーヨンなどのセルロース繊維をターゲットにしています.ちなみにレーヨンとは,紙と同じく木材パルプを原料とする化学繊維です.


繊維表面についたよごれは簡単に落ちそうですが,繊維内部によごれが侵入していると,なかなか取り除くことができません.そこでセルラーゼ繊維そのものを一部切断することで,繊維内部のよごれを解放して取り除くというわけです.


一見するとセルラーゼは繊維を切断してしまうので服に大きなダメージがありそうですが,洗剤に配合されるのはセルラーゼのなかでも特に結晶質領域にはほとんど作用しないタイプのエンドセルラーゼと呼ばれる酵素です.そのため,繊維をそこまで痛めずによごれを取り除くことができるとされています.


エンドセルラーゼとして機能する洗剤用のセルラーゼにはアルカリ細菌セルラーゼアルカリ糸状菌セルラーゼがあります.特にアルカリ糸状菌セルラーゼには,セロビオハイドロラーゼ活性やβグルコシダーゼ活性もあり,背に表面の毛羽を取り除くこともできます.

アミラーゼ

食品によるよごれの多くはデンプンです.デンプンは,一般にグルコース分子が直鎖状にα-1,4-グリコシド結合した水溶性のアミロースと,α-1,6-グリコシド結合により分枝した水不溶性のアミロペクチンで構成されています.

洗剤に配合されるアミラーゼは,糖類の結合のうち,α-1,4-グリコシド結合の加水分解を触媒するエンドアミラーゼです.アミロースを低分子量のオリゴ糖と水溶性デキストリンに分解します.


アミラーゼは1973年,ドイツでHenkel社の洗剤Mustangに使用され始めました.最近では遺伝子工学技術により改良された酵素の開発が盛んで,カルシウムキレート剤と一緒につかえるアミラーゼなども報告されています.

2.酵素利用の黎明期

酵素の洗剤への利用は,1913年ドイツのオットー・レーム (Otto Röhm, 1876-1939) が出願した,膵臓から分泌される消化酵素の混合物であるパンクレアチンを洗剤に応用する特許にはじまります.


Röhmは薬剤師の弟子として訓練を受けた後ミュンヘン大学,チュービンゲン大学で化学を学びました.1904年にはStuttgard Municipal Gas Worksで分析化学者として働き始めますが,自分は化学の力でもっと高みを目指せるはずだと考えていたようです.

ちょうど会社の近くになめし革工場があったのですが,そこで行われていたのはかなり古い方法でした.皮を消石灰の溶液につけて毛を溶かしたあと,発酵した犬のフンの溶液にひたして皮を柔らかくするという手順です.そのため工場付近は非常に臭く,会社までにおってきたようです.


あるとき,Röhmはそのにおいが自分のガス会社で発生する廃水のにおいと似ていることに気づきました.


廃水に含まれている成分はわかっていましたので,Röhmは犬のフン溶液にかわる液体の開発にのりだしました.こうして1906年には開発した液体を友人であるHaasとともにOrohという名で売り出そうとしました.


開発段階ではOrohはうまくいっていたのですが,試してみると時々うまくいかなくなることがわかりました.これでは売り物になりません.なんでだろうと考えていたところ,チュービンゲン大学でエドゥアルト・ブフナー (Eduard Buchner, 1860-1917)*1から学んだことを思いだしました.先生は,酵素を研究していました.

Eduard Buchner (1860-1917)

そこで,犬のフン溶液はもしかしたら酵素の力を使って皮を柔らかくしているのかもしれないという考えに至りました.


犬のフンから酵素をとってくるのは採算に合わなそうでしたので,別の酵素をいろいろ検討しはじめました.その結果,動物の膵臓から取ってきた酵素が皮を柔らかくすることを発見します.1907年,これをOroponと名づけ,売り出しました.


Oroponの成功のあとも,Rohmは研究をつづけ,酵素と炭酸ナトリウムを組み合わせた酵素入り洗剤Burnusを販売しはじめました.


この洗剤は,粉を水に溶かし,ここに洗濯前の衣服をひたしてから洗濯する,という使い方を想定していました.しかしながら洗剤はpH 12-14と非常に強いアルカリ性であり,さらに用いたパンクレアチンアルカリ性酵素活性が著しく低下するため期待通りの効果はでなかったようです.

3.洗剤用酵素の開発

1934年,スイスのGebrueder Schnyder社で働いていたE. JaagはRöhmの酵素をつかった洗浄というアイデアに着目し,研究をはじめました.


1959年にはSwiss Ferment Company社*2と共同してバクテリア由来の中性プロテアーゼをつかった酵素入り洗剤Bio 40を開発しました.


一方デンマークのNovo Industri社は,1958年から魚や肉加工業者の血や粘液で汚れた服の洗濯について研究を行っていました.これはなかなか厄介な汚れです.研究開始から3年後,Bacillus licheniformis由来のアルカリに強いプロテアーゼAlcalaseを洗濯に実用化しました.


そのままだと洗濯に使うのは煩雑だったのであまり売れませんでしたが,アルカリ性でも使えるというのは大きな強みです.そこでNovo Industli社はスイスのGebrüder Schnyder社にコンタクトをとり,Bio 40にAlcalaseを配合する契約を結びました.


しかしながらこれは地元の石鹸業社からの抵抗があり頓挫してしまいました.結局オランダのKortman & Schulte社と契約を結び,1963年にAlcalaseが配合された洗剤Biotexを販売しました.

Biotex Door Onbekend, G. De Clippel - Meise Agence Bellux - Regionaal Archief Nijmegen / Collectie Zeepfabriek Dobbelman 1807-1998. Documentnummer DM11065, CC BY-SA 1.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=75432169

オランダでは洗剤市場の約20%をBiotexが占めるまでになりました.


その後酵素入り洗剤は瞬く間に普及し,ドイツでは1969年までに8割の洗剤に酵素が配合されるようになりました.1971年,酵素の粒状化技術が確立されたことにより,酵素配合洗剤が定着しました.


ちなみに,このころデンプン汚れを落とすアミラーゼがドイツでHenkel社の洗剤Mustang(1973年)に使用され始めました.


1970年代後半になると,環境問題によってリン酸塩ビルダーから代替ビルダーへの変換が進み,ヨーロッパでは低温洗浄(40-60℃)へとシフトしていきました.
【参考】洗濯(5):イオンの封鎖

これに伴い,低温でも活性をもつアルカリプロテアーゼが開発されました.


日本でも洗剤の開発が進み,1979年,日本で初めてアルカリプロテアーゼを配合した洗剤が発売されました.ライオンの洗剤,酵素パワーのトップ」です.
youtu.be


1987年にはセルロースを分解するアルカリセルラーゼ*3花王の洗剤アタックに配合されました.
youtu.be


1988年には脂質を分解するアルカリリパーゼ*4を配合した洗剤がライオンからHiトップとして販売されました*5
youtu.be


こうした一連の酵素の開発のおかげもあり,洗濯用洗剤のコンパクト化を達成することができました.


1990年以降は耐アルカリ性,耐熱性,耐漂白剤にすぐれた第二世代洗剤用酵素が開発されるとともに,洗浄液中での色移りを防ぎ漂白効果をもつ酸化還元酵素なども開発されました.

4.まとめ

洗剤に使われる酵素には,いろんな種類がありましたね.よごれの種類がいろいろあるので,いろんな酵素が必要なのも納得です.


ちなみに酵素反応にはたいてい時間がかかります.そのため,酵素の効果を活かすには,あらかじめ浸しておく予浸が有効です.40度のぬるま湯に洗剤をとかし,この中に1時間くらい予浸したのち洗濯機で洗うと,襟や袖口のひどい汚れも結構おちるようです.


次回は塩素漂白について解説します.


参考文献

『洗濯と洗剤の科学』阿部幸子,放送大学教育振興会 (1998).
『洗剤と洗浄の科学』中西茂子,コロナ社 (1995).
『図解やさしくわかる界面化学入門』前野昌弘,日刊工業新聞社 (2014).
『洗剤・洗浄百科事典』皆川基, 藤井富美子, 大矢勝,朝倉書店 (2007).
『化学洗浄の理論と実際』福﨑智司,兼松秀行,伊藤日出生,米田出版 (2011).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
”Handbook of Instustrial Chemistry and Biotechnology, 13th edition" J.A. Kent, T.V. Bommaraju and S.D. Barnicki, Springer (2017).
"Resources and Applications of Biotechnology" R. Greenshields, Springer (1989).
"Rohm and Haas: History of a Chemical Company" H. Sheldon, Philadelphia (1986).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:1907年にノーベル賞を受賞しています.

*2:1945年,プロテアーゼTrypsin胆汁を使った洗剤Bio 38を開発した会社です.

*3:セルラーゼは1986年にNovo社がCelluzymeとして開発したものがあります.

*4:リパーゼは同年にNovo社がLipolaseとして開発しています.

*5:記事に載せたのは1989年のCMですが,1988年のCMはこちらにアップロードされていました.https://archive.org/details/JPCM_51_1988