化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

洗濯(8):酸素系漂白剤

最近よく使われる漂白剤に,酸素系漂白剤があります.

By ajay_suresh - OxiClean, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=98916123

いったい酸素系漂白剤とは何者でしょうか?


今回は過酸化水素をはじめとした酸素系漂白剤の正体と歴史についてみていきましょう.



洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):過酸化水素
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング

1.酸素系漂白剤

漂白剤には塩素系の他に酸素系もあります.


酸素系漂白剤には,過炭酸ナトリウム2Na2CO3・3H2O2を主成分とする粉末漂白剤や,過酸化水素水H2O2を主成分とする液体漂白剤があります.1980年代からは過炭酸ナトリウムなどの粉末型の酸素系漂白剤が,1990年代からは過酸化水素をベースとした液体の酸素系漂白剤が市場に出回り始めました.


過炭酸ナトリウムは毛,絹以外であれば色んな服に使用することができます.色柄物もきれいに洗えるため昭和40年代後半に普及しはじめました.過炭酸ナトリウムは水に溶けると炭酸ナトリウム過酸化水素にわかれます.
 \mathrm{2Na_2CO_3 \cdot 3H_2O_2 \longrightarrow 2Na_2CO_3 + 3H_2O_2 }


このうち,過酸化水素が漂白作用を示します過酸化水素による漂白作用のメカニズムについては諸説ありますが,60℃以上,かつpHが11付近でもっともよく働くということはわかっています.炭酸ナトリウムは,pHをアルカリ性に保ち過酸化水素の漂白作用を手伝っています.
 \mathrm{H_2O_2 + 2\textit{e}^{-} \longrightarrow 2OH^{-}}


過炭酸ナトリウムは銅Cuなどの金属があるとその触媒作用によって分解が促進されてしまいます.そのため,金属製のボタンやファスナー,金属を含む染料で染色された衣服などに使用すると,金属の触媒作用により過酸化水素異常分解が生じ,色柄の退色や繊維へのダメージを引き起こしてしまいます.こうした現象を防ぐには,金属をキレートによって隔離することが有効です.
【参考】洗濯(5):イオンの封鎖


日本では洗濯温度が低いため,そのままでは過酸化水素に十分に働いてもらえません.そのため,漂白活性化剤が加えられることがあります.


代表的なものはTAED(テトラアセチルエチレンジアミンNOBSです.

TAEDと過酸化水素が反応すると,過酢酸が生じます.

過酢酸は過酸化水素より低温でも働くので,幅広い温度帯で漂白効果を期待することができます.NOBSも大体おなじです.


TAEDは1977年にヨーロッパで使われ始め,さまざまな洗剤に添加されてきました.一方でアメリカやアジアではその後NOBSが使われるようになりました.こういった漂白活性剤は過酸化水素の漂白力を助けるだけでなく,殺菌効果も期待できるようです.


また,過酸化水素による漂白効果をまんべんなく行き渡らせるため,過酸化脂肪酸が開発されました.過酸化脂肪酸は,界面活性剤の親水基に過酸化水素と同様の効果をもたせています.これにより,通常の界面活性剤と同様によごれの部分に疎水基がくっつき,そこで親水基の漂白効果を効率的に行き渡らせることができるようになりました.


ちなみに,ヨーロッパでは過ホウ酸ナトリウムNaBO3・4H2Oも使われます.

50-60℃でよく働くため洗浄温度の高い欧米では問題ありませんでしたが,洗浄温度の低い日本では普及しませんでした.

2.過酸化水素の発見

1807年,イギリスの化学者ハンフリー・デービー (Humphry Davy, 1778-1829)は,後にアルカリ金属アルカリ土類金属の単離につながる電気分解に関する研究を行い,ナポレオン・ボナパルト (Napoléon Bonaparte, 1769-1821) から賞を受賞しました.

Napoléon Bonaparte (1769-1821)

ナポレオンはフランスの化学者から選出したかったようですがふさわしい人がいませんでした.そのため,当時交戦国だったイギリスの化学者から選ばざるを得なかったことに不満だったようです


フランスにはデービーが使っていたようなボルタ電池が無かったので,ナポレオンはÊcole Polytechniqueにその導入を指示し,ゲイ=リュサック (Joseph Louis Gay-Lussac, 1778-1850) とルイ・テナール (Louis Jacques Thénard, 1777-1857) にそのプロジェクトを任せました.

Louis Jacques Thénard (1777-1857)

結局導入されたボルタ電池はあまり役に立ちませんでしたが,彼らはアルカリ金属アルカリ土類金属を熱心に研究し,理解を深めていきました.


あるとき,テナールはアルカリ土類金属のひとつであるバリウムについて,その過酸化物BaO2を調べていました.BaO2は酸化バリウムにさらに酸素を反応させて作られます.
 \mathrm{2BaO + O_2 \longrightarrow 2BaO_2}


テナールはBaO2酸素*1が多く含まれているに違いないと考え,酸素を取り出すために硝酸に入れてみました.酸素ガスが出てくるかなと思っていたのですが,予想に反して何も出てきません.
 \mathrm { BaO_2 + 2HNO_3 \longrightarrow Ba(NO_3)_2 + H_2O_2}

一晩たって実験室に戻ってみたらプクプクと酸素の泡が出ているのがみえました.それは,今の知識に照らし合わせば過酸化水素の分解を示すものでした.
 \mathrm{2H_2O_2 \longrightarrow 2H_2O + O_2}


彼は最初,自分が合成したものが何かわかっていなかったようです.過去の文献を色々読んで,ついに新しい物質だと確信を得てパリ科学アカデミーに報告しました.


のちに,彼は塩酸や硫酸によっても得られることを示しました.
 \mathrm { BaO_2 + 2HCl \longrightarrow BaCl_2 + H_2O_2}
 \mathrm{BaO_2 +H_2SO_4 \longrightarrow BaSO_4 + H_2O_2 }

塩酸がもっとも効率が良かったようで,塩酸を使った過酸化水素合成ルートを確立しました.


彼の確立した過酸化水素の合成方法を見てみましょう.まず,硝酸バリウムBa(NO3)2を熱して分解し,得られた酸化バリウムBaOをさらに熱することで過酸化バリウムBaO2を生成します.
 \mathrm{2Ba(NO_3)_2 \longrightarrow 2BaO + 4NO_2 + O_2}
 \mathrm{2BaO + O_2 \longrightarrow 2BaO_2}

次に,過酸化バリウムを塩酸と反応させたのち,硫酸と反応させて硫酸バリウムBaSO4を沈澱させて溶液からろ過により分離させます.
 \mathrm { BaO_2 + 2HCl \longrightarrow BaCl_2 + H_2O_2}
 \mathrm { BaCl_2 + H_2SO_4 \longrightarrow BaSO_4 + H_2O_2}

残った溶液には過酸化水素のほか,未反応のHClやH2SO4や,FeやMnといった金属が溶けています.


そこで過酸化水素を精製するため,まず溶液を冷やして金属を沈殿させて取り除きます*2.次に硫酸銀Ag2SO4と反応させてHClを取り除きます.
 \mathrm { 2HCl + Ag_2SO_4 \longrightarrow 2AgCl + H_2SO_4}

最後に酸化バリウムBaOを加えてH2SO4を取り除きます.
 \mathrm { H_2SO_4 + BaO \longrightarrow BaSO_4 + H_2O}

これでほぼ純粋な過酸化水素が得られました.濃い溶液が必要な場合は,ここから水を蒸発させて濃縮していました.


彼は精製した過酸化水素を用いて,130を超える物質との反応性を調べました.今日よく知られる,血液二酸化マンガンMnO2過酸化水素の分解を促進することも発見しました.
 \mathrm{2H_2O_2 \longrightarrow 2H_2O + O_2}

また,皮膚を漂白することにも気づきました.過酸化水素に関する基本的な性質は,ほぼ全てテナールによって明らかにされたと言っても良いでしょう

3.過酸化水素の製造

テナールが提案していた方法では,過酸化バリウムを塩酸と反応させたのち,硫酸と反応させて硫酸バリウムを沈澱させて過酸化水素と分離させていました.この工程には2段階必要です.
 \mathrm { BaO_2 + 2HCl \longrightarrow BaCl_2 + H_2O_2}
 \mathrm { BaCl_2 + H_2SO_4 \longrightarrow BaSO_4 + H_2O_2}


1832年,テオフィル=ジュール・ペルーズ(Theophile-Jules Pelouze, 1807-1867) はヘキサフルオロケイ酸を用いることで,1段階バリウム塩を沈澱させる方法を考案します.この方法の方が,多少実験操作が下手でも安定して過酸化水素を得ることができたようです.
 \mathrm { BaO_2 + 2H_2SiF_6 \longrightarrow BaSiF_6 + H_2O_2}


こうした化学反応により,1870-1880年から過酸化水素の工業的生産がはじまりました.しかしながら,得られる過酸化水素純度がいまいちで価格は高く,利用は限定的でした.また,得られる過酸化水素は6-8%とかなり薄かったようです.


1853年,Heinrich Meidinger (1831-1905)硫酸の電気分解をしていたところ過酸化水素が生じることに気づきました.1878年には,ペルオキソ二硫酸H2S2O8を経由して過酸化水素が生じることがBerthelotによって明らかになりました.
 \mathrm { 2H_2SO_4 \longrightarrow H_2S_2O_8 + H_2}
 \mathrm { H_2S_2O_8 + H_2O \longrightarrow H_2SO_5+ H_2SO_4}
 \mathrm { H_2SO_5 + H_2O \longrightarrow H_2SO_4+ H_2O_2}


1905年,G.Teichnerはこの電気分解による過酸化水素製造法を確立し,1908年に初の工場がオーストリアのWeissensteinで稼働しはじめます.このことから,Weissenstein法とも呼ばれます.

Weissenstein By Michielverbeek - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=83265480


その後,別の方法も開発されます.1910年にはドイツのミュンヘン硫酸水素アンモニウムNH4HSO4を用いる製造方法が採用されます.A. PietzschとG. Adolphが開発したのでPietzsch-Adolph法,またはミュンヘンで開発されたのでMünchner法と呼ばれます.この方法は第二次世界大戦にかけてドイツ中に広まりました.


その方法を見てみましょう.まず,硫酸水素アンモニウムNH4HSO4電気分解します.
 \mathrm{ 2NH_4HSO_4 \longrightarrow (NH_4)_2S_2O_8 + H_2}

次に硫酸水素カリウムKHSO4を加えてカリウム塩を沈澱させます.
 \mathrm{  (NH_4)_2S_2O_8 +2KHSO_4 \longrightarrow K_2S_2O_8 + 2NH_4HSO_4}

カリウム塩に硫酸を加えて蒸留し,過酸化水素を得ます.
 \mathrm{K_2S_2O_8+ 2H_2O \longrightarrow 2KHSO_4 + H_2O_2 }

Weissenstein法よりもこちらの方法の方が効率がよく,純度も高いものが得られたようです.


1924年にはカリウム塩を経由しない方法も開発されます.こちらはL. Loewensteinが開発し,Riedel-de-Haenが使用したのでRiedel-Loewenstein法とも呼ばれます.
 \mathrm{(NH_4)_2S_2O_8+ 2H_2O \longrightarrow 2NH_4HSO_4 + H_2O_2 }


このような電気分解による製法は,過酸化バリウムを用いる方法よりも純度が高く,濃度も約35%と高濃度を達成することができました.電気分解による過酸化水素の製造はドイツ,オーストリアからはじまり,第二次世界大戦ころには日本を含め世界中に広まりました.戦争中はロケットの推進力など,軍事目的にも使われました.


電気分解法の登場により過酸化水素の価格を低下させることができ,1920年ころから過酸化水素繊維を漂白するのに使われるようになりました.特にタンパク質繊維は塩素漂白が使いづらかったので,漂白処理*3には過酸化水素が積極的に使用されるようになりました.


一方でセルロース繊維の漂白処理は,1930年代まではさらし粉や次亜塩素酸ナトリウムが一般的でした.理由としては,まだこの頃は過酸化水素の価格が高く,保存方法があまりよく知られていなかったことが挙げられます


1950年代になると価格がやや高いくらい(次亜塩素酸処理が1.5-2.5ドル前後だとすると過酸化水素処理が2.5-3.5ドル前後)になります.まだ価格は高いですが,過酸化水素の方が繊維を痛めにくく色んな繊維に使える,分解物はただの水と酸素で安全,色素が退色しにくい,などの特徴が知られるようになりセルロース繊維の漂白処理にもよく使われるようになりました.

4.有機化合物からつくる?

さて,過酸化水素は,なんと有機化合物からもつくることができます.1910年,W. Manchotヒドロキノンを酸素と反応させると過酸化水素が生じることを発見しました.

この反応に着想を得て,1932年にはWisconsin大学のWaltonとFilsonがアゾベンゼンを用いて過酸化水素を合成する方法を提案します.ドイツBASF社のG. Pfleidererはこれをもとに過酸化ナトリウムを合成する方法を開発し,フィンランドで工業生産がスタートしました.
 \mathrm{ R \mbox{–} NH \mbox{–} NH \mbox{–} R + O_2 \longrightarrow R \mbox{–} N \mbox{=} N \mbox{–} R + H_2O_2 }


Pfleidererが開発した方法は,ナトリウムと水銀の合金を使うのが欠点でした.そこでPfleidererとH.J. Riedlは第二次世界大戦中,アゾベンゼンではなくアントラキノンを使う方法を考案します.

しかしながら,ドイツは大戦に負けてしまったのでBASF社での開発研究はここでストップしてしまいます.

ニュルンベルク裁判

研究はアメリDu Pont社に引き継がれ,1953年,アメリカのテネシー州でアントラキノンによる過酸化水素製造がはじまりました.


こうした有機化合物による合成法は,大量の電力を必要とする電気分解よりもコストを抑えられるという特徴がありました.今ではこちらの方が主流です.

5.過ホウ酸ナトリウムと過炭酸ナトリウム

過酸化水素は酸性では比較的安定ですが,アルカリ性だと分解が進みます.
 \mathrm{2H_2O_2 \longrightarrow 2H_2O + O_2}


洗濯用洗剤は大体アルカリ性ですので,過酸化水素を洗剤に混ぜてしまうと使う前に分解してしまいます*4.そのため,過酸化水素と似た機能をもつ別の化合物が使われるようになりました.


もっとも早く使われたのは過ホウ酸ナトリウムNaBO3・4H2Oです.過ホウ酸ナトリウムは1898年,ロシアのSebastian Moiseevich Tanatar (1849-1917)によって合成されました.


過ホウ酸ナトリウムは1907年からPersilという洗剤に使われました.Persilは,過ホウ酸ナトリウム (sodium perborate) とケイ酸ナトリウム (sodium sillicate) が配合されていることから名付けられました.


長らく過ホウ酸ナトリウムNaBO3・4H2Oの構造は謎でしたが,1961年,スウェーデンのA. Hanssonによって明らかにされました.正確には,Na2[BO2(OH)2]2・6H2Oの形で存在しています.


過ホウ酸ナトリウムはホウ砂Na2B4O7から以下の反応で合成されています.
 \mathrm{Na_2B_4O_7 + 2NaOH + 7H_2O \longrightarrow 4NaB(OH)_4}
 \mathrm{2NaB(OH)_4 + 2H_2O_2 + 2H_2O \longrightarrow Na_2 [ BO_2(OH)_2]_2\cdot 6H_2O }

Marco Polo (1254?-1324)

ホウ砂そのものはペルシャやアラブなどで古くから知られ,紀元前300年頃の中国でも釉薬に使われていたようです.ヨーロッパへは,13世紀にマルコ・ポーロ(Marco Polo, 1254?-1324) によってモンゴルからもたらされました.1772年にはイタリアのトスカーナ地方でも産出することがわかりました.


ヨーロッパではこのように過ホウ酸ナトリウムが使われてきましたが,アメリカでは1980年代に溶けやすいタイプが登場してから使われ始めました.日本では洗濯温度が低いため,普及していません.


一方で過炭酸ナトリウムは1899年,こちらもTanatarによって合成されました.もっとも,このときはどのような化合物か実体はわからなかったようです.正確な構造は,1909年,RiesenfeldとReinoldによって明らかになりました.過ホウ酸ナトリウムのように特殊な化合物かと思いきや,単純に炭酸ナトリウムと過酸化水素の分子からなる物質でした.

Persilの広告 By Bundesarchiv, Bild 183-09625-0002 / Funck, Heinz / CC-BY-SA 3.0, CC BY-SA 3.0 de, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5420616

一方で過炭酸ナトリウムが洗剤に使われ始めたのは1970年代です.Dixanや,Persilといった洗剤に使用されました.過炭酸ナトリウムはそのままでは長期間保存が難しく,適切にコーティングする技術の開発が必要でした.


ヨーロッパでは徐々にホウ酸の安全性を疑問視する声があがるようになり,1990年代から過炭酸ナトリウムへとシフトしていきました.

6.まとめ

最近よくみる酸素系漂白剤ですが,その裏にはこんなしくみと歴史が潜んでいたんですね.特に過酸化水素は,その発見から製造まで,ちらちらと戦争の影が見え隠れする印象があります.


漂白剤としては他に,還元剤を用いるものがあります.代表的なものは亜ジチオン酸ナトリウム(ハイドロサルファイト)Na2S2O4*5や二酸化チオ尿素*6です.クセのある漂白剤ですので,使用の際は十分気をつけてください.


次は白く「する」のではなく,白く「見せる」増白についてみてみましょう.

参考文献

『洗濯と洗剤の科学』阿部幸子,放送大学教育振興会 (1998).
『洗剤と洗浄の科学』中西茂子,コロナ社 (1995).
『図解やさしくわかる界面化学入門』前野昌弘,日刊工業新聞社 (2014).
『洗剤・洗浄百科事典』皆川基, 藤井富美子, 大矢勝,朝倉書店 (2007).
『化学洗浄の理論と実際』福﨑智司,兼松秀行,伊藤日出生,米田出版 (2011).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
”Handbook of Instustrial Chemistry and Biotechnology, 13th edition" J.A. Kent, T.V. Bommaraju and S.D. Barnicki, Springer (2017).
"Hydrogen Peroxide Metabolism in Health and Disease" M. C. M. Vissers, A. J. Kettle, and M. B. Hampton, CRC Press (2018).
"Hydrogen peroxide" W.C. Schumb, C.N. Satterfield, R.L. Wentworth, Reinhold (1955)
"Handbook of Inorganic Chemicals" P.Patnaik, McGraw-Hill (2003).
"On the Crystal Structure of Hydrated Sodium Peroxoborate" A. Hansson, Acta. Chem. Scand., 15, 934-935 (1961).
"Oxygen Bleaching Systems in Domestic Laundry" N.J. Milne, Journal of Surfactants and Detergents, 1, 253-261 (1998)


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:当時,酸素は化学者たちの興味の中心,流行りでした.

*2:リン酸を加えるのも有効だったようです.

*3:衣服にする前に繊維を漂白する工程です.

*4:1990年代になってようやく,界面活性剤やハイドロトロープを適切に選ぶことでアルカリ性の洗剤の中でも安定に溶かすことができる手法が開発されました.

*5:強力な還元剤で色柄物には使えませんが,絹,毛,ナイロン,アセテートなどすべての白物の漂白に使用可能です.さらに特徴的なのは,鉄分や樹脂加工服の塩素漂白による黄変を回復するのにも有効な点です.

*6:二酸化チオ尿素は水中で熱を加えることで漂白効果のあるスルフィン酸に変換されます.そのため,使用前に70-80℃のお湯でよく溶解することが必要です.