化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

炎(8):ロウソクの発展

現在のような固く,臭いのしないロウソクが安価に作られるようになるためには,様々な技術的革新が必要でした.

理想のロウソクの製造には,そもそもロウソクに使ってきた油脂とは何者なのか,明らかにされる必要がありました.


今回は化学と密接に結びついたロウソクの発展についてみていきましょう.



炎(1):アルカリ金属
炎(2):アルカリ土類金属,銅
炎(3):炎の温度の計算?
炎(4):ガスバーナーの炎の色
炎(5):ロウソクの炎の色
炎(6):Mgの白色光?
炎(7):ロウソクのはじまり
炎(8):近代的なロウソク
炎(9):天然ガスの発見
炎(10):石炭ガス
炎(11):ガス灯の普及
炎(12):石炭から天然ガスへ
炎(13):ブンゼンバーナー
炎(14):アセチレンの登場
炎(15):アセチレン炎の利用

1.ステアリンロウソク

19世紀になると,ロウソクの製造法や芯,原料に改良が加えられました.


ロウソクはもともと,溶かしたロウに芯をひたしてつくるのが一般的でした.

ロウソク作りの様子 By Blists Hill Victorian Town - candle making by Chris Allen, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=115333070

実は15世紀には金属製のにとかしこんで作る方法がフランスのSieur de Brezによって開発されていたのですが,型がすぐ冷えてしまったり,固まったロウが型にくっついて取りづらいなどの問題がありました.


Brezの方法は16世紀はじめごろアイルランドにもたらされました.そして1801年,イギリスのThomas Binnsは型の温度をお湯や水でコントロールする仕組みを追加し,型によるロウソクの製造方法を確立しました.これにより,効率的にロウソクを製造することができるようになりました.

ロウソク製造用の型 (1800-1830年頃)

1834年にはイギリスのJoseph Morganが型でつくるタイプのロウソク製造機を開発しました.1時間に1000-1500本もロウソクをつくることができたようです.

ロウソク製造機 (1900年頃)


の方でも技術革新がありました.


当時,芯は綿糸をより合わせてつくっていました.そうすると芯は燃焼中に炭化した物質が芯に蓄積してしまうため,光の強度が落ちたり煙が出たりしました.そのため,何度も芯の先端を切り取る必要がありました.

ろうそくの芯切りばさみ By Pierre Moberg. Tillverkare okänd - Pierre Moberg, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=8794542

そこでフランス人技師キャンバセレ(Jules Cambacérès)は1820年,綿糸をより合わせるのではなく,編んでつくる方法を考案しました.こうしてつくった芯は燃焼中にほどけ,先端から効率的に燃えていきました.


そうすることで芯の先端を切り取る必要がなくなったのです.これは小さな改良に思えますが,実用上はかなり重要な進歩でした.キャンバセレは編んでつくる芯の製造方法の特許を1825年に取得しました*1


原料の改良には化学の力が必要でした.


18世紀まではロウソク製造にミツロウや獣脂が使われていました.安いのは獣脂でしたが,品質は安定せず,融点もまちまちで,時々液状の油が混ざったりもしていました.そのため,安定した品質の原料が求められていました.


1811-23年,シュヴルール (Michel-Eugène Chevreul, 1786-1889) による一連の研究によって油脂の化学的成分も明らかになりました.

Michel-Eugène Chevreul (1786-1889)

それまで,油脂はシンプルな有機化合物だと思われていましたが,実際には脂肪酸グリセリンからなる複雑な物質でした.

彼の発見によって,ロウソクの原料を安定に人工的に合成することができるようになりました.


シュヴルールは1786年にフランスのアンジェで医師の息子として生まれました.彼が育ったのはちょうどフランス革命の動乱の最中ということになります.


恐怖政治の時期 (1793-1794年) には家のすぐ近くにギロチン台が置かれ,西方で起きたヴァンデの反乱 (1793-1796年) はシュヴルールの住むアンジェまで巻き込みました.しかし両親はこうしたことから距離を取るタイプだったので,シュヴルール自身は特に悩まされることなく幼少期を過ごしました.


シュヴルールは比較的早い段階で化学に興味を持ち,やがてパリのヴォークラン(Louis-Nicolas Vauquelin, 1763-1829)の研究室に入ります.彼はそこで,クロムCrの発見 (1797年) にも携わりました.

Louis-Nicolas Vauquelin (1763-1829)

ヴォークランの研究室は無機化合物が研究対象の中心でしたが,有機化合物にも少し手を広げ始めていました.そこでヴォークランはシュヴルールに油脂を調べるように言います.


1811年,シュヴルールはカリウム石鹸を調べているときに生じた結晶に興味をもち,のめりこんでいきます.彼が注目したのはけん化と呼ばれる反応です.


当時は酸素が必要な反応だと思われていました.しかし,彼はこの反応が真空中でも進行することを発見します.そして得られた物質の重量を測定するなどしてたどり着いたのが,これは油脂の分解反応であるという結論でした*2


彼はこうして,油脂をアルカリでけん化し,続いて酸を加えることで脂肪酸を得る方法を確立しました.
 \mathrm{R \textrm{-}COONa +H^{+} \longrightarrow R \textrm{-}COOH + Na^{+} }

この方法により,いろんな油脂から脂肪酸を合成することができるようになりました.


油脂によって含まれる脂肪酸の組成が異なります.そのため,シュヴルールは出発物質となる油脂を変えることでいろんな脂肪酸を発見しました.

例えば獣脂 (ギリシャ語でstéar) からはステアリン酸 (acide stéarique)*3バター (ラテン語でbutyrum) からはブチル酸 (acide butyrique), ヤギ (ラテン語でcaper) からはカプロン酸 (acide caproïque) が得られました.このように,今でも彼のつけた名前が使われています.


彼が一番最初に興味をもった結晶は真珠 (ギリシャ語でmárgaron) みたいな光沢があったので,そこから得られた脂肪酸マルガリン酸と名付けました.しかし実際には,このとき彼が得たのは新しい脂肪酸ではなく,ステアリン酸とパルミチン酸の混合物でした*4


ちなみに食品のマーガリは帝国農場で働いていたフランスの化学者Hippolyte Mège-Mouriès (1817-1880) が1869年に開発しました.牛乳から脂肪を抽出して処理することで製造したマーガリンは,バターよりも安く,長期保存可能で,都市人口の増加で価格が高騰していたバターの代替品になりうるということからナポレオン3世(Napoléon III, 1808-1873) から賞を受賞しました.


さて,シュヴルールはこうした脂肪酸を精製するため,何回も熱したアルコールに溶かしては析出させる再結晶を繰り返しました.


そして得られた物質に不純物が含まれていないことを確認するため,融点を調べるという方法をとりました.有機化合物は大抵,不純物が含まれると融点が下がります.今では不純物が含まれるかどうかを融点測定で調べるのは当たり前ですが,当時は画期的でした.


こうして得られた脂肪酸である"ステアリン酸"は室温では硬く ,また白く透明でした.

ステアリン酸の結晶

さらに,ここからロウソクをつくると,曲がりやすくなる温度が融点に比べて低すぎないため,硬く明るいロウソクがつくれることが明らかになりました.


1824-25年にはシュヴルールはゲイ=リュサック (Joseph Louis Gay-Lussac, 1778-1859)*5とともにフランスとイギリスで共同特許を取得しました.2人は脂肪酸を用いたロウソクをなんとか工業化しようとするのですが,製造工程が煩雑であったり,芯がうまく燃えなかったりと苦戦しました.


アルカリとして使用した水酸化ナトリウムNaOH高価だったこともあり,2人は結局約4万フラン費やした後,権利を放棄してしまいました.


脂肪酸を用いたロウソク製造に成功したのは,パリの医師Adolphe de MillyとMotardです.1829年,彼らはここまでに出てきた技術を組み合わせて安価にロウソクを合成する方法を確立しました.


彼らは原料としてはシュヴルールの"ステアリン酸"を選択し,アルカリには高いNaOHではなく安い石灰水を用いました.芯の製造方法はキャンバセレの特許を購入して改良し,ロウソク製造法には型に流し込む方法を取り入れました.


こうして1831年に,de Millyらはles bougies de l'Étoile社を設立し,ステアリンロウソクを製造しはじめました.1835年には,年間25トンも製造していたようです.こうして彼らのつくるロウソクはフランスで1番人気になりました.


ちなみにこのとき,ロウソク製造工程の改良を手伝っていたのが化学者Théophile Pelouze (1807-1867)でした.

Théophile Pelouze (1807-1867)

当時,脂肪酸製造時に一緒に生じるグリセリンは当時は利用価値がなかったため廃棄され,セーヌ川を汚していました.Pelouzeの研究室で働いていたアスカニオ・ソブレロ (Ascanio Sobrero, 1812-1888)グリセリンの用途をあれこれ試しているうちにニトログリセリンを合成しました.

Alfred Bernhard Nobel (1833-1896)

これは,彼の後輩のアルフレッド・ノーベル (Alfred Bernhard Nobel, 1833-1896)ダイナマイトの発明につながりました.

Ætna Explosives Companyの広告

さて,こうしてアルカリを用いた油脂の加水分解反応が確立し,脂肪酸を合成することができるようになりました.しかしながらこの方法ではもともと不純物を取り除いて純粋な脂肪酸を取り出すのはなかなか大変で,現実的には暗い色のロウソクしか作れませんでした.


1842-1843年,William C. JonesとGeorge F. Wilson (E. Price & Co.) は油脂をアルカリではなく,少量の硫酸加水分解する方法を開発しました*6

さらに彼らは,水蒸気を上手につかうことで生じた脂肪酸を分解させずに蒸留精製できることも示しました*7


こうしたJonesとWilsonの製法により,骨や皮,魚,パーム油などどんな油脂からでも無色透明ステアリン酸をはじめとした脂肪酸を大量製造することが可能になりました.結果として,鯨ロウのような高級品を使わずともどんな原料からでも明るい色のロウソクをどんどん製造することができるようになりました.


これで万事OKかと思われましたが,問題がありました.原料の油脂は,食料としても重要だったことです.ロウソクの作りすぎで食料が少なくなったら大変ですね.ロウソクを大量に製造し続けるには,全く異なる原料が必要でした.

2.パラフィンロウソク

パラフィンは主に石油から作られる炭化水素分子CnH2n+2の混合物で,融点は38-60℃くらいです.そのままでは燃えにくいのですが,ロウソクのかたちにすると,熱分解して可燃性のガスが発生し燃えやすくなるという特徴があります.

パラフィン

ロウソクの明るさには,炭素Cがどれだけ含まれているかが重要ですステアリン酸に比べてパラフィンは含まれている炭素の比率が高いので,明るいロウソクをつくることができます.


パラフィンロウソクの製造に大きく貢献したのが,スコットランド人のヤング (James Young, 1811-1883)です.

James Young (1811-1883)

1811年,Glasgowで建具職人の息子として生まれたヤングは大学で化学を学び,21歳でGrahamの助手に,5年後にはUniversity College Londonに職を得ました.1839年にはLiverpool近郊の化学メーカーのマネージャーになり,化学の応用に重点を移しました.


このころ,化学業界を賑わせていたのが,1830年,ドイツのKarl Ludwig Freiherr von Reichenbach (1788-1869) *8エディンバラのChristisonが木タールを蒸留して得た透明な物質,パラフィンでした.1835年にはフランスのDumasがコールタールから得ることに成功したというニュースがあったこともあり,皆の興味をひいていたのです.


ヤングもこの謎の物質パラフィンに大変興味をひかれました.Derbyshireの炭鉱でパラフィンの原料となりうる黒い油状の液体(石油)を発見したというPlayfair博士に手伝ってもらい,早速製油所を建設しました.こうして軽油重油,そしてパラフィンを製造することができるようになりました.しかし2年経つころには原料である石油が枯渇してしまいました.


また石油をさがしてもよかったのですが,ヤングは似たような液体を別の原料から得ることはできないだろうか?と考えるようになりました.そしてついに,石炭からパラフィンなどを製造する方法を開発することに成功しました.

Boghead coal

ちょうどたまたま,ガス会社のHugh Bartholomewが彼のためにTorbane Hillから"Boghead coal" (coalは石炭の意味) を持ってきてあげるよといわれたので,これを使って製造することにしました.


ヤングは"Boghead coal"1トンから120ガロンの原油を得ることに成功しました.しかしながら,実はこの"Boghead coal"は石炭ではなく,シェールの一種でした.つまり,ヤングは今で言うシェールオイルの製造法を確立したのでした.


"Boghead coal"が石炭ではないとは知らず,ヤングは1850年"石炭"から原油を製造する方法の特許を取得しました.このとき,ヤングはパラフィンの大規模合成にも成功しています.融点は55-60℃くらいだったようです.得られたパラフィンに微量に含まれる黒色成分(アスファルト) を取り除いてきれいにするため,硫酸で洗浄するという方法も取り入れられました.これにより,白いパラフィンが得られました.


興味深いのは,Torbane Hillの所有者が起こした裁判です.それはTorbane Hillから産出するのは「石炭」ではないからヤングが"Boghead coal"から原油を製造しているのは特許で守られていないというものでした.


確かにそれはそうなのですが,このとき陪審員は「"Boghead coal"は石炭の王様だから特許範囲内」という判断を下しました.結果,ヤングは原油を製造し続けることができました.


さて,ヤングは1859年にはロウソク原料用の固形パラフィン製造法の特許も取得しました.1868年には,H.Perutzが骨炭*9を使ってパラフィンをきれいにできることを示し,より簡単にパラフィンをきれいにする方法としてとりいれられました.こうして19世紀後半にはアメリカの石油とスコットランドのシェールからのパラフィン製造が盛んになり,ロウソクの価格はかなり低下しました.

パラフィン製ロウソク By Candle.jpg: Banginderivative work: Setreset (talk) - Candle.jpg, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11119057

パラフィンは安く得られるうえ白くて不快な臭いもしないためロウソクには好都合でした.一方で,柔らかいため曲がりやすく,あたたかい季節にはロウソクが自重で倒れてしまうという問題がありました.


そこで,同じ時期に商業的生産が拡大していたステアリン酸を混ぜて,丈夫なロウソクをつくる方法がとられるようになりました*10.こうして現代風のロウソクが誕生しました.


第一次世界大戦中にパラフィン製造は大きく拡大し,イギリスでは関節炎などにあたためたパラフィンが使われ,フランスでは傷口に塗られました.

3.まとめ

ファラデーが英国王立協会で『ロウソクの科学』の一般講演を行った時,ここまで紹介したロウソクはほとんど出揃っていました.レクチャーの中でも和ろうそくを含め紹介されていますので,ぜひ確認してみてください.


ちなみに現在ではこれまでに紹介したもののほか,Fischer-Tropsch法によって作られたワックスも使用されます.
【参考】炎(11):ガス灯の普及


さて,ロウソクは照明器具として普及しましたが,やがてガス灯に取って代わられました.次回からは,照明や暖房に使われたガスの歴史についてみていきましょう.


参考文献

"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"Candle -A Light Into the Past" J. Wisniak, Indian Journal of Chemical Technology, 7, 319-326 (2001).
"Evolution of the Candle". G.G. Lewis, Journal of Chemical Education, 11, 367-368 (1934).
"Chronological List of Important Dates in the History of the Fats and Waxes" E. W. Blank, Oil & Soap, 19, 110-113 (1942).
"The chemistry and technology of waxes" A.H. Warth, Reinhold Publishing Corporation (1956).
"Modern soaps, candles, and glycerin, a practical manual of modern methods of utilization of fats and oils in the munufacture of soap and candles, and of the recovery of glycerin" L. Lloyd, Van Nostrand (1918).
"The Everything Candlemaking book" M.J. Abadie, Adans Media (2002).
"Michel Eugene Chevreul (1786-1889)." P. Lemay, J. Chem. Educ. 25, 62-70 (1948).
"Une histoire matérielle de la lumière" J-B. Fressoz, "Face à la puissance", 84-99 (2020).
"The parrafin and petroleum industries" T.B. Flowler, Chemistry and Insutry, 70-72 (1940).
"More Studies in Early Petroleum History" R.J. Forbes (1959).
"Giants of the Past: Hippolyte Mège (1817-1880)" G.R. List, Inform 17, 264 (2006).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:のちに,芯をアンモニウム塩にひたすと燃えるスピードが遅くなり,ホウ酸やリン酸塩溶液にひたすとススが落ちないですむこともわかりました.アンモニウム塩の効果については,マッチでも軸木が燃えないように使われいますね.

*2:この結論は,シュヴルールと同じアンジェ生まれのプルースト(Joseph Louis Proust, 1754-1826) が1799年に提唱した定比例の法則にもうまく合致していました.

*3:のちにこれはステアリン酸やパルミチン酸の混合物であることがわかりました.ちょっとネーミングがややこしいですね.以降,厳密さは欠きますが不純物が混じったものも"ステアリン酸"で表記します.

*4:"本当の”マルガリン酸C17H34O2は1857年にWilhelm Heintzが合成しました.

*5:Gay-Lussacは科学の応用に熱心で,Chevreulに脂肪酸でのロウソク製造をもちかけました.

*6:1836年,Edmond Fremy (1814-1894) は油脂を半量の硫酸と混ぜてから熱すると油脂をグリセリン脂肪酸加水分解できることを発見しました.JonesとWilsonは混ぜ方を工夫し,硫酸を33%に抑えられることを示しました.その後も硫酸の必要量を抑える努力が続けられ,1898年にはこの反応を加速する触媒がTwitchellによって発見されたことで硫酸の必要量をかなり低くすることができるようになりました.

*7:1840年にGeorge Gwynneは真空条件での蒸留で脂肪酸を精製できることを示しましたが,そうした装置は高価で複雑で,当時は普及させるのが難しかったようです.

*8:彼はもともと実験が好きで,乾留によってえられる物質に興味があったそうです.その過程で,44℃以下に冷ますと結晶化する物質を発見しました.Berzeliusが"camphoride"や"stearopten"と呼んだものと同じだろうと考えていたようです.アルコールやエーテルで容易に結晶化し,化学物質との反応性を示さなかったので,ラテン語parvus (little, small) とaffinis (associated with)からparaffinと名付けました.ミツロウやステアリンとよく混ざることも発見していました.サンプルをもらったGay Lussacは,炭素と水素の比が1:2だと報告しています.のちにM. LewyはDumasやStassによって提唱された新しい原子量をもちいて,パラフィン分子式がCnH2n+2で表されることを示しました.

*9:ちなみに骨炭は1811年にM. Figuierが酢やワインの色の除去に使えることを示していました.

*10:融点は逆に下がります.