火をつけると燃える天然ガスの存在は古くから知られていました.
しかし実際にそれが何者であるか?どうやったらコントロールできるか?といった課題を解決するには長い年月がかかりました.
今回から4回に分けて,天然ガスや石炭ガスが利用されていった歴史をみていきましょう.まずは,燃えるガスの伝承と,炭化水素についてです.
炎(1):アルカリ金属
炎(2):アルカリ土類金属,銅
炎(3):炎の温度の計算?
炎(4):ガスバーナーの炎の色
炎(5):ロウソクの炎の色
炎(6):Mgの白色光?
炎(7):ロウソクのはじまり
炎(8):近代的なロウソク
炎(9):天然ガスの発見
炎(10):石炭ガス
炎(11):ガス灯の普及
炎(12):石炭から天然ガスへ
炎(13):ブンゼンバーナー
炎(14):アセチレンの登場
炎(15):アセチレン炎の利用
1.天然ガスとは?
天然ガスは,平たく言えば自然から採取されるガスです.自然から得られるならなんでも良い気もしますが,特に主成分が炭化水素であるガスを指すようです.
一般に天然ガスと呼ばれるものは,その80%以上がメタンCH4で,残りはエタンC2H6,プロパンC3H8といった炭化水素で構成されています.このほかに,採取される場所によっては不純物として硫化水素H2SやCO2などが含まれます.
天然ガスは動植物プランクトンなどの死骸が分解され,地殻変動による地熱や圧力の変化によって得られたと考えられています.
堆積の過程で有機物が重合すると炭素や水素を主成分としたケロジェンに変化します.さらに地下深くでは圧力や温度が上昇してケロジェンが熱分解していきます.こうして炭素が1個から数十個の炭化水素の混合物である石油が生成します*1.
さらに地下深くでは熱分解がさらに進行し,最終的にほぼメタンに変化します.これが天然ガスです.
主に泥岩などで生成した石油や天然ガスは,すき間の多い砂岩などに移動し,その中を浮力によって上昇していきます.このとき,すき間の少ない泥岩の層にぶち当たると,そこでトラップされます.
こうした条件が揃うのはなかなかレアなので,世界でも石油や天然ガスが大規模に埋蔵されている場所は中東やロシア,アメリカなどに偏っています.
こうした地域では天然ガスが溜まっている場所,もしくは溶けている地下水から回収するか,炭鉱や油田から出てきたところを回収します.
石油の発見量は1920年代から増加しており,1950年代までに超巨大油田の大半が発見されました.一方で,天然ガスの発見量は1940年代から増加し,1970年代に超巨大ガス田が10ヶ所発見された後も定期的に超巨大ガス田が発見されています.
最近では,シェール(頁岩)に含まれるガス,シェールガスが大きな存在感を示すようになりました.
アメリカ東部の古生代デボン紀に形成されたシェールはもともとすきまの少ない泥岩でしたが,非常に深いところで長い間高い圧力にさらされ続けた結果,微細な割れ目が生じ,ここに天然ガスがたまっていったようです.
2.燃えるガスの伝承
天然から産出する燃えるガスの存在は古くから知られていました.
例えばイランでは約1万年前,大地震が起きたときに地面から天然ガスが噴出し燃えたと推測されています.このような現象は古代メソポタミアのシュメール人に大きな印象を与えたようで,シュメール神話の女神イナンナ*2がエビフ山を攻撃するくだりに反映されているという説*3があります.
その後,古代ペルシアで成立したゾロアスター教では善の象徴である火が重要な意味を持っていました.アゼルバイジャンのゾロアスター教寺院Ateshgahには天然ガスが湧き出るポイントがあったようで,長らく「永遠の火」として崇められてきました.
ソ連支配下の1969年にはガスを使い尽くし消えてしまったようですが,寺院近くにある炎の山Yanar Dagでは,現在も燃え続ける天然ガスの炎を見ることができます.
こうした燃える炎は旧約聖書にも登場します.バビロニアの王ネブカドネザル2世 (Nabû-kudurri-uṣur II, 前634-前562) はエルサレムからユダヤ人を連行しますが,ダニエル書では改宗を拒んだユダヤ人青年たちを燃える炉に落として処刑しようとするシーンがあります *4.
この「燃える炉」は,イラクのBaba Gurgurで噴出する天然ガスの炎だといわれています.
古代ギリシャでは,アポロン神殿のあった場所がちょうど断層の真上で,天然ガスが当時も湧き出ていたと考えられています.
アポロン神殿には神話にも登場するデルポイの神託所があります.ここでは女神官ピューティアー(Pythia)が大地の裂け目から立ち上る霊気を吸って恍惚の境地にいたり,予言をしたという記述があります.
この記述については従来,ガスに神経毒作用のある成分が入っていたからではないかと考えられていました.現在ではここのガスの主成分はメタン,エタン,二酸化炭素であることから,酸欠の線を疑ったほうがよいのではないかとされています.
紀元前6世紀の古代ローマでは,テヴェレ川岸にローマ神話における冥府の女王プロセルピナの祭壇がありました.
ここには天然ガスが吹き出すポイントがあり,下界への入り口と考えられたようです.この地には後年San Giovanni de’Fiorentini教会が建てられました.
ヨーロッパでは他にも,鉱泉近くから噴出し着火した天然ガスの光がマリア信仰と結び付いたり,あるいは沼地や湿地から吹き出た燃えるガス (marsh gas) が愚者の火 (Ignis fatuus) もしくはウィルオーザウィプス (will-o'-the-wisp)*5など,鬼火伝承として語られてきました.
古代中国ではこうしたガスを実用的な目的で利用していたことも知られています.
自貢市など四川盆地のあたりは天然ガスが産出するほか地下水の塩分濃度が高く,約3000年前から天然ガスの火で製塩が行われていたと考えられています.この地域ではその後,なんと竹筒で天然ガスを輸送するシステムが構築されていました.これはパイプラインの原型とも言われています.天然ガスは,他にも調理や照明に使われたようです.
3.燃えるガスの研究
古くから様々な形で知られていた燃える天然ガスですが,化学的にはなかなか捉えどころのないものだったようです.
そもそも16世紀まで,「空気(もしくは気体)」はそれ以上分解できないものであって,腐ったものからでてくる気体や,化学反応で生じる気体はすべて「空気」が形を変えたものだと思っていました.それこそ,水のように溶けた物質によって性質が変わる,みたいなイメージです.
化学反応で生じる液体や固体は非常に調べやすかったのですが,気体はすぐ逃げてしまうし,閉じ込めようとすると圧力で爆発してしまったりとなかなか調べるのが大変で,はじめはあまり研究の対象にはなっていませんでした.
18世紀頃になると,「空気」はさらに分離できるものであり,いろんな性質をもつ気体があるのではないか?ということが考えられるようになりました.こうして気体を研究対象とする空気化学のブームがやってきました.
空気化学の研究を後押ししたのは実験装置の開発です.特に,Stephen Hales (1677-1771) が開発した水上置換法のセットアップは非常に重要です.
これにより,気体から水に溶ける不純物を取り除いてきれいにしてから調べる,といったことができるようになり,個々の気体の性質の違いを細かく調べることができるようになりました.
燃えるガスについても詳しく調べられ,18世紀末にはもしかしたら燃えるガスにはいろんな種類があるかもしれないと考えられるようになりました.
例えば,金属に酸を反応させて得られるガス(水素ガス)は燃えても水しか生成しません.
これは沼地などから発生するmarsh gasとは違っていそうです.主成分であるメタンは以下のように燃えます.
こうしてまずは水素ガスが分けて考えられるようになり,やがて「炭化水素」の存在が受け入れられていきました.
4.炭化水素のネーミング
炭化水素は炭素原子と水素原子からなる化合物で,最も単純なタイプの有機化合物です.有機化学でも一番最初に習うものですね.
炭化水素のうち,もっとも単純なものはメタン (methane) CH4です.Cがひとつ増えるとなりました,さらに増えるとプロパン (propane) C3H8と名前が変わっていきます.ここで,はじめのmeth-, eth-, prop-, は炭素の数を示しており,-aneが化合物のタイプを表しています. 一般に,こうした単結合のみからなる炭化水素化合物はアルカン (alkane) *6と呼ばれます.
一方で,二重結合が含まれるものはアルケン (alkene) と呼ばれます.-eneで終わるように命名され,エテン (ethene) C2H4,プロペン (propene) C3H6などが知られます.もっとも,慣用的にはエチレン (ethylene),プロピレン (propylene) などと呼ばれます.すべて-eneで終わっていますね.
三重結合を含むものはアルキン (alkyne) で,-yneで終わります.炭素が3つのC3H4はプロピン (propyne) と呼ばれています.一方で炭素が2つのC2H2は,正式名称であるエチン (ethyne) よりも圧倒的に慣用名であるアセチレン (acetylene) の方が知られています.二重結合を表す"-ene"で終わるのに三重結合をもっているのは不思議ですね.
実はこうした命名ルールは炭化水素が発見されて,しばらくしてから定められていったものです.
例えばメタン (methane) CH4は既に紹介したように天然ガスの主成分で,かなり昔から湿地 (marsh) などで発生しているガス"marsh gas (湿地のガス)"として知られていました.一方で,1808年にこれを調べたJohn Dalton (1766-1844) は,"carburetted hydrogen (1つの炭素と化合した水素)" という名をつけました.
エチレン (ethylene) C2H4の歴史もかなり古く,おそらく1669年にJohann Becher (1635-1682) が硫酸とアルコールをまぜて熱して作ったのが最初です.この反応は様々な研究者の興味をひき,オランダの研究者たちが共同で1795年に報告した際には"gaz hydrogène carboné heuileux",1796年にFourcroyが言及した際には"gaz olefiant(生油気, オレフィンガス)" と呼ばれました.
一方で,"ethylene"*7という呼び名は1849年には使用されていたようです.
アセチレン (acetylene) C2H2は別の回で詳しくみますが1836年,Edmund Davy (1785-1857) によって発見されました.彼は"bicarburetted of hydrogen (2つの炭素と化合した水素)"と名付けました.一方で1860年にアセチレンを再発見したベルテロ (Marcellin Pierre Eugene Berthelot, 1827-1907)は"acétylène"と名付けています.
このように,いろいろな名前が登場したほか,原子量の混乱もあって正確で統一的な命名ルールも存在していませんでした.
そこでAugust Wilhelm von Hofmann (1818-1892) は1866年*8,分子に含まれる原子の数に基づく炭化水素の命名ルールを提案しました.それは飽和炭化水素には"-ane"*9を用い,そこから水素が2つ,4つ,減ったものには"-ene", "-ine"をつけるというものでした*10.
このとき,炭素が1つのときは"meth-",2つのときは"eth-",3つのときは"prop-"で始めることにしようという提案もしました*11."Methane"はこのとき(おそらくはじめて)登場しました.
"Meth-"はもともとEugène Melchior Peligot (1811-1890) とJean-Baptiste André Dumas (1800-1884) が木材を乾留して得られた液体*12を調べていた際,これが通常のワインから得られるアルコール*13とちがって炭素数が少ないアルコール*14であることを発見し,その中心となる構造 (現在の表記でCH2) にméthylèneという名前をつけたのが最初です*15.
語源としては,ギリシャ語でワインを意味する"μέθυ (méthu)"から"méth",木を意味する"ὕλη (hū́lē)"から"yl",そして単語の後ろにつけて娘であることを示す"-ήνη (-ḗnē)"から"ène"をくっつけて作っています.
水素の減り方だけでは,炭化水素分子を区別するのには不都合が生じます.例えば二重結合が2つのものと三重結合を1つ持つものを区別できませんね.
そこで,1892年には水素の減り方ではなく結合の種類に着目し,有機化合物の命名に関する規則であるGeneva Nomencaltureが定められました.1930年には三重結合を用いる場合に"-ine"ではなく"-yne"を用いるというルールに改定されました.こうした命名規則は,現在使われているIUPAC命名法の基本になっています.
こうして,C2H4やC2H2はそれぞれエテン,エチンということになりました.しかしながらそれらを指すエチレンやアセチレンといった名前は命名規則が定められる1892年より前にいろんな人が使っていたため,現在でも命名規則成立以前に普及したこれらの語がよく使われています.
5.まとめ
このように,化学の発展によって燃えるガスは神話的な存在から人類が直接調べられる研究対象に変貌しました.
次回は燃えるガスを人工的に発生させようと努力した人々の歴史を見てみましょう.
参考文献
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"History of Industrial Gases" E. Almqvist, Springer (2003).
"Acetylene and Its Polymers: 150+ Years of History" S.C. Rasmussen, Springer (2018).
"CRC Handbook of Chemistry and Physics" (2016).
"Why is the melting point of propane the lowest among n-alkanes?" V.R. Thalladi, R. Boese, New Journal of Chemistry 24, 579-581 (2000).
"On the Action of Trichloride of Phosphorus on the Salts of the Aromatic Monamines" A. W. Hofmann, Proceedings of the Royal Society of London, 15 54-62 (1866 - 1867).
"Eugène Melchior Peligot" J. Wisniak, Educación Química, 20, 61-69 (2009).
"Mémoire sur l’Esprit-de-Bois et les Divers Composés Éthéres qui en Proviennent" Annales de Chimie et de Physique, 58, 5-74 (1835).
"On a Series of Organic Alkalies Homologous with Ammonia" A. Wurts, The London, Edinburgh, and Dublin Philosophical Magazine and Journal of Science, 34,316-318 (1849).
"Oxford English Dictionary"
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"The geological links of the ancient Delphic Oracle (Greece): A reappraisal of natural gas occurrence and origin " G. Etiope, et al., Geology 34, 821-824 (2006).
"The rebel lands : an investigation into the origins of early Mesopotamian mythology" K. Wilson, Cambridge (1979).
"Natural Gas Seepage" G. Etiope, Springer (2015).
『入門化学史』T.H.ルヴィア 朝倉書店 (2007).
『天然ガス新世紀 : 持続可能なエネルギーシステムに導く究極の化石燃料』森島宏 (2003).
『中国の石油開発事情について』松澤明,石油技術協会誌 45, 262-266 (1980).
『環境科学の基礎』御代川貴久夫,培風館 (2003).
『エネルギー400年史』リチャード・ローズ,草思社 (2019).
"Earthquakes and Coseismic Surface Faulting on the Iranian Plateau" M. Berberian, Elsevier (2014).
Edwards HGM. 2014 Will-o’-the-Wisp: an ancient mystery with extremophile origins? Phil. Trans. R. Soc. A 372: 20140206. http://dx.doi.org/10.1098/rsta.2014.0206
*1:メタンも生成しているので,天然ガス層が石油層の上部に位置することもあります.
*2:イシュタルという名前の方が有名かもしれません.
*3:地が揺れ大蛇が毒を撒き,炎が森を襲う様子が,それぞれ大地震,地面からの石油の湧出,燃える天然ガスの噴出を表すというものです.
*4:結局この人達は投げ込まれても燃えずに助かります.
*5:これらは他の原因説もあります.
*6:"alk-"の部分はアルコールが由来です.後で見るように,炭化水素の研究はアルコールの研究と深く関連しています.
*7:1834年,Justus Freiherr von Liebig (1803-1873) がエーテル"ether" (C2H5)2Oに含まれるかたまりC2H5を"ethyl"と名付けました.語末の-ylは,ギリシャ語で物質を意味する"ύλη (ýli)" からつけられています.Methylと微妙に由来が異なります.ここに単語の後ろにつけて娘であることを示す"-ήνη (-ḗnē)"から"ene"をくっつけて"ethylene"という名前をつけたようです.
*8:Journalとしては1865年の12月号に記載されています.
*9:ドイツ語では"-an"で,翌年英語版を提案しました.
*10:ちゃんと紹介すると,水素が1つ減ったら"-yl",2つ減ったら"-ene", 3つ減ったら"-enyl", 4つ減ったら"-ine", 5つ減ったら"-inyl", 6つ減ったら"-one", と続いていました.
*11:4つのときは"quart-"で始めようと書いていましたが,1826年,Chevreulがバターから得たブチル酸 (acide butyrique) で使ったラテン語由来の"but-"の方が広く使われるようになりました.
*12:1812年にM.P. Taylorによって発見され,1822年にPhilosophical journalの編集者に報告していました."d'ether pyroligneux"と呼んでいたようです.
*15:この頃から,鉱物学では新たな元素の発見であったように,有機化学では新たなアルコール,より正確には構造単位である"根 (radical)"の発見が重要になりました.