化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

ヘリウム(2):声が変になるのはなぜ?

よく,テレビ番組やYoutubeなどでヘリウムガス(と酸素の混合ガス)を吸って声が高くなる動画がありますね.


いったいどのような原理なのでしょうか?


今回は楽器や人の声のしくみを見ていきながら,ヘリウムガスによる効果を考えていきます.




ヘリウム(1):風船に使うのはなぜ?
ヘリウム(2):声が変になるのはなぜ?
ヘリウム(3):潜水とヘリウム

1.音

さて,まず音の高さはどのように認識されるのでしょうか?
ここではあまり厳密なところにはこだわらずに,なるべく要点だけおさえることにしましょう.


音は「空気のふるえ」とよく説明されます.地震のP波のように,物体の動きなどが空気を周期的に圧縮して「ふるえ」させ,音波が耳に届き神経を刺激することで「音」として認識されます.音波について,音速vと波長λ,周波数fの間には以下の等式が成り立ちます.
 \displaystyle{f = \frac{v}{\lambda}}



音波はサインカーブのシンプルな振動の場合もあれば,複雑な振動の場合もあります.このシンプルな振動の音を「純音」と呼ぶとすると,聞こえてきた音がどのような「純音の組み合わせ」であらわせるか?を考えるというわけです.このような音を「複合音」と呼びましょう.



このような音波はそのままでは扱いづらいので,どのような周波数の音が含まれるか?というように分解して考えることが多いです*1


さて,純音ではどの周波数が何の音に相当するかがわかります*2.たとえば442 Hzは「ラ」の音で,496.128 Hzのは「シ」の音です.


もっとも,時代や場所とともに何Hzを「ラ」の音にするかは変わっており,ちょっと前までは1939年にロンドンの国際会議で決められた440 Hzが主流でしたし,バロック音楽の時代は様々な高さの「ラ」が用いられていました*3.オーケストラによっては444 Hzでチューニングするところもあります.下記サイトで音の高さを計算できますので,試してみると面白いと思います.
12平均律と周波数


複合音の場合は単純ではありませんが,楽器の音などたいていは一番低い周波数(基本周波数)の音が一番大きく,音の高さを決めていることが多いようです.特にこのような音を「基音」とよびます.


他の高い周波数成分は「音色」に影響したり,音の高さの知覚に影響を与える場合*4があります*5


ヘリウムガスによる「音の高さ」の変化といった話は,音に含まれる周波数成分がどのように変化するかどうかで議論されています.

2.弦楽器の音

それではまず,弦をはじいたときの音についてみてみましょう.


弦の両端を固定してはじいたとき,両端が動かないことから下の図のような定常波が生じます.

このとき,もっともゆるやかに振動しているものが基音(第1倍音)で,の数が増えるごとに第2倍音,第3倍音などと呼ばれます.弦は両端が固定されているので,基音は \displaystyle{\lambda = 2L},第2倍音 \displaystyle{\lambda = L}となっていきます.基音から順番にλ1,λ2としていくと,
 \displaystyle{\lambda _n = \frac{2L}{n}}
と表すことができます.


一方で,弦を伝わる音波の速度vは,張力T,単位長さあたりの質量をμとして以下のように表されます.
 \displaystyle{v = \sqrt{\frac{T}{\mu}} }


したがって,第n倍音の周波数fnは,
 \displaystyle{f_n = \frac{v}{\lambda _n} =\frac{n}{2L}\sqrt{\frac{T}{\mu}} }
となります.


このことから,音を低く(=周波数を低く)するには,弦長Lを長くする,張力Tを低くする,単位長さあたりの質量μを大きくすれば良いことがわかります.μを大きくするには同じ材質で弦を太くするか,重い金属などを使えばよいということになりますね.


ここで重要なのは周波数は弦によって決定されているということです.弦が振動したあと空気中に音波が伝わりますが,(音源や観測者が動かなければ)周波数は空気の状態によって変化することはありません.


さて,ためしにここで空気を100%ヘリウムに交換してみましょう.


理想気体中での音速vは以下のようにあらわされます.
 \displaystyle{v = \sqrt{\frac{\gamma RT}{M} }}
ここでTは絶対温度,Rは気体定数(= 8.31),Mはガス1 molあたりの質量で,γは気体によって決まる比熱比です.


空気の場合,窒素(分子量28)が80%,酸素(分子量32)が20%含まれるとして,
 \displaystyle{M= (28 \times 0.8 + 32 \times 0.2) \times 10^{-3} = 2.88 \times 10^{-2}} \displaystyle{\gamma = 1.4}
ですから,温度Tでの音速は, \displaystyle{ v = 20.1 \sqrt{T} }と表されます.


ヘリウム(分子量4)の場合, \displaystyle{M= 4 \times 10^{-3}} \displaystyle{\gamma = 1.66}ですので, 温度Tでの音速は, \displaystyle{ v = 58.7 \sqrt{T} }となります.


したがって,例えば27℃では,空気中の音速は348 m/s,ヘリウムガス中の音速は1017 m/sとなります.速いですね!


このように,空気を100%ヘリウムに交換すると音速が変化します.一方で弦を弾いたときの音の周波数は,弦の長さ・張力・単位長さあたりの質量のみで決定されます.したがってヘリウムに変えても弦の周波数は変化しません*6


したがって,ギターやバイオリンなどの弦楽器は,ヘリウムガス中でも音は変化しない,ということがわかります.

3.管楽器の音

管楽器ではどうでしょうか?フルートとクラリネットをみていきましょう.


フルートは,単純化すると両端が開いた管として考えることができます*7

息をうまく吹き込むと,開いた端(開口端)がになるように定常波ができ音が鳴ります*8


したがって,定常波の波長,周波数はそれぞれ以下のようになります.
 \displaystyle{\lambda _n = \frac{2L}{n}}

 \displaystyle{f_n = \frac{v}{\lambda _n} =\frac{nv}{2L}=nf_1 }


式の形は似ていますが,先程と違いfnは音速vに依存しています.音速vはガスによって違い,以下の式で表されるのでした.
 \displaystyle{v = \sqrt{\frac{\gamma RT}{M} }}


27℃では空気中の音速は348 m/s,ヘリウムガス中の音速は1017 m/sとなりますので,周波数もそれに応じて大きく変化します.具体的には,周波数は \displaystyle{\frac{1017}{348}\simeq 2.9 }倍になります*9


442 Hzの「ラ(A4)」であれば,ヘリウムガス中では1281 Hzになりますので,だいたい1オクターブちょっと上の1250 Hzの「レ#(D#6)」に近い音にまで高くなります*10


クラリネットでは口元は閉じた端(閉口端)になり,閉口端が節,開口端が腹になるような定常波が生じます.

したがって,定常波の波長,周波数はそれぞれ以下のようになります.
 \displaystyle{\lambda _n = \frac{4L}{2n-1}}

 \displaystyle{f_n = \frac{v}{\lambda _n} =\frac{(2n-1)v}{4L}=(2n-1)f_1 }

倍音成分が基音の2n-1倍となっており,フルートのn倍にくらべて飛び飛びになっています.これが,音色の違いに影響を与えていると考えられています.


クラリネットの場合も,ヘリウムガス中では周波数は \displaystyle{\frac{1017}{348}\simeq 2.9 }倍になります.したがって,音の変化もフルートと同じで,442 Hzの「ラ(A4)」がヘリウムガス中では1250 Hzの「レ#(D#6)」に近い1281 Hzの音に変化します.

4.声

さて,ヒトの声はどうでしょうか?


ヒトでは,喉仏にある声帯が弦楽器の弦のようにふるえ,その音がのどや口といった空洞からなる声道で共鳴して周波数成分の振幅が変化し,最終的に「声」になります.

模式的にあらわすと,音源(声帯のふるえ)から発せられた音がフィルター(声道での共鳴)を通じて変化する,というイメージです*11


このとき,声帯のふるえによる基音は弦楽器の音の性質を,声道での共鳴によるそれ以外の音の成分は管楽器の音の性質をもつことになります.声道での共鳴により強調される音はピークを形成します.低い音のピークから順に第1フォルマント(約500-1000 Hz),第2フォルマント(約1500-3000 Hz)などと呼ばれます.


声道での共鳴については単純な筒で近似するよりも,複数の筒で近似するほうが現実に近いことがわかっています.これは,口の中の大きさが舌の位置などで変化するためです.

図は英語の発音をもとにしているので,実際はちょっと違います.

「あ」などの母音では舌の位置が下がるので口の中が広くなり,2番目の筒が太くなります.一方で「い」などの母音では舌の位置が上がるので筒が細くなります*12.これにより声道の共鳴で生じる音の周波数が変化します.具体的には,第1フォルマントは「あ」よりも「い」のほうが低く,第2フォルマントは「あ」よりも「い」のほうが高くなります.このように,母音の区別には声に含まれる音の周波数が重要となります.


さて,ヘリウムガスを吸うとどうなるでしょうか?


もちろん100%ヘリウムを吸うと窒息してしまいますので,たいていは酸素ガスや空気がまざった混合ガスを吸うことになります.この場合,音速はおおよそ1.5倍になります.


声道での共鳴は音速の変化の影響を強く受けます.一方で,声帯の振動は音速の変化を受けません.したがって,音源は変わらずフィルターだけが変化し,共鳴する周波数が変化すると考えることができます.

図はイメージです.

このように,一番低い周波数成分の位置は変化しませんが,共鳴により強くなるフォルマント周波数が高くなります.これによって声がアヒルの声のように高く変になったように聞こえるようになります*13.このような現象を「ヘリウム・スピーチ」もしくは「ドナルドダック効果」と呼びます.


ヘリウムを吸った状態では第1, 2フォルマントが高く変化してしまうので,母音が区別しづらくなってしまいます.日常ではヘリウムガスを吸うことはありませんので問題ないのですが,コミュニケーションが重要な場面でヘリウムガスを吸っていると大問題です.


実は1930年代,アメリカ海軍でこのことが非常に大きな問題となりました.アメリカ海軍が研究していた背景については,次回「ドナルドダック効果」の歴史とともにみていきましょう.
【参考】ヘリウム(3):潜水とヘリウム


5.いろんな動物

ヘリウムガスで声が変になるドナルドダック効果は,一見すると無意味に思えますが有効な使い方があります.
発声機構の研究です.


ヒトでは声帯のふるえが声道で共鳴することで「声」がつくられていますが,他の動物でも同じとは限りません.動物によっては身体の一部分の「ふるえ」だけで発声していることがあっても不思議ではありません.


「ふるえ」だけなのか,それとも「共鳴」もあるのか.これを区別できるのがドナルドダック効果です

ヨウスコウワニ

実際,ヨウスコウワニと呼ばれるワニで研究した成果が2015年に報告されています.研究グループはヘリウム-酸素混合ガスで満たした飼育槽にワニを入れ,声を記録しました.すると,一番低い周波数成分は変化しませんでしたが,高い周波数成分は高く変化していました


これはヒトと同じく,共鳴による音が含まれていることを示しています.したがって,ワニは「共鳴」も使っているということがわかりました.


鳥も「共鳴」を使って鳴き声をだしていますので,鳥とワニのあいだである恐竜もおそらくは「共鳴」を使っていたのではないか?と考えられているようです.ちなみにこの研究成果は,2020年に「人々を笑わせ考えさせた研究」に贈られるイグノーベル賞を受賞しています.


一方でカエルの声はヘリウムガスで変化しません.したがって「共鳴」は使っておらず,「ふるえ」だけで音をだしているのだと考えられます.そういった意味では「声」ではなく「音」といったほうが良いかもしれません.

6.まとめ

「音の高さ」は,物理的に「どのような波形なのか?」なのかという観点のほかに,生理学的にヒトが「音の高さをどのように感じるのか?」という観点が重要です.


まだまだ研究が進展すると期待される分野ですので,今後も注目ですね.


次回は,このようなヘリウムガスによる声の変化が発見された経緯について見てみましょう.

問題

Q. ヘリウムのかわりに別の貴ガスであるクリプトン(Kr, 分子量83.8)を用いると次の音はどう変化するか?ただしクリプトンガスは理想気体で, \displaystyle{\gamma = 1.66}とする.

(1)音さ (2)トランペット (3)口笛 (4) 女性の声



A. (1) 変化しない. (2)低くなる. (3)低くなる. (4)基本周波数は変化せず,フォルマント周波数は低くなる.

クリプトンガス中では音速は27℃で222 m/sとなり,空気中より遅くなります.音さは弦楽器と同じでガスの影響を受けません.リコーダーはクラリネットと同じです.口笛は両端が閉じた管とみなせます.女性の声は男性っぽくなります.


同じく不活性で重い気体である六フッ化硫黄SF6では音速が133 m/s (10℃)となり,さらに声が低くなります.一方で,これらの重い気体は肺からの除去が難しく危険ですので,どうしてもやりたい場合は専門家の指導を仰いでください.ちなみにこちらは実験動画です.
https://www.youtube.com/watch?v=u19QfJWI1oQ


参考文献

"The Science of Sound, 3rd edition" R. M. Wheeler (2014).
"Helium speech normalisation using analysis-synthesis method with separate processing of spectral envelope and fundamental frequency" A. Podhorski (1998).
S.A. Reber, et al. "A Chinese alligator in heliox: formant frequencies in a crocodilian" J. Exp. Biol. 218, 2442-2447 (2015).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:フーリエ変換ですね.

*2:簡単のため,音圧などによる影響はここでは考えないことにしましょう.

*3:例えばミヒャエル・プレトリウスは424 Hz,ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルは422.5 Hzなどです.現在ではバロック音楽を演奏する場合は便宜上415 Hzでチューニングすることが多いようです.

*4:基音となる周波数成分を除去しても音の高さが変わらないように聞こえるミッシングファンダメンタルズなどは興味深い現象です.

*5:正確なピッチ知覚についてはoptimum processor theory (Goldstein 1973), virtual pitch theory (Terhardt 1974), pattern transformation theory (Wightman 1973)を参照してください.

*6:空気を伝わっている際も周波数は変化しません.もちろん音速は変わっていますので,波長λのみだけが \displaystyle{f = \frac{v}{\lambda}}の式によって変わります.結果として,耳に届く音は空気中でもヘリウムガス中でも変化しません.

*7:演奏時,口元の穴は少し開けて吹いており,また口元から遠い方の管の先端は開いています.

*8:筒の中では地震のP波と同じ疎密波が生じます.開口端は自由に振動できますが,外の気体分子の存在によって跳ね返されます.結果として,開口端が腹となります.

*9:実際に吹いて実験する場合は酸素との混合ガスを使うため,そこまで高くなりません.また,楽器内部のみがヘリウムガスで周囲が空気の場合も同様です.

*10:ヘリウム-酸素混合ガス中では音速は1.5倍程度ですので,5度上の662 Hzの「ミ(E5)」に近い663 Hzの音になります.

*11:この他に,唇の形でも変化します

*12:図に示しているスペクトルは英語の発音をもとにしているので日本語の場合とちょっと違います.

*13:「声は高くなったのか?」という疑問に答えるのは少々やっかいです.声は複合音であり,ヘリウムガスによって高くなった周波数成分と変化していない周波数成分があるからです.「声が変になる」というのが一番安全な答え方です.もう一歩踏み込むのであれば,一般に複合音の音の高さは基音以外の部分音によっても影響を受け,どのような場合にどの高さが知覚されるかは定式化されていません.したがって,声が高くなったように聞こえたのであれば「高くなる」と答えても間違いとは言い切れません.