化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

マッチ(2):点火装置の歴史

現在つかわれているマッチの原型は1827年,イギリスの薬剤師ジョン・ウォーカーによってつくられ,販売され始めました.


一体どんなマッチだったのでしょうか?また,それまでどのように火をおこしていたのでしょうか?


今回はあまり触れられることのない,火打ち石からマッチにいたる点火装置の歴史をみていきます.




マッチ(1):マッチのしくみ
マッチ(2):点火装置の歴史
マッチ(3):リンとマッチの歴史

1.残り火

火は,暖を取るのにも周りを照らすのにも使える重要な道具です.古くは黄鉄鉱や白鉄鉱(いずれもFeS2)を打って生じる火花*1や,木の棒と板の摩擦熱を利用して火をおこしていました.いずれもそれなりに大変ですので,一度おこした火を絶やさず燃やし続けるのが一番効率の良い方法だったようです.

中世ヨーロッパにおいては,夜には残り火に灰をかけて弱めたあと,”Curfew”と呼ばれる「ふた」を残り火にかぶせて風で消えないようにしていました.ものによっては残り火が完全には消えないよう,空気の通る穴があいているものもあります.ちなみにこの“curfew”という単語は,フランス語のcouvre-feu (火を覆う)からきています.朝になったらふたを外し,ふいごで空気を送ることで再び火を復活させることができます.


このように,もともと”curfew”は残り火にかぶせる「ふた」を意味していました.しかしそのうち,いつからか残り火にふたをする時間を知らせる「夜の鐘」も”curfew”と呼ばれるようになり,やがて”curfew”は「門限」という意味もあらわすようになりました.


とはいえ,火が消えてしまうことも多々あります.18世紀前半までは火打ち石による火起こしがメジャーでしたが,1780年代からは様々な手法が考案されるようになりました.

2.金属粉末の自然発火

金属固体は通常は燃えるイメージは無いと思いますが,粉末にするとたいへん燃えやすくなるものがあります.例えばマグネシウム粉末は,着火するとまばゆい白色光とともに一気に燃えますので,カメラのフラッシュなどに使われていました.これは金属を粉末状にすることで表面積がたいへん大きくなり,酸素との反応が起きやすくなったためと考えられます.
 \mathrm{2Mg + O_2 \longrightarrow 2MgO}

鉄でできたスチールウールの燃焼も同じ原理です.表面積が大きいので,火をつけると燃えます.
 \mathrm{3Fe + 2O_2 \longrightarrow Fe_3 O_4}


燃えやすい粉末を得るため,様々な金属化合物が使われました.例えばプルシアンブルー(Feの化合物),酒石酸鉛(Pbの化合物)*2などです.これらの金属粉末をガラス管に入れたのち熱し,すぐに密封します.火をおこしたいときに密封したガラス管を割ると,新鮮な空気が入ってきて,一気に反応して燃焼するという仕組みです.
 \mathrm{2Pb + O_2 \longrightarrow 2PbO}

特に酒石酸鉛C4H4O6Pb粉末を熱して得られる黒色の粉末は,当初新しい化合物,”炭化鉛”だと思われていたようです.そのためいろいろと混乱を招いたようですが,のちにこれは単なる鉛や炭素の粉末ではないか?と考えられるようになりました.


金属粉末の燃焼では有害なガスが発生しません.そのため,点火方法としてはマッチが主流になっても研究が続けられ,第一次世界大戦後のドイツではアルミニウム,亜鉛,コバルトなどの粉末をもちいた点火方法が考案されるなどしていました.

3.水素ガスの燃焼

ご存知のように,水素ガスを空気中で火をつけると,爆発音とともに水が生じます.
 \mathrm{2H_2 + O_2 \longrightarrow 2H_2O}

水素爆鳴気」の実験としても知られる本反応はインパクトが大きいので,学校の演示実験によく使われるようです.


水素ガスは静電気で発生する火花によっても着火します.1775年にはイタリア人科学者のアレッサンドロ・ボルタ(1745-1827)の改良した電気盆が報告され,静電気による火花の発生は世間に広く知られるようになりました*3

電気盆は金属製の円盤と樹脂製の円盤からなります.樹脂板をこすったのち金属板を近づけます.そうすると,金属板の内側が正電荷を,外側が負電荷を帯びます.外側を指でさわって負電荷を逃し樹脂板から距離を離すと,金属板全体が正電荷を帯びます.この金属板に指などを近づけると,静電気による電気火花が生じます.

Science Museum Group. Vesta temple (fire-making device to "Lorenz" patte. 1949-109Science Museum Group Collection Online. Accessed 8 February 2022. https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co64352/vesta-temple-fire-making-device-to-lorenz-patte. CC BY-NC-SA 4.0

電気盆による電気火花を用いて水素ガスを着火させるのが,”Electropneumatic lamp”とよばれる装置です*4.写真の装置では,まず中央の円筒内で亜鉛希塩酸に浸すことで水素ガスを発生させます.
 \mathrm{Zn + 2HCl \longrightarrow ZnCl_2 + H_2}


土台内部にある電気盆をネコの皮で帯電させたのちボタンをおすと,ワイヤーが近づき電気火花が発生し,これが水素ガスを着火することでライオンの口から炎がでてくる,という仕組みのようです.


そして1824年には,マッチに取って代わられるまで約100年も使われ続けていた着火装置が発明されます.デーベライナーランプ(Döbereiner lamp)です.

Johann Wolfgang Döbereiner (1780-1849)

ヨハン・ウォルフガング・デーベライナーバイロイト(ドイツ)の農夫の子として生まれ,薬屋で見習い修行をしたのち,様々な化学製品を製造する事業をはじめます.ビジネスは最初うまくいくのですが,ナポレオン戦争が勃発するとだめになってしまいます.


そこで1810年にイエナ大学の化学と薬学の准教授に着任し,いろんな研究をするようになります.例えば原子番号の概念につながる研究や,アルコール発酵に関する研究を行っています.今回大事なのは,白金に関する研究です.


1816年,ハンフリー・デービー (1779-1829)は白金があるとメタンガスCH4が炎をあげずに光を発しながら“燃える”(酸化される)ことを発見します.これは鉱夫用の安全なランプとして普及しました.
 \mathrm{CH_4 + 2O_2 \longrightarrow CO_2 + 2H_2O}


息子のエドモンド・デービー (1785-1857)は引続き研究を行い,1821年になるとその研究成果がドイツ語に翻訳されます.デーベライナーはそこで研究を知り,自分でもいろいろと白金をつかった実験をしてみました.


そして1823年,(NH4)2[PtCl6]を加熱するとスポンジ上の白金が得られることを発見しました.
 \mathrm{3(NH_4)_2 \lbrack PtCl_6 \rbrack \longrightarrow 3Pt + 2N_2 + 16HCl + 2NH_4Cl}


空気と混ぜた水素ガスをこのスポンジ状の白金に噴射すると,白金が赤熱,そして白熱し,最終的にガスに火がつき,水が生成することがわかりました.これはスポンジ状の白金が,水素ガスの酸化を触媒していることを示していました.
 \mathrm{2H_2 + O_2 \overset{\text{Pt}}{\longrightarrow} 2H_2O}

デーベライナーランプ

1824年にはこの原理を応用したデーベライナーランプを発明します.このランプでは,水素ガスは亜鉛板Znと希硫酸H2SO4の反応によって得ています.
 \mathrm{Zn + H_2SO_4 \longrightarrow ZnSO_4 + H_2}


1828年にはドイツやイギリスで20000個も作られ,19世紀前半を代表するビーダーマイヤー様式の邸宅にとって当たり前にあるような家具になりました.デーベライナーは「金より科学を愛する」といって特許を取らなかったようですので,あまり儲けたわけではないのかもしれません.


1827年には最初のマッチが発売されますが,デーベライナーランプ自体はおおよそ第一次世界大戦のはじまる頃まで使われました.

4.マッチの誕生

1788年,フランスのクロード・ルイ・ベルトレー(1748-1822)は塩素酸カリウムKClO3を熱すると大量の酸素を放出することを発見しました.これがのちに火薬や花火の酸化剤として用いられるようになったという話は,以前こちらの記事で解説しました.ベルトレーはまた,砂糖と塩素酸カリウムの混合物を濃硫酸に入れると燃えることを発見していました.

Science Museum Group. Instantaneous Light Box of thin iron; rectangular. 1937-682/1282/1Science Museum Group Collection Online. Accessed 8 February 2022. https://collection.sciencemuseumgroup.org.uk/objects/co8729781/instantaneous-light-box-of-thin-iron-rectangular-fire-making-and-controlling-equipment. CC BY-NC-SA 4.0

1805年には,フランスのジャン・シャンセルがこの反応を利用し,点火装置”Instantaneous light box”を考案します.1812年にはウィーンで硫黄も混合物に加えたものが登場します.これらは現在のマッチにつながる最初の化学マッチで,ヨーロッパやアメリカでは富裕層を中心に40年以上使われていたようです.


しかしながら濃硫酸がこぼれたり,塩素酸カリウムとの反応で生じた二酸化塩素ClO2が爆発したりと,かなり危険な製品でした.
 \mathrm{3KClO_3 + 2H_2SO_4 \longrightarrow 2KHSO_4 + KClO_4 + 2ClO_2 + H_2O}


19世紀のイギリスでは,それまで流行っていた嗅ぎタバコの他に,パイプたばこ,葉巻,紙たばこなど様々な喫煙文化が広まっており,点火装置への需要が高かったようです.特に1810年代以降は,半島戦争(スペイン独立戦争,1808-1814)から帰ってきたイギリス軍が葉巻を持ち帰り大流行しました.そんな喫煙文化の興隆も手伝ってか危険で不便なマッチでもどんどん普及していきました.


そして1827年ジョン・ウォーカーのマッチが登場します.



1827年にジョン・ウォーカーが発売したマッチは,塩素酸カリウム,硫化アンチモンの混合物を木の棒の先端につけたものでした.これを紙やすりで挟んで勢いよく引き抜き,摩擦熱で着火させるという仕組みでした.これは危険な濃硫酸をつかわない,画期的な発明でした.

John Walker (1781-1828)

1781年にイギリスに生まれたジョン・ウォーカーは勉強熱心で控えめな性格だったそうです.外科医の見習い時代に数多くの化学実験を行っていました.外科医の仕事はというとどうも手術が苦手だったようで,やがて外科医の道をあきらめ,1819年にはストックトンで薬剤師になっていました.


ジョン・ウォーカーは薬剤師のかたわら,塩素酸カリウムKClO3と硫化アンチモンSb2S3からなる雷管火薬に関する研究も行い,これをのちに販売していたようです.大きな音がなるので,クラッカーにもつかわれていますね.
 \mathrm{3KClO_3 + Sb_2S_3 \longrightarrow Sb_2O_3 + 3SO_2 + 3 KCl}

また,先に紹介した塩素酸カリウムと砂糖,硫酸をつかったマッチも販売していた記録があります.おそらくはこの2つの経験が,塩素酸カリウムと硫化アンチモンをつかったマッチの発明につながったのだと考えられます.


1827年に発売したマッチはどんどん売れ,その名はロンドンにまで届いていたようです.英国王立実験所長だった化学者マイケル・ファラデーは,彼のマッチを講義で紹介していたという記録もあります.


このように有名になったマッチでしたが,控えめなジョン・ウォーカーは特許を取得することに消極的で,ついに申請していませんでした.そうこうしているうちに,模倣者があらわれます.


若いロンドンの化学者サミュエル・ジョーンズは,おそらくマッチを紹介したファラデーの講義に刺激をうけたのだろうといわれています.彼はジョン・ウォーカーのマッチを真似た製品を"Lucifers"の名で売り出し始めました.このとき,今ではおなじみの小さい紙箱にマッチを入れるスタイルがうまれました.


Lucifersはヒット商品となり,しばらくのあいだ他のマッチも”lucifer"と呼ばれていたくらいでした.一方ジョン・ウォーカーはというと,1830年にはマッチ作りをやめてしまったようです.

5.まとめ

いわゆるマッチができるまで,こんなに点火装置があったんですね.
こうして歴史を俯瞰してみると,火は文化と密接に関わっていることがよくわかります.


ちなみに今回の画像はイギリスのScience Museum Groupが提供している所蔵品の画像を使用しました.
他にもいろんな所蔵品をみることができますので,ぜひご覧ください.
collection.sciencemuseumgroup.org.uk


次回はリンを使った,いわゆるマッチの歴史についてみてみましょう.


問題

Q. Lucifersの注意書きには「肺の弱い方はLucifersを使わないでください」と書かれていました.なぜでしょう?


A. Lucifersはジョン・ウォーカーのマッチを模倣したもので,硫化アンチモンと塩素酸カリウムの反応を利用していた.このとき発生する二酸化硫黄SO2は呼吸器の障害を引き起こすため,使用を避けるよう注意書きが付されたと考えられる.
 \mathrm{3KClO_3 + Sb_2S_3 \longrightarrow Sb_2O_3 + 3SO_2 + 3 KCl}


二酸化硫黄は四大公害事件のひとつである四日市ぜんそくの原因物質としても知られています.石油の使用時に発生することが知られていましたが,のちに脱硫技術が取り入れられたことで改善しました.ちなみにこれにより,硫黄を同時に得ることができるようになりました.

参考文献

M.F. Crass, Jr. "A History of the Match Industry. Part I, II." Journal of Chemical Education, 18, 116-120 (1941).
J. Wisniak "Matches-The manufacture of fire" Indian Journal of Chemical Technology, 12, 369-380 (2005).
"An encyclopaedia of the history of technology" I. McNeil, Routledge (1990).
"The Metallurgy of Lead, including Desiverization and Cupellation." J. Percy, J. Murray (1870).
"Manual of Formulas - Recipes, Methods & Secret Processes" R. B. Wailes, Read Books (2010).
H. Rumpf, et al. "Thermal decomposition of (NH4)2[PtCl6] – an in situ X-ray absorption spectroscopy study" J. Synchrotron Rad. 6, 468-470 (1999).
"Volta, Science and Culture in the Age of Enlightenment." G. Pancaldi, Princeton University Press (2003).
"Progressive Enlightenment: The Origins of the Gaslight Industry 1780–1820" L. Tomory (2009).
G.B. Kauffman "Johann Wolfgang Döbereiner’s Feuerzeug" Platinum Metals Rev., 43, 122-128 (1999).
泉 順子,佐藤 寛子『19世紀イギリスのダンディズムにみるたばこ文化』財団法人たばこ総合研究センター助成研究報告,73-111 (2013).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:けずったときに生じた石片が摩擦熱で熱せられ,場合によっては酸素と化合することで熱く輝くと考えられますが,実際のところは不明です.

*2:マイケル・ファラデー『ロウソクの科学』でもおなじみですね.

*3:これより前にJohan Carl VilckeやFranz Ulrich Theodosius Aepinusが電気盆を発明していました.

*4:ボルタ自身も,似たような原理の点火装置を1777年に開発していました.