化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法

「空気からパンをつくる」とも称されたハーバー・ボッシュ法は,現在でも活躍しているアンモニア合成法です.


いったいどのような経緯で誕生したのでしょうか?

Fritz Haber (1868-1934, 左)とCarl Bosch (1874-1940, 右)

今回はハーバー,ボッシュそれぞれの役割にフォーカスしてその経緯をみていきましょう.



アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム
アルカリの歴史(2):ルブラン法
アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
アルカリの歴史(4):カリウム塩
アルカリの歴史(5):電気分解
アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム
アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素
アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
アルカリの歴史(9):戦争とアンモニア

1.アンモニア合成への挑戦

Claude Louis Berthollet (1748-1822)

1784年にベルトレー (Claude Louis Berthollet, 1748-1822) がアンモニアNH3窒素水素からなることを示して以来,窒素と水素を直接反応させてアンモニアを合成する反応が研究されていきました.


例えば1795年にはヒルデブラント (G.F. Hildebrandt) が常圧でのアンモニア合成にトライしています.
 \mathrm{N_2 + 3H_2 \longrightarrow  2NH_3?}

19世紀に描かれた深海魚

一方で1811年,深海に住む魚の浮き袋中では,空気中の成分は高圧のために結合しているに違いないと考えたビオ (Jean Baptiste Biot, 1774-1862) らは,窒素と水素を封入した容器を540 mの深海に沈めてみました.これは高圧下でのアンモニア合成に挑戦した例とも言えるでしょう.


しかし,こうした研究はことごとく失敗しました.結果から言えば,反応しにくい窒素と水素を反応させるには反応を促進させる触媒が必要でした.

デーベライナーランプ

1823年,デーべライナー (Johann Wolfgang Döbereiner, 1780-1849) は空気と混ぜた水素ガスをスポンジ状の白金に噴射すると,白金が白熱してガスに火がつき,水が生成することがわかりました.これはスポンジ状の白金が,水素ガスの酸化を触媒していることを示していました.この原理は点火装置に応用されました.
 \mathrm{2H_2 + O_2 \overset{\text{Pt}}{\longrightarrow} 2H_2O}
【参考】マッチ(2):点火装置の歴史


このとき,彼は過剰な水素ガスは空気中の窒素と結合し,微量のアンモニアができるとも述べました.考えにくいことではありますが,もしアンモニアができたことが本当だとすれば,おそらく触媒中にが混入していたのではないかと考えられています.


1884年ラムゼー (William Ramsay, 1852-1916)とヤング (Sydney Young, 1857-1937) は500-830℃でアンモニア分解速度を研究しました.このとき,赤熱した鉄製の管に通すと微量のアンモニアは分解されずにのこったことから,分解とともに再結合する反応も起きている,つまりアンモニアの分解は可逆反応なのではないかと考えました.
 \mathrm{2NH_3  \rightleftharpoons N_2 + 3H_2}


可逆的な化学反応の原理についてはルシャトリエの原理が有名ですね.

Henry Louis le Chatelier (1850-1936)

ルシャトリエ(Henry Louis le Chatelier, 1850-1936) は1900年,アンモニア合成について,この原理に基づき化学平衡を分析しました.
 \mathrm{N_2 + 3H_2 \longrightarrow  2NH_3 \quad \mathit{ \Delta H } = -92 kJ}

その結果,圧力を大きくすればアンモニア側へと平衡が偏ることを指摘しました.


一方でこの反応は発熱性ですので,温度を下げればよいのですが,そうすると反応自体が遅くなってしまいます.これでは困りますね.


そこで反応の障壁を取り除くため,適切な触媒を用意すること,および合成されたアンモニアの分解を防ぐため,合成されたアンモニアを速やかに抜き取り,冷却する必要性を指摘しました.


ルシャトリエは圧力と温度の調整,および触媒の導入というアイデアをもとに早速1901年に特許を申請し研究をすすめましたが,実験の途中で酸素が混入したために装置が爆発し,研究を中止しました.

Friedrich Wilhelm Ostwald (1853-1932)

さて,この時代の触媒研究といえばのちに硝酸製造法を確立したドイツのオストワルト(Friedrich Wilhelm Ostwald, 1853-1932) です.彼は1888年,酸によるエステル*1加水分解の研究 (1883年) からヒントを得て,触媒は反応を「誘発」させるものではなく,「加速」させるものだという重要な考え方を提示しました.


1900年,ライプツィヒ銀行が破綻した夜,夕食会に招かれたオストワルトは銀行員や市長の鬱々とした話につきあわされていました.彼らの話ではライプツィヒの化学工業はいまいち奮っていないようで,オストワルトとしては大学が傑出した化学者を輩出しているにも関わらず地元の産業が発展していないことに驚きました.その時彼は,肥料の原料として役立つアンモニアの合成法を確立したらいいんじゃないかと考えたようです.


そこでオストワルトもアンモニア合成に挑戦しました.そうして針金を触媒として水素と窒素からアンモニアを直接合成することに成功し,鉄触媒による合成法をドイツ最大の化学会社だったBASF社に持ち込みました.

Carl Bosch (1874-1940)

早速BASF社で検証実験が行われましたが,このとき実務にあたったのがカール・ボッシュ (Carl Bosch, 1874-1940) でした.


検証の結果,オストワルトの方法は触媒である鉄に不純物として含まれていた窒素が水素と反応しているにすぎず,純粋な鉄では反応が起きないということを明らかにしました.オストワルトは結局,特許申請を取り下げました.


このように数多くの著名な化学者たちがアンモニア合成に挑戦しましたが,なかなか工業化には至りませんでした.

2.Fritz Haber

Fritz Haber (1868-1934)

アンモニア製造へのきっかけを作ったのは,電気化学者として知られていたユダヤ人のフリッツ・ハーバー(Fritz Haber, 1868-1934)でした.


1904年,ドイツのカールスルーエ工科大学のハーバーはオーストリアのÖsterreichische Chemische Werke社からある依頼を受けました.それは,1884年,ラムゼーとヤングが行っていた,高温でのアンモニア分解の平衡を調べるというものでした.


依頼を受けたハーバーは助手のGabriel van Oordtとともに実験を行ったところ,約1000℃ではアンモニアが0.024-0.102%生じることを確認しました.
 \mathrm{N_2 + 3H_2 \rightleftharpoons 2NH_3}


アンモニアは500℃以上で分解してしまうので,合成するならその温度以下であることが必要です.良い触媒が見つかれば合成できるかもしれませんが,とりあえずは不可能ということで1905年,研究は一旦中断されました.

Walther Hermann Nernst (1864-1941)

一方ベルリンでは,オストワルトの弟子でもあった物理化学社のネルンスト(Walther Hermann Nernst, 1864-1941)が1906年,熱に関する定理(後の熱力学第三法則)を発表し,熱化学的なパラメータから収率を計算する手法を考案しました.


ネルンストがアンモニア合成の収率を計算したところ,ハーバーの報告した値よりも低くなりました.また,ネルンストは実際にセラミック製の装置で加圧しながら,アンモニアを合成しました.


同世代で輝かしいキャリアを手にしていたネルンストに難癖をつけられたハーバーは大変嫌だったでしょうが,加圧して反応させるという発想は良さそうに思えました


そこでハーバーは中断していたアンモニア合成プロジェクトを復活させ,まずは30気圧からの合成に挑戦しはじめました.


このころ,ラムゼーの研究室からイギリス人のル・ロシニョール (Robert Le Rossignol, 1884-1976) がやってきていました.彼はロンドンで工作機械の操作法を独学で学び,高圧ガスの扱いに必要な金属部品の制作を得意としていました. 


ルシャトリエがそうだったように,高圧での化学反応は大変危険を伴うものでした.しかし機械の天才であったル・ロシニョールは次々に部品を改良し,高温高圧でのアンモニア合成実験が可能な装置を作りました.結果として,アンモニア合成の収率は徐々に向上させることができました.


1908年には,BASF社からアンモニア合成研究の支援を取り付け,さらに高圧である200気圧での合成実験を決意しました.


200気圧といえば水深1600 mとほぼ同じです.たいていの金属容器は壊れてしまいます.そこでル・ロシニョールは,高圧にも耐えられる分厚い石英の管を用いて装置を組み上げ,なんとか装置を組み上げました.


装置には様々な工夫が施されていました.例えば触媒上を原料ガスを一回通過させて得られるアンモニアは微々たるものだったので,未変換のガスを循環させて再利用できるようにしていました.また,生成したアンモニアをトラップで分離,冷却できるようにしてあり,熱による分解を防ぐことができました.

Osram lamp (1910)

触媒にはいろんな金属が検討されました.その一つに,ハーバーが科学顧問を勤めていたAuergesellschaft社で1906年に開発されたOsram*2と呼ばれる電球のフィラメントに使われていた,オスミウムOsがありました.ハーバーはこの会社経由でオスミウムを手に入れ,触媒として使ってみることにしました.


オスミウムを触媒とする合成実験は,1908年にハーバー研に加わった東京帝国大学理科大学出身の田丸節郎(1879-1944)が担当していたことが知られています.最終的にオスミウムを触媒とすることで,アンモニア合成収率5%を達成しました.当時の水準からすれば大変な快挙でした.

3.Carl Bosch

1909年3月23日,ハーバーはBASF社の経営陣に結果を報告しました.3日後,BASF社から数人がハーバー研を訪れ装置を見学しにきました.その中にはボッシュもいました.


ハーバーは不安でしたが,多くの質問に誠実に答えていきました.


質疑応答が終わると,そのうちの1人だったボッシュは,「もっと大規模な作業ができるような,鉄製の装置をつくりましょう」と進言しました.この発言をきっかけとして,アンモニア合成プロジェクトはスケールアップの段階に進めることになりました.


次の舞台はBASF社です.


ハーバーの方法を工業スケールに移すには大きな問題がありました.なんといってもまず,オスミウムが大変貴重だったことです.ボッシュたちはハーバーの実験を検証するため約100 gオスミウムを購入しましたが,これは世界に出回っていたオスミウムほぼ全てだったと考えられています.


そのため,より安価な触媒を開発し,製造コストを下げることが至上命題でした.ハーバーたちはオスミウムより豊富に存在するウランも触媒として働くことを発見しましたが,それでも貴重な資源であることには変わりません.ボッシュが着目したのは,オストワルトが失敗した「」でした.

Alwin Mittasch (1869-1953)

ボッシュのチームに引き入れられたミタッシュ (Alwin Mittasch, 1869-1953) は珍しい金属 (Pt, Pd, Ir, Ruなど) とともに純粋な鉄や,鉄を含む鉱物を一通り試しました.なんとその結果,スウェーデン北部の鉱山で得られた磁鉄鉱Fe3O4が多くのアンモニアを生じさせたのです.


スウェーデン磁鉄鉱は他となにが違ったのでしょう?


もしかしたら磁鉄鉱に含まれている不純物に手掛かりがあるのかもしれないということで一つ一つ試していきました.


すると,鉄だけでなくアルミニウムAl,そしてカリウムKを組み合わせた場合にアンモニアの収率が向上することがわかりました.これらは,触媒の働きを向上させる促進剤と呼ばれました*3


一方で,触媒の働きを阻害する物質も判明しました.その一つは一酸化炭素COです.


当時水素を作る方法としては熱した石炭水蒸気を吹き付ける方法がもっとも安上がりでした*4.この方法では同時に一酸化炭素COが生じてしまいます.
 \mathrm{C + H_2O \longrightarrow CO + H_2 }


鉄-クロム触媒上で水蒸気とさらに反応させることで一酸化炭素二酸化炭素に変換することはできます.
 \mathrm{CO + H_2O \rightleftharpoons CO_2 + H_2 }

しかし一酸化炭素を完全にゼロにすることはできませんでした.


そこでボッシュ一酸化炭素を除去するため,Carl Krauch (1887-1968) が開発した銅,ギ酸,アンモニアからなる溶液を利用することにしました.
 \mathrm{ [Cu(NH_3)_2]^{+} + CO + NH_3 \rightleftharpoons [Cu(NH_3)_3CO]^{+} }

この溶液は鉄を腐食しないので使い勝手が大変良かったようです.吸収液を加熱すると平衡が左に移るので,一酸化炭素を放出して再利用することができます.


このほか,高温高圧に耐える大型の機械をつくるのもかなりハードな課題でした.高温高圧に耐える素材として炭素鋼が使われていましたが,結晶構造中の炭素が水素が反応してメタンとなり,膨張して逃げていく過程で炭素鋼が膨れ,ひびをいれてしまったのです.
 \mathrm{C + 2H_2 \longrightarrow CH_4 }

Oppauでの最初の反応炉 By © BASF; BASF-Negativnummer 1795-alt, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=74097272

そこであの手この手で水素の問題を回避する策を練り,ついに1913年9月,Oppauで最初の工場が稼働しはじめました.1日で30 tのアンモニアを合成することができたそうです.


こうして確立したのが「ハーバー・ボッシュ法」です.
 \mathrm{N_2 + 3H_2 \longrightarrow 2NH_3 }

ハーバーが持ち込んで以来,わずか4年半で工業化まで成し遂げたのは驚異と言わざるを得ません.

4.触媒の役割

せっかくですので,ハーバーボッシュ法で何が起きているのか,詳しくみてみましょう.
 \mathrm{N_2 + 3H_2 \longrightarrow 2NH_3 }


アンモニアの直接合成における最大の障壁は,窒素分子の三重結合を切断するステップです.
 \mathrm{N_2  \longrightarrow 2N \qquad \Delta H = 941 \: kJ}

941 kJというかなり大きなエネルギーが必要で,なかなか切断されません.


触媒は,この解離反応を促進してくれます.



窒素分子は触媒表面に分子の状態N2, adでくっつき,
 \mathrm{N_2  \rightleftharpoons N_{2, ad}}

温度が十分に高ければ触媒にくっついたまま結合が切断され,原子の状態Nadになります.
 \mathrm{N_{2, ad}  \rightleftharpoons 2N_{ad}}



一方で,水素分子H2は触媒表面に原子の状態Hadでくっつきます.
 \mathrm{H_2  \rightleftharpoons 2H_{ad}}


こうして生じた原子状態の水素Hadと窒素Nadが触媒表面上で順次結合し,NH3となって触媒表面から離脱します.
 \mathrm{N_{ad} + H_{ad} \rightleftharpoons NH_{ad}}
 \mathrm{NH_{ad} + H_{ad} \rightleftharpoons NH_{2,ad}}
 \mathrm{NH_{2,ad} + H_{ad} \rightleftharpoons NH_{3,ad}}
 \mathrm{NH_{3,ad}  \rightleftharpoons NH_{3}}


鉄触媒は一般にFe3O4が使われますが,組成と同様にその表面の状態も重要です.結晶構造のどの面かで触媒活性が異なるためです.


促進剤として添加されるAlは,FeAl2O4の形で酸化鉄の格子に取り込まれ,触媒として働く面を増やす役割があると考えられています.構造的な役割と言えるでしょう.


一方Kなどのアルカリ金属は酸化物,例えばK2Oとして鉄表面に吸着し,窒素分子の結合を弱めたり生成したアンモニアを吸着しづらくするなどして触媒の働きを高める役割を果たすようです.こちらは化学的な役割と言えるでしょう.


COなどの酸素を含む化合物は,触媒の表面に吸着した酸素原子Oadをつくりだします.これがアンモニアの生成を妨げるのだろうと考えられています.
 \mathrm{O_{ad} + 2NH_{3,ad} \rightleftharpoons H_2O + N_2 + 2H_2}


このように,ハーバーボッシュ法では固体表面上での反応を活かして,本来ガス同士では反応しない窒素分子と水素分子の反応を実現しています.


ちなみに200MPa以上の超高圧では触媒がなくても反応が進みますが,この場合は反応容器の壁が触媒として機能しているのでしょう.

5.まとめ

アンモニアの直接合成法確立のきっかけをつくったとして,ハーバーは1918年,ノーベル化学賞を受賞しました.


こうして開発されたハーバーボッシュ法は,やがて第一次世界大戦に活用されていくことになります.次回はその辺りを見てみましょう.




参考文献

"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"Ammonia in the environmnent: From ancient times to the present" M.A. Sutton, et al. Environmental Pollution 156, 583-604 (2008).
"Alkaline air: changing perspectives on nitrogen and air pollution in an ammonia-rich world" M.A. Sutton, et al. Philosophical Transactions of the Royal Society A, 378, 20190315 (2020).
"Nitrogen Capture" A.S. Travis (2018).
"On catalysis" W. Ostwald, Nobel Lecture (1909).
"Wilhelm Ostwald: The Autobiography" Springer (2017).
"Coordination chemistry insights into the role of alkali metal promoters in dinitrogen reduction" G.P. Connor, P.L. Holland, Catal Today, 286, 21-40 (2017).
『ルブランの末裔』久保田宏,伊藤輪恒男,東海大学出版会 (1978).
『歴史の中の肥料 [4] アンモニア合成への道(2)』高橋英一,農業と科学(2005).
アンモニア合成技術 (I)』江崎正直, 化学史研究, 22, 15-49; 197-225 (1995); 23, 15-53 (1996).
『大気を変える錬金術』T. ヘイガー,みすず書房(2010)
一酸化炭素分離精製法の進歩』小宮山真,平井英史,有機合成化学協会誌,41, 492-497 (1983).
『硝酸』井上嘉亀,化学教育, 16, 15-18 (1968).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:酢酸メチルです.

*2:フィラメンとにオスミウムOsとヴォルフラム,いまでいうタングステンWが使われていたので,縮めてOsramと名付けられました.

*3:のちに2万回実験したようですが,初期に見つけたこの組み合わせが一番よかったようです.

*4:窒素はコークスに空気を吹き付けることで得ることができました.