化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム

炭酸ナトリウムNa2CO3ソーダ灰とも呼ばれるアルカリ性の物質です.古くはアルカリとも呼ばれた重要な物質で,ナトリウム (Natrium) やその英語名sodiumの由来とも密接に関わっています.


炭酸ナトリウムはどのように活用されていたのでしょうか?

エジプト第18王朝のガラスコップ (前1550-前1295頃) By Einsamer Schütze - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3160491

今回は植物や鉱石から得られる炭酸ナトリウムについて,日常生活やガラス製造との関わりを見ていきましょう.



アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム
アルカリの歴史(2):ルブラン法
アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
アルカリの歴史(4):カリウム塩
アルカリの歴史(5):電気分解
アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム
アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素
アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
アルカリの歴史(9):戦争とアンモニア

1.焼いた灰

アルカリ"Alkali (もしくはAlcali)"という言葉は,アラビア語のal-qālī という「焼いた灰」を意味する単語に由来しています.塩生植物の灰には炭酸ナトリウムNa2CO3や炭酸カリウムK2CO3が含まれていますが,両者は長い間特に区別されてきませんでした.
【参考】洗濯(4):アルカリ剤


炭酸ナトリウムNa2CO3ソーダ灰 (Soda ash) とも呼ばれます.アラビア語suwaydāʔがこうした塩生植物のことを指すという説がありましたが,詳細は不明です.植物としては,Suaeda fruticosaだったのではないかと考えられています.

Suaeda fruticosa  By Meneerke bloem - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=108147054

ちなみに英語でナトリウムのことはsodiumと言います.1807年にナトリウムそのものを単離したイギリスのデービー(Humphry Davy, 1778-1829)が,"soda"をもとに名付けました.


一方で元素記号Naのもとにもなっている「ナトリウム (natrium)」という呼び方はベルセリウス (Jöns Jacob Berzelius, 1779-1848) によって名付けられました.これについては後ほど確認しましょう.


さて,「焼いた灰」としてのアルカリは,古くはメソポタミア文明で使われていました.
【参考】洗濯(2):石鹸の歴史


20世紀初頭,アメリカの考古学探検隊がイラク南部で発掘した紀元前2100年頃の石板には,楔形文字で鉱物や植物由来のアルカリ性物質による薬理作用が書かれていました.

Salicornia fruticosa L. By © Hans Hillewaert, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5864133

石板によれば,シュメール人アッケシソウと呼ばれる植物の一種であるSalicornia fruticosa L.を焼いて灰を得ていたようです.この植物は高アルカリ環境に強く,成長過程で吸収したアルカリ塩を組織内に貯蔵する性質があります.焼いた灰には,炭酸ナトリウムが30-40%も含まれるようです.


シュメール人はこうして得たソーダ灰を精製して簡単な洗剤を作り,体の洗剤や宗教的な儀式に使ったと推測されています.


石鹸製造に関する最古の記録は,メソポタミア文明*1のころ,南にあるシュメール(イラク南部)の遺跡から発掘された粘土板に楔形文字で記述されたものです.紀元前2500年に書かれたものです.詳細な作り方は不明ですが,羊毛を洗うのに使われていました.


紀元前2200年ころ,ウル第三王朝の記録には油と灰を1:5.5でまぜてつくると書かれています.結構灰をいれていたみたいですが,おそらく製法の問題で炭酸カリウムの含有量がそこまで高くなかったからだと考えられます.もしかしたら,この頃から塩をいれて硬い石鹸をつくる塩析も行われていたかもしれません.同時期の記録には別の方法でつくられた石鹸が医療用途としても使われていた記録があります.


ソーダ灰に関する知識は,古バビロニア王国ヒッタイト帝国に受け継がれました.紀元前1300年頃の文献には,ヒッタイト人が宗教的な儀式のために炭酸ナトリウムで手を洗っていた記録があり,またバビロニア人は戦場や儀式のほか,化粧,医療にも用いたことがわかっています.


ソーダ灰による石鹸製造技術はやがてガリア人へと伝わり,のちにローマに伝わりました.

Gaius Plinius Secundus (23-79)

プリニウス (Gaius Plinius Secundus,23-79) の『博物誌』には,現在のフランス付近に住んでいたガリア人が,動物からとった油脂とブナやシデといった樹木からとった灰から石けんをつくっていたという記録があります.頭髪に赤い光を与えるために使用していたようで,一種の整髪料のような役割だったようです.


385年にはTheodorus Priscianusが髪を石鹸で洗うことを推奨しました.しかし当時の石鹸の品質は劣悪で,油っぽく,皮膚刺激のつよいものだったと考えられ,洗髪につかうにはキツかったようです.

オリーブ Olea europaea

石鹸ははじめ,獣脂と灰を煮てつくる刺激のつよいものでしたが,やがて8-9世紀ころには地中海地方ではオリーブ油で固形石鹸をつくる技術が確立しました.


とくにスペインのカスティーリャ地方のものが有名で,現在でもカスティーリャ石鹸 (Castile soap) といえばオリーブ油でつくられる固形石鹸のことを指します.オリーブ油でつくった石鹸は,獣脂をつくった石鹸よりも良い香りがしたそうで,皮膚への刺激もすくなかったようです.


こうした石鹸製造技術は,中東の方から十字軍や商人を介して,「アルカリ」という言葉とともに伝わったと考えられています.


地中海沿岸など海岸砂地に自生する塩生植物 (Barillaなどと呼ばれました) には炭酸ナトリウムが25-30%含まれており,昆布には10-15%含まれています.十分な量を得るには大量の植物を消費しなければならなかったため*2,炭酸ナトリウムは非常に高価だったようです.

2.トロナ

アルカリとしては前節のような植物性のアルカリのほか,鉱物性のアルカリも使われてきました.
【参考】洗濯(4):アルカリ剤


古代エジプトでは古くからトロナ(Na2CO3・NaHCO3・2H2O)と呼ばれる炭酸ナトリウムNa2CO3を含む岩石が産出し,さまざまな用途に用いられてきました.

トロナ

第18王朝の頃には,エジプト北部,カイロから北西に100 km離れた場所に位置するWadi Natrunでトロナが産出することが知られていました.ここにある湖は強いアルカリ性で,暑い夏には一部が干上がり,トロナを回収することができました.


トロナは当時nṯrj と表記されました.後にギリシャ語ではnitron,アラビア語ではnatrun,中世ヨーロッパではナトロンnatronと呼ばれました.ドイツでは1809年,トロナに含まれる"ナトリウム"の元素名としてLudwig Wilhelm Gilbert (1769-1824) がnatroniumと呼ぶことを提案し,これが1811年,Berzeliusによって縮められ「ナトリウム (natrium)」となりました.これが日本語でナトリウムと呼ばれ,Naと表記する由来です.


トロナは様々な国へ輸出され,布を洗うのに使ったり*3,口に含んで口の中をきれいにしたり,お香の原料にしたりしていました.また,炭酸ナトリウムは空気中の水分を吸収するため,塩とともに肉の保存やミイラの作製にも使われていたようです*4
 \mathrm{Na_2CO_3 + H_2O + CO_2 \longrightarrow 2NaHCO_3}

病気から回復した後には,社会に復帰する前の儀式として塩やトロナで身体を浄化する必要があるなど,実用面だけでなく宗教面でも重要な物質だったようです.

3.アルカリとガラス

植物灰やトロナといったアルカリは,ガラス製造にも用いられました.


ガラスの原料となるケイ砂の主成分はシリカSiO2ですが,融点が1700℃以上と非常に高く,直接溶かして成型するのは大変です.

一方でNaやKなどのアルカリ金属が混ぜたガラスはSiO2のネットワーク構造の一部が壊された非晶質となります.そうすると,例えばNaを混ぜた場合は軟化温度が750℃程度*5に下がり,成型しやすくすることができます.


Naを混ぜたソーダ石灰ガラスは軟化温度が低く扱いやすいため,世界各地で作られました.


一方Kを混ぜた場合は軟化温度がやや高くなり成型が難しくなります.ただし着色性はよく,膨張しづらいことからカリ石灰ガラスとして高級容器などに使われてきました.


ちなみに,そのままでは耐久性の劣ったガラスができてしまいます.そこで安定剤として石灰などCaを加えるなどの工夫が施されました.17世紀イギリスの鉛ガラスのようにPbを添加してもOKです.


このように,ガラス製造では,ソーダ灰などのアルカリを混ぜて軟化温度を下げることが非常に重要です.

エジプト第18王朝のガラスコップ (前1550-前1295頃) By Einsamer Schütze - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=3160491

古代オリエントでは,紀元前3000年頃からガラス製造*6が盛んになりました.はじめはアルカリとしてカリウムをよく含む地中海沿岸や砂漠の植物の灰が用いられました.


を用いる方法や,固めた泥粘土を芯として作った後にこれを掻き出して中空にするコアガラス技法などが開発され,さまざまなガラス製品が作られました.


一時は地中海地方での海洋民族の進出によりガラス製造は途絶えますが,情勢が安定した紀元前750年頃からはガラス製造が復興しました.


この時期からはエジプトのWadi Natrunなどで得られたナトリウムをよく含むトロナがアルカリと使われました.


ヘレニズム期にはアレクサンダー大王 (前356-前323)が新首都として建設したアレキサンドリアがガラス製造の中心地となり,新技法*7がどんどん開発されました.


帝政ローマ時代の紀元前1世紀頃には吹きガラス法が開発されました.吹きガラス法によって表面が滑らかで薄いガラスの器を短時間で作ることができるようになりました.

古代ローマの骨壷 (1-3世紀頃) By Luis García, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5611887

ローマ帝国では,クレオパトラ7世 (前69-前30)の治めるプトレマイオス朝を滅ぼしエジプトを支配下においたことでトロナを安定に確保できるようになり,ガラス製造が一気に発展しました*8


製造されたローマンガラスはシルクロードに代表される交易路を経て世界中に広まりました.


さて,はじめのうちはイタリアでのガラス製造が盛んでしたが,森林資源の枯渇や環境問題からガラス製造が難しくなりました.


結果として,植民地政策も相まって北西ヨーロッパへとガラス製造の中心が移っていきました.エジプトのトロナはドナウ川ローヌ川を経て運ばれ,各地の川流域の工場でガラスが作られました.



やがてローマ帝国が滅亡しカロリング朝の時代,温暖になったことで活発化したヴァイキングの活動により内陸のトロナ輸送ルートが大きく制限されてしまいました.さらに,ナイル川の水位が異常に低下したためにWadi Natrunのトロナが枯渇してしまいました.


そこでアルプス以北の地域では,トロナの代わりにカリウムが含まれるブナ*9シダなどのカリウムKを多く含む植物灰がガラス製造に使われるようになりました*10

Waldglass (17世紀頃)

燃料にもアルカリにも木材を必要としたので,アルデンヌやロレーヌ,チューリンゲン,ボヘミアなどのでガラスが作られました.そのため,森林ガラスWaldglassなどとも呼ばれました.


Kを多く含むと風化しやすいなど耐久性が悪いガラスとなってしまうので徐々にKの割合は減らされました.


しかしそうすると,ガラスの軟化温度が高くなってしまいます.


そこで14世紀頃からは高温を実現するため,当時普及し始めた水車駆動のふいごが活用されました*11

シャルトルの大聖堂のステンドグラス (13世紀) By MOSSOT - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=11144761

こうしたガラスはキリスト教の拡大とともに建設された教会や修道院の窓ガラスに使われました.不純物を多く含むガラスは不思議な色彩や光彩効果を醸し出し,その着色技術は12世紀以降ステンドグラスとして発展していきました.


一方でヴェネチアではローマ時代の伝統的なガラス製造技術が生き残りました.トロナは手に入らなくなりましたが,そのかわりにBarillaと呼ばれる海草などから得られる,Naが多く含まれる灰がガラス製造に用いられました.

Halogeton sativus

スペイン産のBarillaは炭酸ナトリウムが20-33%含まれていました.


おそらくはスペイン半島をイスラム王朝が支配したころ(8-15世紀)に栽培が始まったと考えられています.種子を沿岸部では10月~1月に,内陸部では3月~4月に植え,7月~8月に成熟したところを収穫したようです.


収穫した株は山積みにして乾燥させ,28-40時間かけて燃やして灰にしました.6時間交代で火加減を調節しなければならない重労働だったようです.燃やしたあとは地面に掘った穴の中で細かく砕き,水を注いで土で蓋をし,2日以上おいて固めてから出荷しました.


1450年代にはヴェネツィアのガラス職人のAngelo Barovier (1400?-1460)が美しい無色透明のクリスタルガラスを発明し,非常に注目を集めました.

Cristallo (1500年頃)

その製法はヴェネツィアの秘密*12として長年にわたり死守されました.

4.まとめ

植物灰やトロナなどのアルカリは洗濯やガラス製造などに広く用いられてきました.


しかしこれらは天然資源で限りがあったため,供給の安定性などに問題がありました.


そこで次回以降紹介するように,化学の発展とともにアルカリを人工的に製造するソーダ工業が勃興しました.


参考文献

"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"Evaporites of the Wadi Natrun: Seasonal and Annual Variation iand its Implication for Ancient Exploitation" A.J.Shortland, Archaeometry 46 297-516 (2004).
"Sodium carbonate - From natural resources to Leblanc and back" J. Wisniak, Indian Journal of Chemical Technology, 10, 99-112 (2003)
"A History of Chemistry" J.R. Partington, Macmillan (1962).
"Ancient and Contemporary Industries Based on Alkali and Alkali-Earth Salts and Hydroxides: The Historical and Technological Review" R. Wasseman, Ionic Liquids - Thermophysical Properties and Applications. IntechOpen. https://doi.org/10.5772/intechopen.99739 (2021).
"The composition of the soda-rich and mixed alkali plant ashes used in the production of glass" M.S. Tite, et al. Journal of Archaeological Science, 33, 1284-1292 (2006).
"Tradition and Experiment in First Millennium A.D. Glass ProductionThe Emergence of Early Islamic Glass Technology in Late Antiquity" J. Henderson, Acc. Chem. Res. 35, 594-602 (2002).
"N and Na -The Egyptian Connection" M.R. Feldman, Journal of Chemical Education, 57, 877-878 (1980).
"Dictionary of Arabic and Allied Loanwords" F. Corriente (2008).
"From the barrilla to the Solvay factory in Torrelavega: The Manufacture of Saltwort in Spain" J.F. Pérez (1998).
“Name game: the naming history of the chemical elements: part 2—turbulent nineteenth century” Paweł Miśkowiec, Foundations of Chemistry, 25, 215-234 (2023).
『ガラスの歴史』田中廣,丸善プラネット (2022).
『古代の技術史』R.J. フォーブス,朝倉書店 (2008).
『ガラスの文明史』黒川高明春風社 (2009).
『元素に名前をつけるなら』江頭和宏 (2022).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:メソポタミアでは洗濯という概念が重要視されていたようで,ある集落では懺悔の月に自身の服を特定の日に洗濯するルールになっていたようです.

*2:フランスやイギリスでは海藻を採集しすぎると漁師の収入などに大きく影響するため,厳しく取り締まられました.

*3:ラムセス2世 (在位:紀元前1279-1213) の頃.

*4:メキシコでも一部産出し,スペインに征服される前は調味料に使っていたようです.

*5:ガラスは明確な融点を持ちません.

*6:おそらく西アジア発祥と考えられています.紀元前6000年頃から使ってきた自然銅が枯渇し,紀元前3500年頃から銅が精錬されはじめました.銅の精錬には1100℃程度の熱が必要ですが,精錬中に窯壁から溶け出した粘土のSiO2と,燃料である木材の灰が偶然反応してガラス状のものが発生したという説があります.その後,メソポタミアやエジプトに広がったと推測されています.

*7:浅い皿を作るミレフィオリ法や,光沢の美しいスラッピング技法,2層のガラス容器に金箔を挟むゴールドサンドイッチグラスなどです.

*8:ローマンガラスの製造技法はササンガラスやフランクガラスなどに受け継がれました.特にササン朝ではネストリウス派のガラス職人が積極的に保護され,美しいカットガラスが発展しました.フランクガラスではトロナが用いられましたが,ササンガラスではアルカリとして植物灰が用いられたようです.後にこの地域を支配したイスラムにもガラス製造技術は継承され,鮮やかな彩色技術が発展しました.

*9:鉄やマンガンを多く含むので,ガラスが緑色に着色されました.

*10:イスラムガラスではNaを多く含む植物の灰が使われるようになりました.

*11:この時期からは交易ルートが再開されたので,ソーダと混ぜて耐久性を向上させるなどの技法も開発されました.

*12:レヴァントの塩分の多い土地に自生する植物の灰と,ティチーノ川の珪岩.