化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

アルカリの歴史(4):カリウム塩

樹木灰に含まれる炭酸カリウムは長らく炭酸ナトリウムと同一視されていましたが,やがて独立した物質だと判明しました.

Staßfurtのカリウム塩工場 By Unbekannt. Recherche:Dr. Günter Pinzke - "HUNDERT JAHRE STASSFURTER SALZBERGBAU", Anhang zu der anläßlich der Hundertjahrfeier vom Kaliwerk Staßfurt am Tage des Bergmannes 1952 herausgegebenen Festschrift, Kaliwerk Staßfurt (VEB), Staßfurt 1952., CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23288049

1851年,ドイツのStaßfurtでカリウム鉱が発見されると,ほぼ樹木灰しかなかったカリウム塩市場は大きく変化しました.その後各地でカリウム鉱が発見されましたが,土地ごとに含まれる不純物は異なりました.


カリウム塩産業の歴史は,不純物だらけの鉱石から純粋なカリウム塩を得ようとした化学者たちの苦闘の歴史でもあります.


今回は自然から天然のカリウム塩を得る方法について,歴史と共に見ていきましょう.



アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム
アルカリの歴史(2):ルブラン法
アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
アルカリの歴史(4):炭酸カリウム
アルカリの歴史(5):電気分解
アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム
アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素
アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
アルカリの歴史(9):戦争とアンモニア

1.灰と石鹸,硝石

炭酸カリウムK2CO3は,もともと炭酸ナトリウムNa2CO3とは区別されていませんでした.はっきりと別の物質だと認識されるようになるのは,18世紀にデュモンソー (Duhamel du Monceau, 1700-1781) *1やAndreas Sigmund Marggraf (1709-1782) が性質を詳しく調べてからです.


炭酸カリウムは,昔は樹木の灰から得るのが一般的でした.そのため,英語ではポタシュpotashと呼びます.ポット (pot) で樹木などの灰(ash)を煮出して乾燥させて得ていたのでそう呼ばれました.ポタシュには炭酸カリウムが10-20%含まれていました.


ポタシュはそのままでは不純物が多く含まれていますが,さらにきれいに精製したものはパールアッシュpearl ashと呼ばれました.パールアッシュには炭酸カリウムが40-80%含まれていました.


灰に含まれる化合物は木材の種類や燃焼温度によって違うようです.

《糸杉と星の見える道》フィンセント・ファン・ゴッホ,1890年,油彩

例えば糸杉*2を600℃で燃やした場合はCaO,MgO,Ca(OH)2,K2CO3,K2Ca2(SO4)3が得られますが,800℃で燃やした場合はCaOやMgO,K2CO3がメインに得られます.900℃以上になると,K2CO3は分解してしまいます.
 \mathrm{ K_2CO_3 \longrightarrow K_2O + CO_2 }

炭酸カリウム含有量の多い灰を得るには,まずは原料や燃焼条件が重要です.


Ashurbanipal (BC 669-631?) Carole Raddato from FRANKFURT, Germany - British Museum, CC 表示-継承 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=45977056による
アッシリア帝国黄金期最後の王であるアッシュバニパル (在位 前668-631?)の治世,アッカド語の資料によれば,ギョリュウ(tamarisk),ナツメヤシ,マツカサの灰が使われていたようです.他にもMaskatalなる植物が登場するのですが,これはいまだに何の植物かわかっていません.


灰を水にとかした灰汁は19世紀後半に石鹸が本格的に普及するまでの約5000年の間,一般市民の主な洗浄剤として使用されていました.


一方で,油脂と反応させて石鹸をつくることも行われていたようです.

紀元前2200年ころ,ウル第三王朝の記録には油と灰を1:5.5でまぜてつくると書かれています.結構灰をいれていたみたいですが,おそらく製法の問題で炭酸カリウムの含有量がそこまで高くなかったからだと考えられます.


石鹸の製法はその後,フェニキア人からエジプト*3へ伝えられたと推測されています.その後石鹸製造技術はおそらくガリア人へと伝わり,のちにローマに伝わりました.

Gaius Plinius Secundus (23-79)

プリニウス (Gaius Plinius Secundus,23-79) の『博物誌』には,現在のフランス付近に住んでいたガリア人が,動物からとった油脂とブナやシデといった樹木からとった灰から石けんをつくっていたという記録があります.頭髪に赤い光を与えるために使用していたようで,一種の整髪料のような役割だったようです.


このようにカリウムは植物の灰から得ていました*4.はじめはヨーロッパ全域には森林資源が豊富にありましたが,やがて南部では資源が枯渇し始め,徐々に北西ヨーロッパロシアにその生産地を移していきました.


中世以降のヨーロッパでは,炭酸カリウム火薬の原料である硝石の製造においても重要な役割を果たしました.
【参考】黒色火薬の歴史(2):硝石


ヨーロッパも硝石はほとんど取れませんでした.そのため,わずかながら家畜小屋や納屋の壁や土から微量な硝石を掘り起こすしかありませんでした.一部では人工的な作硝丘での製造も行われましたが,いずれも不純物として吸湿性の高いCa(NO3)2が混じるのが問題でした.


そこで1280年頃イスラムで開発された木灰を用いる方法が途中から取り入れられられるようになりました.木灰は主成分がK2CO3で,不純物のCa(NO3)2と反応することでKNO3が生成されます.*5
 \mathrm{Ca(NO_3)_2 + K_2 CO_3 \longrightarrow 2KNO_3 + CaCO_3}


フランスでは石造りの建物や厩舎の壁などに自然に生じた塩っぽいものを必死にかき集め,これを精製して硝石を製造しました.1669年から1775年の期間では年間70万-180万kg生産されていたようです.


七年戦争 (1754-1763) で貴重なフランス領インドを失ってからは,特に自給自足にこだわるようになりました.1775年には政府が硝石製造・改良について科学アカデミーへ要請し,アカデミーはこれを受けて研究論文のを設けました.


硝石の正体は長らく謎で,野菜や鉱物から生成されるもの,あるいは生物だとする説もありました.硝石製造法として伝わる灰を加えるステップも理由はよくわかっていなかったようです.


やがて硝石は硝酸と塩基からなる塩の一種であり,灰を加えると溶解度の違いによりKNO3を取り出せるというところまで突き止めることができました.


硝石製造の仕組みがわかったことでフランスでは硝石産業が盛んになりました.


特にフランス革命勃発(1789年) の後は革命の中心となったサン・キュロットたちが硝石の採集を頑張り,共和国政府によりすべての森林を燃やし尽くして製造に必要なに変換することが呼びかけられました.

サンジェルマン・デ・プレの修道院(17世紀)By Gérald Garitan - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=12746834

そうして全土から集められた原料がサンジェルマン・デ・プレの旧修道院につくられた巨大な硝石工場で精製され,パリ近郊の工場で火薬に変換されました.


その結果,「フランスの第二次作戦のための火薬が不足しているという噂をサン・キュロットが無効化した」とまで言わしめました.


このように,戦争続きの大陸では樹木灰の需要がかなり大きく,17世紀ころから徐々に植民地として開発されていったアメリでは樹木灰が主要な収入源となりました.ロシアとの関係悪化をうけて1751年にイギリスがアメリカ産樹木灰の関税を撤廃し,19世紀初頭に生産技術が改良されると,ポタシュ産業は飛躍的に成長しました.


ちなみにスコットランドなどでは昆布などの海草の灰もアルカリ製造に用いられていました.こちらはナトリウムNaが多めです.
【参考】アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム


スコットランドの海草灰はミョウバン製造に利用され,残りは肥料として重宝されました.スコットランドの海草灰産業はやがてルブラン法に押し負けていきました.
【参考】アルカリの歴史(2):ルブラン法

2.Staßfurtと再結晶

しばらくロシアや北欧,植民地アメリカなどの樹木の灰から得ていたカリウム塩ですが,1851年,ドイツのStaßfurtカーナライトKMgCl3・6H2Oなどカリウムマグネシウムを含む鉱床が発見されると,状況は大きく変化しました.

Staßfurtのカリウム塩工場 By Unbekannt. Recherche:Dr. Günter Pinzke - "HUNDERT JAHRE STASSFURTER SALZBERGBAU", Anhang zu der anläßlich der Hundertjahrfeier vom Kaliwerk Staßfurt am Tage des Bergmannes 1952 herausgegebenen Festschrift, Kaliwerk Staßfurt (VEB), Staßfurt 1952., CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=23288049

カリウム鉱床は,大昔にその地域のの水分が蒸発することで形成されます.海水にはK+の他にNa+,Ca2+,Mg2+,Cl-,SO42-などが含まれていますので,これらのイオンからなる岩石が形成されます.Stassfurtの鉱床はペルム紀(約2-3億年前)に形成されたものでした.


1840年元素分析法を開発したドイツのリービッヒ(Justus Freiherr von Liebig, 1803-1873) は土壌と植物の物質循環に着目し,『有機化学の農業および生理学への応用』において,植物の栄養源には炭酸ガスアンモニア,水,リン酸,硫酸,ケイ酸,カルシウム,マグネシウム,そしてカリウムなどが必要であると主張しました.

甜菜の畑 (スイス)

Staßfurtに近いMecklingenにある,甜菜(ビート) から糖をつくる加工工場*6で働いていたアドルフ・フランク (Adolph Frank, 1834-1916) *7は,リービッヒの著作からカリウム塩の必要性を知っていました.

Adolph Frank (1834-1916)

後にわかったことですが,特に甜菜(ビート)はカリウムを吸収しやすく,土壌中のカリウムが不足しやすかったそうです.


フランクはStaßfurtで行われていた岩塩産業で廃棄される物質を調べました.


Staßfurtでは806年頃にはすでに塩水が湧き出ることが知られていて,中世から塩水からの食塩製造が行われていました.徐々に湧き出る塩水の濃度が薄くなると,1839年からは岩塩採掘を目指し政府によって掘削がはじまりました.1843年には岩塩層に達しましたが,この層にはKClやMgSO4などの不純物が大量に含まれていました.これはNaClの製造には邪魔ですので廃棄されていました.


フランクはNaCl製造で廃棄された物質を調べたところ,水に溶ける成分が植物の成長を促進することを明らかにしました.これが,塩化カリウムKClでした.


1861年,フランクはカーナライトからカリウム塩を回収する工場を稼働させ,肥料に使えるようにしました.


Staßfurtではまず,25℃くらいの塩化マグネシウム溶液にカーナライトKMgCl3・6H2Oを溶かして分解し,飽和させます.このとき,予め入っているMg2+やCl-による共通イオン効果で,NaClやMgSO4が沈殿します.


この溶液にさらにカーナライトを加えていくか,水を蒸発させるとKClが溶けきれなくなって析出する*8ので,これを回収します.


こうして回収されたKClは不純物を含みますので*9,今度は熱水に溶かしてから冷やし,再結晶によって純粋なKClを得ることができました.


1865年,フランクは溶液中に残った臭化マグネシウムMgBr2から臭素Br2を回収する方法を開発しました.これによりドイツは臭素の一大生産国になりました.
 \mathrm{MgBr_2 + Cl_2 \longrightarrow MgCl_2 + Br_2}


こうして得られたドイツのカリウム*10は肥料市場をほぼ独占しました.結果として,樹木灰によるポタシュ産業はヨーロッパ・アメリカから姿を消しました.


カリ資源を大きくドイツに依存するという構造は第一次世界大戦中かなり問題になりました.戦時中はドイツに新しい工場を作らせまいと各国が妨害しましたが,1910年には69ヶ所だった工場が1918年には198ヶ所まで増えました.


1904年にはフランスとの国境に近いアルザスでもカリウム鉱床が発見されました.大戦前はドイツにより一部開発されましたが,Staßfurtへの影響も考え,将来のために一時中断されました.

ヴェルサイユ条約の調印 (1919)

戦後にヴェルサイユ条約アルザスがフランスへ変換されると,アルザスにあったカリウム工場はフランスのものとなり,ドイツとカルテルを結成しました*11

3.Searles湖とTrona法

ドイツ・フランスのカルテルアメリカにとって大問題です.これでは搾取されるだけですから,アメリカでも国内でカリウム資源を開発する必要があります.


実はアメリカでは,戦時中にカリウム資源の開発を進めていました*12.その代表例として,化学的に興味深いカリフォルニア州Searles湖をみてみましょう.

Searles湖 By Bobak Ha'Eri - Own work, CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1547676

Searles湖はモハーベ砂漠にある塩湖です.地下100 mほどのあたりには,塩水が多く存在しました.


Searles湖の地下水はKClやNaClの他に,ホウ酸BO33-を含むのが特徴的です.他にもSO42-やCO32-を含んでいます.


Searles湖ははじめ,ホウ砂Na2B4O7・10H2Oを得るために利用されました.


1863年に探検家J.W. Searlesが通りがかった時,ネバダの西の方にあったホウ酸塩が産出する湖と似ていることに気づきました.そして1870年代からSearles湖の泥を使ったホウ砂の製造を始めました.Searles湖の名前は彼に由来しています.


はじめはうまくいっていたのですが,低コストでホウ砂が得られるコールマナイトCa2B6O11・5H2Oが別の場所で発見されるとSearles湖でのホウ砂製造は太刀打ちできなくなりました.結果として,1895年にホウ砂製造工場は閉業してしまいました.


1907年には,今度はホウ砂ではなく炭酸ナトリウムNa2CO3の製造拠点として注目されるようになりました.


炭酸ナトリウムを製造した会社のうち,California Trona Company社は1908年に破産し,管財人の管理化におかれるようになりました.管財人は債権を存続させるため,穴をほってみて鉱床の利用価値を検証しました.すると,Searles湖の地下水にはカリウムが多く含まれることが判明しました.


この頃,アメリカはカリウム塩肥料ドイツからの輸入に頼っていました.しかしながら1910年にドイツとの肥料輸入交渉が決裂すると,カリウム塩が輸入できなくなり,供給源の確保が急務となりました.


そこで1912年,政府の委員会はSearles湖でのカリウム塩製造の可能性に着目しました.


Searles湖の地下水はたいへん複雑な組成をしていたため溶解度のふるまいがかなり特殊で,ドイツでの製造方法は使えませんでした.そこで,化学者たちは前例のない新しい製造方法を考案する必要に迫られました.


予備実験として検証したHornsey法はどうやら期待が持てそうでしたので,1913年にはAmerican Trona Corporation社が設立され,工場の建設が進められました.


しかし1914年,工場まで建造したHornsey法が,うまくいかないことが発覚してしまいました.タイミング悪く,第一次世界大戦が勃発し,カリウム塩の輸入が完全にストップしてしまいました.大ピンチです.


そこで地下水の濃縮液を冷却方法を改善し,カリウム塩をホウ砂を,ラフではあるものの,なんとか分離可能なGrimwood法を開発しました.Grimwood法による工場は1916年から稼働をはじめ,これにより戦時中のカリウム塩を供給することができるようになりました.


1920年代には新しく確立された真空技術も取り入れられ,Searles湖でのカリウム塩製造法はTrona法として完成しました.


Trona法は9種類以上の成分からなる水溶液のそれぞれの溶解度の振る舞いを調べ上げ確立された,まさに当時の叡智の結晶と言っても良い方法です.簡単にそのしくみをみてみましょう.


まずSearles湖の地下水を取ってきて,ここから水分を取り除いて結晶化させるのですが,その際の条件が重要です.


通常,こうした湖の水は太陽の下で自然に蒸発させて塩を回収させていましたが,ここでそんなことをやったらとんでもないことになります.


20℃で自然に蒸発させた場合,NaCl, KCl, K3Na(SO4)2,Na2CO3・7H2O,Na2CO3・NaHCO3・2H2O,Na2B2O4・2Na3PO4・36H2O,Na2B2O4・2NaCl・4H2Oなど,なんと8種類以上の塩が析出するのです.とてもじゃないですが,手に負えませんね.


こうなってしまうと,カリウム塩とナトリウム塩を分離するのはほぼ不可能です.


そこで水溶液のそれぞれの塩濃度を微妙にコントロールしつつ,113℃付近で水分を蒸発させます,すると,NaClやNa6CO3(SO4)2,Li2NaPO4といったナトリウム塩を水溶液から沈殿させ,分離することができます.

残った水溶液にはKClやホウ酸塩がキープされています.


次に,残った溶液を真空条件で蒸発させながら約38℃に冷却します.するとホウ砂は過飽和しやすいので水溶液中にのこったまま,KClが析出します.


析出したKClには若干KBrやNaCl, NaSO4がまじっていますので,塩素Cl2を吹き込みつつ再結晶操作を行うことで,純粋なKClを得ることができます.
 \mathrm{2KBr + Cl_2 \longrightarrow 2KCl + Br_2}


以上の工程でKClが製造されますが,他の塩も同時に回収することができました.


たとえば最初の工程で得た析出物(NaClやNa6CO3(SO4)2,Li2NaPO4)からは,溶解度の差によりNaClを含む溶液,溶けづらいNa6CO3(SO4)2を含む溶液,もっと溶けづらいLi2NaPO4をそれぞれ分離することができます.


Na6CO3(SO4)2を含む溶液にはNa2SO4が含まれているので,まずは真空による結晶化でこれを回収します.


Na6CO3(SO4)2そのものは温度が上昇すると溶解度が低下するので,溶液にNaClを加えて共通イオン効果の助けをかりつつ53℃に加熱し,析出させて取り除きます.


残った水溶液を5℃に冷却すると,今度はNa2CO3が析出します.再結晶によって得られたNa2CO3は,アンモニアソーダ法と遜色のないものでした.


一方で,KClを析出させる過程で残った溶液を液体アンモニアでさらに冷却するとホウ砂が得られます.こちらも商品として売りに出されました.


こうして様々な塩を製造できたTrona法は,アメリカのカリウム塩産業のさきがけとなりました*13

4.Carlsbadと浮遊選鉱

その後アメリカのニューメキシコ州Carlsbadで大規模なカリウム鉱床が発見され,1931年以降そちらに製造の中心が移りました.

Carlsbad By Emann15 - Own work, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20243720

Carlesbadの鉱床はペルム紀(約2-3億年前)に形成されたものでした.ここで産出するのは,シルビナイト(NaClとKClからなる岩石)やラングバイナイトK2Mg2(SO4)3です.


シルビナイト溶液中のNaClは通常とは異なった挙動をするので面白いです.


普通,NaCl水溶液は加熱するとNaClの溶解度が上昇し,冷却すると低下します.そのため,冷やすと溶けきれなくなったNaClが析出します


一方でシルビナイト水溶液の場合,NaClの溶解度は冷却すると上昇します.KClの溶解度は冷却すると低下するので,水溶液を冷却するとKClのみを析出させることが可能です.


とはいえ,それでも水溶液を沸点近くまで加熱する必要があったため,大量生産の場合は加熱にコストがかかりました*14


そこで1935年,Carlsbadではもっとコストの低い浮遊選鉱とよばれる手法が採用されました.


まず,細かく砕いた鉱石をKCl-NaCl溶液に溶かしてドロドロにします.そして油脂と,-NH3+基を含む脂肪族アミンなどの界面活性剤と一緒にまぜます.


そうして浮いてきた鉱物は,なぜかカリウムを多くふくむので,これを回収します.


この段階では60%以上がK2Oですが,まだ売り物にできるレベルではありません.回収物を洗って,ようやくある程度純粋なカリウム塩を得ることができます.


なぜKCl粒子が浮いてくるのか?はいろんなモデルがありますが,ここではもっともシンプルなモデル (exchanging theory) でその様子を見てみましょう.


NH3+ (半径0.143 nm) はK+ (半径0.135 nm)と非常に大きさが近いので,KCl結晶にK+と入れ替わって入り込めます.

一方,Na+ (半径0.095 nm) とはサイズが異なるので,NaCl結晶には入り込めません.結果として,KCl粒子は脂肪族アミンがたくさん付着し,疎水性になって水に浮かびます.NaCl粒子は溶けたままですので,浮いてきた鉱石にはKClが多く含まれるというわけです.もっともこのモデルも完璧ではなく,説明のつかない現象もあります.


ちなみにCarlesbadの鉱石は粘土を多く含み,これが界面活性剤などを吸着して精製効率をおとしてしまいます.そこで,グアーガムやカルボキシメチルセルロールなどを加えて,吸着を抑えたりします.


その後,1960年代からはカナダのSaskatchewanにある世界最大のカリウム鉱床が利用され始めました.これはデボン紀(約4億年前)に形成されたものです.

5.まとめ

天然資源からカリウム塩を得るには,他の物質による溶解度への影響を正確に調べ,それぞれの資源ごとに,目的物だけを分離する適切な方法を開発する必要がありました.


こうして得られるカリウム塩は,その水溶液を電気分解することでアルカリである水酸化カリウムを得ることができます.


次回は電気分解についてみていきましょう.

参考文献

"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"POTASSIUM CHLORIDE FROM THE BRINE OF SEARLES LAKE" R. W. Mumford, Ind. Eng. Chem. 30, 872–878 (1938).
"Ash properties of some dominant Greek forest species" S. Liodakis, et al. Themochimica Acta 437, 158-167 (2005).
"Manufacture of Soda" Te-Pang Hou, New York (1923, 1942).
"The Alkali Industry" R.J. Partington (1919).
"Potassium chloride from the brine of Searles Lake" R.W. Mumford, Industrial and Engineering Chemistry, 30, 872-878 (1938).
"Chemistry of the Trona process" W.A. Gale, Industrial and Engineering Chemistry, 30, 867-871 (1938).
"Nitrogen Capture" A.S. Travis (2018).
"Minerals Yearbook" United States Department of the Interior (1935).
“The origins and early development of the heavy chemical industry in France” J.G. Smith, (1979).
"Manufacture of Soda" T. Hou (1942).
“Historical and technical developments of potassium resources” D. Cicer, et al. Science of The Total Environment, 502, 590-601 (2015).
"The Alkali Industry" J.R. Partington (1919).
『酸,アルカリ及肥料 下巻』庄司務(1937年)
無機化学研究会』広川書店 (1964).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:1737年のことです.Pottにより一時否定されましたが,Marggrafの炎色反応を用いた実験により裏付けられました.

*2:Cupressus sempervirens.

*3:紀元前1550-1200年のパピルス紙の記録からは油脂とアルカリを一緒に煮たことがわかっていますが,これが石鹸製造目的だったかどうかはわかりません.また,第18王朝の遺跡からは鉛石鹸が発見されていますが,偶然の産物かもしれません.

*4:この他,ルブラン法によってカリウム塩を得る場合もあったようです. \mathrm{2KCl + H_2SO_4 \longrightarrow K_2SO_4 + 2HCl}  \mathrm{ K_2SO_4 + 2C\longrightarrow K_2S + 2CO_2}  \mathrm{K_2S + CaCO_3 \longrightarrow CaS + K_2CO_3}

*5:日本でも江戸時代後期にオランダからこの方法が伝わります.また,これ以外にも日本独自ともいうべき農耕型培養法が1570年頃から加賀藩で実施されています.

*6:甜菜糖産業はナポレオン時代にフランスで誕生し,ドイツをはじめとしたヨーロッパ諸国に広がりました.1880年頃には甜菜(ビート)の生産量がサトウキビの生産量に匹敵するまで成長しました.

*7:ビール用の茶色いガラス瓶を考案した人とも言われています.

*8:MgCl2:KClの比が3以下の場合はKClが単独で析出しますが,3を超えるとカーナライトとして析出します.

*9:ヨルダンの死海を蒸発して得られる析出物は,水にとかして回収するだけでも不純物のあまりないKClを得ることができます.1910年代から研究が進められました.

*10:塩化カリウムのほか,カーナライトを直接つかって炭酸カリウムをつくるEngel-Precht法も使われました. \mathrm{2KCl \cdot MgCl_2 \cdot 6H_2O + 3MgCO_3 \cdot H_2O + CO_2 + \longrightarrow 2MgCO_3 \cdot KHCO_3 \cdot 4H_2O + 4H_2O + 3MgCl_2}  \mathrm{2MgCO_3 \cdot KHCO_3 \cdot 4H_2O + MgO \longrightarrow 3 MgCO_3 \cdot 3 H_2O + K_2CO_3}

*11:その後,アルザスカリウム資源は1980年代頃枯渇してしまいました.

*12:今回例に挙げるカリフォルニア州のほか,1912年からはじまったネブラスカ州での開発が挙げられます.

*13:しかしながら操作としてかなり煩雑であったため,やがてホウ砂製造が中心となりました.

*14:鍋にたくさん水を入れると,沸騰まで時間かかるのをイメージするとわかりやすいです.