化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

滴定の歴史(5):ヨウ素滴定の開発

ヨウ素酸化還元反応を用いた滴定を,ヨウ素滴定と呼びます.ヨウ素はデンプンとの反応ではっきり検出できるのが特徴です.


ヨウ素デンプン反応を用いたヨウ素滴定はどのように成立したのでしょうか?

海草の収穫(北フランス) By Guy Courtois - Self-photographed, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6419590


今回は硝石産業や温泉と関わりの深い,ヨウ素ヨウ素デンプン反応の発見,そして滴定への応用の歴史をみてみましょう.



滴定の歴史(1):中和滴定の誕生
滴定の歴史(2):中和滴定と水素イオン濃度
滴定の歴史(3):電極によるpH測定
滴定の歴史(4):酸化還元滴定の発明
滴定の歴史(5):ヨウ素滴定の開発
滴定の歴史(6):ヨウ素滴定の発展
滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定
滴定の歴史(8):酸化還元指示薬
滴定の歴史(9):沈殿滴定

1.ヨウ素滴定とは

固体のヨウ素

ヨウ素酸化還元反応を用いて滴定する方法をヨウ素滴定と呼びます.


ヨウ素は水に少ししか溶けないのですが,ヨウ化物イオンと反応して黄色いI3-を生じると,水に溶けやすくなります.
 \mathrm{I_2 + I^{-} \rightleftharpoons I_3^{-}}

そのため,ヨウ素を滴定剤として用いる場合は,ヨウ化カリウムKI水溶液に溶かして使うことが多いです.


ヨウ素還元されるとヨウ化物イオンI-を生じます.
 \mathrm{I_2 + 2\textit{e}^{-} \longrightarrow 2I^{-}}

この反応を用いる滴定を,特にヨウ素酸化滴定(iodimetry)と呼びます.

ヨウ素デンプン溶液 By 384 - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=62272103

終点付近では過剰なヨウ素が消費されずにそのまま残ります.そのため,ヨウ素を検出する試薬,例えばデンプンを加えておくと,ヨウ素デンプン反応*1により青く呈色するので終点がはっきり判定できます.


一方でヨウ化物イオンは酸化されるとヨウ素を生じます.
 \mathrm{2I^{-} \longrightarrow I_2 + 2\textit{e}^{-} }

この反応を用いる滴定を,特にヨウ素還元滴定(iodometry)と呼びます.ややこしいですね.


滴定中はI3-の黄色が確認でき,終点付近ではやや薄くなります.しかしそれでははっきりとは終点が判定できません.


そこでちょっとヨウ化物イオンを過剰に添加し,行き過ぎた分をチオ硫酸ナトリウムの溶液で滴定するのが一般的です.
 \mathrm{2S_2O_3^{2-} + I_2 \longrightarrow  S_4O_6^{2-} + 2I^{-}}

このような操作を逆滴定と呼びます.


チオ硫酸ナトリウムで滴定する場合,終点付近では過剰のヨウ素が生じます.これは先程と同じく,ヨウ素デンプン反応ではっきりと検出可能です.


ヨウ素デンプン反応は,従来はヨウ素I2やI3-がデンプンのらせん構造に入り込み,可視光を吸収するようになるので青紫色に呈色すると考えられてきました.

実際にはらせん構造の中でI2やIn-,そしてそれがさらに連なった分子が存在し,これが色んな波長の光を吸収している可能性が指摘されています*2.こうして生成した様々な分子がいろんな波長を吸収し.結果として,例えばじゃがいものデンプンでは青紫色に見えていると考えられています.


また,異なる植物のデンプンを使うとヨウ素デンプン反応の色が異なることが知られています.例えばじゃがいものデンプンは青紫色ですが,もち米のデンプンは赤色っぽくなります.


これは,それぞれに含まれるデンプンの組成に関係があります.

デンプンにはα-グルコース分子がα1→4グリコシド結合で直鎖状につながったアミロースと,α1→6グリコシド結合による枝分かれ構造も持つアミロペクチンが含まれます.


ヨウ素が入り込んだ際の色は,直鎖状の部分が長いほど青くなることが知られています*3.重合度が20くらいだと,30くらいだと,40くらいで青紫,45くらいで青色に見えるようです.


アミロースの重合度は数千とも言われるほど長く長く連なっており,ヨウ素デンプン反応は濃い青色をしています.一方でアミロペクチンは一般にアミロースよりも直鎖状の部分が短く*4,アミロペクチンヨウ素デンプン反応は赤紫色になります.


アミロース・アミロペクチンの含有量はもとの植物によって大きく異なります.

じゃがいもアミロース2-3割ほど含まれるので青紫色に呈色します.

もち米 By katorisi - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=5958177

一方でもち米などはアミロペクチンほぼ100%*5なのでヨウ素デンプン反応が赤色になります


このように,ヨウ素はデンプンとの反応による色変化ではっきりと検出できるので,酸化還元滴定において重宝されてきました.

2.ヨウ素の発見

L.G.Toraud著『ベルナール・クールトアとヨードの発見(Bernard Courtois et la découverte de l'iode)』(1921)

ヨウ素I2は1811年,クールトア (Benard Courtois, 1777-1838) によって発見されました.


クールトアはフランスの硝石製造業者の息子として生まれ,しばしば硝石溶液からの抽出を手伝っていました.その後は薬剤師のもとで修行し,エコール・ポリテクニークでは化学を学びました.


父親の硝石業が失敗してからは債権者への支払いを手伝うためクールトア自身も苦闘していました.その暮らし向きは,あまり良いものではなかったようです.


硝石製造においては植物灰の利用が重要です.植物灰に含まれる炭酸カリウムK2CO3を用いることで,溶解度の違いにより吸湿性の高い硝酸カルシウムCa2(NO3)2などを取り除くことができます.
 \mathrm{Ca(NO_3)_2 + K_2 CO_3 \longrightarrow 2KNO_3 + CaCO_3}

クールトアは干潮時に海岸であつめた海草を燃やし,その灰を水で抽出することで海草灰soude de varechを得ていました.

海草の収穫(北フランス) By Guy Courtois - Self-photographed, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=6419590

海草灰には硫黄化合物が不純物として含まれているので,硫酸を加えてこれを分解していました.1811年,おそらくは硫酸を過剰に加えてしまった際に,見事な紫色の蒸気がたちのぼり,冷えると液体をつくらずにキラキラと輝く黒い金属状の結晶が生じました.ヨウ素の発見です.


クールトアはこの新物質の性質を自分の手で調べたかったのですが,貧しさのために仕事に追われて出来ませんでした.そこで彼は自分で作った新物質を友人のCharles Bernard Desormes (1777-1862)とNicolas Clément (1779-1841) に渡し,研究してくれるよう頼みました.

Joseph Louis Gay-Lussac (1778-1850)

この新物質の性質はクールトアの発見から2年後,友人たちによって発表されました.1813年,ゲイ=リュサック*6はこの新物質Xの性質が塩素と似た新元素であることに気づき,スミレ色の蒸気を発することにちなみ,ヨウ素iodeと名付けました*7


これでクールトアは化学者として輝かしい一歩を踏み出したのかと思われましたが実際はそうではありませんでした.本業である硝石業は安いチリ硝石には太刀打ちできず1815年には破産し,貧困のうちに1838年に亡くなってしまいました.


新元素であるヨウ素の反応性はたちまち化学者たちの注目を集めるところとなりました.


1814年,Jean Jacques Colin (1784-1865)とHenri-François Gaultier de Claubry (1792-1878)は植物や動物由来の物質に対してヨウ素がどのように作用するかを調べる過程で,いわゆるヨウ素デンプン反応を発見しました.

りんごでのヨウ素デンプン反応 By Kopiersperre - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=35837814

Claubryらはまた,塩酸などのが色味を赤く変化させることも指摘しています.これはどういうことでしょうか?


これは,酸によるグリコシド結合の加水分解で説明することができます.α1-4グリコシド結合が酸により加水分解されると,ヨウ素-デンプン反応に必要な糖の直鎖構造が短くなります.鎖長が短くなると吸収波長が変化し,赤くなると考えられます.


こうして発見されたヨウ素デンプン反応は,同年,Friedrich Stromeyer (1776-1835) によってヨウ素検出反応として用いられるようになりました.検出感度は非常に高かったようです.

サリーチェ・テルメ By Celestina Dondi - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=123371472

1822年には古代ローマ時代から温泉地として知られ,甲状腺腫に有効であったサリーチェ・テルメの鉱水中にヨウ素が含まれることが明らかにされました.いわゆる,含よう素泉ですね.


ヨウ素甲状腺に有効であることは1816年にはわかっていましたから*8,他の温泉や他の物質にも含まれていないか,ヨウ素デンプン反応によって精力的に調べられました.


紫色の蒸気を発する不思議な新元素,ヨウ素は,その色鮮やかな反応や人体への効能も相まってゲーテ (Johann Wolfgang von Goethe, 1749-1832) を始めとした当時の人々の興味をかきたてました.

3.ヨウ素滴定の開発

ヨウ素の発見から13年後の1824年,François Joseph Houtou de Labillardière (1793-1848) *9ヨウ素を,塩素漂白の漂白力定量する滴定分析に用いました.


もともと塩素漂白の力を測定するには,インジゴを用いた酸化還元滴定が用いられていました.しかしながらインジゴは植物由来であるため品質にばらつきがあり,正確な定量分析は困難でした.


そこでLabillardièreはインジゴとは全く違う物質を使って,測定結果のブレない漂白力定量を開発しようとしたわけです.


まず,ヨウ素炭酸水素ナトリウムNaHCO3デンプン,食塩*10とともに煮沸し,水で希釈した溶液を用意しました.


ここで起きていることは少々複雑です.まず,炭酸水素ナトリウム溶液中のHCO3-は溶液中のCO2と平衡状態にあり,煮沸するとCO2が追い出されてpHが上昇します
 \mathrm{CO_2 + H_2O  \rightleftharpoons H^{+} + HCO_3^{-} }
 \mathrm{ K_1 = \frac{\lbrack H^{+}\rbrack \lbrack HCO_3^{-}\rbrack}{\lbrack CO_2\rbrack} }


結果として溶液はフェノールフタレインが赤色に染まるくらいアルカリ性に傾きます.ヨウ素はアルカリ溶液中では不安定で,OH-と反応します*11
 \mathrm{3I_2 + 6OH^{-} \rightleftharpoons 5I^{-} + IO_3^{-} + H_2O}


この状態の溶液を滴定剤として,塩素ガスCl2石灰水Ca(OH)2に吸収させた溶液に加えました.
 \mathrm{2Ca(OH)_2 + 2Cl_2 \longrightarrow Ca(ClO)_2 +  CaCl_2 +2H_2O }

するとはじめは透明だったものが,終点付近で青色に着色したようです.


この解釈は大変難しいです.一般には,硫酸酸性中で次亜塩素酸をヨウ素滴定すると以下のように反応してヨウ素が生じます.
 \mathrm{HClO + H^{+} + 2I^{-} \longrightarrow Cl^{-} + I_2 + H_2O}

この場合,デンプンを最初から入れておくと滴定開始時に青色に着色するので,Labillardièreの実験結果とは異なります.


『分析化学の歴史』を著したSzabadváryはLabillardièreの実験結果を「はじめはヨウ素酸塩が生じるが,滴定終点付近ではヨウ素I2が生じる」と解釈しています.


これはおそらくアルカリ性で実験を行っているため,生じたヨウ素がすぐにヨウ素酸イオンIO3-に変化するので,
 \mathrm{3I_2 + 6OH^{-} \longrightarrow 5I^{-} + IO_3^{-} + H_2O}

滴定途中ではトータルで以下のような反応が起き,ヨウ素が生成されないと考えてのことでしょう.
 \mathrm{I^{-} + 3ClO^{-} \longrightarrow IO_3^{-} + 3Cl^{-}}

終点付近でヨウ素が生じるのは,(ここの解釈が難しいのですが)IO3-が過剰になったところに滴定剤のI-がそのまま供給され,さきほどの平衡が左に移動することで説明できるかもしれません.
 \mathrm{3I_2 + 6OH^{-} \rightleftharpoons 5I^{-} + IO_3^{-} + H_2O}

結果として,ヨウ素が生じてヨウ化物イオンI-と反応することでI3-が生成し,青色に呈色したのでしょう*12
 \mathrm{I_2 + I^{-} \rightleftharpoons I_3^{-}}


このようにヨウ化物イオンI-の溶液で滴定する方法は,のちにヨウ素還元滴定(iodometry)と呼ばれるようになりました*13

4.硫化水素ヨウ素酸化滴定

その後,ヨウ素滴定は様々な物質の定量に用いられました.

Allevard By Anthospace - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=20047005

例えばフランスのAlphonse du Pasquier (1793-1848) は1840年ヨウ素滴定を温泉中に含まれる硫化水素H2Sの分析に用いました.
 \mathrm{H_2S + I_2 \longrightarrow 2HI + S}

雄大なGraisivaudan渓谷にあるAllevardでは硫黄泉が湧出し,1834年には5-6個の浴槽からなる温泉施設がオープンしていました.呼吸器系の疾患に効果があるということでAllevardは後にオペラ歌手や政治家など,声が重要な職業の人々*14が療養のために訪れる人気観光スポットになりました.


Du Pasquierはこの鉱泉水の分析を命じられ,1ヶ月以上仕事に没頭しました.


当時.水サンプル中の硫黄成分を分析するには煩雑な化学反応を利用する必要があり,必ずしもその測定結果は安定したものではありませんでした.そこで彼は簡便な定量分析技術の代表格である滴定法のうち,ヨウ素による滴定法を採用したわけです.


温泉水を一定量磁器の容器に注ぎ,ここにデンプン溶液を数滴加えます.次にヨウ素のアルコール溶液*15硫化水素計sulphydromètreと呼んだガラス溶液に注ぎ,一滴ずつ毛細管から加えました.硫化水素計には目盛りがついていますから,流れ出たヨウ素液の体積が一目でわかります.これを使えば天秤を用いる必要はありません


終点付近では過剰のヨウ素*16によりヨウ素デンプン反応が起き,青色に呈色します.


一時間につき15-20回も実験ができたそうです.化学の専門的な教育を受けていない人でも,医者などであれば誰でも適用でき,大気の状態や降水による硫化水素含有量への影響などを調べることもできたようです.


この方法は熱烈に歓迎されましたが,Berzeliusはヨウ素を溶かすのに使うアルコール(エタノール)がヨウ素と反応してヨウ素が消費されてしまう可能性を指摘し,測定結果は正しくないと批判しました.ヨードホルム反応ですね.


そこでE. Filholは水に溶けにくいヨウ素でもヨウ化カリウムKI水溶液には溶けることを利用し,ヨウ素を溶かしたKI溶液を滴定剤として使う改良案を提示しました.


Du Pasquierの開発した方法はヨウ素の溶液で滴定していますので,ヨウ素酸化滴定(iodimetry)に該当します.

5.まとめ

こうして発展したヨウ素滴定は他の物質の検出にも使われていきました.


次回は一回に収まりきらなかったヨウ素滴定の歴史,後半戦です.


参考文献

"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
"On the Origin of the Blue Color in The Iodine/Iodide/Starch Supramolecular Complex" S. Pesek, et al. Molecules, 27, 8974 (2022).
"Handbook of Inorganic Chemicals" P. Patnaik (2003).
"From the early history of iodometric methods: from its inception to Robert Bunsen" S-P. Purifacación, et al, Anales de la real academica nacional de farmacia, 84, 276-288 (2018).
"Nouvelles observations sur un chlomètre, publié le 2 d'avril 1824" F.J. Houtou de la Billardière, Journal de pharmacie et des sciences accessoires,12, 264-268 (1826).
"The contributions of Payen and Labillardière to the development of colorimetry" L-G Oltra, et al. Bulltin for the History of Chemistry, 26, 57-65 (2001).
"Nouvelle méthode d'analyse des eaux sulfureuses, l'iode réactif de l'acide sulfhydrique; sulfhydromètre" A. du Pasquier, Annales de chimie et de physique, 73, 310-315 (1840).
"Some Experiments and Observations on a New Substance Which Becomes a Violet Coloured Gas by Heat" H. Davy, Philosophical Transactions of the Royal Society of London, 104, 74-93 (1814).
"Tourism diversification process around trail running in the Pays of Allevard (Isère)" C. Perrin-Malterre, Journal of Sport & Tourism, 22, 67-82 (2018).
"The Vocality of Sibyl Sanderson in Massenet's Manon and Exclarmonde" T.D. Thompson, submitted to the Royal College of Music, London (2016).
"Anályse des composés oxygénés du soufre"M.J. Fordos et A. Gélis, Annales de chimie et de physique, 9, 105-110 (1843).
"Studies on the structure of polysaccharides IV. Relation of the iodine color to the structure" M.A. Swanson, Journal of Biological Chemistry, 172, 825-837 (1948).
"The complex of amylose and iodine" X. Yu, et al. Carbohydrate Research 292, 129-141 (1996).
“The Action of Aqueous Alkali on Starches, Amyloses and Modified Starches” T.C. Taylor, et al. Journal of American Chemical Society, 55, 264-275 (1933).
"ヨウ素デンプン反応の安定性" 小山彰, 新潟県立教育センター研究報告, 53, 55-62 (1982).
ヨウ素デンプン反応の発色のしくみ”矢島博文,化学と教育 63, 228-231 (2015).
『ハリス分析化学』D.C. Harris, 化学同人 (2017).
『分析化学の歴史』F. Szabadváry (1988).
『元素発見の歴史』M.E. Weeks, H.M. Leicester (1989)

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:ヨウ素液をじゃがいものデンプン溶液にたらすときれいな青紫色に変化する,あの反応です.

*2:例えばI2は600 nmくらいの光を,I 3-は400 nmくらいの光を吸収しますが,I2-I3--I2は480 nmくらいを吸収して赤色に,I2-I5--I2は580 nmくらいを吸収して青色に見えると予測されています.

*3:おそらく,生成しているInm-の割合が異なるのだと考えられます.

*4:例えばじゃがいもデンプンに含まれる重合度は25くらいです.

*5:このおかげでモチモチになります.

*6:Clémentから物質をもらったようです.

*7:他にもフランスではギリシャ語でスミレをあらわすἴονからioneと呼ばれたりもしましたが,同時期にアンペールからもらったヨウ素を独立に調べていたDavyはその名前では混乱をきたすだろうということで塩素chlorineに似た名前としてスミレ色を意味するιώδηςから"iodine"を提案しました.

*8:ヨウ素を含む海草は古くから甲状腺腫の治療に用いられていたことからすぐに研究が行われ,William Prout (1785-1850)によって明らかにされました.

*9:博物学者として知られるJacques-Julien Houtou de La billardière (1755-1834) は叔父です.

*10:Labillardièreによれば,食塩中に含まれるアルカリ土類塩(おそらくはマグネシウム塩)が過剰のNaHCO3を取り除く,とのことです.一方で,アミロースの高次構造はNaClの添加により安定化するようですので,それにより呈色が良くなるといったことも考えられるでしょう.

*11:デンプンそのものも,一部は変化するものと考えられます.

*12:終点付近で青色になるのは,その後追試も行われていることから間違いないでしょう.

*13:従来のインジゴを指示薬とする手法と比較して画期的ではありましたが,その奇抜さから激しい論争を招きました.

*14:他にも,《タイスの瞑想曲》で有名な作曲家ジュール・マスネが訪れています.彼の代表的なオペラ《マノン》はAllevardで完成されたと言われています.

*15:エタノールだと思われます.

*16:鉱泉水の液性は先程と違い酸性であることに注意しましょう.