化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

滴定の歴史(9):沈澱滴定

沈殿反応は見た目にはっきりと変化があらわれるので,滴定にも用いられてきました.


沈殿滴定はどのように誕生したのでしょうか?また,沈殿滴定にも指示薬はあるのでしょうか?

今回は水質調査,硝石産業,貨幣鋳造,ハーブウォーターなどを題材に,沈殿滴定の歴史をみていきましょう.


滴定の歴史(1):中和滴定の誕生
滴定の歴史(2):中和滴定と水素イオン濃度
滴定の歴史(3):電極によるpH測定
滴定の歴史(4):酸化還元滴定の発明
滴定の歴史(5):ヨウ素滴定の開発
滴定の歴史(6):ヨウ素滴定の発展
滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定
滴定の歴史(8):酸化還元指示薬
滴定の歴史(9):沈殿滴定

1.沈殿滴定とは?

沈殿滴定とは,沈殿反応を用いて分析する物質の量を推定する方法です.


例えばKI 水溶液中ヨウ化物イオンI-の量を,AgNO3水溶液を滴下し,AgIの沈殿反応で調べる方法を考えてみましょう.
 \mathrm{Ag^{+} + I^{-} \rightleftharpoons AgI}


まず思いつくのは,AgNO3を過剰に入れて,沈殿したAgIが何g生成したか量る方法です.これは重量分析に分類されます.


一方で,沈殿滴定では直接AgIの量を測ることはしません.滴定剤としてAgNO3を少しずつ滴下し,AgIが生成したらストップします.


当量点まで加えた滴定剤の量溶解度積 Ksp = [Ag+][I-]からヨウ化物イオンI-の量を推定することができます.同様にして,Br-やCl-の量をAgNO3水溶液で調べることもできます.


しかしこれらが同時に含まれる場合は少し注意が必要です.


AgNO3を滴下していくとまずAgBrが沈殿しますが,その際に沈殿物の表面にCl-がちょこっとくっついてしまいます.そうすると,付着したCl-といっしょに同量のAg+も沈殿します.


このように,AgClがAgBrと共沈するため,実際よりもBr-の推定値は大きくなります*1.したがって,沈殿滴定を行う際には溶液中に他にどんな物質が含まれているかをあらかじめ知っておくことが大事です.

2.沈殿滴定と水分析


ヨーロッパでは,生活用水に岩から染み出したCa2+やMg2+などの微量ミネラルが多く溶け込んでいることがよくあります.このような水は硬水と呼ばれます.
【参考】浄水(7):化学の力で軟水にする


実は,沈殿滴定の誕生には硬水と深い関わりがあります.

マルセイユ石鹸

硬水が特に問題となるのは,洗濯のときです.石けんに含まれる脂肪酸,例えばステアリン酸と反応すると不溶性のステアリン酸塩(石けんかす)を形成します.
 \mathrm{2 C_{17}H_{35}COO ^{−}+ Ca^{2+} \longrightarrow (C_{17}H_{35}COO)_2Ca}


硬水をそのまま洗濯に使う場合,これにより洗浄力が落ちてしまうため,硬水では石けんの消費量が増大してしまいます.


そこで1756年,エジンバラ大学の薬学の教授Francis Home (1720-1813) は硬水に何を加えたら軟水化するのかを調べ,アルカリ金属の塩が軟水化させる力が最も強く,ついで炭酸アンモニウム(NH4)2CO3が強いことがわかりました.
【参考】浄水(8):軟水化の歴史


このとき,Homeは硬水にどのくらいアルカリ塩を加えるべきかを調べるために,滴定法っぽい実験テクニックを活用しました.


手順としては単純で,硬水に徐々に石鹸水を加え,乳白色の沈殿が生じなくなったら滴下を中止する,といったものです.
 \mathrm{2 C_{17}H_{35}COO ^{−}+ Ca^{2+} \longrightarrow (C_{17}H_{35}COO)_2Ca}

極めて単純ではありますが,沈殿滴定の誕生といっても良いでしょう.


結局硬水が問題となるのは洗濯の時でしたから,石けん溶液で直接滴定するのは理にかなった発想だと言えます.


しかし彼の方法では「どのくらいの速度で石鹸水を加えるのか」などの条件によって結果が変わってしまい,水がどれくらい「硬い」のかを示す硬度を正確に測定できる方法ではありませんでした.


硬度の正確かつ簡便な測定方法は,1841年,イギリスのThomas Clark (1801-1867)によって開発されました.


Clarkは水がどの程度CaCO3やMgCO3を含むのかを石けんの標準液(!)で滴定する方法を考案しました.石けんは獣脂と炭酸水素ナトリウムNaHCO3から作ったもので,これをエタノールと蒸留水で溶かしたものを使いました.
【参考】洗濯(2):石鹸の歴史


やり方としてはシンプルで,石けん溶液を少しずつ水サンプルに加え,振ることを繰り返すだけです.はじめは水中のCa 2+などと不溶性の塩(石けんかす)を生成して泡立ちませんが,Ca 2+などがなくなると泡立ち始めます
 \mathrm{2 C_{17}H_{35}COO ^{−}+ Ca^{2+} \longrightarrow (C_{17}H_{35}COO)_2Ca}

水面上に5分以上泡が残ったら滴定終了です.


これを事前に炭酸カルシウムCaCO3と塩酸HClで調製したCa 2+濃度が既知の溶液でも同様の実験を行います.
 \mathrm{CaCO_3 + 2HCl \longrightarrow CaCl_2 + CO_2 + H_2O}


水1ガロン (3.785 L)に1グレイン (64.8 mg) の炭酸カルシウムが含まれる溶液を硬度1°としました.イギリス硬度,もしくはクラーク硬度と呼ばれるものです.
 

Homeの方法とほぼ変わりませんが,石鹸水の調整法,加え方,判定基準などが明確で,信頼できる結果が得られました.Clarkの硬度試験法は,井戸を掘る際や,新しい工場を建設する際に使用されました.


一方,ロンドン滞在中にこのような水の硬度試験法の存在を知り驚いたフランス*2のPompejus Alexander Bolley (1812-1870) はメートル法に従って,硬度1°を水1 Lに炭酸カルシウム10 mgが含まれるものとして定義しました.フランス硬度と呼ばれるものです.


同様にイギリス滞在時に硬度試験法を知ったドイツの化学者フェーリング (Hermann von Fehling, 1812-1885)はA. Faißtにドイツ版硬度試験法の開発を依頼しました.


Faißtは,石けんと反応するのは水中の酸化カルシウムCaOであると考え,硬度1°を水1 Lに酸化カルシウム10 mgが含まれるものとして定義しました*3ドイツ硬度と呼ばれるものです.


沈澱滴定は水中に含まれる他の物質の定量にも用いられました.


例えばフランスの化学者ド・モルボー(Louis-Bernard Guyton de Morveau, 1737-1816)は 1784年には石灰水を用いて水中のCO2定量する方法を報告しています*4
 \mathrm{CO_2 + Ca(OH)_2 \longrightarrow CaCO_3 + H_2O}


また,Charles Bartholdi (?-1849) は1798年,Sulzbachの鉱泉水に含まれる硫酸SO4-を調べるため,石灰水で滴定を行いました*5
 \mathrm{SO_4^{2-} + Ca(OH)_2 \longrightarrow CaSO_4 + 2OH^{-}}

石灰水は,純粋な硫酸マグネシウム水溶液で標定しました.
 \mathrm{Ca(OH)_2 + MgSO_4 \longrightarrow CaSO_4 + Mg(OH)_2}


3.沈殿滴定の応用


沈殿反応は,他にもさまざまな物質の定量に用いられました.例えば鉱物学への応用があります.


18世紀に発展した鉱物学*6は各国の領土内の資源開発において重要な役割を果たしました.

Richard Kirwan (1735-1812)

アイルランドカーワン (Richard Kirwan, 1735-1812) は1784年,鉱物学に関する書籍を著し,鉱物中に含まれる元素の分析法を数多く記載しました.これは湿式系統分析の原型とも言えるものでした.


まず岩石を王水に溶かし*7,過剰な酸を熱して揮発させます,次にK4[Fe(CN)6]溶液を少しずつ加えてを沈殿させます.沈殿が生じなくなったところでストップし,加えた溶液の重さを量りました.
 \mathrm{Fe^{2+}+ K_4\lbrack Fe(CN)_6 \rbrack \longrightarrow Fe_2 \lbrack Fe(CN)_6 \rbrack + 4K^{+} }

Kirwanとアイルランドに地質調査に行ったこともあるガドリン (Johan Gadolin, 1760-1852) も1788年に同様の方法を提案しています.彼の場合は加えた溶液の体積を測りました.


彼らの方法は,滴定によって特定の元素の含有量を調べた初の方法だと言っても良いでしょう.しかし残念ながらこの手法は誤差がたいへん大きかったため,普及はしませんでした.


誤差につながる要因のうち,一番致命的だったのはK4[Fe(CN)6]溶液を調製する際に用いたプルシアンブルーの純度です.

当時はプルシアンブルーは乾燥した血アルカリ (K2CO3),鉄のビトリオール (FeSO4・7H2O)の他,合成に本来は不要なミョウバンを熱して作っていました.結果,ミョウバンは不純物として混ざってしまい,K2CO3とまぜてK4[Fe(CN)6]溶液を作る際の誤差につながっていました.


沈澱滴定は,硝石製造の分野でも活躍しました.


例えばド・モルボーは以前紹介したように,硝石溶液中のCl-の量を既知濃度の硝酸鉛Pb(NO3)2水溶液を用いて調べていました.
【参考】滴定の歴史(1):中和滴定の誕生
 \mathrm{CaCl_2 + Pb(NO_3)_2 \longrightarrow PbCl_2 + Ca(NO_3)_2}


また,1802年に報告された硝石製造に必要な樹木灰を滴定する方法では,硫酸塩や炭酸塩の量が調べられました.この論文では滴定分野ではじめて”titre”という用語が登場しました.


この方法を軽くみてみましょう.まず樹木灰の水溶液サンプルを硝酸で滴定します.
 \mathrm{CO_3^{2-} + 2HNO_3 \longrightarrow 2NO_3^{-} + CO_2 + H_2O}

今度は別に用意したサンプルをSr(NO3)2で滴定します.
 \mathrm{SO_4^{2-} + Sr(NO_3)_2 \longrightarrow SrSO_4 + 2NO_3^{-}}
 \mathrm{CO_3^{2-} + Sr(NO_3)_2 \longrightarrow SrCO_3 + 2NO_3^{-}}

二種類の滴定実験での消費量 (titre) の差を調べることで,炭酸塩と硫酸塩の量がわかるというものです.もともとtitreは金や銀の純度を表す単語でしたが,滴定の分野ではまずは消費量(もしくは品質)の意味で使われ始めました.

Joseph Louis Gay-Lussac (1778-1850)

他にも硝石製造では色々な沈殿滴定が使われました.例えばゲイ=リュサック (Joseph Louis Gay-Lussac, 1778-1850)は塩化バリウムを用いて樹木灰中の硫酸塩の量を調べました.
 \mathrm{SO_4^{2-} + BaCl_2 \longrightarrow BaSO_4 + 2Cl_2^{-}}


一方で製錬所で働いていたSaint Venantは,製造した硝石の洗浄液中に含まれる塩酸の量を硝酸銀水溶液を用いて滴定しました.彼はこの方法を1819年から30年近く毎日実施していたようです.
 \mathrm{Cl^{-} + AgNO_3 \longrightarrow AgCl + NO_3^{-}}



ゲイ=リュサックの沈殿滴定で一番有名なのは,貨幣鋳造に応用された銀の定量方法です.


当時,硬貨に使われる合金の銀含有量の評価には灰吹法と呼ばれる方法が何百年も前から使われていました.方法はシンプルで,Capelleと呼ばれる容器のなかにリン石灰を入れ,鉱石とを強熱しながらまぜます.そうすると金や銀以外が酸化されるので,重量変化から金や銀の含有量がわかるというものです.


この方法は結果が炉の温度に左右されてしまううえ,かなりの量の銀が分析中に失われてしまいました.もったいないですね*8.貨幣鋳造技術が発展するに従い,このロスは無視できないものとなっていました.


そこで1829年フランスの造幣局の要請を受けた財務大臣はゲイ=リュサックらを特別委員会に任命し,パリ造幣局の検査室で行われている分析法の改良を依頼しました.


調査を元に,1833年にゲイ=リュサックらが報告した手法は次のようなものです.まず合金を硝酸に溶かします.
 \mathrm{3Ag + 4HNO_3 \longrightarrow 3AgNO_3 + NO + 2H_2O}

ここに濃度既知の食塩水*9を少しずつ加えます.すると,乳白色のAgClの沈殿が生じます.
 \mathrm{AgNO_3 + NaCl \longrightarrow AgCl + NaNO_3}

1-2分間激しくふると最初のうちは透明になりますが,食塩水を加えていくとやがて透明にならなくなります.その時点で食塩水を加えるのをやめます.


最終的に食塩水をどのくらいの体積加えたかを調べることで,はじめの合金に含まれていた銀の量が推定できます.


もちろん食塩水を大量に加えてAgClの量を精密測定するという重量分析的なアプローチもありましたが,これでは時間がかかりすぎるという問題がありました.その点,沈殿滴定であれば迅速にそれなりの精度で測定できます*10


他に興味深い応用としてはハーブウォーターの安全性検査があります.

一方ヨーロッパでは古くから植物の抽出液や,葉や実の蒸留水(ハーブウォーター)が薬として使われてきました*11.ローズウォーターなどは今でもおなじみですね.


薬の中には危険なものもありました.例えば1728年,セイヨウバクチノキ(Cherry laurel)の葉の蒸留水であるチェリーローレルウォーター *12を飲んだ女性が2名死亡する事件が起きました.1731年,Trinity Collegeの講師Thomas Maddern (?-1734) はこの蒸留水を犬に与え,量によっては死を招くことが確かめられました.


長らく毒となる成分は不明でしたが,1802年,ドイツの薬剤師Johann Christian Karl Schrader (1762-1826) によってチェリーローレルウォーターや,薬効があると考えられたビターアーモンドの蒸留水には毒物であるシアン化水素HCNが含まれていることがわかりました.


少量であればチェリーローレルウォーターには良い効果もあることもわかっていました.当時はシアン化水素HCNも,量によっては薬として役立つと考えられていたのです.そこで,これらの”薬”に含まれるHCNの量を定量することが重要な課題になりました.


リービッヒ (Justus Freiherr von Liebig, 1803-1873) は1851年,シアン化物の量を硝酸銀水溶液の滴定で推定する方法を考案し,チェリーローレルウォーターやビターアーモンドの蒸留水 に含まれるシアン化物定量しました.
 \mathrm{2CN^{-} + AgNO_3 \longrightarrow \lbrack Ag(CN)_2 \rbrack ^{-} + NO_3^{-}}
 \mathrm{\lbrack Ag(CN)_2 \rbrack ^{-} + AgNO_3 \longrightarrow Ag\lbrack Ag(CN)_2 \rbrack + NO_3^{-}}

この方法はしばらくシアン化物の滴定法として用いられました.

4.銀滴定の発展

Karl Friedrich Mohr (1806-1879)

銀の滴定で最も有名なのはモール法です.ドイツの化学者モール (Karl Friedrich Mohr, 1806-1879) によって考案されました.


モールは1806年,Koblenzの薬剤師で議員のKarl Mohrの末っ子として生まれました.上の5人のお姉さんは全員モールが小さい頃になくなり,本人も病気がちで健康には若干の不安がありましたが,Koblenz Gymnasiumを無事卒業することができました.


卒業後は薬剤師を目指すことにしました.19世紀当時ドイツで薬剤師になるためには薬学や医学のほかラテン語,植物学,化学,博物学を学ぶ必要があり,かなり険しい道でした.モールはハイデルベルク大学で特に分析化学に力を入れて学び,1832年にはかなり良い成績で博士号を取得し,薬剤師の資格試験もパスすることができました.


モールは自作の天秤をはじめ,さまざまな分析器具,手法を開発しました.特にクリップ付きビュレットは,今でも滴定に使われるビュレットにかなり形の近いものです.他にもろ紙の折り方に関する論文なんていうものもあり,現代の化学的操作の至る所に彼の影響をみることができます.


モールは滴定分析の教科書『Lehrbuch der chemisch-analytischen Titrirmethode』(1855)を出版した翌年,モール法と呼ばれるようになった銀の定量法を開発しました.
【参考】滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定


モールの開発した方法をみてみましょう.


まず中性のサンプル溶液にクロム酸カリウム溶液を数滴加えておきます.そしてここに,徐々に硝酸銀溶液を加えていきます.すると,まずは溶液中の塩化物イオンがAgClとして沈殿します.
 \mathrm{Cl^{-} + AgNO_3 \longrightarrow AgCl + NO_3^{-}}


すべてAgClとなって沈殿しきると,今度は過剰に加えた硝酸銀が溶液中のクロム酸イオンCrO4-と反応し,赤色のクロム酸銀Ag2CrO4を生成します.
 \mathrm{2Ag^{+} + CrO_4^{2-} \longrightarrow Ag_2CrO_4 }

これにより滴定の終点が判定できます.


モール以前,1853年にLevolがリン酸ナトリウムを用いてAgCl沈殿後に生成される黄色いリン酸銀Ag3PO4によって終点を判断する方法を報告していました.しかしリン酸銀の色がはっきり見えないので滴定剤を滴下しすぎてしまうという問題がありました.
 \mathrm{3Ag^{+} + Na_3PO_4 \longrightarrow 3Na^{+} + Ag_3PO_4 }

一方でクロム酸銀は非常にはっきりした血のような赤色を示しますので,終点の判断にはぴったりだったというわけです.


モールはこの方法によって尿,井戸水,鉱泉など様々なサンプル中の塩素の量を調べることができました.


一方でフランスの土木技師Paul Charpentierは鉄とチオシアン酸カリウムKSCNの反応を利用し,銀の定量を行ったようです.実験の詳細は残念ながら不明ですが,同じ方法を1877年に報告したVolhardの方法を見てみましょう.


まず硝酸銀溶液に硫酸鉄FeSO4を少し加え,煮沸して赤色の二酸化窒素NO2を取り除きます.ここにKSCN,もしくはNH4SCN溶液を滴下していきます*13


はじめはチオシアン酸銀AgSCNが沈殿しますが,
 \mathrm{Ag^{+} + SCN^{-} \longrightarrow AgSCN }

銀がすべて沈殿すると溶液がはっきりとした赤色に変化します.
 \mathrm{Fe^{3+} + SCN^{-} \longrightarrow FeSCN^{2+}}

これにより終点がわかるので,銀が定量できるというものです.


モール法は中性溶液でしたが,Volhardの方法では金属をよく溶かす硝酸酸性溶液が使えます.そのため,ゲイ=リュサック法のように製錬所や鉱山で鉱石の分析に使用することができました.


また,モール法はの存在下では使用できませんでしたが,Volhardの方法であればある程度共存していても使用できました*14


さらに,Volhardの方法は塩素定量にも応用することができます.まずCl-をAg+で沈殿させ,
 \mathrm{Ag^{+} + Cl^{-} \longrightarrow AgCl }

ろ過後の溶液中の過剰なAg+を先程の方法で定量すれば良いのです.この場合,ろ過しないとAgClがチオシアン酸塩溶液添加中に溶けてしまうので注意が必要です.


Cl-をAg+で滴定する方法については,1923年にポーランドの化学者 Kazimierz Fajans (1887-1975) がフルオレセイン*15を指示薬として用いる方法を考案しました.

滴定中はAgClの粒子表面は溶液中のCl-が吸着するので負に帯電しています.

一方で溶液中のCl-が消費されると今度は過剰なAg+が表面に吸着し,正に帯電します.

フルオレセインは溶液中で負に帯電しているので,これが正に帯電したAgClに吸着します.

分子のサイズは無視してください.

フルオレセインは吸着すると不思議なことに色が鮮やか緑色から赤みを帯びた色へとはっきりと変化します.ろ過の必要もないということで,ゲイ=リュサックやフォルハルトの方法よりも終点をかんたんに判定することができました.


このように吸着により色が変化する指示薬を吸着指示薬*16と呼びます.吸着指示薬の原理はAgClに限らず使用できるので,様々な沈殿滴定に用いられるようになりました.

5.まとめ

沈殿滴定は実社会と深く結びついた重要な分析技術でした.吸着指示薬の原理も大変興味深いもので,似たような原理の色変化は今日も様々な現象に用いられています.


9回に渡って滴定の歴史を見てきましたが,教科書に載っている題材の背景にはこんなにも面白い歴史が隠れていたということを実感していただけたのではないかと思います.


今度教科書を見る際は,是非,「どんな歴史があるんだろう?」と調べてみてください.きっと面白い歴史が隠れているはずです.もしリクエストがございましたら,お気軽にフォームからご連絡ください.または@omizu_water3 や質問箱( https://peing.net/omizu_water3 )にご連絡頂いても構いません


参考文献

"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
“Neues Verfahren gewisse Arten Wassers reiner und weicher zu machen, um Fabriken und Städte damit zu versehen, worauf sich Thomas Clark, Professor der Chemie am Marischal College, Universität Aberdeen, am 8. März 1841 ein Patent ertheilen ließ” T. Clark, Dinglers Polytechnischen Journals, 83, 193-201 (1842).
“Ueber das Verfahren der englischen Chemiker die Härte süßen Wassers zu bestimmen” A.P. Bolley, Dinglers Polytechnischen Journals, 124, 204-209 (1852).
“Untersuchung des Wassers für technische Zwecke.” A. Faißt, Dinglers Polytechnischen Journals, 125, 32-42 (1852).
Joseph Louis Gay-Lussac, “Vollständiger unterricht über das verfahren, silber auf nassem wege zu probiren, ” (Verlag von Fr. Vieweg und Sohn, 1833).
Richard Kirwan, “Elements of mineralogy” (1784, 1794).
Saint-Venant “Sur le dosage expéditif ou la prompte reconnaissance de la quantité du chlore existant dans une liqueur” Comptes rendus Academie des sciences, 23, 522 (1846).
Justus Liebig “Verfahren zur Bestimmung des Blausäuregehaltes der medicinischen Blausäure, des Bittermandel - und Kirschlorbeerwassers,” Annalen der Chemie und Pharmacie, 77, 102-107(1851).
野々村誠 “水中のシアン化物の定量方法の進歩” 工業用水, 401, 12-25 (1992).
Melvin Peter Earles, “Studies in the Development of Experimental Pharmacology in the Eighteenth and Early Nineteenth Centuries.” (1961).
Mohr, “Neue massanalytische Bestimmung des Chlors in Verbindungen,“ Annalen der Chemie und Phrmacie, 97, 335-338 (1856).
Levol, “Nouveau mode de dosage des acides chlorhydrique et sulfurique,“ Bulletin de la société d'encouragement pour l'industrie nationale, 52, 220-222 (1853).
F. Mohr “Lehrbuch der chemisch-analytischen Titrirmethode” (1855, 1862).
Paul Charpentier, “Nouvelles Méthodes De Dosage Volumetrique Du Fer & Des Alcalis, “ Revue universelle des mines, de la métallurgie, des travaux publics, des sciences et des arts appliqués à l'industrie, 33, 302-305 (1870).
J. Volhard “Die Anwendung des Schwefelcyanammoniums in der Massanalyse,” Annalen der Chemie, 190, 1-61 (1877)
J. Volhard “Uber eine neue Methode der massanalytischen Bestimmung des Silbers,” Journal für Praktische Chemie, 117, 217-224 (1874)
K. Fafans, O. Hassel, “Eine neue Methode zur Titration von Silber- und Halogenionen mit organischen Farbstoffindikatoren,” Zeitschrift für Elektrochemie und angewandte physikalische Chemie, 29, 495-500 (1923).
A. Albert Baker, Jr., "A history of indicators" Chymia, 9, 147-167 (1964).
"Newer Methods of Volumetric Chemical Analysis"
『ハリス分析化学』D.C. Harris, 化学同人 (2017).
『分析化学の歴史』F. Szabadváry (1988).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:さらに滴下を続けると今度はAgClが沈殿しCl-の量も推定できますが,今度はこちらの値は小さくなります.

*2:フランスでは石けんかすの原因について意見が割れていたようです.

*3:彼はまた,Clarkの方法では石けんの希釈率が高すぎて長時間放置すると分離してしまうとして,オレイン酸からつくった石けんを90%アルコールに溶かして使用しました.

*4:結果の信ぴょう性は怪しかったようです.

*5:同様の方法は,おそらく1792年に茜の抽出物に含まれる硫酸マグネシウムの量を定量する際にも用いられたと考えられています.

*6:イギリスでは芸術のひとつという扱いでしたが,大陸側では専門的な学問としての伝統がありました.

*7:溶けない場合はアルカリとまぜて溶融させます.

*8:実際,ヨーロッパの裁判所などはより良い方法を導入したほうが良いと考えていましたが,銀はあまりに普及しているため導入コストが高く,二の足を踏んでいました.

*9:当時は純粋な塩が手に入らなかったので,事前に純銀で標定しました.

*10:彼は標準溶液の容積が温度で変化することにも気づいていたので,溶液の温度依存的な体積変化に伴う食塩水濃度の変化を補正する表も作成しました.

*11:その作用の正体は当然化学者の興味のあるところです.18世紀,イギリスの化学者ヘールズ(Stephen Hales, 1677-1761)は血液が循環する血管について興味がありました.彼は血圧を初めて測定したことでも知られています.彼は血管は体液の性質によって収縮したり弛緩したりすると考えていました.そこで彼は薬効のありそうな溶液(キナノキやオークの樹皮,カモミールの花,シナモンの煎じ薬を溶かしたもの)を死んだスパニエル犬の動脈に注入し,出てくるまでの時間を測り,温水と比較しました.結果,キナノキやオークの樹皮の煎じ薬の溶液は血管から出てくるまでの時間が長く,血管の収縮作用があることがわかりました.

*12:咳を抑える薬や,調味料として使われました.

*13:当時は市販されているKSCNには塩素が含まれていましたが,NH4SCNにはほとんど含まれていなかったようです.

*14:純銀を加えて銅の割合を落とすという方法もあります.

*15:フルオレセインの色がハロゲン化銀によって変化する現象は1894年,Hüblの写真感光の研究で報告されています.その後もLüppo-CramerやKieserによって調べられていますが,指示薬としての利用はありませんでした.

*16:1928年にI. M. Kolthoffが自著『Volumetric Analysis』で命名しました.