化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

浄水(7):化学反応で軟水にする

ミネラルウォーターの表示で軟水や硬水と書かれているのを見たことがある人も多いと思います.


どのような違いがあるのでしょうか?また,化学のチカラで硬水を軟水にする方法があるのはご存知でしょうか?

硬度の高さが問題となるヨーロッパで開発された,化学反応による軟水化のしくみをみていきましょう.




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1.軟水と硬水

取水地によっては,岩から染み出したCa2+やMg2+などの微量ミネラルが水に溶け込んでいます.

例えば方解石CaCO3セッコウCaSO4・H2OからはCa2+が,
 \mathrm{CaCO_3 + H^{+} \longrightarrow Ca^{2+} + HCO_3^{-}  }
 \mathrm{CaSO_4 \cdot 2H_2O \longrightarrow  Ca^{2+} + SO_4^{-} + 2H_2O}

マグネサイトMgCO3ブルース石Mg(OH)2からはMg2+が溶け出します.
 \mathrm{ MgCO_3 \longrightarrow Mg^{2+} + CO_3^{-}}
 \mathrm{ Mg(OH)_2 \longrightarrow  Mg^{2+} + 2OH^{-} }


このような微量ミネラル*1の濃度(硬度)が低い水を軟水,高い水を硬水といいます.ボルヴィックは軟水ですが,エビアンは硬水です.飲んでみると味が若干違うこともわかります.


硬度は実際にはCaCO3に換算してmg/L CaCO3で表示する場合が多いです*2
 \mathrm{ 硬度 (mg/L \: CaCO_3) = [Ca^{2+}](mg/L) \times 2.5 + [Mg^{2+}](mg/L) \times 4.1 }


例えばCa2+が75 mg/L,Mg2+が40 mg/Lの場合,それぞれCaCO3に換算して187 mg/L CaCO3,164 mg/L CaCO3となります.


一般的に用いられているアメリカ系の基準では,硬度に応じて以下のように分類されています.

名称 硬度 (mg/L CaCO3
軟水 0-60
中軟水 61-120
硬水 121-180
超硬水 181-


水の硬度の違いは様々な形で日常に影響を与えます.ヨーロッパの多くの地域のように水が硬すぎる場合はイーストが発酵しなかったり,グルテンが形成されすぎて*3ずっしりと重いパンが焼けたり,野菜や豆が硬く煮えたりします.


一方で肉を煮込む時に硬水を使うと肉が柔らかくなり臭みが取れます.肉が柔らかくなる理由は,おそらくCa2+が肉のコラーゲンなどのタンパク質と結合・溶出するからだと考えられます.


また,石けんに含まれるステアリン酸と反応すると不溶性のステアリン酸塩(石けんかす)を形成します.これにより洗浄力が落ちてしまうため,硬水では石けんの消費量が増大してしまいます.
 \mathrm{2 C_{17}H_{35}COO ^{−}+ Ca^{2+} → (C_{17}H_{35}COO)_2Ca}


逆に,日本の水のように軟らかすぎる場合はイーストがうまく働かなかったり生地がべとべとしたりします.パンを作る時に若干を足すなどしてミネラル分を増やすのはそのためです.


同じ国でも地域によって硬度が違います.例えばスコットランドでは水源のほとんどは雨水などの軟水,イギリス南東部では地下の帯水層から組み上げた硬水です.そのため,水の違いが紅茶の風味の違いとなり,そのために紅茶の文化が発達したとする説もあります


また,Mg2+を多く含む硬水はひとによってはお腹を下す場合があります.Mg2+はあまり吸収されないので腸内の浸透圧が高くなり水の吸収が妨げられてお腹がゆるくなり,また十二指腸からのコレシストキニンの分泌などを誘発して腸のぜん動運動が活発になるためそれらが排泄されるようです.ミネラルウォーターには硬度の表記がありますので,お腹が弱い方は硬度の低いものを選ぶと良いです.

2.沈澱反応による軟水化

それではどのように過剰なCa2+やMg2+を取り除くことができるのでしょうか?


もっとも簡単な軟水化は煮沸です.煮沸すると,炭酸水素カルシウムCa(HCO3)2溶液の熱分解がおきます.
 \mathrm{Ca(HCO_3)_2 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + CO_2 + H_2O }

しかしこの方法は炭酸濃度に依存し,Ca2+の一部しか取り除くことができません.効率的にCa2+やMg2+を取り除くには,沈澱反応を利用するのが効果的です.


沈殿反応による軟水化では,Ca2+CaCO3として,Mg2+Mg(OH)2として沈殿させるのが一般的です.
 \mathrm{CaCO_3 \rightleftharpoons Ca^{2+} + CO_3^{-} }
 \mathrm{ Mg(OH)_2 \rightleftharpoons  Mg^{2+} + 2OH^{-} }


両反応ともpHが重要です.例えばCa2+の沈殿にはCO3-の濃度が重要ですが,これはpHによって大きく変化します.簡単のため,溶存CO2とH2CO3をまとめてH2CO*3と表しましょう.
 \displaystyle { K_1 = \mathrm{\frac{[H^{+}] [HCO_3^{-}]}{[H_2CO_3^{*}] }}}

 \displaystyle { K_2 = \mathrm{\frac{[H^{+}] [CO_3^{2-}]}{[HCO_3^{-}] }}}

 \displaystyle {\alpha _2 = \mathrm{\frac{[CO_3^{2-}] }{[H_2CO_3^{*}] + [HCO_3^{-}] + [CO_3^{2-}] }} = \frac{K_1K_2}{ \mathrm{ [H^{+}]^2  }+ K_1 \mathrm{[H^{+}]} + K_1K_2} }

したがって,Ca2+pHを上げることでCO3-を増やしCaCO3として沈殿させることができます.pHを10.3程度まで上げると沈澱しやすくなります.
 \mathrm{Ca^{2+} +CO_3^{-} \longrightarrow CaCO_3 }


一方で,Mg(OH)2として沈殿させるにはpHを10.8以上に上げることが必要です.
 \mathrm{Mg^{2+} +OH^{-} \longrightarrow Mg(OH)_2 }


水溶液中のCO3-が消費されてしまうとそれ以上Ca2+を沈殿させることができませんが,炭酸イオンCO3-を外部から供給させることでさらに沈殿させることができるようになります.これを活用したのがLime-soda ash法です.


Lime-soda Ash法では,Lime (水酸化カルシウム) Ca(OH)2とSoda ash (炭酸ナトリウム) Na2CO3を原水に添加します.Ca(OH)2はpHを上げるために,Na2CO3はCO3-を供給するために添加します.酸化カルシウムCaOを用いる場合は事前に水と反応させて水酸化カルシウムにしておきます.
 \mathrm{CaO + H_2O \longrightarrow Ca(OH)_2 }


このようにして,沈殿反応により過剰なCa2+やMg2+を取り除き,硬水を軟水化することができます.

3.Lime-soda ash法の計算

軟水化を考える場合,まずは水のイオン組成について棒グラフを書いてみるとわかりやすくなります.この方法は,1920年代のアメリカ地質調査所でも採用されていました*4.まずは,とある水のイオン組成をmg/L CaCO3表記であらわしてみましょう.

これにより,水中に含まれるイオンを,仮想的な組み合わせ(H2CO3,Ca(HCO3)2,Mg(HCO3)2など)で考えることができます.この水にはかなり炭酸が溶けていますね.炭酸が多く含まれている場合,Ca(OH)2の添加だけでOKです.このような方法を特にExcess lime法と呼びます.


図に沿って,左側から考えましょう.Ca(OH)2はまずH2CO3中和します.
 \mathrm{H_2CO_3 + Ca(OH)_2 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + 2H_2O }

次にCa(HCO3)2と反応し,pHは10.3に近づきます.
 \mathrm{Ca(HCO_3)_2 + Ca(OH)_2 \longrightarrow 2CaCO_3 \downarrow + 2H_2O }

Ca2+は消費されましたので,Ca(OH)2の添加によりpHがさらに上昇し,10.8を超えるくらいからMg2+Mg(OH)2として沈殿しはじめます.
 \mathrm{Mg(HCO_3)_2 + Ca(OH)_2 \longrightarrow 2CaCO_3 \downarrow + 2Mg(OH)_2 \downarrow + 2H_2O }

これで軟水化が完了しました.


次に,炭酸があまり含まれていない場合を考えましょう.この場合はNa2CO3が必要です.

まずは中和反応,続いてCa(HCO3)2との反応がおきます.
 \mathrm{H_2CO_3 + Ca(OH)_2 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + 2H_2O }
 \mathrm{Ca(HCO_3)_2 + Ca(OH)_2 \longrightarrow 2CaCO_3 \downarrow + 2H_2O }

これでもともとあった炭酸が消費されてしまいましたが,添加したNa2CO3によりCO3-が供給されます.これにより,残りのCa2+CaCO3として沈殿します.
 \mathrm{Ca^{2+} + Na_2CO_3 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + 2Na^{+} }

Mg2+Ca(OH)2の添加することでpHが10.8まで上昇しMg(OH)2として沈殿させることができます.
 \mathrm{Mg^{2+} + Ca(OH)_2 \longrightarrow Mg(OH)_2 \downarrow + Ca^{2+} }

ここで注意したいのは,新たにCa2+が生じてしまっている点です.これは添加したNa2CO3により沈殿させます.
 \mathrm{Ca^{2+} + Na_2CO_3 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + 2Na^{+} }


複雑でしたが,図を使うとわかりやすくなりましたね.以上がLime-soda ash法のしくみです.

4.Lime-soda ash法の後処理

さて,これでCa2+やMg2+が除去されましたが,pHが10以上と非常に高いままです.また,CaCO3やMg(OH)2も水中に飽和しています.このままでは水道管内で炭酸カルシウムなどが析出してしまいます.


そこで,CO2を吹き込むことで最終的にpHを8.4-8.6に調整します.このような作業をRecarbonationといいます.


まずpHを10.0-10.5まで下げてみましょう.すると,CaCO3が沈殿するほか,飽和していたMg(OH)2MgCO3に変換されます.
 \mathrm{Ca(OH)_2 + CO_2 \longrightarrow CaCO_3 \downarrow + H_2O }
 \mathrm{ Mg(OH)_2 + CO_2 \longrightarrow MgCO_3 + H_2O }

さらにpHを8.4-8.6まで下げると,炭酸塩が炭酸水素塩へと変換されます.
 \mathrm{CaCO_3 + H_2O + CO_2 \longrightarrow Ca(HCO_3)_2 }
 \mathrm{MgCO_3 + H_2O + CO_2 \longrightarrow Mg(HCO_3)_2 }

これでRecarbonationは完了です.


さて,Lime-soda ash法では副生成物としてCaCO3Mg(OH)2の沈殿が大量に生じます.そのままでは破棄が大変ですので,加熱して熱分解させるのが有効です*5
 \mathrm{CaCO_3 \longrightarrow CaO + CO_2 }

CaOは水と反応させることで再びCa(OH)2になりますので,またLime-soda ash法に使用できますね.
 \mathrm{CaO + H_2O \longrightarrow Ca(OH)_2 }


5.まとめ

軟水が大半の日本ではあまり意識されない問題ですが,欧米ではこのように沈澱反応を活用した軟水化方法が開発されてきました.


次回はLime-soda ash法の歴史や,その他の軟水化技術についてみていきましょう.

問題

Q. pH 7.0でCa2+ は 280 mg/L CaCO3,Mg2+は80 mg/L CaCO3,HCO3-は260 mg/L CaCO3含まれている時,軟水化に必要なCa(OH)2およびNa2CO3の量 (mg/L CaCO3)を求めてみましょう.ただしこの条件のとき,溶解している炭酸[H2CO3*]は155 mg/L CaCO3とし,Mg(OH)2を沈澱させるためにCa(OH)2を60 mg/L CaCO3余分に加えてpHを調整するものとします.



A. 図は以下の通り.

この図から,
 \mathrm{ Ca(OH)_2 = 155 + 260 + 80 + 60 = 555  \quad (mg/L \: CaCO_3) }
 \mathrm{ Na_2CO_3 = (280-260) + 80 = 100 \quad (mg/L \: CaCO_3) }


参考文献

Chemistry of Water Treatment, 2nd edition” S.D. Faust and O.M. Aly (1998).
”MWH's Water Treatment: Principles and Design, 3rd edition" J.C. Crittenden, et al. Wiley (2012).
"Water Quality and Treatment, 5th edition" R.D. Lettermen, The American Water Works Association (1999).
“Drinking Water and Health, Volume 1” National Research Council (US) Safe Drinking Water Committee (1977).
”The Quest for Pure Water" M. N. Waker, The American Water Works Association (1948).
"Magnesium Sulfate-Rich Natural Mineral Waters in the Treatment of Functional Constipation–A Review" C. Dupont and G. Hebert, Nutrients, 12, 2052 (2020).
『都市・地域 水代謝システムの歴史と技術』丹保憲仁,鹿島出版会 (2012).
『Cooking for Geeks 第2版』J. Potter,オライリー・ジャパン(2016)
鈴野 弘子, 石田 裕『水の硬度が牛肉,鶏肉およびじゃがいもの水煮に及ぼす影響』日本調理科学会誌, 46, 161-169 (2013).
”Graphic Representation of Water Analyses." W. D. Collins, Ind. Eng. Chem. 15, 394 (1923).
”CHARACTERISTIC PROPERTIES OF ZEOLITES FOR WATER SOFTENING" S.B. Applebaum, Journal (AWWA), 13, 213-220 (1925).
”Chapterwise Topicwise Solved Papers Chemistry for Engineering Entrances 2020" P. Sharma, Arihant Publications India limited (2019).
"“PERMUTIT” AS A REAGENT FOR AMINES" J. C. Whitehorn, JBC, 56, 751-764 (1923).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:AlやSiを考慮する場合もあります.

*2:等モルのCaCO3に換算しています.

*3:陽イオンがグルテニンタンパク質同士の相互作用を促進すると考えられます.

*4:アメリカ地質調査所では,実際にクレヨンなどで色分けしていたようです.カルシウムは赤,マグネシウムはオレンジ,ナトリウムは黄色,炭酸水素イオンは紫,硫酸イオンは水色,塩化物イオンは黄緑色,といった具合です.

*5:他に,二酸化炭素ガスと反応させる方法もあります.