化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

浄水(8):軟水化の歴史

前回,Lime-soda ash法を呼ばれる化学反応による軟水化のしくみをみてきました.
【参考】浄水(7):化学の力で軟水にする


このような反応は,一体どのように開発されてきたのでしょうか?
また,他にどのような軟水化の方法があるのでしょうか?

今回はLime-soda ash法の歴史や,イオン交換による軟水化のしくみと歴史をみていきます.




浄水(1):にごりをとるには?
浄水(2):ろ過の歴史
浄水(3):ろ過や塩素による消毒
浄水(4):いろんな消毒方法
浄水(5):ガスを追い出すには?
浄水(6):活性炭・微生物の活用
浄水(7):化学の力で軟水にする
浄水(8):軟水化の歴史
浄水(9):いろんな無機物の除去
浄水(10):パイプを腐食から守る
浄水(11):フッ素で虫歯予防?
浄水(12):究極の水,超純水

1.Lime-soda ash法の歴史

軟水化そのものが水道水の処理として広く採用されるようになったのはかなり最近の話ですが,硬水が石けんを使う場合に厄介であることは認識されており,それを防ぐ手法については古くから小規模に実践されていたと考えられています.例えば1730年代前半には,Peter Shaw (1694–1763) がロンドンで行った化学講義で,硬水はアルカリ塩を添加すると軟水化することについて言及していました.

Francis Home (1719-1813)

軟水化に関する初期の研究成果としてはスコットランドの薬学の教授Francis Home (1719-1813) により1756年に書かれた本が挙げられます.彼は硬水による石けんかすの生成反応を用いて,何を加えたら軟水化するのかを様々な物質について調べました.その結果,アルカリ金属の塩が軟水化させる力が最も強く,ついで炭酸アンモニウム(NH4)2CO3が強いことがわかりました.


2年後にはアイルランドの医師John Rutty (1697-1775) も軟水化に関する報告をしています.彼は硬水である湧き水を軟水化させる方法について検討しており,アルカリ金属の塩が有効であることを発見していました.

Thomas Henry (1734-1816)

1781年にはヘンリーの法則で有名なウィリアム・ヘンリー (William Henry, 1774-1836) のお父さんであるThomas Henry (1734-1816) も軟水化に関する報告をしています.
【参考】浄水(5):ガスを追い出すには?

彼はとある紳士から「子供の入浴のために海水を腐らせずに保管しておきたいんだが,なにか良い方法はないか?」と尋ねられます.そこで彼は13の実験を行い,水酸化カルシウムCa(OH)2を加えることで海水中のマグネシウムを沈殿させられることを発見しました.


軟水化が最初に実践されたのは,おそらく1818年のアイルランドブラックロックです.この地域一帯には石灰岩が多く存在しており得られる水は硬水でした.イギリスの化学者のEdmund Davy (1785-1857) *1水酸化カリウムKOHを加えてみたらどうかとアドバイスしてくれたので実行したところ,軟水化することができたそうです.


1841年には,スコットランドの化学者Thomas Clark (1801-1867)水酸化カルシウムを用いた軟水化を発表します.これは今で言うLime-soda ash法,特にExcess lime法に相当します.


彼は水を軟水化させられるだけでなく,水の中にいる病気の原因となる「虫」も殺すことができると主張しました.この頃はまだ病気の原因が「細菌」であるとは知られていなかった時代でした.


「虫」を殺すことができたかどうかはさておき実際に軟水化はうまくいっていたようで,彼の方法による軟水化システムはプラムステッド(1854年),ケーターハム(1861年),チルターン丘陵(1868年),カンタベリー(1870年)などの浄水施設で採用されました.軟水化すれば石けんの消費量を抑えられるとして河川汚染に関する委員会では軟水化に対する賛成意見もそれなりにあったようです.


一方で浄水施設を運営する会社側には「硬水であるからといって別に毒ではない」,「わざわざ導入するにはコストがかかる」という反対意見もありました.最初のプラムステッドの浄水施設では,運営会社が破産して別の会社が引き継いだ際,軟水化システムが破棄されてしまいました.引き継いだ会社としては,ここを残しておくと運営している他の浄水施設にも軟水化設備を採用しろと言われそうで嫌だったようです.


軟水化システムとしてはあまり普及しませんでしたが,その後もClarkの方法に関して改良が重ねられていきます.Clarkの方法の欠点は,炭酸濃度の低い水ではCa2+が取り切れないという点にありました.


Midland鉄道会社に勤務していた化学者Leonard Archbutt (1858-1935) Deeleyとともに,水中に足りないCO3-を補うためCa(OH)2と同時にNa2CO3を加えて軟水化するシステムを考案します.Lime-soda ash法の誕生です.彼らの考案した方法では,高くなったpHを中和するRecarbonationも採用されていました.


Lime-soda ash法は1892年にはダーウェント川の浄水施設で実践に移されました.この方法は硬度の高い井戸水にも使えたそうで,やがてイギリス中に広まっていきます.そして20世紀に入るとアメリカにも広まっていきました.

2.イオン交換による軟水化

軟水化はイオン交換と呼ばれる手法によっても実現可能です.イオン交換は,ある種の物質に対する親和性がイオンによって異なることを利用しています.軟水化では陽イオン交換樹脂を用います.

強酸性陽イオン交換樹脂の場合は,
 \mathrm{ 2 \overline{RSO_3^{-} H^{+} } + Ca^{2+} \longrightarrow \overline{(RSO_3^{-})_2 Ca^{2+} } + 2H^{+} }
 \mathrm{ 2 \overline{RSO_3^{-} Na^{+} } + Ca^{2+} \longrightarrow \overline{(RSO_3^{-})_2 Ca^{2+} } + 2Na^{+} }

弱酸性陽イオン交換樹脂*2の場合は,
 \mathrm{ 2 \overline {RCOO^{-} H^{+} }+ Ca^{2+} \longrightarrow \overline{(RCOO^{-})_2Ca^{2+} } + 2H^{+} }
 \mathrm{ 2 \overline {RCOO^{-} Na^{+} }+ Ca^{2+} \longrightarrow \overline{(RCOO^{-})_2Ca^{2+} } + 2Na^{+} }
となります.一般に,多価イオンのほうが親和性が高いためこのようなイオン交換が起きるようです.


現在,イオン交換といえば合成樹脂によって行われていますが,植物,炭などにもイオン交換能があります.


イオン交換の歴史は,頑張れば聖書のモーゼのくだりにさかのぼることができます.出エジプト記15章にはこのような記述があります.

彼らはメラに着いたが,メラの水は苦くて飲むことができなかった.それで,その所の名はメラと呼ばれた.ときに,民はモーセにつぶやいて言った,「わたしたちは何を飲むのですか」.モーセは主に叫んだ.主は彼に一本の木を示されたので,それを水に投げ入れると,水は甘くなった.


あえて化学的な解釈をすれば,苦味の元となるCa2やMg2+をイオン交換によって取り除いたとも言えるでしょう.


アリストテレス (前384-前322) は砂を使って海水や不純物を含む水をきれいな水に変えたそうです.彼は塩水の方が真水よりも密度が高いために真水にできたのだと信じていました.実際,海水の方が3%ほど重いですが,そこまで関係ある話ではないでしょう.おそらく砂によるイオン交換による影響と考えられます.他にも似たような話として,フランシス・ベーコン (Francis Bacon, 1561-1626) が海水を土の入った容器に20回通すことでしょっぱくない水を得たという記録があります.


イオン交換という現象がはっきり認識されたのは1848年,イギリスの農化学者H.S. ThompsonJ. Thomas Wayによるものだと考えられています.Thompsonは液体肥料ガーデニング用の土でろ過した時,アンモニアの匂いがなくなっていることに気づきました.この話を聞いたWayは96回繰り返し実験を行い,イオン交換と呼ばれる現象を発見します.彼はイオンは等量交換されること,イオンによって交換効率が異なること,吸着とは異なる現象であることをすでに見抜いており,洞察の鋭さが伺えます.


1858年,Eichbornによりゼオライト*3と呼ばれる鉱物の一つであるチャバザイト (Ca,K2,Na2,Mg)Al2Si4O12•6H2OやナトロライトNa2Al2Si3O10 · 2H2Oでもイオン交換が確認されることを報告しました.

ナトロライト By Didier Descouens - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9054480

さらに1876年にはLembergリューサイトK2O・Al2O3・4SiO2のミネラル分が食塩水により溶け出るとNa2O・Al2O3・4SiO2・2H2Oに変換されることを発見します.KがNaに入れ替わっていますね.


このようにゼオライトによる不思議な現象が調べられてきた中,1905年にはドイツの化学者Robert Gansによってゼオライトのイオン交換が軟水化に利用できることを発見します.彼はさらに,Permutitと呼ばれる人工ゼオライトNa2Al2Si2O8 · 6H2Oを合成し,これに水を通すだけで軟水化できることを実証しました.
 \mathrm{ Na_2Al_2Si_2O_8 \cdot 6H_2O + Ca^{2+} \longrightarrow CaAl_2Si_2O_8 \cdot 6H_2O + 2Na^{+} }


ゼオライトで交換できる硬水の量は限られていましたが,軟水化が簡単にできるということで広く普及していきました.イギリスではバーケンヘッドやウォラシー(1912年)やミドルセックスハートフォード1924年)でゼオライトによる軟水化施設が稼働しはじめます.アメリカではペンシルバニア州ワイオミッシング(1922年)が最初の軟水化施設です.その後,アイオワ州ローレンス(1924年)やオハイオ州(1925年)などに広がっていきます.この頃になるとゼオライトはLime-soda ash法の強力なライバルとなります.


1930年代に入ると,イオン交換技術に革命が起きます.その前にちょっと寄り道しましょう.

フォノグラフ By Norman Bruderhofer, www.cylinder.de - own work (transferred from de:File:Phonograph.jpg), CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=427395

1877年エジソンが発明したフォノグラフと呼ばれる蓄音機は,スズSnでおおった真鍮の円筒に針で音溝を記録し,これを読み取ることで再生するというものでした.1887年にはエミール・ベルリナーグラモフォンと呼ばれるタイプを発明しました.これは円筒ではなく円盤ターンテーブルにのせて回転,再生するものです.レコードと言えばこちらのタイプを想像する方が多いと思います.

グラモフォン

レコードは初期はゴム製だったようですが,1895年以降,ラックカイガラムシが分泌する天然樹脂であるシェラックが原料として使われるようになりました.いわゆるSPレコード盤です*4


B.A. AdamsE.L. Holmesは壊れたレコード盤がイオン交換現象を示すことに気づき*5,1935年にイオン交換可能な人工樹脂の合成に成功します.こうして開発されたイオン交換樹脂は,それまでのゼオライトなどと比べ,イオン交換速度や寿命,交換できる量において優れていました.

イオン交換樹脂の有用性はその後すぐに注目されました.特に大きな役割を果たしたのは原子爆弾の開発を目的としたマンハッタン計画においてでした.


原子爆弾の開発においては核分裂生成物の解析が必要だったのですが,特にランタノイドは性質が似通っていて分離が困難でした.そこにイオン交換樹脂の技術が取り入れられたことでランタノイドの分離につながりました.1945年にはランタノイド最後の元素,プロメチウムPmの分離に貢献しました.


戦後は砂糖づくりなど様々な分野に応用されていきました.浄水における軟水化もその応用例のひとつです.


Lime-soda ash法ではCa2+やMg2+は50 mg/L CaCO3ほどまで取り除くことができる一方で,ゼオライトやイオン交換樹脂を用いるとほぼ0 mg/L CaCO3まで除去することが可能です.すごいですね.


完全にCa2+やMg2+が取り除けると嬉しいような気もします.しかしながら,水道水でこういった状況になると溶けたCO2によるpHの低下によりパイプの銅が溶け出すなどの問題が起きてしまったようです.そのため,通常はそこまで完全にはCa2+やMg2+の除去を行いません.


Lime-soda ash法やイオン交換は組み合わせて使用することもでき,実際にそのような浄水施設もあります.

3.まとめ

軟水が大半の日本ではあまり意識されない問題ですが,欧米ではかなり苦労していたみたいですね.最近では,膜処理による軟水化の研究も進んでいるようです.


ちなみにCaCO3の析出は産業革命期,ボイラーの運用で問題となりました.このときは芋を加えることで,芋のデンプンによりCaCO3の析出を阻害していたようです*6.びっくりですね!
【参考】浄水(12):究極の水,超純水


次回は水に溶けている様々な金属イオンを化学反応やイオン交換によって除去する方法について見てみましょう.

問題

Q. ゼオライトはSiO2の組成をもつケイ酸塩のうち,Si4+がAl3+に入れ替わり,空孔に電荷を補うかたちでNa+などの陽イオンが入ったり結晶水を含んだ構造と捉えることができます.とあるゼオライトをNaaAlbSicOd・eH2Oとあらわしたとき,a, b, c, dの間に成り立つ関係式を求めてみましょう.



A. 電荷のつりあいから,
 a + 3b + 4c = 2d
また,Si4+がAl3+に入れ替わったときの正電荷の不足分をNa+が補うので,
 a = b



参考文献

Chemistry of Water Treatment, 2nd edition” S.D. Faust and O.M. Aly (1998).
”MWH's Water Treatment: Principles and Design, 3rd edition" J.C. Crittenden, et al. Wiley (2012).
"Water Quality and Treatment, 5th edition" R.D. Lettermen, The American Water Works Association (1999).
“Drinking Water and Health, Volume 1” National Research Council (US) Safe Drinking Water Committee (1977).
”The Quest for Pure Water" M. N. Waker, The American Water Works Association (1948).
"Magnesium Sulfate-Rich Natural Mineral Waters in the Treatment of Functional Constipation–A Review" C. Dupont and G. Hebert, Nutrients, 12, 2052 (2020).
『都市・地域 水代謝システムの歴史と技術』丹保憲仁,鹿島出版会 (2012).
『Cooking for Geeks 第2版』J. Potter,オライリー・ジャパン(2016)
鈴野 弘子, 石田 裕『水の硬度が牛肉,鶏肉およびじゃがいもの水煮に及ぼす影響』日本調理科学会誌, 46, 161-169 (2013).
『超純水のはなし』岡崎稔,鈴木宏明,日刊工業新聞社 (2002).
”Graphic Representation of Water Analyses." W. D. Collins, Ind. Eng. Chem. 15, 394 (1923).
”CHARACTERISTIC PROPERTIES OF ZEOLITES FOR WATER SOFTENING" S.B. Applebaum, Journal (AWWA), 13, 213-220 (1925).
”Chapterwise Topicwise Solved Papers Chemistry for Engineering Entrances 2020" P. Sharma, Arihant Publications India limited (2019).
"“PERMUTIT” AS A REAGENT FOR AMINES" J. C. Whitehorn, JBC, 56, 751-764 (1923).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:ハンフリー・デービー (Hamphry Davy, 1778-1829) のいとこです.

*2:弱酸性イオン交換樹脂は交換力は弱いのですが,再生されやすいという特徴があります.

*3:1756年,スウェーデンの地質学者のクルーンステット (Axel Fredrik Cronstedt, 1722-1765) アイスランド火山岩を調査中に発見しました.

*4:SPレコードは壊れやすかったのですが,1948年にPeter Goldmarkらがポリ塩化ビニル製の壊れにくいLPレコードを開発しました.

*5:本人らの直接の記述は発見できなかったのですが,後年出版された様々な教科書にそのような記述がありました.

*6:たまたま食事用に芋を蒸していたのを取り出し忘れてしまったことで芋の効果に気づいたようです.