化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定

過マンガン酸カリウムを用いる滴定,過マンガン酸塩滴定は色がはっきり変化するので化学実験でもよく取り上げられます.


マンガン酸塩滴定はどのように誕生したのでしょうか?



今回は鉄工業や硝石産業,水質調査と関わりの深い過マンガン酸塩滴定の歴史をみていきましょう.



滴定の歴史(1):中和滴定の誕生
滴定の歴史(2):中和滴定と水素イオン濃度
滴定の歴史(3):電極によるpH測定
滴定の歴史(4):酸化還元滴定の発明
滴定の歴史(5):ヨウ素滴定の開発
滴定の歴史(6):ヨウ素滴定の発展
滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定
滴定の歴史(8):酸化還元指示薬
滴定の歴史(9):沈殿滴定

1.過マンガン酸カリウム

ピロルサイト

ピロルサイトpyrolusiteは,かつて「褐色の石」とも呼ばれたマンガンMnを含む鉱石で,中世ヨーロッパではガラス製造によく使われていました.


ガラスをつくるときにこの褐色の石を入れると,紫色のきれいなガラスを作ることができました*1.これは,ガラスに混入したMn3+が490 nm付近の青緑色の光を吸収するためです.


一方で入れる量を調節すると,ガラスが不純物であるFeによって青緑色っぽく着色するのを防ぎ無色のガラスを作ることも出来ました.そのため「ガラス職人の石鹸(Glassmaker's soap」と呼ばれることもあったようです.


無色透明に見えるしくみは少々複雑です.もともと強く青緑色に着色させていたFe2+がMn3+によって酸化されて弱く黄色に着色させるFe3+に変化するほか*2
 \mathrm{Fe^{2+} + Mn^{3+} \longrightarrow Fe^{3+} + Mn^{2+}}

Fe2+の吸収によって青緑色になった光をMn3+が吸収するためだと考えられています.


この場合,よく考えてみるとトータルで跳ね返ってくる光は少なくなります.そのため,ガラスを厚くすると透明というよりは灰色に見えるようになるようです.増白剤と似ていますね.
【参考】洗濯(9):白くみせる,増白


マンガンによるガラスの無色化は古くはローマンガラスにも確認することができます.これはエジプトの砂にマンガンが含まれていたからだと考えられています.
【参考】アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム

Cristallo (1500年頃)

1450年代にヴェネツィアのガラス職人のAngelo Barovier (1400?-1460)が発明した美しい無色透明のクリスタルガラスでも,マンガンは消色剤として使われました.


マンガンを含む化合物は酸化数によって様々な色に変化することが古くから知られていました.そのため,カメレオンとも呼ばれました.

Johann Rudolf Glauber (1604-1670)

グラウバー (Johann Rudolph Glauber, 1604-1670) は1659年に発刊した本の中で,ピロルサイトと水酸化カリウムと溶融し,水に溶かすと溶液は紫色から青色赤色を経て緑色に変化すると記述しています.

Carl Wilhelm Scheele (1742-1786)

一方シェーレは水酸化カリウムとの反応で緑色の物質ができ,
 \mathrm{2MnO_2 + 4KOH + O_2 \longrightarrow K_2MnO_4 + 2H_2O}

水に溶かすと紫色に変化すると記録しています.
 \mathrm{2K_2MnO_4 + 2H_2O \longrightarrow 2KMnO_4 + 2KOH + H_2}


こんなにカラフルに変化するのは不思議ですね.似たような反応は現在でもChemical chameleon (化学カメレオン) として知られています.これはグラウバーの観察した色変化と少し違いますが,見てみましょう.


Chemical chameleonは極めてシンプルな操作で引き起こすことができます.アルカリ性過マンガン酸カリウム溶液ブドウ糖グルコース)や果糖(フルクトース)などの糖を加えるだけです.キャンディーを削って入れるだけでもいけるようです.

ブドウ糖や果糖はアルカリ性の水溶液中でアルデヒドを形成します.アルデヒド基は還元性を示すので,このような糖は還元糖と呼ばれます*3

www.youtube.com

水溶液中では還元糖と過マンガン酸カリウム酸化還元反応がゆっくりと進行します.


はじめはMnO4-により溶液は赤紫色ですが,やがて還元されて緑色のMnO42-へと変化し,
 \mathrm{MnO_4^{-} + \textit{e}^{-} \longrightarrow MnO_4^{2-} }

黄色のMnO(OH)2や,MnO2を生成します.
 \mathrm{MnO_4^{2-} + 3H_2O + 2\textit{e}^{-} \longrightarrow MnO(OH)_2 + 4OH^{-}}
 \mathrm{MnO(OH)_2  \longrightarrow MnO_2 + H_2O}

Mnの酸化数が+7から+6, +4へと変化していくに従い色が変化するユニークな反応です.使う糖や反応条件によっては,+7から+6へ変化する際に青色に見えることもあります.


このようにMnは酸化数の違いによりカメレオンのようにはっきり色が変化するので,酸化還元滴定にはぴったりです.

2.過マンガン酸塩滴定の誕生

汽車の製造(1870年代)

フランスやドイツでは1840年代に工業化が進み,機関車やレール材としての鉄鋼需要が急増しました.そうした背景から冶金工場では鉄鉱石中鉄含有量を簡単に測定する方法が求められていました.


1846年,フランスのガス技師Frédéric Margueritte(生没年不詳)は過マンガン酸カリウムを用いて鉄を滴定する方法を発表しました*4


彼の方法では,まず鉄鉱石を塩酸などの酸に溶かします.
 \mathrm{Fe + HCl \longrightarrow Fe^{2+} + 2Cl^{-} + H_2}

Fe3+が含まれている場合があるので,これを亜鉛で還元しておきます*5
 \mathrm{2Fe^{3+} + Zn \longrightarrow 2Fe^{2+} + Zn^{2+}}

そしてこれを過マンガン酸カリウムの溶液で滴定します.
 \mathrm{5Fe^{2+} + MnO_4^{-} + 8H^{+} \longrightarrow 5Fe^{3+} + Mn^{2+} + 4H_2O}


滴定で鉄を定量するには,過マンガン酸カリウム溶液をあらかじめ標定しておくことが必要です.過マンガン酸カリウム溶液の標定には,鍵盤楽器の弦1 gが使われました.


こうして誕生した過マンガン酸塩滴定により,鉄鉱石中の鉄の量は誰でも1-1.4%の精度で定量することができました.

3.硝石製造と鉄の逆滴定

過マンガン酸カリウム滴定は硝石製造にも応用されました.少し遡ってみましょう.

ビーゴ湾の海戦(1702年)

18世紀ヨーロッパでは戦争が絶えず,兵器として重要な火薬に使われる硝石KNO3の精製が重要な課題でした.特にフランスはイギリスのようにインド産の硝石を得ることができず,自給自足で厩舎の壁などに生じた硝石をかき集め,精製する必要がありました.
【参考】黒色火薬の歴史(2):硝石


原料となる硝石は純粋なKNO3というわけではなく,吸湿性の高い硝酸カルシウムCa(NO3)2などが含まれており,これが残っていると爆薬としての性能が損なわれてしまいます.そのため,硝石を製造する工程では粗製硝石溶液に含まれるカルシウムなどを除去し,純粋なKNO3を得ることが重要でした.


そこで硝石製造の際には,粗製硝石溶液に樹木の灰,具体的には炭酸カリウムK2CO3を加えてカルシウム塩を沈殿させるという操作が古くから慣習的に行われていました.
 \mathrm{Ca(NO_3)_2 + K_2CO_3 \longrightarrow CaCO_3 + 2KNO_3}

溶解度の差をうまく使うことで,硝石だけを母液に残しておくことができます.


ここで問題となるのは,母液に不純物として含まれる塩化カリウムKClです.何も考えずにK2CO3を大量に加えてしまうとKClもできてしまいます.
 \mathrm{CaCl_2 + K_2CO_3 \longrightarrow CaCO_3 + 2KCl}

これをK2CO3から取り除くのはなかなか大変です.


硝石工場の経営者でもあったド・モルボー(Louis-Bernard Guyton de Morveau, 1737-1816)は1782年,母液中の硝酸イオンNO3-濃度を中和滴定(?)により定量する方法を考案しました.
【参考】滴定の歴史(1):中和滴定の誕生

NO3-濃度さえわかれば,それとちょうど反応する分だけK2CO3を加えれば良い,という考えです.


しかし彼の考案した方法は完全ではなく,実用上はかなり無理がありました.


それから長い間,正確に硝酸イオンNO3-濃度を調べる方法はありませんでした.しかしマンガン酸塩滴定の登場により,それが可能になりました

Theophile-Jules Pelouze (1807-1867)

1847年,フランスの化学者ペルーズ(Theophile-Jules Pelouze, 1807-1867)は硝石研究に関する長い歴史を紹介した上で,過マンガン酸塩滴定により硝酸イオンNO3-濃度を定量する方法を報告しました.


まず鉄製の弦に濃塩酸HClを注ぎ,溶解させます.
 \mathrm{Fe + 2HCl \longrightarrow FeCl_2 + H_2}

次に硝石を加え,外の空気が入ってこないようにしながら溶液を長時間沸騰させます.そうすると溶液は褐色になり蒸気を発し,しばらくすると透明になります.
 \mathrm{3Fe^{2+} + NO_3^{-} + 4H^{+} \longrightarrow 3Fe^{3+} + NO + 2H_2O }
or
 \mathrm{Fe^{2+} + NO_3^{-} + 2H^{+} \longrightarrow Fe^{3+} + NO_2 + H_2O }

この溶液に過マンガン酸カリウム溶液を加え,滴定します.
 \mathrm{5Fe^{2+} + MnO_4^{-} + 8H^{+} \longrightarrow 5Fe^{3+} + Mn^{2+} + 4H_2O}

Mn2+の薄いピンク色になったら滴定を止めます.これにより,硝酸イオンNO3-と反応しなかった鉄の量を求めることができます.


理論的にはうまくいくはずですが,実際には空気中の酸素によりFe2+が酸化されてしまいます.そこでCarl Remigius Fresenius (1818-1897) は二酸化炭素ガスを装置に送りながら空気を遮断して実験を行うことで,この問題を解決しました.


このように鉄と過マンガン酸塩の反応を用いる方法は,広く使われるようになりました.

4.過マンガン酸カリウム溶液の調製

過マンガン酸カリウムが初めて市販されたのは1862年のことです.そのため,それ以前は自分で作らなければいけませんでした.

Karl Friedrich Mohr (1806-1879)

ドイツの化学者モール(Karl Friedrich Mohr, 1806-1879)が1855年に出版した自著『Lehrbuch der chemisch-analytischen Titrirmethode』では,二酸化マンガンMnO2,水酸化カリウムKOH,塩素酸カリウムKClO3から調製するヴェーラー (Friedrich Wöhler, 1800-1882) の方法を紹介しています.
 \mathrm{2MnO_2 + 2KOH + KClO_3 \longrightarrow 2KMnO_4 + KCl + H_2O}


こうして作られた過マンガン酸カリウムKMnO4は,アルカリ性の状態で放っておくとMnO2の粒子が精製し,にごって滴定の色変化が見づらくなってしまいます.
 \mathrm{4KMnO_4 + 4KOH \longrightarrow 4K_2MnO_4 + 2H_2O + O_2}
 \mathrm{2K_2MnO_4 + 2H_2O \longrightarrow 2MnO_2 + 4KOH + O_2}


そこで調製後は酸性にしておくのが良さそうです.それではどの酸で酸性にすれば良いでしょうか?


塩酸ではダメです.濃度が少しでも高かったり温度が高いと過マンガン酸イオンによって酸化されてしまいます.

薄ければ大丈夫かもしれないとモールは言っていますが,それでも実験中に塩素臭がしたことがあるようです.やっぱりダメそうですね.


当時は硝酸で酸性にすることが推奨されていたようです.しかし硝酸も酸化剤ですので,滴定時に過マンガン酸だけでなく硝酸も反応してしまい,結果を解釈することが難しくなってしまいます
 \mathrm{HNO_3 + 3H^{+} + 3\textit{e}^{-} \longrightarrow NO + 2H_2O}
 \mathrm{HNO_3 + H^{+} + \textit{e}^{-} \longrightarrow NO_2 + H_2O}


そこでモールは希硫酸過マンガン酸カリウム溶液を酸性にすることをオススメしています*6.これなら大丈夫そうですね.


さて,このように注意して過マンガン酸カリウム溶液を調整しても,保存条件によっては変化して二酸化マンガンMnO2を生じてしまいます*7
 \mathrm{4MnO_4^{-} +2H_2O\longrightarrow 4MnO_2 + 3O_2 + 4OH^{-}}

そのため,実験前に標定しておくことが重要です.


標定に用いる物質として,モールは瓶の接合などに使われていた鉄線の使用を勧めています.
 \mathrm{MnO_4^{-} + 5Fe^{2+} + 8H^{+} \longrightarrow Mn^{2+} + 5Fe^{3+} + 4H_2O}

鉄線を希硫酸に溶かしたものを使用します.
 \mathrm{Fe + H_2SO_4 \longrightarrow FeSO_4 + H_2}


しかし鉄線を希硫酸に溶かすには25分近くかかりました.毎回行うのは大変なので,彼は酸化されづらい鉄の塩(NH4)2Fe(SO4)2・6H2Oの使用をオススメしました.この塩はのちに,モール塩と呼ばれました.
 \mathrm{Fe + H_2SO_4 \longrightarrow FeSO_4 + H_2}
 \mathrm{FeSO_4 + 7H_2O \longrightarrow FeSO_4 \cdot 7H_2O }

 \mathrm{(NH_4)_2CO_3 + H_2SO_4 \longrightarrow (NH_4)_2SO_4 + H_2O + CO_2}

 \mathrm{FeSO_4 \cdot 7H_2O + (NH_4)_2SO_4 \longrightarrow (NH_4)_2Fe(SO_4)_2 + 7H_2O }
 \mathrm{(NH_4)_2Fe(SO_4)_2 + 6H_2O \longrightarrow (NH_4)_2Fe(SO_4)_2 \cdot 6H_2O }


他には,シュウ酸を利用する方法があります.教科書などでもおなじみですね.
 \mathrm{2MnO_4^{-} + 5(COOH)_2 + 6H^{+} \longrightarrow 2Mn^{2+} + 10CO_2 + 8H_2O}

Liebigの初期の助手でもあったHempelがモールの家を訪れた時,Hempelがこのアイデアを思いついたようです.

5.過マンガン酸塩滴定の応用

こうして調整された過マンガン酸カリウム溶液は,さまざまな物質の定量に用いることができます.

鉄の定量

赤鉄鉱 By Transpassive - photo taken by Transpassive, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=277663

例えばMargueritteが示したように鉄鉱石やスラグ中の鉄の定量には絶大な力を発揮しました.
 \mathrm{5Fe^{2+} + MnO_4^{-} + 8H^{+} \longrightarrow 5Fe^{3+} + Mn^{2+} + 4H_2O}


しかし鉄を硫酸で溶かした溶液と異なり,サンプル中にはFe3+が含まれている可能性があります.この分も定量したいですよね.


そこで鉄全体の含有量を調べるには,Fe3+を予め還元することが必要です.このような操作は予備還元と呼ばれます.
 \mathrm{Fe^{3+} + \textit{e}^{-} \longrightarrow Fe^{2+}}


1863年,Friedrich Christian Kessler (1824-1896) はFe3+塩化スズSnCl2で還元し,塩化水銀HgCl2で滴定しました*8
 \mathrm{2Fe^{3+} + Sn^{2+} \longrightarrow 2Fe^{2+} + Sn^{4+}}
 \mathrm{Sn^{2+} + 2HgCl_2 \longrightarrow Sn^{4+} + Hg_2Cl_2 + 2Cl^{-}}

1889年にはC. Reindardtがこの方法を応用し,塩化水銀で過剰のSn2+を除去したのちに過マンガン酸塩滴定を行う方法を報告しました.
 \mathrm{5Fe^{2+} + MnO_4^{-} + 8H^{+} \longrightarrow 5Fe^{3+} + Mn^{2+} + 4H_2O}


一方同年には,Harry Clair Jones (1865-1916) が亜鉛粉末を詰めた管に溶液を通すことでFe3+を還元する方法を報告しました.
 \mathrm{2Fe^{3+} + Zn \longrightarrow 2Fe^{2+} + Zn^{2+}}

10年後には水銀と亜鉛の合金(アマルガム)にするとさらに還元しやすくなることが発見されました*9.こうした装置はジョーンズ還元器として知られています*10

マンガン定量

ピロルサイト

ドイツのラーン (Lahn) からは 「褐色の石」 ,いわゆる軟マンガン鉱が1834年に発足したドイツ関税同盟内の諸地域やイギリスに大量に輸出されていました.


当時鉱石から得られる二酸化マンガンMnO2は着色ガラスの製造,磁器*11の彩色のほか,塩素や酸素の生成に使われていました.
 \mathrm{MnO_2 + 4HCl \longrightarrow MnCl_2 + Cl_2 + 2H_2O }
 \mathrm{2MnO_2 + 2H_2SO_4 \longrightarrow 2MnSO_4 + O_2 + 2H_2O }

そのため,マンガン鉱の純度測定が重要な課題でした.


モールは過マンガン酸塩滴定によりマンガン定量する方法を自著に記載しています.これは1853年にHempelが考案したものです*12.その方法を紹介しましょう.


まずマンガン鉱石をハンマー,そして乳鉢で細かく砕きます.次に硫酸の存在下で過剰のシュウ酸を加えます.
 \mathrm{MnO_2 + (COOH)_2 + H_2SO4 \longrightarrow MnSO_4 + 2CO_2 + 2H_2O }

そして未反応のシュウ酸を過マンガン酸カリウム溶液で滴定します. \mathrm{5(COOH)_2 + 2MnO_4^{-} + 6H^{+} \longrightarrow 10CO_2 + 2Mn^{2+} + 8H_2O }

こうして反応したシュウ酸の量がわかるので,マンガン定量することができます.イルメナウ産の硬い鉱石でも長時間かけて分解すれば分析できたようです*13


その後,広くマンガン定量法に用いられるようになったのがVolhard-Wolff法です.


この方法は1863年,フランスのA. Guyardによって最初に報告されました.
 \mathrm{3Mn^{2+} + 2MnO_4^{-} + 2H_2O \longrightarrow 5MnO_2 + 4H^{+} }

Guyardは詳しい実験データを示しませんでしたが,VolhardやWolffをはじめとした様々な研究者によって改良され,信頼できるマンガン定量としての地位を確かなものにしました*14

水質調査

19世紀ヨーロッパでは水のトラブルが大きな問題となっていました.


例えばイギリスは海外に広大な植民地を得て世界中に貿易を展開していましたが,植民地インドで発生したコレラが1830-40年代にイギリス本土に上陸し,猛威を振るいました.
【参考】浄水(3):ろ過や塩素による消毒

フランスやドイツでも同時期に大流行しました.


コレラはご存知のように,コレラ菌の感染により発症します.当時はまだその存在は知られていませんでしたが,大流行の裏には,何か原因があるはずだと考えられていました.

John Snow (1813-1858)

やがてロンドンの医師ジョン・スノウ (John Snow, 1813-1858) がテムズ川が感染拡大の原因であることを突き止めました.生活用水として利用していたテムズ川が病気の原因となる物質(今で言うコレラ菌)で汚染されていたのです.


テムズ川は結局水の汲み出しが禁止されましたが,他の水が安全かどうかはわかりません.自分の井戸水が汚染されているかどうかはどのように調べれば良いのでしょうか?


水中に含まれる酸素(溶存酸素)は,水中に細菌がたくさんいるほど減る傾向にあります.これは,細菌が有機物を分解する際に酸素を消費するためです.


そこで水が細菌によってどれくらい汚染されているかを知るためには,溶存酸素を定量するのが有効です.


モールは自著でマンガン酸塩滴定により溶存酸素を調べる方法を記載しています.


まず溶存酸素を調べたい水に硫酸鉄FeSO4溶液と水酸化カリウムKOH溶液を加えます.
 \mathrm{FeSO_4 + 2KOH \longrightarrow K_2SO_4 + Fe(OH)_2 }

しばらく放置していると,Fe2+が水中の溶存酸素によって酸化されて沈殿が生成します.
 \mathrm{4Fe^{2+} + O_2 + 8OH^{-} \longrightarrow 4FeOOH + 2H_2O}

放置したあと硫酸で沈殿物を再溶解して沈殿になった分をFe3+に変換し,
 \mathrm{2FeOOH + 3H_2SO_4 \longrightarrow Fe_2(SO_4)_3 + 4H_2O}

残ったFe2+シュウ酸で滴定します.
 \mathrm{5(COOH)_2 + 2MnO_4^{-} + 6H^{+} \longrightarrow 10CO_2 + 2Mn^{2+} + 8H_2O }

これにより,Fe3+に変換した分,すなわち溶存酸素によって酸化されたFe2+の量がわかるので,溶存酸素が定量できるはずです.


しかしながら実際にはあまり精度は良くなかったようです.後年,溶存酸素はヨウ素滴定を活用したWinkler法によって測定されるようになりました.
【参考】滴定の歴史(6):ヨウ素滴定の発展

Franz Ferdinand Schulze (1815-1873)

一方で1866年にコレラに襲われたRostockで教鞭を取っていたFranz Ferdinand Schulze (1815-1873)は,水中に含まれる有機に着目しました.


当時,有機物が有害なのか無害なのかは意見が割れていたのですが,ロンドンの水道会社からもらった水サンプルを調べていたSchulzeは水中に含まれる特定の有機コレラの原因と考えていたようです*15有機物は細菌がエネルギー源だったり細菌の分解物だったりしますから,相関があったとしても不思議ではなかったでしょう.


水中の有機物には,アルデヒドのような過マンガン酸カリウムによって酸化される物質が含まれています.Schulzeは(大雑把に有機物の全量が過マンガン酸カリウムと反応する物質の量と相関しているだろうとして滴定を行いました.


Schulzeはまず分析対象の水サンプルに石灰水を混ぜ,過マンガン酸カリウム溶液を一定量加えました.そうすると水中に含まれる還元性の有機物量に応じて,溶液の色が変化しました.
 \mathrm{MnO_4^{-} + 2H_2O + 3\textit{e}^{-}\longrightarrow MnO_2 + 4OH^{-} }

大雑把には,これによりどの水が安全かを判断することができます


実際には有機物の組成や,水中に含まれる他の還元性物質の量などによっても結果が変わってしまうためあまり正確な分析手法ではありませんが,簡便に結果が得られるということで広く採用されました.


一般的な過マンガン酸カリウム消費量の調べ方としては,まず水サンプルに硫酸と過マンガン酸カリウムを加え,
 \mathrm{MnO_4^{-} + 8H^{+}  + 5\textit{e}^{-} \longrightarrow Mn^{2+} + 4H_2O }

過剰な過マンガン酸カリウムをシュウ酸で滴定し,
 \mathrm{2MnO_4^{-} + 5(COOH)_2 + 6H^{+} \longrightarrow 2Mn^{2+} + 10CO_2 + 8H_2O}

さらに過剰なシュウ酸を過マンガン酸カリウムで逆滴定します.

6.まとめ

マンガン酸塩滴定が確立するまでには長い歴史がありましたね.


次回は溶液の色が変化しない酸化還元反応でも滴定に使えるようになった指示薬の活躍を見ていきましょう.
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参考文献

"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
"Handbook of Inorganic Chemicals" P. Patnaik (2003).
"French economic growth in the nineteenth century reconsidered" F. Crouzet, History, 59, 167-179 (1974)
"Mémoire sur un nouveau procédé de dosage du fer par la voie humide" F. Margueritte, Annales de chimie et de physique, 18, 244-255 (1846).
"Roman glasses coloured by dissolved transition metal ions: redox-reactions, optical spectroscopy and ligand field theory" D. Möncke, et al. Journal of Archaeological Science, 46, 23-36 (2014).
"Making colourless glass in the Roman period" C.M. Jackson, Archaeometry, 47, 763-780 (2005).
“Lehrbuch der chemisch-analytischen Titrirmethode” F. Mohr (1855).
“Volumetrische Analyse im Allgemeinen” Jahresbericht über die Fortschritte der Chemie und verwandter Theile anderer Wissenschaften, 617-629 (1853).
"A Sweet Introduction to the Mathematical Analysis of Time-Resolved Spectra and Complex Kinetic Mechanisms: The Chameleon Reaction Revisited" R.J. Fernández-Terán, et al., Journal of Chemical Education, 99, 2327-2447 (2022).
“Sur un nouveau mode de dosage des Nitrates, et particulièrement du Salpêtre” J. Pelouze, Annales de chimie et de physique, 20, 129-143 (1847).
“The French Crash Program for Saltpeter Production, 1776-94” R.P. Multhauf, Technology and Culture, 12, 163-181 (1971).
“Zur Bestimmung des Eisens in salzsaurer Lösung mittelst Chamäleon” C. Reinhardt, Chemiker-Zeitung, 13, 323-326 (1889).
“A Simplified Reductor” P.W. Simmer, JACS, 21, 723-724 (1899).
“A systematic handbook of volumetric analysis or, The quantitative estimation of chemical substances by measure” F. Sutton (1863).
“Notes on the Manganese Determination” L. Szakeres, et al, Microchemical Journal 11, 476-480 (1966).
“Ueber die Untersuchung der Brunnenwässer auf diejenigen Bestandtheile, welche für die Gesundheitspflege am meisten in Betracht kommen” F. Schulze, Polytechnisches Journal, 188, 197-219 (1868)
“New methods of Alkalimetry and of determining the commercial value of acids and manganese” C.R. Fresenius and H. Will (1843).
“含水酸化マンガン(IV)のアルカリ性過マンガン酸カリウム溶液による酸化” 成田栄一ほか,日本化学会誌, 5, 698-705 (1980)
『ハリス分析化学』D.C. Harris, 化学同人 (2017).
『分析化学の歴史』F. Szabadváry (1988).
『元素発見の歴史』M.E. Weeks, H.M. Leicester (1989)
『ガラスの文明史』黒川町高明,春風社 (2009).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:実際には燃焼時の酸素濃度や他の金属イオン含有量などに依存します.

*2:Mn2+はほぼガラスを着色させません.

*3:還元糖ではないショ糖でも実際には反応が起きるようですが,これらの糖と比べて反応速度はかなり遅いようです.

*4:この論文は酸化還元仮定を化学式で著した最初の論文でもあります. \mathrm{Mn^{2}O^{7}, KO =  Mn^{2}O^{2}+ O^{5}+ KO}   \mathrm{Mn^{2}O^{2}+ O^{5}+ KO + 5Fe^{2}O^{2} = Mn^{2}O^{2}+5Fe^{2}O^{3} + KO}

*5:亜硫酸を使っても良いのですが,その場合,不純物に含まれるヒ素や銅も還元してしまうので亜鉛のほうが良かったようです.

*6:1862年には硫酸酸性で過マンガン酸塩滴定を行うべきであるという論文も報告されています.

*7:水に含まれる有機化合物もKMnO4を還元してしまいますので,1時間煮沸して反応を完了させ,沈殿を除去すると良いです.このとき,ろ紙は使ってはいけません.ろ紙も有機化合物ですからね.

*8:Hg2Cl2が沈殿する沈殿滴定です.

*9:A.G. McKennaによるアイデアだったようです.

*10:亜鉛Znは還元剤として強すぎるので,銀Agを用いるウォールデン還元器が使われる場合もあります.

*11:ヨーロッパで磁器の製造が成功したのは1709年のことです.

*12:同様にカルシウムなども定量できました.

*13:Hempelはこの方法を鉛にも応用しました.

*14:実際にはMn2O3の生成も起きてしまいます. \mathrm{4Mn^{2+} + 2MnO_4^{-} + 3H_2O \longrightarrow 4MnO_2 + Mn_2O_3 + 6H^{+} }

*15:コレラ菌が原因であると広く認められるようになったのは1884年のコッホの研究を待たなければいけません.