化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

洗濯(9):白く見せる,増白

漂白は色を消して白くするというアプローチでしたが,逆に色をつけて白みを増す増白というアプローチもあります.

いったい増白とはどのようなしくみなのでしょうか?


今回は増白について,中世ヨーロッパの漂白屋で行われていた青みづけや20世紀に開発された蛍光増白を中心にみていきましょう.



洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):過酸化水素
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング

1.増白のしくみ

よごれを放置していると,よごれが酸化して着色物質に変化するなどして衣服が黄ばんできたりします.黄ばむのは,着色物質が黄色の補色である青色の光を吸収するからです.結果として,赤色や緑色の光が目に届き,黄色として認識されます.


黄ばんだ衣服に青色を足せば,白っぽくみえるはずです.このような手法を「増白」とよびます.


昔は青色の染料で染めて同様の効果を狙いました.青色染料は,赤色や緑色を吸収する物質です.しかしながらこの方法では,黄ばみが青色を吸収し,青色染料が残りの赤色・緑色を吸収するため,まんべんなく光が吸収されて灰色っぽくくすんでしまいます


そこで,青色光を放出する物質を足す蛍光増白と呼ばれる手法が登場しました.蛍光増白に用いられる物質(蛍光増白剤)は,紫外線を吸収して青色の蛍光 (440 nm付近) を発する性質があります.そのため,黄ばみが吸収した青色の光を補うことができ,結果として元の白さに近づくというわけです.


蛍光増白剤は繊維に応じてさまざまな物質が使われています.例えばDSBP-1は漂白剤に安定な綿に対して用いられ,DASC-2,3,4は漂白剤に不安定な綿に使用されます.

一方で,NTS-1, C-2は毛やナイロンに対して用いられます.


こういった蛍光増白剤は,太陽光によって分解され,その断片も微生物によって分解するので環境へはさほど蓄積しないだろうということが言われています.


蛍光増白剤を配合した洗剤で服を洗うと,白物は増白効果により白く輝きますが,色のついた服の場合本来の色が変化してしまう場合があります.そのような場合には,蛍光増白剤が配合されていない洗剤を使う必要があります.

2.中世の「漂白屋」

14世紀以降ヨーロッパを襲い続けたペストは最初のペスト禍がおさまるまでに2500万人もの死者を出しました.ペスト禍はやがて入浴に対する人々の考え方にも影響を与えはじめました.

Philippe VI de Valois (1293-1350)

当時,ペストの感染ルートは謎でした.そこで1348年,フランス国王フィリップ6世 (Philippe VI de Valois, 1293-1350)パリ大学医学部にペストの発生源を調査させました.すると教授陣は,湯浴みにより身体がやわらかくなり毛穴が開くと,そこからペストが侵入するのではないかという説を打ち出します.


実際には不潔になればなるほどネズミからやってきたノミにたかられ,ペスト菌がうつされるので逆効果でした.しかしながら人々はこれを信じ,極端に湯浴みを恐れるようになります.こうしてヨーロッパ史上,最も不潔な時代が到来しました

Michel Eyquem de Montaigne (1533-1592)

16世紀末のフランスではすっかり日常の入浴習慣がなくなり,みんなノミやシラミがうじゃうじゃついていました.フランスの哲学者モンテーニュ (Michel Eyquem de Montaigne, 1533-1592)は,個人的には入浴習慣がなくなったことを残念がっていましたが,「かようにして手足の垢が層になり,体表の孔が汚れで詰まっているよりましなことがあるとは想像しがたい」とまで言っています.この頃もまだペストは発生を繰り返していたので,垢で毛穴をふさぐのが感染予防に有効だと考えられていたのです

Louis XIV (1638-1715)

一方で,「清潔」であることを放棄したのかといえばそうではありませんでした.人々は身体を洗わない代わりに,きれいな白い下着に履き替えることで清潔さを保とうとしていましたルイ14世 (Louis XIV, 1638-1715)はもちろん身体を洗いませんでしたが,1日に3度下着をかえていたそうです.


こうして,入浴習慣が失われた代わりに,白くてきれいな亜麻布*1を得るための洗濯が非常に重要視されていきました.そのためヨーロッパでは布を洗濯して白くする漂白屋が各地で活躍しました.

《漂白場》ヤン・ブリューゲル(子) ,1630年ころ,油彩

18世紀,フランスのサンリスには漂白屋がありました.ここでは水車小屋,洗濯場 (buerie),石鹸でこすり洗いする工房 (frottoir),牛乳小屋 (laiterie)で順番に異なる洗濯作業が行われました.


まず前半の洗濯の工程では,アルカリ性の灰などで洗った後に天日ざらしが行われていました.布を水で湿らせたあと,日光にあてて紫外線の作用で生じる酸化反応によって色素を分解することができます.


牛乳小屋には脱脂乳が注がれた大きな木の桶があり,ここに洗濯物を浸していました.浸した後は川のちかくて打ちつけてしずくをおとし,牛乳をひたすという作業を繰り返していました.望んだ白さになるまで続けていたようです.


その後は,青みづけという作業をしました.インジゴ・ブルー(インド原産の藍)もしくは,この頃すでに開発されていたプルシアン・ブルーFe4[Fe(CN)6]3•xH2O*2といった青色染料によりわずかに色をつけていました.

プルシアン・ブルー

布の黄ばみは青色を吸収する一方,青色染料は黄色〜赤色を吸収するので,色をうちけして白くすることを狙っていたようです.もっとも,これではトータルでまんべんなく色を吸収してしまうので,若干灰色っぽくなります.


最上級とよばれるオランダ式では,牛乳は酸化して酸っぱくなったものを使い,青色顔料はラピスラズリ(Na, Ca)8(AlSiO4)6(SO4, S, Cl)2*3を使用していたようです.ラピスラズリは古くから宝石としても珍重されてきた高級品です.

ラピスラズリ

酸っぱくなった牛乳を使うのは感覚的には嫌ですが,ラピスラズリをつかったというのは大変リッチですね!

3.蛍光増白剤の開発

このように青みづけが長らく行われていましたが,最初にみたように青色染料による方法ではくすんだ白が得られるだけです.輝くような,"より白い白"にみせるためにはもっと別の方法が必要です.


ドイツのPaul Krais (1866-1939)は,青色に光る物質を付着させれば,耀く白に見せられるのではないかと考えました.ちょうど1921年には,A.v. Lagorioが蛍光物質の中でも紫外光を吸収し可視光を放出するものは,耀くようにみえるということを報告していました*4.そこでKiaisは,無色透明で強い蛍光を発する物質を探しました.


その中で発見したのがトチノキの樹皮から抽出したエスクリです.

エスクリンはクマリンの一種で,紫外光を吸収*5して青色の蛍光を発します.紫外光を吸収するという特性から,当時写真撮影のフィルターに使用されていました.


エスクリンは水に溶けづらかったようですが,その溶液にレーヨンや亜麻糸をひたすと非常に見事に白くなることがわかりました.蛍光増白の発見です.


彼は1929年に報告した"Uber ein new Schwarz und ein neues Weiss (新しい黒*6と新しい白について)"という論文のなかで,このように述べています.

「これまでに達成した最も白い白は,このプロセスで必ず,さらに白くすることができる」
Man kann tatsächlich das bisher erzielte weißeste Weiß mit diesem Verfahren immer noch weißer machen.


実際のところエスクリンは光で駄目になりやすく,また水にも強いわけではなかったのですが,その後の研究によって他の植物からも得られるクマリンも似たような蛍光特性を持つことがわかり,1930年代に研究が進みました*7


蛍光特性をもつのはクマリンだけではありません.1933年,MerkelとWiedfandはスチルベン*8と呼ばれる化合物を蛍光増白剤として使用することを提案しました.

これは後の蛍光増白剤開発のベースとなるもので,数多くの蛍光増白剤がスチルベンの構造をもとに開発されていきました.


その代表例が1941年に開発されたBlankophor Bです.

これは1933年にEggertとWendtが開発したスチルベン誘導体のDAS*9の構造をもとにしています.Blankophor Bは繊維,特にセルロース繊維によくくっつき,またアルカリ性水溶液中でも安定であるという特徴がありました.


1940年代には数多くの蛍光増白剤が衣服となる前のシルクやウールの処理に使用されるようになりました*10.これらのタンパク質繊維塩素漂白に弱く,白くするには漂白以外の方法が求められていたためです.


1950年代以降のヨーロッパでは,蛍光増白剤は紙やプラスチック,化粧品,さらには小麦粉,砂糖,米などにも添加されるようになりました.1960年代には合成繊維にも使用されるようになります.今でも通常は白く見えるけどブラックライトをあてると青白く光るシャツがありますね.あれがそれです.

By Latente Flickr - Own work, CC BY-SA 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=9555529


現在ではもちろん,食品に使われることはありません.たまに輸入食品に蛍光増白剤が使われていることが判明し,ニュースになったりしています.

4.まとめ

青みを足して白くするって,なんだか裏技みたいですね.


歴史を振り返ると,清潔観がここまで大きく違っても,白い布を好ましく思う気持ちが変わらないというのは不思議な気もします.


次回はドライクリーニングです.
https://omizu-water.hatenablog.com/entry/2023/03/01/180000

参考文献

『洗濯と洗剤の科学』阿部幸子,放送大学教育振興会 (1998).
『洗剤と洗浄の科学』中西茂子,コロナ社 (1995).
『図解やさしくわかる界面化学入門』前野昌弘,日刊工業新聞社 (2014).
『洗剤・洗浄百科事典』皆川基, 藤井富美子, 大矢勝,朝倉書店 (2007).
『図説 不潔の歴史』A. Katherine, 原書房 (2008).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
”Handbook of Instustrial Chemistry and Biotechnology, 13th edition" J.A. Kent, T.V. Bommaraju and S.D. Barnicki, Springer (2017).
"Optical brightners: history and technology" R.A> Mustalish, Studies in Conservation, 45, 133-136 (2000).
"Über ein neues Schwarz und ein neues Weiß" P. Krais, Melliand Textilberichte, 10, 468–469 (1929).
"Ubiquitous trisulfur radical anion: fundamentals and applications in materials science, electrochemistry, analyitcal chemistry and geochemistry" T. Chivers and P.J.W. Elder, Chem. Soc. Rev. 42, 5996-6005 (2013).
"Artists’ Pigments: A Handbook of Their History and Characteristics, Volume 2" R.L. Feller (1993).
"18 世紀フランスにおける漂白・洗濯技法" 内村理奈,日本家政学会誌, 61, 207-216 (2010).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:枯れた植物の繊維に脂肪分や塩分の多い汗が浸透すると考えられていました.

*2:1704-1707年ころ,おそらく1706年にベルリンでJohann Konrad Dippel (1673-1734)とJohann Jacob Diesbach (1670?-1748)によって合成されたと言われています.Georg Ernst Stahl (1660-1734) によれば,Diesbachは乾燥した貝殻虫をミョウバンKAl(SO4)2•12H2O,硫酸鉄FeSO4,木灰K2CO3を溶かした水で煮てコチニールレッドと呼ばれる赤色の色素を抽出しようとした際,自分用の木灰が足りないことに気づきDippelから少し借りたのですが,借りた木灰に[Fe(CN)6]4-が混じっていたため偶然青色の沈澱(プルシアンブルー)が生成したそうです.おそらく一度[Fe2(CN)6]2-が生じた後,片方のFe2+が酸化されてFe3+に変化してプルシアンブルーFe4[Fe(CN)6]3•xH2Oになったのだろうと考えられています.

*3:ラピスラズリゼオライトのような構造を持った(Na, Ca)8(AlSiO4)6(SO4, S, Cl)2で表される鉱物で,結晶中に含まれる[S3]•-によって美しい青色に見えます.黄色の[S2]•-が含まれるタイプもあり,こちらは緑色のラピスラズリとして知られています.紀元前5000年前から宝飾品として使われ,紀元前7世紀には絵画にも使われるようになりました.古くから産地として知られていたのはバダフシャーンと呼ばれていたアフガニスタンあたりの地域で,おそらくヴェネチアを介してヨーロッパに大量に輸出されていました.はじめは砕いて使われていましたが,13世紀に入ると青色成分を抽出する手法が洗練されていきました.

*4:この時期,目に見える色を数値で表す方法が整備されつつありました.

*5:目に見えない紫外光を吸収するのであれば,可視光はそのままですので色がついてみえることはありません.

*6:これはアニリンブラックの染め方に関するものでした.

*7:1935年には,イギリスの化学メーカーがウンベリフェロン酢酸ナトリウムが蛍光増白剤として使用できるとする特許を取得し,1940年にはドイツの染料会社が市販するようになりました.のちにはβ-メチルウンベリフェロンも使われるようになりました.

*8:スチルベンが紫外光を吸収することは1884年から知られていました.

*9:包装ラッピングで紫外光を遮断するために使用されました.

*10:蛍光漂白剤を用いると一時的に見事に白くはなったのですが,繊維が悪くなりやすくなり,時間が経つと黄色っぽくなってしまうこともわかりました.