洗濯できれいになった白い布は,見ていても気持ちがいいですよね.特に白くすることに特化した漂白剤は,非常に強力です.
漂白はどういったしくみなのでしょうか?
今回は特に塩素漂白について,そのしくみと歴史をみていきましょう.
洗濯(1):汚れはなぜ落ちる?
洗濯(2):石鹸の歴史
洗濯(3):合成洗剤
洗濯(4):アルカリ剤
洗濯(5):イオンの封鎖
洗濯(6):酵素パワー
洗濯(7):塩素漂白の誕生
洗濯(8):酸素系漂白剤
洗濯(9):白くみせる,増白
洗濯(10):ドライクリーニング
1.漂白のしくみ
服にはいろんな色のよごれがついてしまいます.食べ物で言えばカレーの黄色やブルーベリーの青,にんじんのオレンジ,トマトの赤など,いろんな色があります.
これらはおおよそ,それぞれに含まれる有機化合物の色が原因です.カレーはクルクミン,ブルーベリーはアントシアニン,にんじんはβ-カロテン,トマトはリコピンなどです.これらの有機化合物が特定の波長の可視光を吸収します.そのため,白色光が当たった際に一部だけが反射され,結果として色がついて見えます.
また,服を繰り返し着ていると,洗濯をしても取り除ききれないよごれが沈着したり,服にほどこされていた加工剤が変質したりします.そうすると,次第に黄ばんだり黒ずんだりしてしまいます.このような黄ばみや黒ずみは,特定の波長の可視光を吸収する有機化合物が付着しているため生じます.
そこで元の白さを取り戻すために,色の原因となる有色物質を酸化還元反応によって無色にする漂白がよく行われます.有機化合物による着色の場合,たいていは酸化還元反応により有機化合物のなかの二重結合を攻撃されると可視光を吸収できなくなり無色化します.
漂白剤には,有色物質を酸化して漂白するタイプと,還元してタイプがあります.酸化タイプにはさらに,塩素系のものと酸素系のものに分けられます.
塩素系で有名なものは次亜塩素酸ナトリウムNaClOです.これは非常につよい酸化剤です.水溶液はアルカリ性を示します.
漂白力や除菌力はとても強いのですが,強すぎて繊維を痛める可能性があります.そのため,アルカリに弱い毛,絹,ナイロン,アセテートなどを原料とする服には使用できません.
一方で綿,麻,ポリエステル,アクリルなどは強い繊維ですので白物であれば問題なく使用できますが,色柄ものだと色落ちしてしまう可能性があります.
次亜塩素酸ナトリウムは非常に強い酸化剤ですので,濃度や温度に十分に注意する必要があります.濃度や温度が高すぎると,綿などであっても痛めてしまう可能性があるからです.ちょうど良い条件をみつけることができれば,布の強度を低下させずに繰り返し漂白することが可能です.
また,pHにも十分に注意しなければいけません.なぜなら,酸性に偏ると塩素ガスを発生させてしまうからです.酸性タイプの洗剤と「まぜるな危険」なのは,そのためです.
窒素を含むタンパク繊維や,ナイロン・ポリウレタンなどは黄色に変色する可能性があります.また,漂白後に繊維中に塩素が残っていると,だんだん繊維がもろくなってしまいます.
そのため,塩素漂白した後は,たとえばチオ硫酸ナトリウムを溶かした液にひたすことで塩素を抜くことが必要です.2つの反応が考えられます.
2.塩素漂白の誕生
漂白の起源を明確にたどるのはなかなか難しそうです.日光にあてて乾かすのも部分的には漂白効果がありますし,古代ローマで行われていたような土を用いた洗浄も一定の効果はあったと考えられます.美的にも宗教的にも白い布へのこだわりはあったようですが,どちらかというと汚れを落とすことでこれを達成しようとしていたようです.
酸化還元反応による「漂白」が本格的に衣服に用いられるようになるのは塩素の登場以降といって良いでしょう*1.
塩素ガスは1774年にスウェーデンの薬剤師シェーレ (Karl Wilhelm Scheele, 1742-1786) によって作成されました*2.マンガンの黒色酸化物を塩酸高温処理して得たようです.
もう少しくわしく書くと,この反応は2段階に分けられます.驚くべきことに,シェーレはこの中間体の存在を想定していました.
シェーレはまた,生成した塩素ガスが花やリトマス紙を白くする,いわゆる漂白作用をもつことにも気づいていました.
クロード・ルイ・ベルトレー (Claude-Louis Berthollet, 1748-1822) は塩素の漂白作用についてさらに詳細に調べました.その結果,塩素ガス中に布を数時間置いておくだけで,長時間日光にさらしたのと同等の漂白効果が得られることがわかりました.
1784年に国立ゴブラン製造所長官および染色工場監察官になった際に,彼は塩素漂白の技術を織物漂白業者に使ってもらおうと考えました.
【参考】洗濯(9):白くみせる,増白
彼の確立した方法では,塩素ガスを水に加え,その水溶液に布をひたして漂白するというものでした.
彼はイギリスのジェームズ・ワット (James Watt, 1736-1819) にも漂白技術のノウハウを伝えました.1788年,ワットの指示によってGlasgowでお試し実験が行われたところ,1500枚の布を一気に漂白することに成功しました*3.同年にはワットの知り合いのThomas HenryがManchesterで塩素漂白を行いました.こうしてイギリスにも塩素漂白が広まりました*4.
このように塩素漂白はイギリスをはじめとして普及していくことになりますが,そこまで順調というわけではありませんでした.漂白液はpHをアルカリ側に制御しているわけではなかったので,酸性に偏ると下式か右に偏り塩素ガスを発生させてしまいます.
酸性タイプの洗剤と「まぜるな危険」な状態と同じです.
発生した塩素ガスの蒸気は刺激臭が強いうえ毒性も強く,数分もすればたちまちのどが痛くなり,ひどく咳こんで意識を失うこともありました.労働者は蒸気の影響を避けるため,アルカリにひたしたウールの布で顔を覆ったり,リコリスを噛んでのどの痛みを和らげたりといろんな対策をしていました.
一方1786年頃から,パリの近くのJavelleでは塩素ガスをKOH水溶液にとかした漂白液が Javelle Lixiviumとして売り出され始めます.のちにジャベール水 (eau de Javelle) と呼ばれるものです.1785年,ベルトレーの塩素漂白を知ったLéonard Albanが開発したものでした.
この漂白液はアルカリ性なので,塩素ガスが発生しません.そのため,そこまで作業者の健康を損ねず,かつ均一に漂白できるというのがポイントでした*5.これにより,安全に塩素漂白を行うことができるようになりました.
こうした塩素漂白技術の誕生は漂白の大きな転換点でした.
それまでの漂白というと,日光に長い間さらし,ある程度白くなったら終わりというものでした.場所や日時によってその長さはまちまちで,漂白効果は予測不能な現象でした.
ところが塩素漂白技術が導入されたことで,漂白力を測定し,温度・処理時間を調整することで漂白効果を制御できるようになりました.漂白はいまや予測可能・制御可能な現象になったのです.
3.さらし粉の登場
塩素漂白技術はさらに進展しました.イギリスの漂白業者だったチャールズ・テナント (Charles Tennant, 1768-1838) はジャベール水の製法を改良できないか研究していました.1789年には水酸化カルシウム水溶液を使った漂白液の製造方法を確立しました.
さらに1799年,彼はチャールズ・マッキントッシュ (Charles Macintosh, 1766-1843) とともにBleaching powder, いわゆる「さらし粉」の製法を確立しました.さらし粉は,Ca(ClO)2,CaCl2,Ca(OH)2の混合物です.塩素ガスを,水溶液ではなく固体の水酸化カルシウムと反応させることで製造しました.彼は1800年,Glasgowにさらし粉の工場を設立しました.
ジャベール水は非常に高価で輸送が大変でしたが,さらし粉なら安く生産でき,安全にたくさん運ぶことができます.これは大きな利点でした.最初の年は約50 t製造できたそうです.
こうしてさらし粉による塩素漂白技術はヨーロッパ中に普及していきました.
しかしさらし粉にも欠点がありました.さらし粉は空気中に放置していると水や二酸化炭素と反応してしまうのです.
見た目にはわかりづらいのですが,変質したさらし粉はCa(ClO)2が少なくなっているので漂白力が低下しています.そこで,"良い"さらし粉と"悪い"さらし粉を区別する方法が求められるようになりました.
塩素漂白の普及に尽力したベルトレーは,塩素ガスの水溶液の漂白力を測るためにインジゴ・ブルー*6を用いる方法を提案していました*7.
このアイデアは1788年頃,François Antoine Henri Descroizilles (1751-1825)*8 が実際に測定法として確立しました.
まず,漂白液を目盛付き*9のガラス容器に一定量用意します.今で言うメスシリンダーに似ています.”ビュレット (burette)”と呼ばれることもありましたが,彼はこれを,ベルトレー (Berthollet) に敬意を表してなのか,もしくはロラン夫人のいうように権力に媚びる性格によるものなのか,"Berthollimeter"とも呼びました.
ここに徐々に硫酸にとかしたインジゴの溶液を滴下します.はじめは滴下しても溶液を振れば脱色されますが,やがて色が消えなくなります.ここでストップです.最終的にどれくらいの量のインジゴ溶液を漂白できたか?を調べることで,漂白力を測定できます*10.おそらくこれが,世界初の酸化還元滴定です.
Descorizillesは,ベルトレーの弟子がルーアンで行った漂白液のデモンストレーション*11に居合わせ,漂白に興味を持ったようです.彼は漂白液中の次亜塩素酸の濃度が重要であることを突き止め,漂白力を測定する方法を確立したという流れのようです.
Descroizillesの測定法はインジゴを基準としていました.しかしながら当時のインジゴは品質にばらつきがあったため,正確な漂白力を安定して測ることができませんでした.
そこでジョセフ・ルイ・ゲイ=リュサック (Joseph Louis Gay-Lussac, 1778-1850)はJean Joseph Welter (1763-1852) の研究をもとに,1824年,漂白力のより厳密な定量測定方法を確立しました.
彼はまず,3.980 gのMnO2を用いて0℃,1気圧で1 Lの塩素ガスCl2を用意しました.
次に,この塩素ガスを石灰水に通し,
この溶液によってちょうど漂白されるような10 Lのインジゴ溶液を用意しました.これにより元のインジゴがどんな品質であっても安定して漂白力を測定できるようになります.
さらに,彼が改良したガラス器具であるピペットやビュレットを用いて,先程のインジゴ溶液に漂白液を滴下することで漂白力をより正確に測定することができました*12.この論文では,ピペットやビュレットといった単語が分析化学用語として初めて登場しました.
このようにして,漂白力を正確に測る必要性から定量分析の時代が幕を開けました.
4.まとめ
塩素漂白は,化学が人々の生活を大きく変えた技術といっても過言ではないでしょう.
現象を定量し,制御し,利用するという姿勢は,現代科学にもしっかりと受け継がれています.
塩素系漂白剤といえば「まぜるな危険」ですが,ぜひこういった歴史も思い出してみてください.
次は酸素系漂白剤です.
参考文献
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*1:近世にかけてヨーロッパでは「漂白屋」が洗濯技術を発展させていきますが,ここで行われていたのは洗濯や「増白」が中心で,漂白効果は日光に晒すことで得ていました.
*2:塩素そのものが元素であることがわかったのは1808年になってからでした.
*3:ワットはその後塩素漂白をあきらめ,伝統的な漂白方法にもどったようです.
*4:このようにイギリスではWattやHenryが塩素漂白をはじめていたため,フランスの業者が特権を得ることはできませんでした.
*5:やがて,1822年にはパリの薬剤師だったGermain Labarraque (1777-1850) は水酸化カリウムのかわりに水酸化ナトリウムを用いて似た作用をもつLabarraque水をつくりました.主に消毒用だったようです.ルブラン法の開発により,1820年代には水酸化ナトリウムの価格が十分落ち着いていたことが背景にあります.
*6:インド産のインジゴは古くから高級品としてヨーロッパへ輸入されてきました.16世紀には西インド諸島で,18世紀末にはインドのベンガル地方でインジゴのプランテーションが始まり,大量のインジゴがヨーロッパに供給されるようになりました.この時期は,ちょうどそのような時代です.
*7:ベルトレーは粉末のインジゴブルーを用意し,これを漂白するのに必要な漂白液の量を求める,というやり方を提案していました.
*8:彼はまた,コーヒー用の金属製フィルターを作ったことでも知られています.
*9:目盛りは,一定量の溶液を吸うことができる"pipette"と呼ばれるガラス器具で吸った溶液を順に注ぐことによってつけられました.
*10:ベルトレーはこのインジゴ溶液に漂白液を滴下するという逆の方法を考えていたようです.
*11:実際には素材の一部しか漂白されないなど,デモンストレーションそのものはうまく行かなかったようです.
*12:実際には漂白液の滴下速度にも依存しましたので,1835年に亜ヒ酸にインジゴ溶液を2滴加えた溶液を用いる滴定手法を考案しました.この手法では先にインジゴよりも先に亜ヒ酸が酸化還元反応で消費されることを利用し,インジゴの色が消えるポイントを終点として利用しました.ここでは,インジゴ溶液は酸化還元滴定の指示薬として用いられているとも言えます.