化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

滴定の歴史(3):電極によるpH測定

pHを測定するには,pHメーターを用いるのがお手軽です.


pHメーターはどのように開発されたのでしょうか?

Beckman M型 pHメーター (1937)

今回はpHメーターをめぐる物語を紹介します.



滴定の歴史(1):中和滴定の誕生
滴定の歴史(2):中和滴定と水素イオン濃度
滴定の歴史(3):電極によるpH測定
滴定の歴史(4):酸化還元滴定の発明
滴定の歴史(5):ヨウ素滴定の開発
滴定の歴史(6):ヨウ素滴定の発展
滴定の歴史(7):過マンガン酸塩滴定
滴定の歴史(8):酸化還元指示薬
滴定の歴史(9):沈殿滴定

1.水素電極

電圧(電位差)を測定すると,より直接的に水素イオン濃度*1をモニタリングすることができます.


電位差によるモニタリングには,水素イオン濃度が電位に反映されるような電極が必要です.代表的なのは,白金板水素ガスからなる水素電極です.
 \mathrm{ H_2 \rightleftharpoons 2H^{+} + 2\textit{e}^{-}}

1893年,Le Blanc*2により開発されました.


水素ガスの泡を供給すると,水溶液はすぐにH2分子で飽和します.水に溶けたH2分子がH原子に分かれながら白金表面に吸着し,H+電子e-に分かれて離脱します.

トータルで考えると,以下のような平衡にあります.
 \mathrm{ H_2 \rightleftharpoons 2H^{+} + 2\textit{e}^{-}}

この平衡反応は水素イオン濃度に依存しますので,水素イオン濃度に応じた電位が生じます.


実際にこの電位を測定するには,基準となる電位と比較する必要があります.そのためには,水素イオン濃度と無関係に一定の電位を示す電極(参照電極)が必要です.


1897年,中和滴定に水素電極を用いたW. Böttgerは参照電極としてもうひとつの水素電極を標準となる溶液にひたして実験しました.

Søren Peter Lauritz Sørensen (1868-1939)

一方でpHの概念を提唱したセーレンセン (Søren Peter Lauritz Sørensen, 1868-1939)は,参照電極に塩化水銀を用いるカロメル電極を用いました.
 \mathrm{Hg_2Cl_2 + 2\textit{e}^{-} \longrightarrow 2Hg + 2Cl^{-}}

カロメル電極であれば,水素イオン濃度に関わらず一定の電位を示します.
【参考】酸の歴史(1):酸とはなにか?


このように,試料溶液の水素イオン濃度に依存する電極と,一定の電位を示す電極との電位差を調べることで,pHを測定することができます.


水素電極はpH測定において絶大な力を発揮しました.皮革のなめし液の品質管理や,パイナップルジュースの処理,浄水,下水処理などに応用されました.


しかしながら水素電極での測定は爆発性のある水素ガスを用いるため非常に便利というわけではありません.
 \mathrm{2H_2 + O_2 \longrightarrow 2H_2O }


また,溶液に含まれる物質によっては還元されたものが白金表面に蓄積したり (Ag+やCu2+),
 \mathrm{Ag^{+}+ \textit{e}^{-} \longrightarrow Ag }
 \mathrm{Cu^{2+}+ 2\textit{e}^{-} \longrightarrow Cu }

H2SSO2などの硫黄化合物や有機化合物などは白金表面に吸着して測定を阻害したりしてしまいます.


そのため,別の材料*3が模索されていました.

2.ガラス電極

1906年Max Cremer (1865-1935)は筋肉の電気的性質について調べていました.

神経に電流が流れていることは古くから知られていましたが,その正体が何であるか?についてはまだよくわかっていなかった時代です.Cremerは,生体内の起電力は半透膜で隔てられた2種の溶液間で含まれる電解質の濃度が異なることに由来すると考えていました.


2年前にBrüningsは粘土や磁器の板,ゼラチン,羊皮紙などが特定の条件では起電力を生じることを発見しました.Brüningsは濃度が異なる2つの電解質溶液がこうした物質によって隔てられることにより起電力(もしくは液間電位差)が生じると考えました.

そこで,Cremerは絶縁体として知られていたガラス*4でも同様の実験を行ってみました.ガラスには孔が空いていないので薄くする必要があると考え,直径6-10 cmのフラスコを吹いて局所的に厚さ0.02 mmというとても薄いガラス膜を作成しました.


このガラス膜で塩化ナトリウム溶液を隔て,片方に硫酸をちょっとだけ入れてみたところ期待通りにガラス膜に電流が流れ,約0.23 Vの電位差が生じました.絶縁体のはずなのに不思議ですね.

Fritz Haber (1868-1934)

1909年,ハーバーFritz Haber, 1868-1934) *5とZygmunt Klemensiewiz (1886-1963) はこの現象をさらに研究しました.その結果,pHの変化に応じて溶液間の電位差が変化することが明らかになりました.


Bauckeのモデルでは,ガラス表面では-SiO-に結合していた金属イオンが溶液中に流出する平衡と,-SiO-が溶液中のH+と結合する平衡があると考えます.
 \mathrm{\equiv SiOM  \rightleftharpoons \equiv SiO^{-} + M^{+} }
 \mathrm{\equiv SiOH  \rightleftharpoons \equiv SiO^{-} + H^{+}}

2番目の平衡はpHに依存します.そのため,ガラスを隔てたpHの異なる液間での電位差が生じたのだと考えることができます*6


これにより水素電極をガラス電極*7に置き換えられる可能性が示されました.しかしながら初期のガラス膜は抵抗が高く薄くて壊れやすかったうえ,他のイオンにも影響されるなどの理由からなかなか良い電極を作ることができませんでした.


ガラスは二酸化ケイ素のネットワークナトリウムNa+カリウムK +, カルシウムCa 2+などの陽イオンを添加して物性を調節することができます.しかしどの組成が最もpH測定に適しているのかはわかりません.


そこで1930年頃,McInnesとDoleがいろんな組成でガラス膜を作り出して比較しました.その結果Na2Oが22%,CaOが6%含まれる融点の低い0.025 mmの薄さのガラス膜でpHを測定することに成功しました.このガラスは,のちにCorning社からCorning 015として販売されました.


一方ロシアでは別のタイプのガラスも検討されていました.


McInnesとDoleがたちが使ったNaとCaを含むガラスでは,酸性 (pH 0.3以下)*8と高アルカリ領域 (pH 10以上)で測定結果が実際の水素イオン濃度がからズレてしまうアルカリ誤差*9が問題でした.


1932年,SokolovとPassynskiiは様々な陽イオン (Li+, Na+, K+, Rb+, Cs+)を比較した結果,ガラス中の陽イオン半径が小さい(つまりLi+)ほど測定結果のズレが小さくなるとする研究結果を報告しました.


Doleたちはすぐには実験結果を再現できなかったようですが,同じくロシアのAvseevichは再現に成功し,1930年代後半にはリチウムガラス*10を使ってより広範囲のpHを測定できるガラス電極を開発しました.しかしこの時の研究結果は第二次世界大戦勃発のため公表されませんでした.


一方アメリカでは戦時中,Beckman社*111190-E, 4990-Eと呼ばれるリチウムガラスを用いたpHメーターの開発に成功しました.戦後はリチウムを用いたガラスが主流になっていきました.

Beckman 72型 pHメーター

日本でも戦後*12,Beckman社のpHメーターを参考に京都大学の岡田研究室や電気試験所,そして北辰電気や東亜電波,堀場無線研究所*13を始めとした企業で開発が進みました.1954年には各面々が揃って日本計測学会にpH研究部会が発足し,その活動はJIS制定へと繋がりました.


pHメーターは通常の場面だけでなく,汚れに強くしたり,高温にも耐えられるように,また高圧にも耐えられるようにどんどん進化していきました.


その結果,ガラス電極によるpH測定は鉱工業や発酵工業,精糖工業,臨床医学など,様々な場面で活用されるようになりました.

pH複合電極

やがて複合電極と呼ばれる,指示電極と参照電極が一体となったモデルが開発されましたが,原理は変わりません.今日よくみかけるのはこのタイプです.


どのモデルであれ,ガラス電極を用いたpHメーターの使用にはいくつか注意すべき点があります.


まずそもそも,pHメーターは真の水素イオン濃度,もしくは水素イオンの活量を測定していません.実際は一対のイオン,たとえばH+とCl-平均活量を測定しているだけです.


そのため,事前にpHが既知の二つ以上の標準緩衝液での較正が必須です.較正に使った標準緩衝液での電位差と比較して,試料溶液のpHを算出します.


また,緩衝液のイオン組成*14は試料溶液となるべく近いものを選択する必要があります.そうでないと,ここでも液間電位が発生してしまいますからね.


もちろん,温度もそろえる必要があります.酸解離定数は温度に依存しますから,標準緩衝液のpHは温度によって異なります.また,標準緩衝液をどれだけ正確に調製しても0.01 pHくらいの誤差が生じてしまいます.そのため,pH測定は標準緩衝液の正確さ (±0.01 pH)よりも正確になることはありません.


この他,ガラス表面を乾燥させてはいけないとか,布で拭いて静電気を発生させてはいけないとか気泡とか様々なポイントに注意して,ようやくきちんとpHを測定することができます.

3.ベックマンとpHメーター

pHメーターで有名なBeckman社はもともと,カリフォルニア工科大学助教授だったベックマン (Arnold Orville Beckman, 1900-2004) が立ち上げた会社です.

Arnold Orville Beckman (1900-2004) By Science History Institute, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31972432

ベックマンはイリノイ州 (アメリカ) の田舎町カロムの鍛冶屋のもとに産まれました.幼い頃からもの作りや科学実験が好きで,10際の誕生日には父親が実験室として使える小屋を裏庭にプレゼントしてくれました.


1919年にイリノイ大学に入学したあと,一時は純粋なサイエンスを志向するカリフォルニア工科大学の博士課程に進むことを決断しました.しかし当時ニューヨークで働いていた恋人メイベルと別れるのはつらく,大学を辞めてニューヨークに向かい,Western Electricで働き始めました.


1925年に無事メイベルと結婚したベックマンはカリフォルニア工科大学に戻り博士課程を再開し,博士号取得後はカリフォルニア工科大学の講師,そして助教授として働き始めました.


1934年のある日,イリノイ大学時代の同級生だったジョーゼフ (Glen Joseph) がベックマンのもとを訪れました.

彼はCalifornia Fruit Growers Exchange社*15で品質の良くないレモンの使い道について開発研究を行っていました.レモン果汁からはペクチンクエン酸が得られるのですが,その製造工程ではpHの計測が重要でした.


当時pHを調べるには指示薬水素電極が一般的でした.しかし保存料として果汁に加えられたSO2がクセ者でした.指示薬はSO2によって漂白されてしまいますし,白金を用いる水素電極はSO2の吸着により正確なpH測定ができなくなってしまいます.


そこでジョーゼフは仕方なく,SO2と反応しないガラス電極を使っていました.しかしガラス電極は大型で壊れやすく*16,日常的に使うのはかなり大変でした.


友人のジョーゼフから悩みを聞いたベックマンは,真空管電圧計の使用を提案しました.真空管なら微弱な信号を増幅することができ,ガラスを薄くし過ぎる必要はありません

三極管 (Audion) By Gregory F. Maxwell <gmaxwell@gmail.com> PGP:0xB0413BFA - Photo by uploader, taken at The History of Audio: The Engineering of Sound, an exhibition of the San Francisco Airport Museums[1] in SFO Airport, Terminal 3 from 2006-09 to 2007-05., GFDL 1.2, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=1365357

真空管通信の分野で開発が進んだものです.有線で電子信号が送信できることが発見されて以降,各所で通信技術の研究が進み,長距離伝送には信号を増幅させる必要がわかってきました.そこで1906年アメリカの研究員リー・ド・フォレスト (Lee De Forest, 1873-1961) が微弱な信号を増幅させる三極管 *17を開発しました.これにより国電話網が築かれました.


この原理は通信以外にも通用するものでした.もちろん,pH測定にも使えるはずです.1922年,Kenneth H. Goodeは中和滴定において水素電極でpH*18を測定する際に三極管を使用しました.
 \mathrm{NaOH + HCl \longrightarrow NaCl + H_2O}

 \mathrm{NaOH + H_3PO_4 \longrightarrow NaH_2PO_4 + H_2O}
 \mathrm{NaOH + NaH_2PO_4 \longrightarrow Na_2HPO_4 + H_2O}
 \mathrm{NaOH + Na_2HPO_4 \longrightarrow Na_3PO_4 + H_2O}

これにより0.006Vの変化を検出することが可能となり,pHは小数点第一位までリアルタイムに測定できるようになりました.


1928年以降は,アマチュア無線に慣れ親しんだ他の研究者も三極管を用いたpHメーターの開発を少しずつはじめていました.ベックマンがジョーゼフから相談を受けたのは,そういうタイミングだったわけです.


微弱な信号を増幅できる真空管を使えば,抵抗が高く微弱な電流しか流れない厚めのガラス膜を使っても大丈夫です.そこでベックマンは早速,真空管を使った小型で頑丈なpHメーターを作成しました.計算上,pHは0.01の精度で測定できたそうです.


結果は大成功です.ジョーゼフはあまりにも他の人達が借りに来るため自分が使えなかったようで,もう一台作って欲しいとベックマンに頼みました.


ベックマンはもしかしたらこれは商売のチャンスかもしれないと考えました.早速,大学の技師Fred Hensonの使っていたガレージで,彼の有していた小さなインク会社National Technical Laboratories *19の新製品として開発を進めました.


1935年に完成した初代pHメーターに彼が設定した価格は195ドルでした.これは当時の助教授の給料1ヶ月分に相当します.価格が高すぎたためFisher Scientific社など大手企業は難色を示しましたが,Arthur H. Thomas社は10年間で600台は売れるかもね,ということでOKしてくれました.

Beckman M型 pHメーター (1937)

時代は大恐慌(1929-1939)の余波真っ只中.果たして売れるのでしょうか?

世界恐慌初期,取り付け騒ぎ時のアメリカ連合銀行

蓋を開けてみたらびっくり,なんと3ヶ月で87台も売れたのです.みんな手軽に測定できるpHメーターが欲しかったんですね.結局10年間で数十万台を販売しました.


ここまでの規模になってくると大学の教職と会社経営の二足のわらじは大変です.1939年にはカリフォルニア工科大学を退職して会社の経営に専念することにし,翌年には南パサデナの広い敷地に工場を移転しました.

4.その後のベックマン

ベックマンのその後についても見てみましょう.

Hlipot電位差計 By Science History Institute, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=31973033

Beckman社*20は,その後も様々な製品を世に送り出しました.代表的なところではDU分光光度計,Helipot電位差計,線量計,酸素計などが挙げられます.特に分光光度計は基礎研究に革命*21をもたらし,やがてペニシリンの構造解析に一役買いました.


Helipot電位差計,線量計,酸素計はそれぞれ軍事技術と密接に関連しています.pHメーターの部品として開発されたHlipot電位差計は航空機搭載用レーダーの開発につながり,線量計は戦時中のマンハッタン計画放射線が人体にどのような影響を与えるのかを調べるために作られました.


酸素計も軍事関連技術の一つで,もともと潜水艦や航空機内の酸素濃度を測定するために開発されたものです.一方で戦後は全く別の用途に使われるようになりました.


ある日,パサデナのHuntington Memorial病院で働いていた麻酔科医の孫娘が誕生しました.孫娘は未熟児で,すぐに酸素が供給される保育器に入れられました.しかし孫娘の状態はあまり芳しいものではありませんでした.

初期の保育器 (1909年)

麻酔科医は近所のBeckman社から酸素計のプロトタイプを借りていたことを思い出しました.そこで酸素計を保育器内に入れてみたところ,ちゃんと供給していたはずの酸素濃度が非常に低くなってしまっていたことがわかりました.


麻酔科医は急いで別の保育器を自作し,酸素計で酸素濃度をモニターしながら注意深く酸素供給量をコントロールしました.そして無事,孫娘は一命をとりとめました.


麻酔科医は病院に酸素計の購入を必死に勧めましたが,病院側は首を縦に振りませんでした.価格が一つ200ドル以上と高すぎたのです.


状況が変わったのは1950年代なかばです.酸素をきちんと供給していたはずの赤ちゃんが失明する事例が多発してしまったのです.調査が進んだ結果,保育器内の酸素濃度が高すぎると未熟児網膜症を引き起こし,失明に至ることが判明しました.

Beckman D型 酸素計

こうして保育器内の酸素濃度を実際に正確に測ることの重要性が認知されるようになり,軍事分野で開発されたベックマンの酸素計は医療分野に普及していきました.


Beckman社はやがて血糖値や血中タンパクの測定機器など医療分野に重点を置いた開発を進めていきました.それと並行して社会的活動にも尽力しました.


1950年代からひどくなってきたロサンゼルスの光化学スモッグ対策に商工会議所の委員として尽力したほか,1970年代には莫大な個人資産を科学研究支援のために役立てようとBeckman財団を,1980年代にはイリノイ大学カリフォルニア工科大学にBeckman研究所を設立しました.


このように,発明家だけでなく社会貢献も見据えた慈善家でもあったベックマンが残した,7つの成功のためのルールというものがあります.

1. 卓越性に勝るものはない.
2. すべてに誠実であれ.
3. 何事もほどほどに.
4. 最高の人材を雇い,そして彼らの邪魔をするな.
5. ミスを恐れるな.ミスをしないのであれば,おそらく大したことはしていない.
6. 新しい知識を身につけ,常にその理由を問え.
7. 自分を深刻に考えすぎない.

これらの言葉を眺めるだけでも,非常にバランス感覚に優れていた人物であったことが伺えます.


彼は2004年5月18日,カリフォルニア州の病院で104年の生涯を終えました.現在,ベックマンは妻とともに彼の生まれ故郷の田舎町カロムの墓地に眠っています.

5.まとめ

電極の改良によって滴定中のpHをリアルタイムに計測できるようになり,正確な中和滴定が可能になりました.


pHメーターが今の形になったのは,「必要は発明の母」を体現するベックマンをはじめとした数々の研究者たちのおかげです.


次からは酸化還元滴定の歴史を見てみましょう.

参考文献

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"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
“The Measurement and Regulation of pH with the Glass Electrode” D.A. MacInnes and L.G. Longsworth, Transactions of The Electrochemical Society 71, 73-91 (1937).
“The Behavior of Glass Electrodes of Different Compositions” D.A. MaInnes and M. Dole, Journal of the American Chemical Society, 52, 29-36 (1930).
“Über Glaselektroden” S.I. Ssokolof, A.H. Passynsky, Zeitschrift für Physikalische Chemie, 160A, 366-377 (1932)
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“Fundamental and applied electrochemistry at an industrial glass laboratory—an overview” F.G.K. Baucke, Journal of Solid State Electrochemistry 15, 23-46 (2011).
“The centenary of glass electrode: from Max Cremer to F. G. K. Baucke” A.A. Belyustin, Journal of Solid State Electrochemistry 15, 47-65 (2011).
“Nikolsky’s ion exchange theory versus Baucke’s dissociation mechanism of the glass electrode” F. Scholz, Journal of Solid State Electrochemistry 15, 67-68 (2011).
“Über die Ursache der elektromotorischen Eigenschaften der Gewebe, zugleich ein Beitrag zur Lehre von den polyphasischen Elektrolytketten” M. Cremer, Zeitschrift Für Biologie, 47, 562-608 (1906).
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“Early industial pH measurement and control” J.T. Stock, Bulletin for the History of Chemistry, 10, 31-34 (1991)
“A Continuous-reading Electrotitration Apparatus” K.H. Goode, Journal of American Chemistry Society, 44, 26-29 (1922).
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Beckman, Arnold O. Interview by Mary Terrall. Pasadena, California, October 16-December 4, 1978. Oral History Project, California Institute of Technology Archives.
"Standard and Reversible Hydrogen Electrodes: Theory, Design, Operation, and Applications" G. Jerkiewicz, ACS Catalysis, 10, 8409–8417 (2020).
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"Über die Festlegung des Neutralisationspunktes durch Leitfähigkeitsmessung” F.W. Küster, M. Grüters, Zeitschrift für anorganische Chemie, 35, 454-459 (1903).
"Arnold O. Beckman: One Hundred Years of Excellence" A. Thackray and M. Myers Jr. (2000)
『ハリス分析化学』D.C. Harris, 化学同人 (2017).
『分析化学の歴史』F. Szabadváry (1988).
"アーノルド・ベックマン:pHメータの発明者" 内田正夫,化学と教育,57, 510-513
(2009)
“pHメーター(pH meter)”青海隆, Electrochemistry, 71, 572-573 (2003).
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“pH測定” 計測, 10, 684-687 (1960).
“pH測定方法 JIS (案)” 日本計測学会,計測,7, 532-537 (1957).
“表面元素分析法を用いるpH応答ガラスの応答性評価” 西尾友志ほか,分析化学, 65, 267-273 (2016).
”ガラス電極 ー(最近の進歩と応用)ー" 吉村寿人,電気化学,26, 187-195 (1958).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:直接水素イオン濃度が測定できるわけではないので,より正確には「pH」という表現の方が良いでしょう.

*2:ルブラン法とは違う人です.

*3:ほかにアンチモン電極やキンヒドロン電極がありますが,アンチモン電極は銅やニッケルなどが含まれる溶液には使用できず,キンヒドロン電極はpHが8以下のものにしか使用できません.

*4:その絶縁性は静電気をためるライデン瓶としても活用されたわけですが,Musschenbroekは特定のガラスはライデン瓶には使えないと報告したり,Henry Cavendish (1731–1810)はライデン瓶を加熱すると静電気をためられなくなることを発見していました.これらは,ガラスが組成によっては,また条件によっては電気を通すことを示しています.他にも,ガラスの厚みに着目した人物としてはWilhelm Giese (1847-?)が挙げられます.

*5:ハーバー・ボッシュ法のハーバーです.

*6:なぜ電流が流れるのか?については色んなモデルがあります.一つには,例えばリチウムガラスではLi+やH+などが移動していることが挙げられるでしょう.

*7:1920年にFreundlichとRonaによってドイツ語ではじめてガラス電極という用語が導入されました.

*8:ガラス表面の-SiO-がH+で飽和してしまうためです.

*9:特にNa+に電極が応答して見かけのpHが真のpHが低くなるためで,ナトリウム誤差ともいいます. \mathrm{\equiv SiONa  \rightleftharpoons \equiv SiO^{-} + Na^{+} }

*10:リチウムとバリウムを用いるものでした.

*11:正確にはArnold O. Beckman, Inc..

*12:戦前にも京都大学理化学研究所をはじめとしてガラス電極の開発が行われていました.

*13:後の堀場製作所

*14:特にイオン強度.

*15:サンキスト社の前身

*16:ガラスは抵抗が高いため薄くする必要がありましたが,壊れやすくなってしまいました.また,微弱な信号を検出するためには検流計の最高級品を使う必要がありました.

*17:オーディオン管 (Audion) と呼ばれました.

*18:SørensenのpHを早速使っています.

*19:pHメーターの開発を契機にNational Inking Appliance Companyから名称を変更しました.

*20:社名は1940年代には自身の名を冠したArnold O. Beckman,1950年代にはBeckman Instrumentsに変更され,やがて現在のBeckman Coulterになりました.同社はこのように度々名前が変わっていますが,長らくBeckman社として親しまれてきました.

*21:第二次化学革命とも呼ばれます.