水の電気分解は,水が水素と酸素から出来ていることを知ることができる,とても良い実験です.
ところで電気分解はどのように発見されたのでしょう?
今回は電気分解の発見から塩素・アルカリ製造への応用に至る歴史を,しくみとともにみていきましょう.
アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム
アルカリの歴史(2):ルブラン法
アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
アルカリの歴史(4):カリウム塩
アルカリの歴史(5):電気分解
アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム
アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素
アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
アルカリの歴史(9):戦争とアンモニア
1.電気分解
電気分解とは,溶液中の物質を電流の作用によって化学的に分解することです.水H2Oを電気分解すると,陽極から酸素O2が,陰極から水素H2が発生します.
トータルでは,水が電気によって分解されることになります.
こうした電気分解には,もちろん電源が必要です.
1663年頃,ゲーリケ (Otto von Guericke, 1602-1686) が摩擦によって静電気を発生させ,ためておく原始的な発電機を発明しました.冬場にセーターを脱ぎ着すると静電気がたまり,パチパチッと放電するのに似ています.こうした静電気の放電により瞬間的に,高電圧の電気を得ることができました.
1750年代には,こうした静電気を化学に応用する研究も行われました.Giovanni Battista Beccaria (1716-1781)は1759年,静電気の放電を活用することでZnやHgの酸化物からZnやHgを「復活」させることができたとされています.もしかしたら,放電によってこれらの酸化物を還元できたのかもしれません.
水の電気分解は,Adriaan Paets van Troostwijk (1752-1837) とJohan Rudolph Deiman (1743-1808) が1789年に行ったのが最初と考えられています.彼らはライデン瓶*1と呼ばれる静電気発生装置を使って,水を「燃える空気」と「生命を与える空気」に分解しました.それぞれ,水素H2と酸素2です.
静電気発生装置は瞬間的に高電圧の電気を得ることができますが,連続的に安定した電流を発生させることは困難でした.
一方で,ヴォルタ (Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta, 1745-1827) は1800年に銅と亜鉛の板を食塩水に浸しつつ重ねたヴォルタ電池を発明しました*2.
これにより安定に電流を発生させることができるようになり,電気化学が本格的にスタートしました.
ヴォルタ電池が発明されたのと同じ1800年,カーライル (Anthony Carlisle, 1768-1840) とニコルソン (William Nicholson, 1753-1815)は,van TroostwijkやDeimanがやったような水の電気分解を,新たに発明された電池と川の水を使って行いました.
まず電極として鉄Feを用いた場合,泡の発生とともに陽極側の電極が最終的に黒く変色することがわかりました.これは鉄Feが酸化され,酸化鉄Fe3O4になったことを示していました.
一方で電極として酸化されにくい白金Ptを用いたところ,白金線の変色は見られませんでした.
このとき,陰極で発生したガス(水素)の体積は陽極で発生したガス(酸素)の約2倍であることがわかりました.ちょうど水の分解に対応していますね.
同年にはRitterにより検証実験が行われるなど話題になりました.
このように,電気分解という現象が注目を集めました.一方で,この現象がどのようなしくみなのか?そもそもボルタ電池で生じる(今でいう)電流とは一体なんなのか?という疑問が浮上しました.
電流について,例えばフランスのビオ (Jean Baptiste Biot, 1774-1862) は静電気的な性質をもつ液体によるものだが,この液体の流れそのものは電流とは関係がないと考えていました.
一方で結晶学の父とも呼ばれるアユイ (René-Just Haüy, 1743-1822) は,静電気を発生させる液体が流れ,小さな静電気を素早く連続的に発生させていると考えました.ビオはこうした連続的な現象と捉えるのには慎重で,両者は対立していました.
フランスで議論が煮詰まっていた頃,リトアニアからやってきたグロットゥス (Theodor Grotthuss, 1785-1822)*3 が,全く異なる考え方を提示しました.
彼は分子*4を電気的に反対の成分,プラスとマイナスが結合したものだと考えました.今でいう「イオン」の考え方に近いですね.電極を用いて電流を流すと,このような分子が陽極と陰極を結ぶ線に沿って向きを変えて鎖のように並ぶと考えたようです.
こうして電極間に並んだ水分子の鎖中では,リレーのように水分子中の酸素・水素が交換されていき,最終的に負極には水素が,正極には酸素が集まると考えたようです.
グロットゥスの説は1805年,ローマで小冊子として印刷され,翌年には英語やドイツ語に翻訳されました.イギリスのデービー(Humphry Davy, 1778-1829)は彼の説を発展させ,1807年,それまで元素だと考えられていた"potash (KOH)"や"soda (NaOH)"を強力な電池で分解し,KやNaを単離することに成功しました.
また,グロットゥスの「電極間を結ぶ分子の鎖」というアイデアはファラデー (1791-1867)の電気力線という発想につながりました.そしてファラデーは1833年に「電気分解に必要な電気の量が電気分解による生成物の質量に比例する」という電気分解における重要な法則(ファラデーの法則)を発表しました*5.
こうした研究はアレニウスの電離説(1887年)などに引き継がれました*6.
このように電気分解の理論化が進むとともに,19世紀後半,重要な発明が登場しました.発電機です.
磁石を動かすと電流が生じる電磁誘導という現象は19世紀前半に発見され,いろんな発電機が発明されました.はじめは磁気の弱い,大きくて重い磁石が使われていましたが,やがて小さく回転する磁石が使われるようになり,1866年にはジーメンス (Werner von Siemens, 1816–1892) やホイートストン (Charles Wheatstone, 1802–1875) が実用的な発電機を発明しました.
はじめ,発電機を動かすのにはガスや蒸気を利用していましたが,19世紀末には水力が活用されました.大規模なところだと,ナイアガラの滝(アメリカ,1881年)や,Neuhausen (スイス, 1897年),Rheinfelden (ドイツ,1898年)などが挙げられます.
2.隔膜法
食塩水を電気分解することによって塩素が得られることは1800年にはCruikshankによって明らかにされていましたが,工業的には重要視されていませんでした.当時はそこまで効率的に塩素ガスを生成することができなかったからです.
19世紀後半になるとジーメンスが発電機を実用化し,AchesonとCastnerが1892年に人工炭素電極を開発しました.これにより,1890年代に電気分解が工業スケールで活用されるようになりました.
電気分解による製造法で問題となるのは,生成物同士の反応です.
食塩水の電気分解において,陽極では塩素ガスが,陰極では水素ガスとともに水酸化ナトリウムNaOHが生成します.
塩素ガスと水酸化ナトリウムは,わけておかないと以下のように反応して次亜塩素酸ナトリウムNaClOを生じます.
これは塩化カリウムKClの水溶液から水酸化カリウムKOHを生成する場合でも同様です.
そこで,生成物同士をわけておくというのが重要となるわけです.
当時,電気分解法としては隔膜法と水銀法の2種類が存在していましたが,まずは歴史の古い隔膜法からみてみましょう.
隔膜法では,シンプルに物理的にこれらを分離します.
1851年,イギリスの化学者Charles WattはCl2とNaOHをわけておくため,陰極と陽極の間に隔膜を設置する隔膜法を考案しました.
隔膜法が最初に塩素ガス製造に用いられたのは1890年,ドイツのGriesheim-Elektron社が建設したGreisheimの工場でした.隔膜には1886年にBreuerが開発した多孔質セメント製の隔膜が使われ,KCl水溶液を電気分解しました.
Griesheim-Elektron社がBitterfeldに建設した工場では1900年以降,年間24000トンものKOHを生産し,世界最大の塩素アルカリ工場となりました.また,周辺地域では同時に製造された水素ガスが安価に手に入るようになったので,1904年以降,Bitterfeldは気球飛行の中心地となりました.
一方イギリスでは1890年にUnited Alkali Company社が隔膜法を採用しました.陽極室は飽和NaCl溶液で満たされ,塩素が発生します.
Na+イオンは隔膜を通過し,OH-イオンが発生している陰極室に入ります.
陰極室にはCO2ガスが注入され,Na+イオンを炭酸ナトリウムNa2CO3として沈殿させました.これにより,NaOHの逆流を防ごうとしました.
また,Townsend法では陰極室に石油をいれておき,発生したNaOHを直ちにエマルジョンとして覆う工夫が施されました*7.Townsend法はナイアガラの滝*8ではじめて使用されました.
いろいろと工夫はされましたが,溶液の分離は完璧ではありませんでした.
真の意味で隔膜法に革命が起きたのは,隔膜としてNaOHやCl2にも耐えられる陽イオン交換膜が導入されてからです.陽イオン交換膜はNa+イオンのみを通すため,陰極室から陽極室へとOH-イオンが逆流する心配がありません.
陽イオン交換膜の導入については1940年代から研究されていましたが実用化にはなかなか至らず,次に紹介する水銀法の環境問題が1960-70年代に顕在化してようやく導入されました.
1960年代までのイオン交換膜は,薬剤や熱に対する耐性があまりありませんでした.1956年からDuPont社で働き始めたドイツ人のWalther G. Grot (1929-)はDuPont社での38年間の会社人生のほとんどをイオン交換膜の開発に費やし,陽イオン交換膜Nafionシリーズを世に送り出しました.
パーフルオロカーボンからなる Nafionは高温・大電流・薬剤による腐食に強い耐性があることが特徴です.最初のNafionはGE社の燃料電池に用いられ,のちにジェミニ宇宙船の電源に用いられたほか,原子力潜水艦の酸素発生装置やSpaceXの除湿装置にも使用されました.
ちなみに隔膜法では出発物質である食塩などにCa2+やMg2+が含まれていると,水酸化物が析出して隔膜を塞いでしまう可能性があります.そのため,例えばCa2+は炭酸ナトリウムNa2CO3を,Mg2+は,水酸化ナトリウムNaOHを加えて除去します.
【参考】浄水(7):化学の力で軟水にする
3.水銀法
隔膜法とならび,電気分解法として広く普及したのは水銀法です.
先程も説明したように,電気分解の生成物である塩素ガスとアルカリは,わけておかないと以下のように反応してしまいます.
水銀法では反応を2段階にわけることでこれを回避しています.
まずは電気分解です.陽極では通常通り塩素ガスが発生します.
一方,陰極では水銀とナトリウムのアマルガムNaHgを生成させます.
トータルでは以下のようになります.
このときナトリウムはアマルガムNa-Hgとして隔離されているため,NaOHと塩素ガスの反応は起きません.
次にこのアマルガムを移動させて,別の場所で分解します.陽極では以下のようにアマルガムを分解します.
上記反応を進ませるため,触媒としてグラファイトでつくった粒などを入れておきます.
このように二段階に反応をわけることで,塩素ガスと水酸化ナトリウムNaOHを別々に回収することができます.
一段階目でアマルガムNa-Hgを生成する際,Naの含有量が多くなるとアマルガムが硬くなって移動が難しくなるだけでなく,分解されて水素を発生させ,これが塩素ガスと反応して爆発する危険性があります.
そのため,Naは0.02%程度にとどめておくのが良いようです.
水銀法はアメリカのHamilton Y. Castner (1858-1899)とオーストリア人のCarl Kellner (1851-1905)によって1892年に実用化されました*9.はじめは2人の間で特許紛争があったようですがやがて合意にいたり,最終的に権利はSolvay社に売却されました.
水銀法はアメリカやイギリスの工場で稼働しはじめました.特にナイアガラの滝の水力発電を活用した工場は大成功をおさめ,1897年から,なんと1960年まで60年以上稼働していました.
世界的な工業化と化学工業の成長に伴い,1920年代から1930年代にかけて水素の需要が増加しました.ハーバー・ボッシュ法でアンモニアを合成するのに,水素が必要だったためです*10.この時期,電解装置の改良がかなり進みました.
【8/18更新予定】アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
1940年代に入るとプラスチック製造のため塩素需要が一気に拡大し,水銀法による工場が世界各国に建設されました.
しかし水銀を使うというのは危険が伴います.日本では水俣病をはじめとした公害問題を受け,いち早く陽イオン交換膜を用いるイオン交換膜法に転換しました.
水銀法でも,Ca2+やMg2+などを取り除いておくことが必要です.これらが含まれていると電極を汚染したりすることにより水素が発生しやすくなり*11,塩素と反応して爆発を引き起こすかもしれないからです.
そのため,これらは隔膜法と同様に除去しておきます.
4.まとめ
このように,電気化学は物理学や発電工学など様々な分野が互いにダイナミックに絡み合いながら発展した分野でした.もう一歩踏み込むと,各国のエネルギー事情なども垣間見えて非常に面白いです.
次回からはアンモニアの歴史をみていきましょう.
参考文献
『化学史事典』化学史学会,化学同人 (2017).
『エネルギー400年史』リチャード・ローズ,草思社 (2019).
『酸,アルカリ及肥料 下巻』庄司務 (1937).
『無機化学工業』朝倉書店 (2002).
『ソーダハンドブック』日本ソーダ工業会 (1998)
"水酸化ナトリウムと水酸化カリウム" 黒谷寿雄,相見正典,化学教育,16, 16-24 (1968).
"Encyclopædia Britannica" (1911).
"Electrochemical Power Sources: Fundamentals, Systems, and Applications: Hydrogen Production by Water Electrolysis" Elsevier (2021).
"Handbook of Chlor-alkali Technology" T.F. O'Brien, T.V. Bommaraju, F. Hine, Springer (2005)
"The chlor-alkali process: A review of history and pollution" J. Crook, A. Mousavi, Environmental Forensics, 17, 211-217 (2016).
“Account of the new Electrical or Galvanic Apparatus of Sig. ALEX. VOLTA, and Experiments performed with the same” W. Nicholson, Journ. Nat. Philos Chem. & Arts, IV, 179-187 (1801).
"Traité élémentaire de physique" R-J. Haüy (1803).
"Concerning the origins of charge transfer in the micro-structure of matter: The contribution of Theodor von Grotthuss" J.A. Kriskštopaitis, Electrochimica Acta, 51, 5999-6002 (2006).
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
“Development of the Crew Dragon ECLSS” J. Silverman, et al. ICES-2020-333 (2020).
"The Alkali Industry" J.R. Partington (1919).
*1:1745年にドイツのポメラニアとオランダのライデンでほぼ同時期に発明されました.ちなみにポメラニア原産の犬がポメラニアンです.
*2:ヴォルタ自身が水の電気分解を明確に観察していたかどうかは議論がわかれるところです.
*3:うつ病と遺伝性疾患の痛みに打ちひしがれて自殺しました.
*4:特に水に溶けたものを分子,溶けていないものを粒子と呼んでいました.
*5:翌年には,アノード(陽極)やカソード(陰極),そしてイオンという用語を与えました.
*6:1900年にはネルンストによる平衡電位の式が,1905年にはJulius Tafelによって電位と電流の関係式が提唱され,より精密な理論化が進みました.
*7:ただし電圧が高くなる原因となるため,難があったようです.
*8:ナイアガラの滝では1900年から大規模な溶融塩電解を用いて金属Naが生産され,水蒸気でNaOHに変換するAcker法も稼働していました.1907年の火事で生産は中止されました.
*9:発明そのものは1882年,A.L. Nolfです.
*10:水素製造と並行して,ノルウェーでは1930年代に重水D2Oの製造も行われました.カナダのCM&S社でも1940年代から製造が拡大し,マンハッタン計画に用いられました.