化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム

刺激臭のするアンモニアは,理科実験で特に印象に残る化合物でした.


アンモニアにはどんな歴史があるのでしょう?

ソグド人商人(8世紀)

今回からは4回に分けて,アンモニアの歴史をみていきたいと思います.まずは,塩化アンモニウムからです.


アルカリの歴史(1):炭酸ナトリウム
アルカリの歴史(2):ルブラン法
アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
アルカリの歴史(4):カリウム塩
アルカリの歴史(5):電気分解
アルカリの歴史(6):塩化アンモニウム
アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素
アルカリの歴史(8):ハーバー・ボッシュ法
アルカリの歴史(9):戦争とアンモニア

1.アンモニアという名前

そもそもアンモニアはなぜアンモニア"Ammonia"というのでしょうか?

アメン大神殿 By Ahmed Bahloul Khier Galal - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42838629

よく言われているのは,エジプト北西部,リビア砂漠にあるシワ・オアシスに太陽神アメンの神殿があり,そこで取れる塩から名付けられたと言うものです.この神殿にはアレクサンドロス3世(前356-前323)も神託を得るために訪れたそうです.


太陽神アメンはAmmonとつづられることもあり,アモン神殿とも呼ばれます.そこで取られた塩ということで,アモンの塩"sal ammoniac"と呼ばれるようになったというわけです.一般的には塩化アンモニウムNH4Clのことを指すと考えられてきました.


プリニウス(Gaius Plinius Secundus, 23-79)によれば,この塩*1は夜寒くなると*2の下から析出したようです.空気にさらされると重くなると言っていますが,これは今で言う,水蒸気を取り込む潮解を差しているとも考えられます.

Ferula ammoniacum

プリニウスは一方で,この塩は神殿近くの植物から得られるもので,名前はその植物に由来しているとも書いています.この植物はセリ科のFerula ammoniacumと考えられていますが.樹液から得られた塩は薬や儀式の香として重用されていました.

By Bjørn Christian Tørrissen - Own work by uploader, http://bjornfree.com/galleries.html, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=17132049

他にも,アモン神殿ではラクダの糞を燃料として燃やしていたので,そのススの中のアンモニアが塩化アンモニウムの白い結晶となって神殿の壁面に析出したのではないかという説があります*3.この説には,他にも尿やラクダの糞が砂の中で温められて塩となったというバリエーションなどいろいろあります.


いずれにせよ名前の由来がアモン神殿が関わっていることは間違いなさそうですが,その起源が砂そのものなのか,植物なのか,それともラクダの糞なのか,など詳細な起源についてはいろんな説があります.


名前の由来についてはこれで良さそうですが,では実際にアモン神殿に塩化アンモニウムNH4Clがあったのか?というとそれはまた話が別です.


実際,様々な研究者がプリニウスの報告した「砂の中から見つかった塩」は岩塩NaClのことだったのではないか?と指摘してきました.また,植物の抽出液にはそんなにNH4Clは含まれていませんでしたし,シワ・オアシスで糞尿を燃やしていたかどうかもわかりません.


もっとも,完全に否定されたわけではありませんので,現在でも度々名前の由来として各所で語られています.

2.シルクロードとSal Ammoniac

実際にNH4Clだろうと考えられる物質は,ソグド人によってシルクロードで古くから交易されてきたことが知られています.税関の記録によれば,すでに620年頃には取引されていたとことがわかっています.『魏書』(554年) の記述からは,西方のソグディアと呼ばれる地域から渡ってきたらしいと考えられています.

ソグド人商人(8世紀)

シルクロードは数多くの言語の異なる地域をつなぐ一大流通ルートでしたので,NH4Clも記録の上ではいろんな呼び方をされており,類似物質と注意深く区別して調べていく必要があります.


"Sal ammoniac"自体は科学の進んでいたアラビア語圏の文献が入ってきた12世紀以降(12世紀ルネサンス),おそらくはシリアの辞書にも載っている"sal armoniac"と融合された形でヨーロッパの錬金術師によって使われるようになった単語です.


一方で同時期にはチェスターのロバート(Robertus Castrensis)がアラビア語の文献を翻訳した際にAlmisaderやmizadirといった単語を使っていたことがわかっています.これらはアラビア語ではnūshādirnūsādurにあたる単語です.


これらの単語は,さらに遡れば,タジキスタンを含むトランスオクシアナと呼ばれる地域でも話されていた古代イラン語で「不滅の火」を意味するanōsh ādurだったのではないかと考えられています.


タジキスタンのFan-Yagnobには天然の燃える石炭の洞窟があり,その近くにはミトラ信仰と結びついた初期の火の寺院がありました.


石炭を燃やして発生した気体にはNH3をはじめとして様々な毒性物質が含まれています.そのため近くで見ることは難しいですが,NH4Clなどのアンモニウム塩のほか硫化物や酸化物,硫酸塩など様々な鉱物が堆積しており,地面が黄色,緑,白など様々な色に染まっています.


こうした石炭層近くの洞窟や噴気孔からのNH4Clの回収方法には,かなりダイナミックなものも含まれます.


例えば10世紀ごろ中央アジアでは,蒸気の出る場所に家を建てて扉と窓を密閉し,素早く走ることのできる男性の体に粘土をぬりたくり,扉を開けると同時に家の中を走らせ,急いで粘土にNH4Clを付着させて帰ってくるという回収方法が行われていました.急がないと焼かれてしまうので,かなり危険な仕事だったと考えられます.

Sal ammoniacの製造(エジプト)from Philosophical Transactions (1759-1760)

一方で,少なくとも9-10世紀には,塩生植物を食べるラクダの糞を浴場で焼いて得られたススからもNH4Clが得られることがエジプトで知られていました.こうした事情から,エジプトは長らくNH4Clの産地として有名でした.


得られたNH4Clは,錬金術,冶金,医学など様々な分野で使われました.10世紀にはシチリア島のNH4Clが枯渇していたとのことですから,かなり使用されていたことは間違いないでしょう.

3.ヨーロッパとSal Ammoniac

さて,こうしたイスラム教諸国で発展したNH4Clに関する知識は,ラテン語への翻訳という形でヨーロッパに輸入されました*4


こうした知識が積極的に活用されたのが錬金術の分野です.

《賢者の石を探す錬金術師》ジョセフ・ライト,1771年,油彩

"Sal ammoniac"は特に,中世錬金術の4つの「精気spirit」のひとつとして中心的な役割を担いました.錬金術師でもあったアイザック・ニュートン(Isaac Newton, 1643-1727)も"sal ammoniac"を実験で使用していました.


古くはドミニコ修道会大主教アルベルトゥス・マグヌス (Albertus Magnus, 1193-1280) が使っていた記録があります.ヨーロッパ錬金術の元になったアラビア錬金術や,アラビアに影響を与えた中国の錬金術では,sal ammoniacはさらに古くから使われてきました*5


また,NH4Clは冶金にも使われました.NH4Clは金属表面に生じた酸化物を溶かしたり,酸化を防ぐ効果があります.そのため,金属表面の前処理などに使われました.


ヴェネチアの商人は,NH4Clの出どころを意図的に秘密にしていたようです.その秘密を探るため,18世紀前半,フランス科学界ではNH4Clの合成方法が盛んに議論されました.その過程で,ラクダの糞を焼く方法も知られるようになりました.


ヨーロッパで最初のNH4Cl工場は,1756年,スコットランドEdinburghにJames DavieとJames Huttonらが建設した工場です.その製法は秘密にされていましたが*6,どうやら石炭を燃やして煙突にたまったススからNH4Clを得ていたようです*7.ススはtronmenと呼ばれる煙突掃除人に集めさせていました.

《煙突掃除の子供》Jules Bastien-Lepage, 1883年,油彩

一方ロンドンでは,女性や子供たちに都市中の動物の骨を集めさせ,これを燃やして得られるススからNH4Clを回収させていました.パリの製造業者は下水の尿をひたすら集めていたようですが,隣人とトラブルに至ることもしばしばでした.


こうしたエジプトから続くススからNH4Clを回収する手法以外にも,様々な合成方法が検討されました.


例えば,動物の死体をあまり乾燥させない条件で燃やすと(NH4)2CO3が得られます.これを硫酸塩*8と反応させ,再結晶や昇華などによりNH4Clとして回収しました.
 \mathrm{(NH_4)_2CO_3 + CuSO_4 \longrightarrow (NH_4)_2SO_4 + CuCO_3}
 \mathrm{(NH_4)_2SO_4 + 2NaCl \longrightarrow 2NH_4Cl + 2Na_2SO_4}

1759年にJohann H. GravenhorstがBrunswickに設立した工場で採用されたと言われています.


その後イギリスだけでなくフランスでも工場が設立され,ルブラン法の工場で発生するHClガスを活用しました.
【参考】アルカリの歴史(2):ルブラン法

ルブラン法による炭酸ナトリウム製造炉(1890年)

また,液体の密度測定*9で知られるアントワーヌ・ボーメ(Antoine Baumé, 1728-1804)は1760年に,塩の製造工程で得られる「にがり(MgCl2」を用いた製造方法を考案しました.
 \mathrm{(NH_4)_2CO_3 + MgCl_2 \longrightarrow 2NH_4Cl + MgCO_3}

Baumeの工場はフランスのGravelleに建設され,1787年まで創業しました.


このように,18世紀後半の塩化アンモニウム製造には数多くの無名の発明家,経営者が参入しましたが,塩税によって経済的な困難にたびたび直面しました.

High Blantyre炭鉱での爆発事故 (1877)

そんななか,塩化アンモニウム製造の中心だったスコットランドでは石炭産業の勃興に伴い,塩に依存しない新たな製造方法が確立しました.


1781年,Dundonald卿は石炭を乾留する工場を設立しました.石炭には1%ほど窒素が含まれており,副産物としてアンモニアNH3が得られました.そこでDundonaldは得られたアンモニアをNH4Clに変換する手法を考案しました.反応はいたってシンプルで,塩酸HClと直接反応させるというものです.
 \mathrm{NH_3 + HCl \longrightarrow NH_4Cl}


DavieとHuttonにサンプルを送ったところ大変気に入られ,すぐに契約に至りました.ススから回収する方法は効率があまりよくなかったため,最終的にHuttonらは自分達の回収方法をあきらめました.


こうしてNH4Cl製造はアンモニアと塩酸の直接反応というシンプルな合成方法に切り替えられていきました.

4.まとめ

19世紀に入ると,NH4Clの工業的用途がどんどん縮小していき,1850年には化学技術に関する書籍でもあまり見かけないマイナーな原料になってしまいました.しかし肥料としての活用法が判明すると,再び注目を集めるようになりました.


次回はアンモニアそのものの歴史をみてみましょう.


参考文献

"Ammonia in the environmnent: From ancient times to the present" M.A. Sutton, et al. Environmental Pollution 156, 583-604 (2008).
"Sal Ammoniac: A Case History in Industrialization" R.P. Multhauf, Technology and Culture, 6, 569-586 (1965).
”A History of Inventions, Discoveries, and Origins" J. Beckmann, translated (1846).
"The chemical revolution: a contribution to social technology" A. Clow, N.L. Clow (1970).
"Extrait d'un rapport sur les diverses moyens d'extraire avec avantage la soude du sel marin" Annales de chimie, XIX, 60-76 (1797).
"Alkaline air: changing perspectives on nitrogen and air pollution in an ammonia-rich world" M.A. Sutton, et al. Philosophical Transactions of the Royal Society A, 378, 20190315 (2020).
"The Method of Making Sal Ammoniac in Egypt; As Communicated by Dr. Linnaeus, from His Pupil Dr. Hasselquist, Who Had Been Lately in Those Parts: By John Ellis, Esq; F. R. S." L.J. Ellis, Philosophical Transactions, Vol. 51, 504-506 (1759-1760).
"Nitrogen Capture" A.S. Travis (2018).
"Science and Civlisation in China" J. Needham, et al. (1954-).
"Studies in al-Kimya'" A.Y. al-Hassan (2009).
錬金術の歴史』E.J.ホームヤード (1996).

目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:彼はhammoniacumと呼びました.

*2:ちょっとややこしいのは,ギリシャ語で砂のことをἄμμοςとも言う点です.

*3:錬金術師のパノポリス(エジプト)のゾシモス(生没年不詳)がこの方法を秘密裏に採用していたという話があります.

*4:それ以前に古代ギリシャの一部でも知られていたと考えられています.

*5:例えばアラビアでは9世紀には使われており,中国では,早ければ4-5世紀には使われていたのではないかと考えられています.

*6:Huttonの友人であるJoseph Brackもその詳細は知らされていませんでした.

*7:石炭のススからNH4Clが得られることは1732年に発刊された化学の教科書にも記載があります.

*8:CaCO3でもOKです.

*9:古くは比重の単位にボーメ度が使われました.