塩酸はかつて「海の酸」とも呼ばれました.
なぜそのように呼ばれたのでしょうか?
今回は塩酸の製造方法がどのように変化してきたのか,見てみましょう.
酸の歴史(1):酸とはなにか?
酸の歴史(2):錬金術と硫酸
酸の歴史(3):鉛室法の発明
酸の歴史(4):染料と接触法
酸の歴史(5):硝酸と硝石
酸の歴史(6):オストワルト法
酸の歴史(7):塩酸
酸の歴史(8):リン酸
酸の歴史(9):フッ化水素酸
1.塩酸と錬金術
塩酸は誰が最初につくったのでしょうか?
プリニウス(Gaius Plinius Secundus, 23-79)によれば,古代ローマでは塩NaClとビトリオール(金属硫酸塩)の混合物,もしくはミョウバンとの混合物を,不純物として銀が含まれている金と一緒に加熱し,金を精製するcementationと呼ばれる手法が使われていました.
この手法では途中でHClが生成しているのではと考えられていましたが,反応を再現した研究によると途中で塩素が生じ,これが銀と反応しているようです.
ここで,ミョウバンとしてNaAl(SO4)2,ビトリオールとしてCuSO4・5H2Oを考えましょう.まずは加熱によりSO3が発生します.
これがNaClと反応して塩素を発生させ,
塩素が銀と反応します.金は反応しないので残ります.
HClがAgと反応すると仮定するよりは納得がいきますね*1.
では塩酸そのものはというと,古くは1-3世紀頃の女性錬金術師マリア (Maria the Jewess) が発見したという説があります.しかしながら真偽の程は定かではありません.
彼女は蒸留や湯煎*2などの技術を開発し,錬金術の基礎をつくった人物とされています.直接の資料は残っていないので残念ですが,ゾシモス(Zōsimos, 3-4世紀)などギリシャ・エジプトの錬金術師たちの記録に残っています.
ローマ帝国の崩壊後,ギリシャ・エジプトの錬金術の知識は,東ローマ帝国で迫害を受けた異端派のキリスト教徒などとともに8世紀頃アラビアに持ち込まれました.
【参考】酸の歴史(2):錬金術と硫酸
アラビアの錬金術師のなかでも,ペルシャのアル・ラーズィー (Abū Bakr Muḥammad ibn Zakariyā al-Rāzī, 865-925) は大変有名な人物です.彼は様々な物質を体系的に分類し,それぞれをどのように区別して精製するかを注意深く調べました.
彼が調べた塩類に,塩化アンモニウムNH4Clがあります.サマルカンドなどタリム盆地の火山性堆積物から得たり,もしくは髪など動物性組織からつくったりしたようです.
彼は塩化アンモニウムNH4ClとビトリオールFeSO4・7H2Oをまぜて蒸留しました.ビトリオールは硫酸の生成に使われていましたので,
これと塩化アンモニウムが反応してHClガスが発生していたと考えられます.
他にも,塩酸の製法は『解剖の書』で有名な外科医アブー・アル=カースィム (Abū al-Qāsim Khalaf ibn al-'Abbās al-Zahrāwī al-Ansari, 936-1013) などの著作にも確認することができます.しかし,本当に塩酸が得られていたかどうかは不明です.
2.海の酸
アラビア錬金術師の知識の一部は,後ウマイヤ朝アブド・アッラフマーン3世 (889-961) の治世 (912-961),イベリア半島(今のスペイン)に持ち込まれ,半島に住んでいたイスラム教徒たちに受け継がれました.
やがてイタリアでは,12世紀頃からアラビア語の錬金術書がラテン語に翻訳されるようになりました(12世紀ルネサンス)*3.ゲラルド (Gerard of Cremona, 1114-1187) は当時の翻訳家のなかでも最重要人物で,トレドで大司教レイモンド (Raymond, 1126-1151) が設立した翻訳家大学で活躍しました.
トレドは1105年,アルフォンソ6世 (Alfonso VI, -1109) がイスラム教徒から奪回し,カスティーリャの首都となっていました.住民の大半はアラビア語を使っていました.レイモンドはアラビアの知識を吸収しようという目的で大学を設立しました.
ゲラルドはイスラム教徒たちによって加筆された文献をラテン語に翻訳しました.
そのうち,『De aluminibus et salibus』には,水銀と塩化アンモニウムとミョウバン,もしくは水銀とビトリオールと塩をまぜて蒸留すると塩化水銀HgCl2が生じることが書かれています.
詳細は不明ですが,ここではcementationのように途中で塩素Cl2が発生しているかもしれません.
やがて先の原材料から水銀が取り除かれ,HClガスが直接合成されるようになったのではと推測されています*4.
HClガスが得られれば,後はそれを水に溶かすだけで塩酸の完成です.いつ頃塩酸が作られるようになったか正確にはわかりませんが,おそらく15世紀頃ではないかと考えられています.
15世紀前半イタリアで書かれた写本には,「骨を柔らかくする "A mollificare l'osso"」レシピとして,次のような記述があります.
ローマのビトリオールと塩をよくすり合わせ,蒸留器の中で蒸留して濾しだす.骨や角,象牙をやわらかくしたいときは,この液体に5時間ほど入れる.
硫酸だけを作る場合は硫酸鉄の加熱をきちんと行うことがよく明記されていました.一方,この実験で生じた水は受け皿にたまり,これをHClガスが溶け込ませるのに使っています.そのため,事前にビトリオールを加熱しておく必要なかったようです.
【参考】酸の歴史(2):錬金術と硫酸
生成した塩酸は,骨の主成分であるヒドロキシアパタイトCa10(PO4)6(OH)2と以下のように反応します.
15世紀末,イタリアの女傑カテリーナ・スフォルツァ (Caterina Sforza, 1463-1509)の記録によれば,半日ほど浸してやわらかくなった骨はロウのように切ることができたようです.
のちに,塩酸は歯のホワイトニングにも良いのではないかと考えられるようになりました*5.
原理としてはただ歯の表面を溶かしているだけです*6.のちに,化学物質によるホワイトニングとひて歯を溶かすのではなく,着色物質を過酸化水素などで漂白する方法が登場しました.いわゆる,洗濯で使われる酸素系漂白剤と同じです.
【参考】洗濯(8):過酸化水素
このように塩酸は海の塩NaClから得られたので,muriatic acid (海の酸)*7とも呼ばれるようになりました.
3.ソーダ産業の副産物
塩酸はもともと食塩に硫酸を加えることで製造されていましたが,大量に生産されるようになったのは19世紀はじめにルブラン法によるソーダ工業が勃興してからです.
【参考】アルカリの歴史(2):ルブラン法
ルブラン法の目的はソーダ灰の生産でしたが,副生物としてHClガスが生じます.1 tの炭酸ナトリウムを得るのに,HClは0.75 t生じます.
ここではがんばって1000℃くらいに加熱したので,Na2SO4まで反応が進んでいます.
HClは工場から放たれるがままでしたので,雨に混じって酸性雨として周囲の農地や森林,建物を荒らし,家畜に被害をもたらしていきました.これは住民運動,さらにら工場経営者と都市・農地経営者との訴訟バトルに発展しました.
1836年にはWilliam Gossage (1799-1877)によって効率よく水に吸わせて塩酸として回収する方法が確立されました.これは現在化学工場で使われるガス吸収装置の始まりです.
工場への普及を推し進めるべくイギリス貴族院は重い腰をあげ,1863年にはHClガスの排出を95%削減することを求めるアルカリ法 (Alkaili Act) を制定しました*8.
HClガスを水に吸わせて除去させるのは工場経営者にとっても悪い話ではありませんでした.塩酸は布や紙の漂白にも使えましたし,水の消毒にも使うことができました.
アルカリ監査官の奮闘のおかげもあり,工場での塩酸としての回収が進みました.
1860年代にアンモニアソーダ法が登場すると,ルブラン法は塩酸を得るために一段階目の反応のみが実施され,硫酸ナトリウムNa2SO4は副産物と見なされるようになりました.
【参考】アルカリの歴史(3):アンモニアソーダ法
ちなみにこの反応は十分に加熱しないと進まず,以下の反応で止まってしまいます.
完全に反応を進ませるには800℃くらいまで加熱する必要があったようです.一方で加熱しすぎると硫酸ナトリウムNa2SO4が溶けてしまいますので*9,温度管理が重要です.
一方1850年代以降,硫酸を使わない硫酸ナトリウムの製造法が検討されてきました.実用化可能な手法として1870年に登場したのがHargreaves法です.この方法でもHClが生じます.
ルブラン法と違い発熱反応でしたので,がんばって加熱しなくても良いというメリットがありました.
ちなみに二酸化硫黄は硫化鉄を燃やして得ていました.
もっとも,ルブラン法はアンモニアソーダ法の登場以降,塩酸製造にかなり力を集中していましたので,塩酸製造法としての存在感は薄かったようです.
これらの方法では塩酸に不純物として硫酸が混入する可能性があります.
砂糖の脱色につかわれた活性炭の洗浄に塩酸を用いる際は,活性炭に付着したカルシウムと硫酸が反応して生じた硫酸カルシウムが穴を塞ぐ可能性がありますので,これをほぼ完全に取り除く必要がありました.
また,Weldon法や,
【参考】アルカリの歴史(2):ルブラン法
Deacon法で塩素を製造する際も硫酸が取り除かれている必要があります.
混入した硫酸の除去には塩化バリウムBaCl2が使われたようです.
生じた硫酸バリウムBaSO4は難溶性ですので,反応が進行します.
4.合成塩酸
19世紀末から20世紀にかけて,今度は電解ソーダ法が登場しました.
【参考】アルカリの歴史(5):電気分解
発生した水素ガスと塩素ガスを直接反応させることで,HClを生成させることができます.
とはいえ,何も考えずに混ぜると爆発するので非常に危険です.そこで通常は水素を若干過剰にして爆発を防ぎつつ,水素ガスの中で塩素ガスを燃焼させて合成します.塩素と水素をきわめて短時間に連続して安定に反応させることが重要で,そのためにバーナーが使用されます.
得られた塩酸はルブラン法によるものよりも質が良かったので,電解ソーダ法が急激に普及しました.
ちなみに塩素ガスを加熱した炭および水蒸気と反応させることで塩酸をつくることもできます(木炭法)*10.
木炭を用いるときは600℃,コークスは450℃,活性炭は350℃に加熱する必要がありました.水素はいろいろ需要があったため,利用が難しい際は良い方法だったのかもしれません.
いずれにせよ電解ソーダ法の登場により,塩から直接塩酸を作っていた時代から,一度塩素ガスをつくってから塩酸をつくる時代へとシフトしていきました.
5.副生塩酸
20世紀に入ると塩素は有機化学工業において大変重要な原料となりました.ポリ塩化ビニルや塩化ゴムなどは今でも活躍していますね.
現在ではこうした有機塩素化合物をつくる過程で生じるHClが,HCl全体の生産量の大部分を占めています.
回収方法は個々の反応に依存しますが,例えば上記反応では圧力をかけて生成物を液化し,蒸留によってHClを回収します*11.
一方で廃棄物からの回収も重要です.
例えば有機塩素化合物を燃焼させると,化合物の塩素をHClとして回収することができます.
生じたHClは酸素と反応して塩素ガスを生成する可能性がありますが,この反応は発熱反応ですので,ルシャトリエの原理より高温にすれば平衡を左に偏らせることができます.そこで,通常は1000℃以上に加熱します.
一方,1200℃以上に加熱すると空気中の窒素が酸化され,HClに混ざってきてしまいます.
したがって,廃棄物である有機塩素化合物の燃焼は,1000-1200℃で行われるようです.
生成したHClガスは,高沸点の溶媒で洗浄することができます.塩素の除去には活性炭も使えますが,塩化水素よりも塩素をより溶かす四塩化炭素CCl4を使うことができます.
また,塩酸は鉄鋼表面の酸化物を洗い落とすのに古くから使われています.
こうして生じた塩化鉄をそのまま廃棄するのはもったいないので,そうした廃液からHClを回収するのも重要です.
6.まとめ
塩酸は錬金術の時代から化学工業の時代に至るまで,塩やルブラン法,電解ソーダ法,有機化合物などいろんな方法で作られてきました.はじめは塩から直接つくられていた塩酸ですが,電気化学工業,そして有機化学工業の勃興により,塩素ガスや塩素化合物など,長い道のりをたどって作られるようになりました.
作られた塩酸は,鋼鉄などの洗浄や無機化合物製品などに使われますが,回収されなかった塩素はやがて塩として再び産出するようになります.こうして循環しているわけですね.
次回はリン酸を見てみましょう.
参考文献
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"How old is hydrochloric acid?" L. Reti, Chymia, 10, 11-23 (1965).
"The Manufacture Of Hydrochloric Acid And Saltcake" C.A. Charls (1923).
"Ancient procedures of gold cementation and gold scorification: considerations on their reliability through experimental archaeology, interpretation of chemical reactions and thermodynamics" S. Jihlava, et al. Acta naturalium, 21, 177-200 (2017).
"Practical Chemistry in the Twelfth Century,” R. Steele, Isis, 12, 10-46 (1929).
"The Origins of Chemistry" R.P. Multhauf (1993).
"Studies in al-Kimya'" A.Y. al-Hassan (2009).
"Science and Civlisation in China" J. Needham, et al. (1954-).
"A History of Industrial Chemistry" F.S. Taylor (1957).
『塩酸』井上嘉亀,化学教育, 16, 7-9 (1968).
『酸,アルカリ及肥料 上巻』庄司務 (1936).
『無機化学工業』朝倉書店 (2002).
『無機工業化学』東京化学同人 (1995).
『錬金術の秘密』L.M. Principe (2018).
『錬金術の歴史』E.J.ホームヤード (1996).
『元素発見の歴史』M.E. Weeks, H.M. Leicester (2010).
『ソーダハンドブック』日本ソーダ工業会(1998).
『未来を考えるための科学史・技術史入門』北樹出版 (2023).
*1:12世紀には粘土も使う手法が記録されていますが,こちらでは塩酸の生成を仮定することが可能です. ただしこの手法でも, 801℃以上の高温を仮定すればHClの生成を介さなくても説明ができます.
*2:今でもフランス料理で湯煎のことはbain-marieと呼びます.
*3:11世紀頃から,クリュニー修道院などによる改革運動によって高位聖職者に相応の学識が求められるようになり,知識への需要が増大していました.教会(というか教皇)の地位向上につながった十字軍運動では海路を使うようになりましたが,ここに貢献していた北イタリア諸都市は地中海貿易により発展して学問が復興しはじめ,同じく十字軍運動の結果としてアラビアからもたらされた書物の翻訳が進みました.
*4:こうした記述の変遷をみると,塩酸の製法そのものはアラビアから伝わっていなかった可能性があります.
*5:他にも酸はありますが,硫酸は歯の表面に不溶性の硫酸カルシウムCaSO4が生じて反応が完了せず,一方で硝酸は酸化力が強すぎて危険です.また,酢では反応が遅すぎるというわけで,塩酸が良いと考えられていたようです.
*6:現代では酸蝕症として,普通に治療の対象ですね.
*7:ちなみに胃のなかにもこの海の酸があることは1823年,William Prout (1785-1850)によって明らかにされました.
*8:その後,1874年,1881年,1892年にさらに改正されました.
*9:販売用途では製造の途中で溶けていない,多孔質のものが好まれていたようです.
*10:他にも,二酸化硫黄を用いる方法もありました.
*11:不純物についても個々の反応に依存しますので,適切な精製方法を検討する必要があります.