硫酸をはじめとした酸は,錬金術において重要な役割をはたしてきました.
その工業的製法も,はじめは錬金術で使われた手法から発展したものです.
硫酸の製造方法の歴史について,まずは錬金術から見ていきましょう.
酸の歴史(1):酸とはなにか?
酸の歴史(2):錬金術と硫酸
酸の歴史(3):鉛室法の発明
酸の歴史(4):染料と接触法
酸の歴史(5):硝酸と硝石
酸の歴史(6):オストワルト法
酸の歴史(7):塩酸
酸の歴史(8):リン酸
酸の歴史(9):フッ化水素酸
1.ビトリオール
硫酸銅五水和物CuSO4•5H2Oや硫酸鉄七水和物FeSO4•7H2Oはそれぞれ青色,緑色の美しい結晶を形成することが知られています.硫酸銅は再結晶の実験でもおなじみですね.
これらは昔,青のビトリオール,緑のビトリオールと呼ばれていました.ビトリオールは現代でいう金属硫酸塩など*1を広く指す単語だったようです.
ガラス質の光沢があったので,ラテン語でガラスを意味するvitrumからビトリオールvitriolと名付けられました*2.
紀元前600年頃のシュメール-アッシリアの辞書にすでにビトリオールにあたる単語を見て取ることもできますが,物質の詳細については古代ギリシャ・ローマの文献が最古といえるでしょう.
ギリシャの医師ディオスコリデス(Pedánios Dioskourídēs, 40–90)とローマの博物学者プリニウス(Gaius Plinius Secundus, 23-79)は,ともにキプロス島の銅鉱床で生成されるビトリオールについて言及しています.水に溶けたビトリオール(硫酸銅)を析出させる方法についてもすでに触れられていますので,この時代から「硫酸銅の再結晶」が知られていたことがわかります.
こうしたビトリオールは貴金属製品の製造をはじめとした冶金や,ヨーロッパ,アラビア,インド,中国で発展した錬金術で使用されました.
錬金術で注目を集めた理由のひとつに,硫酸銅水溶液と鉄の不思議な関係があります.
硫酸銅水溶液に固体の鉄を加えると,銅が析出するのです.
高校化学ではイオン化傾向で説明される典型的な反応ですね.Feのほうがイオンになりやすいから,などと説明されるかと思います.
しかしながら,当時の人にとっては魔法のような出来事でした.なにせ,鉄を入れたと思ったら銅に「変わった」のですからね.
こうした現象は古代中国で銅鉱床が枯渇して貨幣に使える銅が足りなくなった際に使われたり,中世スペインにいたアラブ人たちによって利用されました.
また,ハンガリーのZifferbrunnenやチェコのKutná Horaでは硫酸銅水溶液が自然に湧き出ていたようで,鉄を銅に「変える」不思議な液体として利用されていました.
2.アラビア・インド錬金術と硫酸
硫酸そのものは,鉱物から得られる酸(鉱酸)として古くから錬金術師たちのあいだで知られていましたが,信頼できる製法をたどるのは困難です.
錬金術は3世紀頃,ギリシャ・エジプトで冶金技術などから発展して誕生したのち,東ローマ帝国で迫害を受けた異端派のキリスト教徒などとともにアラビアに持ち込まれました.
【参考】酸の歴史(7):塩酸
錬金術の知識がアラビアに持ち込まれた背景には,当時の世界情勢が大きく関わっています.
610年にイスラム教が成立したのち,アラビアの軍勢は各地に勢力を拡大しました.640年にはエジプトを併合し,古代ギリシャの思想と文化が入ってきました.
762年,アッバース朝の首都がバグダードにうつされると,そこに設置された知恵の館 (Bayt al-Ḥikmah)とよばれる学術機関でギリシャの書籍が翻訳されました*3.錬金術の知識も,その際に多くが翻訳されました.
アラビアでは翻訳された冶金がベースのギリシャ・エジプトの錬金術をもとに,独自の発展をとげました.
アラビアの錬金術師のなかでも,ペルシャのアル・ラーズィー (Abū Bakr Muḥammad ibn Zakariyā al-Rāzī, 865-925) は大変有名な人物です.
アル・ラーズィーは文化の中心地,イランのRayで生まれ,哲学や詩,そして音楽を愛していました.30歳ごろ,バクダードで医学にとても詳しい老人に出会いました.その知識と経験にいたく感銘をうけ,医学を志す決心をしました.
当時のアラビア医学は,錬金術とかなり隣接した学問だったようです.アル・ラーズィーは医学書だけでなく,錬金術書もかなり残しました.
錬金術において,アル・ラーズィーは様々な物質を体系的に分類し,それぞれをどのように区別して精製するかを注意深く調べました.
アル・ラーズィーは様々な物質を蒸留し,その変化を記録しています.その中には,ビトリオールやミョウバンも含まれていました.これらはいずれも硫酸塩の水和物で,高温で加熱すると水和水が外れた後,SO3を発生させます.
これが水と混ざれば硫酸H2SO4が生じていたはずです.
しかしながら彼は,この操作はおそらく物質と魂(ここではSO3)をわけただけだと考え,その有用性には気づいていませんでした.
ややこしいですが,彼は硫酸を合成してはいたものの,発見はしていなかったということになります.
一方で,アッバース朝がギリシャ錬金術の書をシリア語やアラビア語に翻訳させた9-11世紀のKarshuni写本にはビトリオールを蒸留して硫酸を作っていたのではないかという記述があります.アル・ラーズィーも近いところまではいっているので,できていたとしても不思議ではありません.
ところでアラビア錬金術にはギリシャ・エジプトの錬金術以外にも,シルクロードを介して中国・インド錬金術の影響を指摘する説があります.インド錬金術において硫酸だとはっきりわかる記述は,12世紀ころ成立したといわれる『ラサールナヴァ (Rasārṇava)』にみられます.そこにはkāsīsa (おそらく硫酸鉄FeSO4•7H2O) から得たviḍaが鉄や他の金属を"殺す"という記述があります.
"殺す”は曖昧ですが,後年の文献の解釈によれば金属塩の形成を指すとされています.それを踏まえると,「kāsīsaから得たviḍa」は硫酸だったのではないかと考えることができます.
さらに,1300年頃成立したと思われる『ラサカルパ (Rasakalpa)』には銅に燃える水を加えると,青い水が得られるという記述があります.もしかしたらこれは,銅と硫酸の反応を示しているのかもしれません.
もしかしたら硫酸はもっと古くから知られていたかもしれません.しかしインドの錬金術についてはアラビア以上にあまり研究が進んでいないので,詳しいことはよくわかりません.
いずれにせよ,アラビア・インドでの硫酸の利用は,ヨーロッパでの利用が確認できる13世紀よりも前に遡ることができそうです.
3.ヨーロッパ錬金術と硫酸
12世紀になるとヨーロッパではアラビア語の錬金術書がラテン語に翻訳され,普及しました.
中世ヨーロッパでは,錬金術師たちは秘密を隠すためにあえて大事な部分を書かなかったり,嘘や誇張表現を織り交ぜたり,また写本の過程で記述を変更したりしていました.そのため,いつ硫酸が作られていたのかを正確に判断することはとても難しいです.また,純度についても十分な注意が必要でしょう.
曖昧な記述であれば,ドミニコ会の博学で偉大な大主教Albertus Magnus (1193-1280) や同じくドミニコ会修道士でルイ9世 (Louis IX) の図書館員でもあったVincent from Beauvais (1190-1264) といった13世紀の錬金術師がミョウバンを蒸留して硫酸を得ていたような記述があります.
水に吸わせていれば硫酸に変化するとしてもおかしくはありません.
偽Geber*4,おそらくはフランシスコ会の修道士Paolo di Tarantoにより13世紀に書かれたと推定されるSumma perfectionisには,ビトリオールから硫酸をつくっていたのではないかという記述があります.
16世紀ころになると,はっきりと硫酸が得られていたと考えられる記述がみられるようになります.伝説的な錬金術師Basilus Valentinusの記述 (1602年) に出てくる製法*5をみてみましょう*6.
もしあなたがビトリオールを手に入れたなら(中略)レトルトにいれ,はじめは穏やかに動かし,次に火を強くすると,恐ろしい煙となって白いビトリオールの精気があらわれ(中略),それを分離すると(中略)ガラス容器の底にその宝,赤いオイルがあらわれるだろう.
ビトリオールはおそらく硫酸鉄でしょう.まずは水和水が外れます.
さらに加熱すると白いビトリオールの精気,SO3が現れ,
分離すると硫酸H2SO4が得られます.
硫酸そのものは無色ですが,同時に生じる赤色の酸化鉄Fe2O3,もしくはセレンSeが混じることで,「赤色の液体」ができたように見えたのだと考えられます.
ビトリオールから硫酸を得る手法は,16世紀にはすでにボヘミアで工業化していたようです.Pilsenでは1526年にその記録があります.
ドイツを中心に勃発した三十年戦争 (1618-1648年) によりこの地方での産業が大打撃を受けると,硫酸製造の場はドイツのノルトハウゼン(Nordhausen)に移りました*7.この地での硫酸製造は,なんと1900年頃まで続けられました.
ノルトハウゼン法ではSO3 を硫酸に吸わせて発煙硫酸H2SO4・xSO3*8を生成させていました.発煙硫酸は,ノルトハウゼン酸とも呼ばれました.
うまく加熱すると蒸留器にらきれいな赤色の酸化鉄Fe2O3が生じます.これは赤い顔料venetian redとして販売されました.
1740年頃にはドイツのザクセンにおいて毛織物を鮮やかな青色に染める染料,Saxon blueが開発されました.
Saxon blueはインジゴを硫酸を反応させてつくる酸性染料で,毛織物繊維の-NH2基との親和性が高いという特徴があります.
ノルトハウゼンで作られた硫酸は,主にインジゴと硫酸の反応に使われました.
4.まとめ
ノルトハウゼン法の欠点は,蒸留器が硫酸によってダメージを受け,すぐに壊れてしまうことでした.
次回は,代表的な硫酸製造法となった鉛室法をみてみましょう.
参考文献
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
"Vitriol in the hisotry of chemistry" V. Karpenko and J.A. Norris, Chem. Listy 96, 997-1005 (2002).
"Some Notes on the Early History of Nitric Acid: 1300-1700" V. Karpenko, Bull. Hist. Chem. 34, 105-116 (2009).
"Sulfur History, Technology, Applications & Industry" Gerald Kutney (2013).
"Sulphuric Acid" W. Wyld (1924).
"Ancient procedures of gold cementation and gold scorification: considerations on their reliability through experimental archaeology, interpretation of chemical reactions and thermodynamics" S. Jihlava, et al. Acta naturalium, 21, 177-200 (2017).
"Chemistry in Iraq and Persia in the Tenth Century A. D." H.E. Stapleton, et al. Memoirs of the Asiatic Society of Bengal, 8, 317-418 (1927).
"Practical Chemistry in the Twelfth Century,” R. Steele, Isis, 12, 10-46 (1929).
"The Origins of Chemistry" R.P. Multhauf (1993).
"Studies in al-Kimya'" A.Y. al-Hassan (2009).
"A brief history of Indian alchemy covering transitional and tantric periods (circa 800 A.D. -1300 A.D) M. Ali, Bull. Ind. Inst. Hist. Med. 26, 11-38. (1996).
"Science and Civlisation in China" J. Needham, et al. (1954-).
"A History of Industrial Chemistry" F.S. Taylor (1957).
”Sulphuric Acid and Alkali" G. Lunge (1913).
"Phase transformation and non-isothermal kinetics studies on thermal decomposition of alunite" Y. Zhong, et al, Journla of Alloys and Compounds, 710, 182-190 (2017).
"Histoire Des Sciences La Chimie Au Moyen Age" P.M. Bertholet (1893).
『硫酸』井上嘉亀,化学教育, 16, 10-15 (1968).
『酸,アルカリ及肥料 上巻』庄司務 (1936).
『錬金術の秘密』L.M. Principe (2018).
『アラビア錬金術史の研究動向』三浦伸夫,化学史研究,24, 193-204 (1997).
『錬金術の歴史』E.J.ホームヤード (1996).
『インド錬金術』佐藤任,小森田精子 (1989).
『未来を考えるための科学史・技術史入門』北樹出版(2023).
*1:黄鉄鉱のこともビトリオールと呼んでいました.ちなみにZnSO4の水和物は白のビトリオールと呼ばれました.
*2:8世紀の錬金術書にすでに登場していますが,当時はatramentという単語もありました.16世紀ころまでには,vitriolのほうが一般的になりました.
*3:古代ギリシャ語を話すネストリウス派キリスト教徒が活躍したようです.
*4:アラビアの錬金術師 Jabir ibn Hayyan (8世紀頃,ラテン語名Geber)の書だと考えられていたけれども,実は違ったので著者は「偽Geber」とされています.
*5:Andreas Libavius (1556-1616) の著書Alchemia (1597年) にも同様の製法があります.
*6:適宜省略しながら訳しました.