長い間使い道の少なかった発煙硫酸は,合成染料の登場により一気に品薄になりました.
さらなる染料産業の発展のためには発煙硫酸の価格を安くする必要があります.そうして誕生したのが接触法です.
今回は染料産業の事情を通じて,接触法誕生の経緯としくみを見てみましょう.
酸の歴史(1):酸とはなにか?
酸の歴史(2):錬金術と硫酸
酸の歴史(3):鉛室法の発明
酸の歴史(4):染料と接触法
酸の歴史(5):硝酸と硝石
酸の歴史(6):オストワルト法
酸の歴史(7):塩酸
酸の歴史(8):リン酸
酸の歴史(9):フッ化水素酸
1.発煙硫酸とアリザリン
前回は二酸化硫黄の酸化を触媒する物質として窒素酸化物を紹介しましたが,他にも触媒する物質があります,
1820年代,デーべライナー(Johann Wolfgang Döbereiner, 1780-1849) は白金を触媒として用いることで,二酸化硫黄SO2の酸化反応を促進できることを発見しました.
【参考】マッチ(2):点火装置の歴史
白金表面にSO2がくっついて,そこで反応が起きるようです.
これを硫酸に吸わせれば,発煙硫酸H2SO4・xSO3が生成し,
ここに水を加えれば,はじめより濃度の高い硫酸が生じます.
しかしながら当時はあまり注目されず,1831年にBristolのPeregrine Phillipsが特許を申請したくらいでした.高濃度の硫酸は,特に使い道がなく,また原料中に含まれる不純物による触媒の被毒(後述)も大きな問題でした.
発煙硫酸をつくっても使い道があまりない.そうした状況は染料産業の勃興により一変しました.
1856年,ロンドンのパーキン(William Henry Perkin, 1838-1907)が合成染料アニリンパープル*1を報告したころ,プロイセン王国の立ち会いのもと,パリ条約により第一次クリミア戦争 (1853-1856) が終結しました.プロイセンは周囲の諸邦を統合し,1871年にはドイツ帝国が誕生しました.
ドイツ帝国では特に1870年代に合成染料産業を中心に工業が急速に発展しました.なかでも1865年に設立されたBASF社は染料業界の中心となりました.
そんなBASF社の最初のヒット商品となったのが,合成アリザリンでした.
アリザリンは茜(セイヨウアカネ)Rubia tinctorumの根っこから取れる赤色染料の成分で,その染料は古代エジプト,ギリシャ,ローマで使われてきました.茜はオランダ,のちにアヴィニョンやアルザスをはじめとしたフランスで大規模に栽培され,ヨーロッパ各地に輸出されました.
1826年,Pierre-jean RobiquetとJean-Jacques Colinが茜から取れる赤色染料の主成分がアリザリンとプルプリンであることを明らかにしました.
主成分が特定されて以来,根の処理方法や,硫酸による抽出方法などが改良されていきました.
1868年,グレーべ (Carl Gräbe, 1841-1927) とリーバーマン (Carl Theodor Liebermann, 1842-1914) はアリザリンを亜鉛粉末で還元すると,アントラセンが得られることを報告しました.亜鉛粉末による還元では,どんな芳香族炭化水素が骨格なのかがわかります.
当時,アントラセンの構造はまだわかっていませんでした*2.彼らはBの構造だと考えていたようですが,実際はAですね.
こうした研究からアントラセンを出発物質とすればアリザリンが得られるだろうと見当をつけ,ついにアントラセンからアリザリンを合成する手法を確立しました.
グレーべらが最初に報告した方法では,中間体であるアントラキノンを臭素化してからアルカリで処理するところがポイントでした.しかしながら当時臭素は高価で,適した反応容器を用意することも困難でした.
そこでグレーべらとカロ(Heinrich Caro, 1834-1910)は別のルートをさがしはじめました.
彼らが着目したのは1867年にケクレたちが発表した,スルホン化を経由するルートです.一度スルホン化してしまえば,あとはアルカリ処理するだけでいけそうです.しかし硫酸と反応させようとしてもなかなかアントラキノンはスルホン化してくれませんでした.
あるときカロは実験途中,別の部屋に呼ばれたので炎の調節を忘れたまま出ていってしまいました.結果,反応液は加熱し過ぎで煮詰まってしまい,部屋は煙で充満してしまいました.
ところがよくよく残った物質を調べてみると,なんとアントラキノンがスルホン化されていました.そしてアルカリ処理で簡単にアリザリンが生成されたのです.
結果論として,アントラキノンを直接スルホン化するには,当時考えられていたより苛烈な条件が必要でした.
彼らはまずドイツでの特許取得を狙いました.しかし,反応経路が少ししか変わっていないじゃないかということで特許取得に失敗しました.
イギリスにも1869年6月25日,特許を出願しましたが審査がおくれてしまいました.結果として,同時期にアリザリン合成法を開発し,1日遅れで特許を出願したパーキンの方が先に承認されました.
パーキンはジクロロ化したアントラセンをスルホン化・アルカリ処理することで合成しました.グレーべたちは渡英してパーキンと話し,市場を分割することで合意しました.
こうして1870年から1871年にかけて,アリザリンの本格的な製造が開始されました.
合成アリザリンは天然染料よりも安く,茜栽培を圧迫しました.フランスでは相当な反発があったようです.1862年の段階で21000 haもあった栽培地は,1878年には栽培地は半分になってしまいました,1881年には合成アリザリンの価格が天然モノの3分の1まで下落しました.
プロイセンではスルホン化を経由するルートが特許で守られていなかったので,誰でも利用することができました.いろんな研究所がアリザリン合成法の研究に取り組み,ものすごい勢いで製法が改良されていきました.
その結果,スルホン化には発煙硫酸を用いると副生物が少なく,メインのアリザリンが得られやすいことがわかりました.
長らく日の目を見なかった発煙硫酸ですが,ここにきてようやく日の目を見たというわけです.
2.接触法の確立
1870年頃,アリザリン人気によりノルトハウゼン法で製造されていた発煙硫酸の供給が追いつかなくなり価格が高騰し,合成染料産業の発展が危ぶまれていました.
【参考】酸の歴史(2):錬金術と硫酸
そこでDunn, Squire and Co社 (イギリス) のWilliam Stevens Squire (1834-1906) は発煙硫酸の製造を決意しました.
Squireの助手だったRudolf Messel (1848-1920) は1875年,粉末状にした白金を軽石に付着させ,これを触媒とすることで三酸化硫黄SO3を製造する方法を確立しました.いわゆる接触法です.
興味深いのは,ドイツのClemens Alexander Winkler (1838-1904)も全く同時期にほぼ同様の方法を開発したことです.両者は全くつながりがなかったにも関わらず,Squireが特許を申請した日と,Winklerが論文を投稿した日が同じだったそうです.
接触法では当初,鉛室法で作られた硫酸H2SO4を熱分解し,水を取り除くことでSO2とO2の混合ガスを得る方法が用いられました.
【参考】酸の歴史(3):鉛室法の発明
しかしこれは経済的にはかなり大変な工程です.
そこで,後にSO2は硫黄Sを燃やして得る方法に切り替えられました.この方法ではSO2を4気圧下で一回水に吸収させ,水蒸気でこれを追い出すことで純粋なSO2を得ました.1881年,アルザスで工業的に利用されました.
こうして発生したSO3を硫酸に吸わせれば発煙硫酸が生じ,
水を加えれば,はじめより濃度の高い硫酸が生じます.
確立された接触法は,イギリスやドイツ*3で普及しました.ドイツでの特許法導入は翌年のことですから,Winklerの製法が特許で保護されていなかったことも大きかったようです*4.
白金は石綿や硫酸マグネシウム,磁器,ケイ酸ゲルなどいろんな材質の表面に付着させて触媒として用いました.250-400℃くらいで反応が進行したようです.
白金触媒の問題のひとつに,ヒ素Asがガス中に混入していると,白金表面を覆って触媒としての能力が落ちやすいという点が挙げられます.白金に10%ほどAs2O5が含まれている場合,400℃では80%以上も収率が落ちます*5.
白金触媒を使用するためには,原料ガスをよく精製しなければいけません.
これは少し面倒ですね.
そこで合成染料を開発し,アンモニア合成法の改良で触媒についてノウハウのあったBASF社は接触法についても触媒について検討を進めました.
そして1915年,五酸化バナジウムV2O5を用いた触媒を発見しました.バナジウム触媒にはV2O5のほか,ケイ酸,そしてカリウムが使われました.
バナジウム触媒がどのように働くかはよくわかっていませんが,下のようなモデルが提唱されています.
白金とは異なり,表面で活性成分が混ざって反応が起きるのではないかと考えられています.そのため,融点を下げるためにNa2SO4が添加されることもあるようです.
バナジウム触媒は白金触媒よりも効率は低かったのですが,450-500℃であれば白金ほどヒ素に影響はされないのが利点でした.また,比較的長寿命だったこともメリットでした.
3.接触法のしくみ
それでは,接触法についてより詳しく見ていきましょう.
SO2の酸化
接触法のキーとなるのは,SO2の酸化反応です.これは平衡反応です.
ルシャトリエの原理によれば,SO2やO2を増やせば反応が進みそうです.
ここで,平衡定数Kpは分圧を用いて以下のように表されます.
各成分の物質量を,,とし,全物質量をとすると,各分圧は全圧Pを用いて以下のように表されます.
したがって,SO2に対するSO3の物質量比は,次の通りです.
式から,SO3の収率を増加させるには全圧Pを増加させるか,酸素の割合を増やすことが重要そうです.
窒素をかなり含む空気ではなく酸素ガスを用いることで酸素の割合を増やすこともできそうですが,こちらは装置の都合上,現実的にはかなり難しいようです.
反応式の係数を考えるとSO2とO2は1 : 0.5でよさそうですが,ルシャトリエの原理で反応を進ませるため,またバナジウム触媒の活性を維持するために1 : 1で行うことが多いようです.
ちなみに全圧Pを増加させるのも確かに有効なはずなのですが,反応容器を分厚くしたり,消費電力を増加させなければいけないことからコストがかさんでしまいます.そのため,広く採用されているアプローチではありません.
ダブルコンタクト法
一方,ルシャトリエの原理から推測されるのは,SO3を取り除くのも有効な手だということです.
1960年にBayer社によって開発されたダブルコンタクト法では,SO3を取り除くアプローチが採用されています.こちらはシンプルに言えば,接触法 (contact process) を2回 (double) 連続で行う方法です.
ダブルコンタクト法では,まず普通にSO2を酸化します(1回目).次に,この段階で生じたSO3を硫酸に吸わせて取り除きます.すると,ルシャトリエの原理によりさらに未反応のSO2を酸化させる余地ができます.
その後,未反応のSO2を用いてもう一回酸化反応を行います(2回目).この段階では,O2が過剰になっていますので,反応を進行させるのにかなり有利です.
こうして生じたSO3を再び硫酸に吸わせます.トータルで2回吸収させているので,double-absorption法とも呼ばれます.変換効率は約99.7%に達することが可能です.
さて,もう一回,平衡反応の式を見てみましょう.
エンタルピー変化が負ですので,発熱反応ですね.
通常,化学反応は温度を上げると反応速度が増加します.しかしながら発熱反応の場合,温度を上げると平衡が逆反応に有利になります.この場合,温度を上げるとSO3が分解しやすくなります.
温度が低すぎると反応は起きず,高すぎるとSO3が分解されてしまう.そこで,SO2の酸化反応を適度に進行させるには,温度管理が重要となってきます*6.
ダブルコンタクト法では,1回目の酸化反応で生じた熱をうまいこと2回目直前のSO2に受け渡す仕組みになっているので,加熱と冷却をバランスさせてエネルギーを節約することができます.
このようにダブルコンタクト法はSO2の排出が少なく,エネルギーも節約できるので1970年代に環境規制が厳しくなってから好まれるようになりました.
SO3の吸収
ここでSO3の吸収について,すこし補足しておきましょう.具体的にはどのくらいの濃度の硫酸に吸わせればよいのでしょうか?
これを考えるうえで重要なのが,蒸気圧です.
蒸気圧が低い液体は,揮発しにくいです.言い換えれば,気体側にいっていた分子が液体側に溶け込みやすいということです.
SO3,水H2O,硫酸H2SO4からなる液体の蒸気圧は,硫酸濃度に応じて変化し,濃度が98%あたりでトータルの蒸気圧が低くなっています.つまり,このポイントではSO3ガスが吸収されやすいということです.
そのため,接触法では98%硫酸に吸わせます.その吸収効率は99.9%にまで達します.
ちなみに硫酸濃度が低い場合,水の蒸気圧が高いためガス側に水蒸気がたくさん出てきます.そうすると腐食性の高い濃度の硫酸が生成されて装置に損傷を与えたり,硫酸ミストとなって回収が大変難しくなります.
排ガスの処理
さて,接触法の排ガスには未反応のSO2や回収しきれなかったSO3などの硫黄酸化物SOxが含まれている場合があります.
これらは例えばアンモニア水で洗浄することで,回収することができます.
硫酸アンモニアは肥料として活用することができます.そうでない場合は排出コストを考えなければいけません.
洗浄には亜硫酸ナトリウムNa2SO3を用いることもできます (Wellman-Lord 法).
これもまた,副生物が使いみちがあるかどうかがポイントです.
単にSO2を水蒸気で加湿してから活性炭に吸着させ,排ガス中の酸素により酸化して希硫酸H2SO4として回収する手もあります.
こちらは副生物に気をつかわなくていいのがメリットです.
ダブルコンタクト法では過酸化水素で硫酸に変換する方法も使われます.1982年から利用されました.
4.まとめ
接触法では発煙硫酸を作ってから用途に応じて薄めたりしますが,当初は発煙硫酸そのものを作りたくて開発された技術でした.
硫酸はここでおしまいにして,次は硝酸の歴史を見てみましょう.
参考文献
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"Sulfur History, Technology, Applications & Industry" Gerald Kutney (2013).
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"Nitrogen Capture" A.S. Travis (2018).
"The Technology of Eighteenth- and Nineteenth-Century Red Lake Pigments" J. Kirby, et al. National Gallery Technical Bulletin, 28, 69-95 (2007).
"From Process to Plant: Innovation in the Early Artificial Dye Industry" W.J. Hornix, The British Journal for the History of Science, 25 65-90 (1992).
"Synthesis of Anthracene" W.A.Noyes (1919).
"The Discovery of Synthetic Alizarin" L.F. Fieser, J. Chem. Educ. 7, 2609-2633 (1930)
”An Historic Platinum Still" Platinum Metals Rev., 26, 183 (1982).
"Obituary notices of fellows deceased" A.E.F. Proc. R. Soc. Lond. A 110, i-xix (1926).
"Taking historical chemistry to the bench: A new perspective for modern chemists through the re-creation and analysis of 19th-century Scottish Turkey red dyed textiles" J.H. Wertz, et al. Mitteilungen: Gesellschaft Deutscher Chemiker 25, 302-328 (2017).
"The Alkali Industry" J.R. Partington (1919).
『硫酸』井上嘉亀,化学教育, 16, 10-15 (1968).
『硝酸塩の熱分解』田川博章,横浜国大環境研紀要 14, 41-57 (1987).
『酸,アルカリ及肥料 上巻』庄司務 (1936).
『化学の歴史』W.H.ブロック (2003).
*1:これを世界初の合成染料とする説もあるようですが,1845年にGuinonが黄色のピクリン酸を合成しています.アニリンパープルは構造とかそういったことはよくわからないまま,「なぜかできる」といった類のものでしたが,これから紹介するアリザリンは有機化学の理論に基づいて人工的に合成された合成染料でしたので,どちらかというとアリザリンの方が意義深かったと考えられます.
*2:そもそもこの時期は,芳香族化合物研究の黎明期でした.1865年にケクレがベンゼンの構造を発表するまで,アニリンパープルをはじめとした染料化合物は,構造がわからないまま何故か発色する物質としてどんどん開発されていたのです.
*3:第一次世界大戦中,硫黄が手に入りにくかったドイツは石膏CaSO4・2H2Oを利用しました.
*4:しかしそのせいで,Winklerの硫酸を分解する方法に欠点があることにはなかなか注意が向けられなかったようです.
*5:500度以上では収率の落ち具合は20-30%程度ですが、これはAs2O5が揮発するためです.
*6:また,酸化反応後のガスを冷却しすぎると硫酸ミストが生じて装置表面を腐食してしまう可能性があります.