化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

酸の歴史(5):硝酸と硝石

硝酸は高い酸化力をもつユニークな酸です.


硝酸にはどのような歴史があったのでしょうか?

チリ硝石 By John Sobolewski (JSS) - http://www.mindat.org/photo-548175.html, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29139370

硝酸塩である硝石や空気中の窒素から作られた硝酸製造法の歴史を見ていきましょう.



酸の歴史(1):酸とはなにか?
酸の歴史(2):錬金術と硫酸
酸の歴史(3):鉛室法の発明
酸の歴史(4):染料と接触法
酸の歴史(5):硝酸と硝石
酸の歴史(6):オストワルト法
酸の歴史(7):塩酸
酸の歴史(8):リン酸
酸の歴史(9):フッ化水素酸

1.錬金術と硝酸

《賢者の石を探す錬金術師》ジョセフ・ライト,1771年,油彩

硝酸HNO3はおそらく錬金術師によって発見されたものと考えられています.しかしながら用語の混乱から,その正確な歴史をたどることは困難です.
【参考】酸の歴史(2):錬金術と硫酸


たとえば硝酸は「金属を腐食する水 (aqua corrosiva)」と呼ばれることがありましたが,これはときに硫酸を示したり,あるいは異なる酸の混合物を示すこともありました.


酸の混合物といえば,塩酸と硝酸を3:1で混合した王水は金を溶かすことで有名ですね.古くは12世紀あるいは,7世紀インドや,9-10世紀アラビアで用いられていたのではないか?とする説があります.
 \mathrm{Au + HNO_3 + 4HCl \longrightarrow H[AuCl_4] + NO + H_2O}

王水に溶ける金 By Daniel Grohmann - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30289883


12-14世紀ヨーロッパでも度々言及があります*1.なんらかの実験途中で偶発的にでき,それを利用していたのだと考えられています.


王水と硝酸の製法は非常に似通っているため,硝酸のレシピとされるものでも原料や製造工程をよく精査する必要があります.正確な歴史をたどるためには,再現実験等が欠かせないでしょう.


混合物でない硝酸は,古くはギリシャ・エジプトの錬金術師たちが使っていたのではないかという説があります.錬金術師Olympiodorosは金属を溶かす"nitron oil"について言及しており,硝酸なのではないかと考えるものです.ただ,これに関してはちょっと不確実でしょう.


アラビア錬金術では,おそらく9-10世紀に活躍したジャービル派の文献などに硝酸製造法が載っているとする説があります.しかしながらレシピには硝石KNO3ミョウバンなどの硫酸塩のほか,塩化アンモニウムNH4Clも含まれています.


1300年頃ヨーロッパで書かれた『Liber de inventione veritatis』によればNH4Clを入れると金を溶かす液体,すなわち王水ができるとありますので,もしかしたら純粋な硝酸ではなく,塩酸もまじった液体が得られていたのかもしれません.

サラディン (Yūsuf ibn Ayyūb ibn Shādhī, 1137?-1193)が描かれた硬貨 (1189年頃) By Classical Numismatic Group, Inc. http://www.cngcoins.com, CC BY-SA 2.5, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=113478949

13世紀になると,カイロにあったエジプト造幣局の主任化学者Manṣūr al-Kāmilyが硝酸によって金と銀を区別する方法について述べています.
 \mathrm{3Ag + 4HNO_3 \longrightarrow 3AgNO_3 + NO + 2H_2O}
 \mathrm{Ag + 2HNO_3 \longrightarrow AgNO_3 + NO_2 + H_2O}


13世紀エジプトではすでに硝酸の製造法が知られており,硝酸を用いることで金と銀を区別する方法が確立していたようです.


一方でアラビア錬金術には,ギリシャ・エジプトの錬金術以外にもシルクロードを介して中国・インド錬金術の影響が強くみられます.そちらの事情も少し見ておきましょう.


魏晋南北朝時代 (3-6世紀) に成立したといわれる『三十六水法』に書かれたレシピの解釈として,硝石と酢からうすい硝酸のようなものを作り,
 \mathrm{KNO_3 + CH_3COOH \rightleftharpoons HNO_3 + CH_3COOK \:?}

これを金属の酸化に使用したのではないかという説があります.例えば鉛の溶解に利用するというものです.
 \mathrm{3Pb + 2KNO_3 + 8CH_3COOH \longrightarrow 3(CH_3COO)_2Pb + 2NO + 2CH_3COOK + 4H_2O \:?}

ただしこの反応を実現させるには,酢酸が相当濃くないと厳しそうです.そこまで濃縮する技術があったのか,というのが争点となるでしょう.


アラビアで独立に硝酸製造法が確立したのか,シルクロードを介してどこからか輸入されたのか,などについては諸説ありそうですが,少なくともアラビアでは13世紀ころには硝酸の製法が知られていたとしても良いかと思います.


一方ヨーロッパではおそらく1300年前後に硝酸の製法が確立し*2,16世紀には極めて一般的な液体になっていたと考えられています.硝酸は,その原料によってaqua fortisと呼ばれたり,spiritus nitriと呼ばれるようになりました.硝石と金属硫酸塩(ビトリオール)から作られた場合はaqua fortis,硝石とミョウバンから作られた場合はspiritus nitriです.

青のビトリオール(左,硫酸銅五水和物)と緑のビトリオール(右,硫酸鉄七水和物) By Rob Lavinsky, iRocks.com – CC-BY-SA-3.0, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=68180189 By Lamiot - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=48399627

得られた硝酸は金(や白金)以外の金属をとかすため,貴金属の分離に適していたようです.
 \mathrm{3Ag + 4HNO_3 \longrightarrow 3AgNO_3 + NO + 2H_2O}
 \mathrm{Ag + 2HNO_3 \longrightarrow AgNO_3 + NO_2 + H_2O}


こうした方法は,現在のチェコにあるSelmecbányaでは硝酸が金と銀の工業的分離に使われました.金と銀の比が1:3のときによく分離できたので,四分法という名前がつきました.

Selmecbánya (1863年)

四分法を使うことで,銀が溶けた後の重量を量り,金の含有量を推定することもできます.この方法は,硝酸でよく分離できるよう調節するために添加した銀の量や,硝酸の質が結果を左右したため,結果の精度は鑑定人の腕にかかっていました.


このころハンガリーの鉱山都市では,硝酸によって金の含有量を判定する際に,役所が選んだ人以外には市民から選ばれた人も分析に参加することが慣習となっていました.鑑定結果の違いから度々論争となったようです.このように,一部の専門家だけでなく市民も分析に参加したという事実は大変興味深いですね.


ちなみに銀は硝酸中に不純物として溶け込んだ塩酸HClを取り除く目的でも使われました.
 \mathrm{AgNO_3 + HCl\longrightarrow AgCl + HNO_3}

かしこい方法ですね.

2.錬金術の再現実験

錬金術のレシピは,本当にそれで作れるのかどうか,現代になって再現実験が行われたものもあります.


ここでは再現実験が実際に行われた,ドイツの鉱山学の父,アグリコラ(Georgius Agricola, 1494-1555) の製法をみてみましょう.

Georgius Agricola (1494-1555)

彼は鉱山町で医者として活躍した人物で,鉱山や冶金の知識を存分に活用しました.


再現実験では昔の様子を再現するために,過去に採掘された鉱石や昔のコレクションから材料を調達し,実験器具もわらや馬毛,卵白などで器具同士を連結したそうです.すごい徹底ぶりですね.


ますは硝石と硫酸銅(ビトリオール)から作る,aqua fortisのレシピを見てみましょう.


まず硝石KNO3 150 g, ビトリオールCuSO4•5H2O 150 g, ミョウバン 50 gをまぜ,土器で800℃に加熱します.そうするとビトリオールが熱分解します.
 \mathrm{2CuSO_4\cdot5H_2O \longrightarrow CuSO_4 + 5H_2O}
 \mathrm{2CuSO_4 \longrightarrow 2CuO + 2SO_2 + O_2}


生じた二酸化硫黄SO2硝石とが直接反応すると,窒素酸化物が生成します.
 \mathrm{2KNO_3 + 2SO_2 \longrightarrow N_2O_3 + K_2SO_4 + SO_3}
 \mathrm{N_2O_3 \rightleftharpoons NO + NO_2}


ここでNO2が水と反応すれば硝酸HNO3が得られます*3
 \mathrm{4NO_2 + 2H_2O + O_2  \longrightarrow 4HNO_3}


得られた液体は,はじめは冷却時に一部生成したN2O3が混じって青色をしていますが,やがて無色に変化します.
 \mathrm{N_2O_3 + H_2O \longrightarrow HNO_2}
 \mathrm{3HNO_2 \longrightarrow HNO_3 + 2NO + H_2O}

液体・固体の三酸化二窒素は思ったより青い色をしています.By Liyuanschool - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=42586507


トータルでは,シンプルにこのように書いても良いでしょう.
 \mathrm{2KNO_3 + CuSO_4\cdot 5H_2O \longrightarrow 2HNO_3 + K_2SO_4 + CuO + 4H_2O}

実験では51%の硝酸HNO3と,0.4%の亜硝酸HNO2が得られました.


次に,spiritus nitreのレシピもみてみましょう.


まず,硝石KNO3 50 gと粘土(カオリン)150 gをまぜ,土器で800-1000℃に加熱します.そうすると硝石が熱分解します.
 \mathrm{4KNO_3  \longrightarrow 2K_2O + 4NO + 3O_2}
 \mathrm{2NO + O_2 \longrightarrow 2NO_2}

おそらく粘土や土器が触媒のような働きをするのでしょう.


先程同様に,生じたNO2が水と反応すれば硝酸HNO3が得られます.
 \mathrm{4NO_2 + 2H_2O + O_2  \longrightarrow 4HNO_3}


こうして得られた液体は,はじめは一部生成したN2O3が混じって青色をしていますが,
 \mathrm{NO + NO_2 \longrightarrow N_2O_3 }

やがて無色に変化します.
 \mathrm{N_2O_3 + H_2O \longrightarrow HNO_2}
 \mathrm{3HNO_2 \longrightarrow HNO_3 + 2NO + H_2O}

こちらの実験では,53.2%の硝酸HNO3と0.6%の亜硝酸HNO2が得られました.


こうして得られた硝酸には塩酸も含まれていたため,しばしば銀で精製しました.
 \mathrm{AgNO_3 + HCl \longrightarrow AgCl + HNO_3}


錬金術時代のレシピを再現する試みは各所で行われています.こちらのサイトは錬金術師でもあったニュートン(Isaac Newton, 1643-1727)のレシピを再現しています.見てみると面白いとおもいます.
webapp1.dlib.indiana.edu


3.硝石と硝酸

硝酸はもともと硝石KNO3と硫酸塩からつくられていました.硫酸塩としては硫酸鉄やミョウバンが使われました.このような製造法は16世紀には一般的になっていました.

Johann Rudolf Glauber (1604-1670)

17世紀ころには硫酸と直接反応させる方法も知られていたようです.1668年には,オランダの化学者グラウバー(Johann Rudolf Glauber, 1604?-1670)が硝石KNO3と硫酸H2SO4を反応させて硝酸を合成しました.
 \mathrm{KNO_3 + H_2SO_4 \longrightarrow KHSO_4 + HNO_3}


18世紀ころには,この硝石と硫酸の反応により,硝酸が大規模に製造されていたようです.特にこの時期は硫酸の製造法として鉛室法が登場し,硫酸の価格が安くなったことも背景にありました.
【参考】酸の歴史(3):鉛室法の発明

チリ硝石 By John Sobolewski (JSS) - http://www.mindat.org/photo-548175.html, CC BY 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=29139370

19世紀に安いチリ硝石NaNO3が流通するようになってからは,KNO3ではなくNaNO3を原料とする方法のほうが主流となりました.
 \mathrm{NaNO_3 + H_2SO_4 \longrightarrow NaHSO_4 + HNO_3}

イギリスだけでも,1870年代に輸入されたチリ硝石から年間約10,000トンの硝酸を製造していたようです.


チリ硝石を原料とする硝酸の場合,その濃度は高くても92-93%が一般的でした.一方で後に紹介するようにアンモニアを酸化する手法が考案されると,98%硝酸も流通するようになりました.


こうした産業の拡大を背景にチリは新たな経済大国として台頭し,隣国のボリビアとペルーの硝酸塩産業への投資も行っていました.

ハンバーストーンとサンタ・ラウラの硝石工場群(チリ).Pablo Trincado氏が撮影. rewbs.soal (CC-BY-2.0), https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=4085423

しばらくはイギリスとチリによってチリ硝石の利権が管理されていましたが,1878年ボリビアが課税し,ペルーが鉱山を国有化すると南米諸国の対立が表面化しました.そして1879年には太平洋戦争が勃発しました.

タラパカの戦い (1879年)

最終的にはチリが勝利しました.資源輸出による経済成長の結果,チリはブラジルやアルゼンチンと並ぶ南米のABC強国と呼ばれるようになりました.


ちなみに硫酸と反応させる際,さらに加熱すると生じたNaHSO4を硝石と反応させることができます.
 \mathrm{NaHSO_4 + H_2SO_4 \longrightarrow Na_2SO_4 + HNO_3 + H_2O}

しかし加熱すると以下のように硝酸が分解されるほか,
 \mathrm{4HNO_3 \longrightarrow 4NO_2 + 2H_2O + O_2}

生じたNa2SO4が反応容器にこびりついてしまうので,加熱して無理に反応を進行させることはしなかったようです.


チリ硝石には様々な不純物が含まれる場合があります.例えばNaClを含む場合,硫酸によって分解して塩酸HClを生じます.
 \mathrm{NaCl + H_2SO_4 \longrightarrow NaHSO_4 + HCl}

生じたHClはさらに,硝酸を還元してしまいます.
 \mathrm{2HCl + 2HNO_3 \longrightarrow 2NO_2 + Cl_2 + 2H_2O}
 \mathrm{6HCl + 2HNO_3 \longrightarrow 2NO + 3Cl_2 + 4H_2O}
 \mathrm{3HCl + HNO_3 \longrightarrow NOCl + Cl_2 + 2H_2O}

硝酸の収率が落ちてしまいますので,こまりますね.


このほか,NaIO3からはI2を,NaClO4からはHClO4などが生じます.


したがって,純度の高い硝酸を得るためにはなるべく純度の高い96%以上のチリ硝石を使用すべきで*4蒸留などによりきれいに精製する必要がありました.


ただし,綺麗にしようと思って硝酸を蒸留すると硝酸と水がでてくるだけでなく,高温のために硝酸の一部が分解してしまいます.
 \mathrm{4HNO_3 \longrightarrow 4NO_2 + 2H_2O + O_2}


そのため,最後にを過剰に供給して硝酸に戻す必要があります.
 \mathrm{2NO_2 + H_2O \longrightarrow HNO_3 + HNO_2}


生じた亜硝酸は,やがて硝酸に酸化されます.
 \mathrm{HNO_2 + NO_2 \longrightarrow HNO_3 + NO}
 \mathrm{3HNO_2 \longrightarrow HNO_3 + 2NO + H_2O}


蒸留後,水を加えて硝酸に戻すくだりをまとめると,以下のようになります.
 \mathrm{3NO_2 + H_2O \longrightarrow 2HNO_3 + NO}


以上の点に気をつければ,蒸留で純粋な硝酸が得られるはずです.

4.電弧法

Rjukanfossen By I, Hau-maggus, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=2479831

山の多いノルウェーでは1900年頃から流れの速い河川を利用した水力発電が行われるようになりました.その余剰電力を用いることで電気化学が発展しました.


当時の電気化学といえば炭化カルシウムCaC2などを製造するカーバイド産業が主流でした.CaC2はアセチレンの合成や,石灰窒素の合成に使われました.
【参考】炎(15):アセチレン炎の利用
【参考】アルカリの歴史(7):アンモニアと石灰窒素


ノルウェーでは,この安価な電力を用いた硝酸製造法が誕生しました.


1897年,レイリー卿 (John William Strutt, 3rd Baron Rayleigh, 1842-1919)は,空気からアルゴンを回収使用としていました.その際に空気中に含まれている窒素が邪魔だったので,酸素を供給して放電し,硝酸に変換する方法を開発しました*5
 \mathrm{2N_2 +3O_2 \longrightarrow 2NO + 2NO_2 }
 \mathrm{NO + NO_2 + H_2O \longrightarrow 2HNO_2 }
 \mathrm{2HNO_2 + O_2 \longrightarrow 2HNO_3 }


それ以来,放電による窒素固定(硝酸製造)がホットな話題となっていました.


例えばアメリカのCharles Schenk Bradley (1853-1929) やRobert D. Lovejoy (1853-1929) が1902年にナイアガラの滝水力発電を利用した硝酸製造にトライしました*6.もっとも,こちらは機器の不調で1904年には製造を中止しました.

Samuel Eyde (1866-1940)

1903年2月,ノルウェーのエンジニアのSamuel Eyde (1866-1940) は,後にノルウェーの首相を二度務めたGunnar Kundsen (1867-1917) の晩餐会で地磁気測定を専門とする物理学者のKristian Olaf Bernhard Birkeland (1867-1917) *7と出会いました.

Kristian Olaf Bernhard Birkeland (1867-1917)

Eydeはドイツで鉄道インフラのプロジェクトに携わった後,水力発電に興味を持ちレマルクの滝の権利を獲得していました.また,海を挟んだアメリカではBradleyとLovejoy水力発電の余剰電力を用いて硝酸製造にトライしていたことも知っていたようです.


Birkelandが電磁気学に精通していることを知ったEydeは,早速Birkelandに放電による硝酸製造の話を持ちかけました.


晩餐会の1週間前,たまたま実験ミスで放電による炎の向きを磁場でコントロールできる可能性に気づいていたBirkelandは,それから1週間もたたないうちに試作機を完成させ,その2月20日には最初の特許を出願しました.
 \mathrm{N_2  +O_2 \longrightarrow 2NO}


こうして確立した硝酸製造法 (電弧法) により,1905年5月,Tinfos水力発電所の電力を用いた工場がNotoddenで稼働し始めました.ノルウェースウェーデンから独立する,1ヶ月前のことでした.

1912-1940年にRjukanで使われていた装置 By David Aasen Sandved - Own work, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=30890854

放電によって生成した一酸化窒素NOは,分解しないようにアルミニウム製の容器で急冷し,酸化室で酸化されました.
 \mathrm{N_2  +O_2 \longrightarrow 2NO}
 \mathrm{2NO  +O_2 \longrightarrow 2NO_2}
 \mathrm{2NO_2 \rightleftharpoons N_2O_4}


こうして生成した窒素酸化物を水に溶かして希硝酸HNO3が生成され,濃縮されました.
 \mathrm{2NO_2  +H_2O \longrightarrow HNO_3 + HNO_2}
 \mathrm{N_2O_4 + H_2O \rightleftharpoons HNO_3 + HNO_2}


硝酸の一部は石灰石と反応させて硝酸カルシウムCa(NO3)2に変換されました.
 \mathrm{2HNO_3 + CaCO_3 \longrightarrow Ca(NO_3)_2 + CO_2 + H_2O }

本格的な製造は1907年10月からで*8,Ca(NO3)2ノルウェー硝石として流通し,肥料として利用されました.

Svælgfos I 発電所

また,副生した亜硝酸HNO2は炭酸ナトリウムと反応させ,亜硝酸ナトリウムNaNO2に変換されました.
 \mathrm{2HNO_2  + Na_2CO_3 \longrightarrow 2NaNO_2 + CO_2 + H_2O}

こちらはドイツの染料メーカーに輸出され,アゾ染料の合成に使われました.

アゾ染料の合成に必要なジアゾ化

のちにイギリスからはアンモニアが送られ,ノルウェーで硝酸と反応させて硝酸アンモニウムNH4NO3を合成するようになりました.
 \mathrm{HNO_3  + NH_3 \longrightarrow NH_4NO_3}

合成したNH4NO3はイギリスのノーベル社に送られ,爆薬の原料となりました.

5.まとめ

硝酸は冶金や肥料,爆薬など様々な分野に応用されてきました.しかしながら,これまでみてきた製法は原料や電力コストの問題から大量製造には難があります.


次回は,別のアプローチからの合成法の確立を実現したオストワルトを紹介します.
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参考文献

"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"Vitriol in the hisotry of chemistry" V. Karpenko and J.A. Norris, Chem. Listy 96, 997-1005 (2002).
"Some Notes on the Early History of Nitric Acid: 1300-1700" V. Karpenko, Bull. Hist. Chem. 34, 105-116 (2009).
"History of Analytical Chemistry" F. Szabadváry, Pergamon press (1966).
"The Manufacture Of Nitric Acid And Nitrates" C. Allin (1923).
"Makers of Chemistry" E.J. Holmyard (1931).
"Nitrogen Capture" A.S. Travis (2018).
"Potassium Nitrate in Arabic and Latin Sources" A.Y. Al-Hassan, Proceedings of the XXI International Congress for the History of Science (2001).
"Studies in al-Kimya'" A.Y. al-Hassan (2009).
"Science and Civlisation in China" J. Needham, et al. (1954-).
"A History of Industrial Chemistry" F.S. Taylor (1957).
"Alkali Industry" J.R. Partinton (1919)
"Alchemistisches Gold. Paracelsistische Pharmaka." R.W. Soukup, H. Mayer (1997).
『ルブランの末裔』久保田宏,伊藤輪恒男,東海大学出版会 (1978).
『硝酸』井上嘉亀,化学教育, 16, 15-18 (1968).
『酸,アルカリ及肥料 上巻』庄司務 (1936).


目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:偽Geber,おそらくはフランシスコ会修道士Paulusにより13世紀に書かれたと推定されるSumma perfectionisには,王水の製法が書かれています.キプロス産のビトリオール (CuSO4•5H2OもしくはFeSO4•7H2O)と硝石KNO3ミョウバンを一緒に加熱すると得られたようです.

*2:例えば1295年にVitalis De Furno (1260-1327)がつくっていた記録があります.もしかしたら1250年頃,マヨルカ王国のRamon Llull (1232?-1315) の記述をあげても良いかもしれません. \mathrm{2KNO_3 + SiO_2 +H_2O \longrightarrow K_2SiO_3 + 2HNO_3}

*3:硫酸銅分解時に酸素が発生していることに注意しましょう.NOも二酸化窒素へと酸化されます.

*4:95%の製品は肥料として用いられました.

*5:イデアそのものは18世紀,Henry Cavendish, 1731-1810)キャヴェンディッシュの観察に遡ります.

*6:他の例として,ロシア帝国の秘密警察に追われてイギリスで化学を学んだポーランドの化学者Ignacy Mościcki (1867–1945)は,1903年,スイスの実験工場で放電による硝酸製造を成功させ,硝酸会社を設立しました.

*7:BirkelandはKundsenから資金援助を受けて極地地方の地磁気を測定しており,のちにこの測定データをもとにオーロラに関する重要な理論を発表しました.

*8:電力は5 km離れたSvælgfoss発電所から得ていました.この発電所は当時,ヨーロッパ最大の発電所でした.