化学と歴史のネタ帳

身近にひそむ化学と歴史を,高校までの知識をベースに解説する化学史系ブログです.

花火のしくみ(9):蛇玉の歴史

みなさんは蛇玉(蛇花火)とよばれる花火をご存知でしょうか?

火をつけるとうねうねと黒い蛇のようなカタマリがのびてくる,異様な花火です.他の花火に比べ,とくに鮮やかに光るわけでもなく地味ではあるのですが,強く印象に残っています.


調べると意外と奥の深い花火でしたので,今回は蛇玉のしくみを歴史とともにみていきましょう.




花火のしくみ(1):花火の燃焼
花火のしくみ(2):花火の色
花火のしくみ(3):線香花火
花火のしくみ(4):フラッシュ,スパーク
花火のしくみ(5):点滅花火
花火のしくみ(6):笛音
花火のしくみ(7):開発音,雷音,パチパチ音
花火のしくみ(8):煙
花火のしくみ(9):蛇玉の歴史
【参考】黒色火薬の歴史(1):火薬と花火

1.ファラオの蛇

蛇玉の歴史は意外と古く,19世紀前半にさかのぼります.

Friedrich Wöhler (1800-1882)

1821年,のちに初めて有機化合物の尿素を合成し「有機化学の父」と呼ばれたフリードリヒ・ウェーラー(1800-1882)がまだハイデルベルグ大学(ドイツ)の学生だったころ,チオシアン酸水銀を用いた実験中に変な反応を発見します.*1乾燥させたチオシアン酸水銀を熱すると「イモムシみたいなやつ」が這い出てきたのです.

youtu.be

この大変奇妙な反応は,のちに子供のおもちゃとして商品化されました.1865年にはパリでファラオの蛇(serpents de Pharaon)という商品名で売られていたことが確認されています.その後,ドイツ,イギリス,イタリアでも売られるようになり,ヨーロッパ中で流行したようです.


さて,ファラオの蛇では以下の反応ではC3N4が生じます.
 \mathrm {2Hg(SCN)_2 \longrightarrow 2HgS + CS_2 + C_3N_4}

このC3N4はいわゆる組成式で,実際には図のようなCとNからなるtriazineheptazineが,炭素原子や窒素原子 (図中X) を介してたくさん連結した層状の構造をしています.

ファラオの蛇では,CとNの層状構造ができるのと同時にCS2の燃焼によりCO2SO2などのガスが生じます.
 \mathrm {CS_2 + 3O_2 \longrightarrow CO_2 + 2SO_2}


おそらくは,C3N4の網目構造の生成とガスの発生が同時におこることで蛇のような形になるのだと推測されますが,詳細は不明です.


ちなみにファラオの蛇の表面は黄色なのですが,断面はです.

これは,内部はHgSにより黒くなっているのですが,表面では以下の反応でHgSが消費され,残った黄色のC3N4が見えているのだと考えられています.
 \mathrm {HgS + O_2 \longrightarrow Hg + SO_2}


2.”現代版”蛇玉の誕生

一躍人気のおもちゃとなったファラオの蛇ですが,反応中に水銀蒸気などの有害なガスが発生してしまいます.3番目の化学反応式が,水銀蒸気の発生を示しています.
 \mathrm {2Hg(SCN)_2 \longrightarrow 2HgS + CS_2 + C_3N_4}
 \mathrm {CS_2 + 3O_2 \longrightarrow CO_2↑ + 2SO_2↑}
 \mathrm {HgS + O_2 \longrightarrow Hg↑ + SO_2}


実際,子供がファラオの蛇を誤って飲み込むなどして死亡する事故が起きてしまいました.そこで,水銀を使わない蛇玉を開発する必要が出てきました.


1867年にはドイツのG. フォーブリンガーが水銀を使わない蛇玉を報告します.

しかし原料はぼかして記載されており,詳細は不明なままでした.詳細なレシピは1937年,ドイツのジョージ・W・ウェインガートが著した本で明らかになります.


アメリカの会社はこれに飛びつきました.なんとかウェインガートの実験を再現しようとするのですが,本をみて困り果てます.原料の“naphtha pitch”がなんだかわからなかったのです.


そこでウェインガートに“naphtha pitch”なるものを送ってもらいます.いろいろ試行錯誤するうちに,どうやらβ-ナフトールを製造するときに副産物として得られる”naphthol pitch”に似てるのではないか?と思い至ります.


実際に”naphthol pitch”とアマニ油を混ぜ,HNO3でニトロ化し,と手順を追っていくと,無事,黒蛇がにょきにょきと出てきたのでした.これが,“現代版”蛇玉の原型です.*2

youtu.be


現在では石炭ピッチ*3と硝酸の反応で作られていますが,より簡便にはβ-ナフトールと硝酸の反応でも蛇玉を作ることができます.


蛇が伸び出てくる原理は不明ですが,膨張黒鉛と似た原理かもしれません.


膨張黒鉛は,炭素の層の間に硝酸や硫酸などのを吸収させた物質です.*4これらの酸は熱を加えることで気化して体積が一気に増え,挟んでいた黒鉛の層が押し広げられ膨張します.


アメリカで取得されている特許の情報に基づけば,石炭ピッチを加熱すると部分的に炭素の層がつくられ,層間に硝酸を入れることができます.そうすると,部分的には膨張黒鉛と似た状態になりますので,熱で膨張するというわけです.もっとも,どの程度まで実験で示されているかは不明ですので,仮説のひとつにすぎません.
【参考】水(6):活性炭・微生物の活用


3.その他の”蛇”

他にも水銀を使わない“蛇”反応は色々考案されてきました.*5


1902年にドーナスが自著に書いたのは,タバコの灰をEmser Pastilles(Ems温泉からつくられたトローチ)*6で覆ったものを酒に浸して火をつける反応です.少々トリッキーな組み合わせですが,火をつけた灰のなかから太った"蛇"がでてくるそうです.


1904年にはヘルビッヒが,高価なEms Pastillesの代わりに砂糖とNaHCO3,トラガカントゴムを用いると良いよ,ということを報告しています.


今日ではよりシンプルに,エタノールを染み込ませた砂の上で砂糖NaHCO3からなる山に火を付ける反応が演示実験として有名で,Sugar snakeの名で親しまれています.*7


また,硫酸による脱水反応を利用した”蛇“反応も色々と知られています.砂糖と硫酸をまぜていると熱の発生とともにじわじわと黒蛇が出てきます(Carbon snake).


よく本反応は,下記反応式で説明されます.
 \mathrm{C_{12}H_{22}O_{11} \longrightarrow 12C + 11H_2O}

しかしながら実際には炭素までは脱水されないようで,砂糖が加水分解してグルコースフルクトースになった後,脱水しながら中間体を経てたくさん連結してフミンという物質になるようです.


一方,p-ニトロアニリンと硫酸を混ぜて熱すると,ガスとともに突然「ドーン!!!」と一気に黒蛇が出てくるので大変インパクトがあります.
youtu.be


本反応は消火剤として使えるのではないかということで,過去にNASAによっても調べられたこともあります.どうやら硫酸とともに熱するとp-ニトロアニリン縮合反応が進行し,例えば図のような層状構造ができていくようです.

4.まとめ

200年近い歴史のなか,いろんな”蛇”反応が開発されてきたことがわかりましたね.


最近では“蛇”を触媒など機能性材料として活用する試みもあるようです.まだまだ蛇がでてくるしくみは謎が多いようですので,研究が進むことを期待しています.



問題

Q. Triazineからなる層状化合物について,炭素原子のみを介して連結している場合の組成式を答えよ.また,Heptazineからなる層状化合物について,窒素原子のみを介して連結している場合の組成式を答えよ.ただし,組成式において水素原子は無視して良い.


A. Triazineは炭素原子3つと窒素原子3つからなる.炭素原子を介して連結すると,窒素原子3つに対して炭素原子は \displaystyle{3+\frac{1}{3} \times 3 = 4}つなので,答えはC4N3

Heptazineは炭素原子6つと窒素原子7つからなる.炭素原子を介して連結すると,炭素原子6つに対して窒素原子は \displaystyle{7+\frac{1}{3} \times 3 = 8}つなので,答えはC3N4




参考文献

『火薬と爆薬の化学』テニー・デービス 著(2006).
Davis, T.L. “The Chemistry of Powder and Explosives” (1941).
Irving, H. “AN HISTORICAL ACCOUNT OF PHARAOH'S SERPENTS”, Science Progress, 30, 62-66 (1935).
Davis, T.L. “Pyrotechnic snakes”, Journal of Chemical Education, 17, 268-270 (1940).
Miller, T.S., et al. “Pharaoh’s Serpents: New Insights into a Classic Carbon Nitride Material” Zeitschrift für anorganische und allgemeine Chemie, 643, 1572-1580 (2017).
Wöhler, F., “Ueber einige Verbindungen des Cyans (Blaustoffs)” Annalen der Physik, 69, 271-282 (1821).
“Mercury Handbook” Kozin, O.F., Hansen, S. (2013).
Puscher, C. “Mixture for Producing so-called Pharaoh’s Serpents which are not attended with Injurious Fumes” Chemical News, 23, 217 (1871).
”PROCESS FOR NANO-SCALED GRAPHENE PLATES" Bor Z. Jang, US 2006/0216222 A1.
Hargeaves, N.J. and Cooper, S.J. "Nanographite Synthesized from Acidified Sucrose Microemulsions under Ambient Conditions" Crystal Growth & Design, 16, 3133–3142 (2016).
can Zandvoort, I., et al. "Structural characterization of 13C-enriched humins and alkali-treated 13C humins by 2D solid-state NMR" Green Chemistry, 17, 4383-4392 (2015).
Poshkus, A. C. and Parker, J. A., “Studies on nitroaniline–sulfuric acid compositions: Aphrogenic pyrostats.” J. Appl. Polym. Sci., 14, 2049–2064 (1970).
Tiwari, S.K., "N-Doped Graphenelike Nanostructures from p-Nitro Aniline-Based Foam: Formation, Structure, and Applications as a Nanofiller" ACS Omega (2022). doi.org/10.1021/acsomega.1c05139



目次 - 化学と歴史のネタ帳

*1:文献によって,ここの説明がHg(SCN)2だったりHg2(SCN)2だったりしています.Wöhler, F. (1821)ではたんに” Schwefel-Cyan-Quecksilber”と書かれています.Schwefel-Cyan-Kalium (KSCN)とsalpetersaurem Quecksilber-Oxydul (硝酸に溶かしたHg2O) を混ぜて合成しているので,Hg2(SCN)2の可能性は高いですが,Hg(SCN)2との混合物であった可能性もあります.

*2:というのがDavis, T.L.(1940)に書かれていたストーリーですが,実際には1929年にEssex Speciality社からNaphthol pitchを用いた蛇玉の特許申請があったことが確認されています.”Dictionary and Manual of Fireworks”の第2版(1947)の記述を見る限り Weingartとのやり取りは真実だとは思われますが,アメリカ国内でも情報に差があったということなのかもしれません.

*3:石炭から様々な物質を精製する過程で出てくる副産物です.

*4:層の修飾を引き起こすこともあります.

*5:早そうなところでは,1871年にはPuscherによってK2Cr2O7,KNO3,砂糖を用いた蛇反応が報告されます.本反応では,Cr2O3由来の緑色をした蛇がでてきます.ペルーの香水をあらかじめ混ぜておくと良い香りになるそうです.

*6:ドイツのEms温泉の成分を凝縮したもので,のどの痛みに効くらしいです.NaClO3とNa2CO3が主成分のようです.今でも"Emser Pastillen"という商品があり,おそらく同じものかと思います.

*7:NaHCO3がCO2を発生させることはわかっていますが,ヘビが出てくるしくみは不明です.