燃えるガスの本格的な利用は,石炭ガスと呼ばれるガスから始まりました.石炭ガスは,かつてガス灯としてヨーロッパで広く使われていました.
現在ではすっかり廃れてしまいましたが,その普及は産業革命期を代表する重要な出来事でした.
石炭ガスにはどんな歴史があったのか?2回に分けてみていきましょう.
炎(1):アルカリ金属
炎(2):アルカリ土類金属,銅
炎(3):炎の温度の計算?
炎(4):ガスバーナーの炎の色
炎(5):ロウソクの炎の色
炎(6):Mgの白色光?
炎(7):ロウソクのはじまり
炎(8):近代的なロウソク
炎(9):天然ガスの発見
炎(10):石炭ガス
炎(11):ガス灯の普及
炎(12):石炭から天然ガスへ
炎(13):ブンゼンバーナー
炎(14):アセチレンの登場
炎(15):アセチレン炎の利用
1.石炭ガスとは?
石炭ガスは石炭からつくられるものです.まずは石炭*1について説明しましょう.
石炭は地球上に幅広く分布しており,特に中国やアメリカなどで多く産出します.石炭は大昔の植物が地殻変動による地熱や圧力によって化学変化し,炭化したものです.
シルル紀 (約4億年前) になると生物の本格的な陸上進出がはじまり,シダ植物などの植物が陸を覆いました.温暖湿潤な石炭紀 (約3億年前) にはリグニンを持つ植物の大森林が形成されたことが知られています.
石炭紀のあとのペルム紀にはパンゲア超大陸が形成されました.大森林の残骸はこのような大きなプレートの動きに伴う地盤沈下とともに腐敗*2を上回るスピードで堆積がすすんだと考えられています.
堆積した植物の層は,長い年月をかけて圧力と地熱の影響で炭化が進み,石炭に変化します.石炭は炭化してつくられるといっても完全に炭素だけになっているわけではなく,芳香族化合物が網目状にたくさんつらなり,その隙間にいろんな低分子化合物が取り込まれています*3.図のように網の部分だけをみても,大変複雑ですね!
はじめは脱水反応が中心で炭素の含有量が低い褐炭 (70-78%) になりますが,やがて炭化が進むにつれてベンゼン環の部分が多くなり,二酸化炭素が抜けていって亜れき青 (78-83%)やれき青炭 (82-90%)が, メタンが抜けていって無煙炭 (>90 %) へと変化します*4.
こうした変化には大変時間がかかります.例えば欧米では褐炭は新生代第三紀 (約4000万年前) の地層で主に産出しますが, れき青炭は主に中生代 (約1-2億年前) ,無煙炭は古生代 (約2-3億年前) の地層で産出します.
一方で日本では植生の違いや激しい造山活動の影響もあり,時代が異なります.新生代第三紀 (約4000万年前) の地層でれき青炭が産出し,中生代 (約1-2億年前) の地層からは無煙炭が産出します.
石炭は堆積した環境によって,含まれる不純物も異なってきます.例えば海水性の環境だった場合,pHが高く(pH 6-8) 層中に含まれる硫酸イオンSO42-が微生物の働きにより還元され,鉄と化合して黄鉄鉱FeS2がまざります.
一方で淡水性だとpHが低い (pH 3.3-4.5) ため微生物の働きが抑えられ,硫黄がまざりにくいようです.
こうした事情から,産地によって石炭に含まれる硫黄の量が異なります.例えばアメリカでは堆積した時代に海水が侵入した東部よりも,西部の方が硫黄の含有量が低いようです.
硫黄が混ざった石炭を燃やすと,二酸化硫黄SO2や硫化水素H2Sなどを発生させ,酸性雨やスモッグの原因となることもあります.また,鉄の精錬につかうと,硫黄が鉄と反応してもろくなってしまいます.そのため,石炭の産地選びは重要です.
また,石炭には窒素も1-2%含まれています.そのため,燃やすと窒素ガスN2やアンモニアNH3やシアン化水素HCNなどが発生することがあります.
石炭ガスは,こうしてできた石炭を熱で蒸し焼き (乾留) することでつくられます*5.水素ガスが半分くらいを占めており,メタンが30%程度,残りが一酸化炭素などです.
石炭ガスの生成反応を,まずは反応式でみてみましょう.石炭の熱分解で生じた物質をCとすると,燃焼して発熱する反応は以下の通りです.
この他にも,以下の反応が進行します*6.
メタンも生成します.
石炭ガスの発生は,実際にはもう少し複雑です.
石炭は先ほども紹介したように,芳香環が-CH2-や-O-などの共有結合で連結された網目状の構造をしています.芳香環の部分よりも結合エネルギーが低いので,加熱するとまずはこうした弱い結合が切断されていきます.
生じた断片も十分に加熱されると,安定だった結合エネルギーの高い結合も切断され,さらに分解されます.
このようにどの結合が切れるかは加熱温度によって異なります.当然,もともとどんな結合をもっているかは石炭の種類によって異なります.したがって,石炭ガスを発生させるときは,石炭の種類に応じた加熱条件をきちんと設定する必要があります.
例えば,れき青炭では300℃付近から熱分解が始まりますが,まずはCO2やH2Oが発生します.CH4やCO,H2は400℃付近から発生しはじめます.エチレンやエタン,ベンゼンも微量ながら発生するようです.
さらに温度を上げていくと,CH4などは500℃付近で最大となり,他方でCOは600℃付近で緩やかなピークを迎えます.主要なガス成分であるH2は700℃付近で最大となります.1000℃以上ではほぼCOとH2のみです.
石炭を採掘するとき,産地によっては一緒に黄鉄鉱FeS2も多く混ざります.加熱すると硫化水素H2Sなどに変化し,石炭ガスに混入します.異臭の原因にもなるので,石灰水などに通して除去する必要があります*7.
2.炭鉱ガス
石炭の採掘はヨーロッパでは12-13世紀に確認されます*8.イギリス*9,ドイツの炭田地帯で本格的な石炭の採掘が始められ,鍛冶屋,レンガ工場,ガラス工場,陶器工場などで加熱用の燃料として用いられ始めました.それ以外では,木材が燃料として使われました.
16-17世紀イギリスは,「森なくして王国なし」と表現されたように建物や船,農具に至るまで大量の木材を必要としていました.特に国防に必要な船にはマストに使う立派な木や肋材に使う湾曲した木など様々な木材を必要としていました.
木材の需要が拡大する中,燃料である薪の価格はどんどん上昇していました.急増するロンドンの人口は1500年から1600年にかけて5万人から20万人に増え,それにあわせて薪の価格は倍以上になりました.
そこで人々が目をつけたのが石炭です.
石炭は鍛冶屋や石けん職人などがすでに何百年も前から使っていましたが,やがて製鉄や一般家庭の暖房に至るまで幅広く使われるようになりました.
当初使われていたのはミッドランドやニューカッスル付近の石炭でしたが,これらは硫黄が多く不純物として含まれていました.燃やすとひどい悪臭がしたため毒だと恐れられました.説教師はまさに悪魔の排泄物だと主張しました.一方で王や富裕層は,多少値がはっても硫黄分の少ないスコットランド産の無煙炭を輸入していたようです.
こうして石炭が大量に必要になってくると,地表での採掘では足りなくなります.そこで地下へ地下へと掘り進む炭鉱での採掘がはじまりました.
炭鉱での採掘が始まると,しばしば燃えるガスが突然噴き出し,「人間が打ち出されるような」爆発事故をたびたび引き起こしました.こうした爆発性のガスは炭鉱ガス (firedamp) と呼ばれ恐れられるようになりました.
炭鉱ガスはメタンCH4が主成分ですが,他にも窒息につながるN2やCO2,臭く危険なH2S,息が詰まるCOなどさまざまなガスが鉱夫を襲いました.
鉱夫たちは炭鉱ガスに対処するため,毎朝はじめにファイアーマンと呼ばれる人が自分の服を水で濡らし,火のついたロウソクの束を棒で頭上に掲げて坑道を走り,天井にたまった炭鉱ガスを燃やして処理する,という危険な作業をしていました.当然,凄惨な爆発事故が頻発しました.
3.空気化学と石炭ガス
石炭ガスの開発の背景には,空気化学のブームがあります.
17-18世紀頃,気体を研究対象とする空気化学が盛んになりました.こうした研究で,石炭ガスの製造に必要なさまざまな器具が発明されました.
こんな器具をみたことがありますか?
これは錬金術の時代から使われていたレトルトとよばれる容器です.Johann Glauber (1604-1670) はこれを改良し,高温にも耐えられるものを開発しました.これにより,石炭などを乾留して気体を発生させることが簡単になりました.
また,ヘールズ(Stephen Hales, 1677-1771) がいわゆる水上置換法を開発しました.普通に集めるのではなく,水の中をいったん通してから集めることで,気体に含まれていた水に溶ける不純物を取り除くこともできるようになりました.よく,「ガスを洗浄する」などと表現されます.
のちにキャヴェンディッシュ(Henry Cavendish, 1731-1810) は石炭ガスを石灰水を通してから回収することで二酸化炭素を除去する手法を開発しました.これはのちに,石炭ガスの燃焼効率を上げる上で非常に重要なステップとなりました.
他にも,ラヴォアジエ (Antoine-Laurent de Lavoisier, 1743-1794) の開発したガスタンクはガス灯を大規模に普及させるうえでは欠かせない器具となりました*10.
さて,こうした空気化学の発展によって燃えるガスにも水素ガスや,一酸化炭素,炭化水素などいろんな種類があることがわかりました.そして化学者が積み上げた知識はさまざまな形で一般に普及しました.
例えばイタリアのヴォルタ(Alessandro Giuseppe Antonio Anastasio Volta, 1745-1827)は噴出させた水素ガスに火花で火をつけるライターを開発し,1777年,スイスを訪れた際に多くの人々にこれを実演してみせました.
また,オランダのCharles Dillerは1787年に各国で燃えるガスを使った花火イベント"思索の花火 (Philosophical fireworks)"を開催し,いろんな色の炎を噴き出す星やドラゴン,蛇の模型を使って観客を楽しませました.
こうしたイベントや刊行物の翻訳などを通じて燃えるガスについての最新の知見はヨーロッパ各国に徐々に浸透していき,やがてその利用が注目され始めました.
石炭から燃えるガスが出てくるらしいということは17世紀頃から既に知られていました.18世紀になると,空気化学の実験道具をつかっていろんな人が石炭から燃えるガスを作り出そうとします.
例えばウェークフィールドの牧師であったJohn Clayton (1657-1725) は,石炭をレトルトに入れ,火で加熱していました.最初に粘液が,次に黒い油が,つぎにガスのようなものがでてきました.そのガスはろうそくの炎で火がつき,激しく燃え続けたそうです.このガスは膀胱袋に溜めることができましたので,友人が家にやってきた時には袋に溜めたガスを燃やして楽しませていました*11.
石炭ガスを最初に照明に使おうとしたのはニューカッスル近くの炭鉱の所有者だったGeorge Dixon II (1731-1785) だとされています.おおよそ1779年以降のことです.
また,斬新な発明を数多く考案し風変わりに思われていたスコットランドのArchibald Cochrane (1748-1831) は1787年頃,Curlos修道院のホールをガスのあかりで照らして来訪者に見せていたという話が残っています*12.
大学の先生たちもガス灯を作ってみたりしていました.Louvainの自然科学の教授Jean-Pierre Minckeler (1748-1824) *13は1785年ころ自分の教室や学生の寝室に,Würzburgの薬物学の教授Johann Georg Pickel (1751-1838) は1786年に自分の実験室にガス照明を取り入れました.
4.おわりに
このように,石炭ガスの利用は最初のうちは個人レベルで行われていました.
一方19世紀にさしかかる頃,これを商業化のレベルに持ち上げる出来事がフランスで起きました.次回はその辺りを見てみましょう.
参考文献
"ULLMANN'S Encyclopedia of Industrial Chemistry" Wiley-VCH Verlag GmbH & Co. KGaA (2002).
"History of Industrial Gases" E. Almqvist, Springer (2003).
"Gaslight, Distillation, and the Insutrial Revolution" L. Tomory, Hist. Sci., 395-424 (2011)
"Acetylene and Its Polymers: 150+ Years of History" S.C. Rasmussen, Springer (2018).
"Progressive Enlightenment: The Origins of the Gaslight Industry 1780–1820" L. Tomory (2009).
"Development of the HYGAS Process for Converting Coal to Synthetic Pip3line Gas" B.S. Lee, Journal of Petroleum Technology 1407-1410 (1972).
"Fate of Coal-Bound Nitrogen during Carbonization of Caking Coals" N. Tsubouchi, et al. Energy & Fuels 27, 7330 - 7335 (2013).
"Delayed fungal evolution did not cause the Paleozoic peak in coal production" M.P. Nelsen, PNAS, 113, 2442-2447 (2016).
『工業化学入門』 齋藤勝裕,オーム社 (2011).
『化石燃料のエネルギー転換』内山洋司,日本エレクトロヒートセンター.
『技術の歴史 第7巻 産業革命(上)』 田辺振太郎, チャールズ・ジョセフ・シンガー,筑摩書房 (1979).
『排煙脱硫技術』川村和茂,東海林要吉,Journal of the Society of Inorganic Materials, 9, 412-417 (2002).
『石炭ガス化技術と水素製造』金子祥三,水素エネルギーシステム,37,29-32 (2012)
『環境科学の基礎』御代川貴久夫,培風館 (2003).
『石炭技術総覧』エネルギ総合工学研究所石炭研究会,電力新報社 (1993).
『エネルギー400年史』リチャード・ローズ,草思社 (2019).
『元素発見の歴史』M.E. Weeks, H.M. Leicester (2010).
*1:石炭の利用は大変古く,中国では3000年前に陶器製造に使われていました.日本では,神功皇后が朝鮮との戦いのあと,濡れた衣を乾かすのにつかったとされています.
*2:リグニンを分解することのできる微生物が,まだその能力を十分に発達させられていなかった可能性もあります.
*3:こうした3次元構造の性質は,石炭をメタノールなどに浸すと膨らむことからもわかります.
*4:石炭ガスをつくる際には,こうした石炭の違いも考慮に入れ,加熱条件を検討する必要があります.
*5:加熱温度や速度によって反応はある程度コントロールできるようです.
*6:水蒸気を用いる方法は19世紀後半に確立しました.
*7:石炭火力発電所では似た原理で,発生した二酸化硫黄を石灰石と反応させて除去する装置があります.
*8:石炭そのものは古代ギリシャでTheophrastos (前371-前287)が記録していたり,古代ローマ時代のイギリスで燃料として用いられたりしていました.
*9:1257年以来,中部一帯で採掘されていました.
*10:もっとも,Lavoisierの開発したタイプはお金がかかるものでしたので,のちにパリのDumotiez兄弟がつくったタイプが普及しました.
*11:こうした現象は1684年頃には観察されていたそうで,死後,1739年に『自然学会報』で報告されました.このほか,1727年にはStephen Hales (1677-1761) が『植物静力学』のなかで,石炭やほかの有機物質を密閉器中で加熱すると可燃性ガスが発生することに言及しました.
*12:石炭ガスの扱いには危険がつきもので,2人とも爆発事故を起こしてからはすっかり熱意も冷めてしまったようです.
*13:Minckelerは1783年にパトロンであったArenberg公に気球に使うガスを安く大量に用意できないか検討するよう委託され研究を行っていました.最終的に,石炭ガスが一番良いと結論づけました.